過去のひと言


2014年3月その2 東京マラソン激走(続)

9時10分 東京マラソンスタート。号砲を待つ間 寒くて震えていたが これがいざ走り始めると絶好のマラソン日和となった。走り始めて1、2キロはまだかなりの混雑で自由に走るのは難しい。2キロ地点で 寒さ対策で羽織っていたビニールのポンチョを脱ぎ捨てる。いよいよ本格的な走り始めだ。

最初の5キロ(飯田橋くらいまで)はずっと下り。走りやすいのだがここで抑え気味に走るのがポイントだ。飯田橋の外堀通りから竹橋を抜け内堀通りへ そして10キロ地点の日比谷へとぐるりと展開する。とても開けた爽快なコースだ。東京マラソンの10キロまでは本当に最高だ。

さて私の場合できるだけ 設定したペースで走るようにしている。腕時計とキロ表示が生命線だ。東京マラソンは一キロごとにキロ表示があるのだが この表示が高く目立つように表示されているのでとてもありがたい。私の設定ラップは最初の10キロは 5分~5分10秒/キロ。調子に乗っても決して5分を切って走らないようにする。あくまでも軽快にリズムを崩さないように。

懸念していたのだが 余りの寒さに走ってすぐに尿意をもよおしてきた。トイレに行けば恐らく1分以上のロスタイム。しかも皆同じ状況だからスタートして5キロ以内のトイレはどこも大混雑。ちなみにプロランナーは走りながらおしっこをするということを聞いた。給水時点で水をもらいパンツからかけて洗い流すそうだ。考えてみれば汗と同じようなものだからこれでも問題ないかもしれない。しかし素人ランナーとしてはとてもそこまでの勇気はない。何とか10キロ過ぎまでは持たせようとの覚悟で走り続ける。ちなみに昨年の東京マラソンでは一度もトイレに行かなかった。

10キロの日比谷を過ぎると芝・品川方面へと走り 折り返して日比谷に戻ってくる。この戻ってきた地点から少し銀座寄りの地点が中間点になる。この10キロ~中間点はやや単調ではあるもののまだ半分なので大丈夫。ただ15キロ付近をすぎてくるとその日の調子は何となくわかってくる。この日の感覚としては意外と軽い。これは行けるかも・・・。ともかくあくまでもリズムを崩さないように。

さて銀座からは日本橋を抜けいよいよ浅草をめざす。浅草雷門の前の折り返しがちょうど28キロである。ただしこの区間は銀座から何度か右に曲がったり左に曲がったりするので方向感覚を維持するのが難しい。また浅草橋の交差点を見てもうすぐ浅草だと誤解すると大変なことになる。この辺はコースを頭の中に入れておくことが重要だ。東京マラソンの正念場は浅草雷門の折り返しから銀座にもどるまでの28キロから30数キロだ。いつもここでペースが落ちてしまう。本当につらい。必死でペースを落とさないように走る。ひたすらリズムよく。

東京マラソンは年を追うごとに沿道の応援がすごくなっている。本当に驚いてしまう。ランナーとしては感謝しかない。応援の方には本当にありがとうと声に出したいのだが この日はそれどころではない。「ありがとう」という気持ちだけで勘弁してもらい ひたすら走らせてもらうことにした。沿道のお子さん ハイタッチもせずに申し訳ありませんでした。

かなりきつかったのだが意外とペースは落ちていない。この地点でもキロ5分半で走っている。もう自己ベストは間違いない。築地本願寺(35キロ地点)を過ぎるころにそれを確信した。

これ以降は有明に向けて 埋立地とそれをつなぐ幾つもの橋をひたすら走り続ける。さすがに体はへたばってきた。4度目の東京マラソンなのにこんなに橋の上りのきつさを感じたのは初めてだ。それ以前にこんなに橋がいっぱいあったというのにも改めて驚いてしまった。あともう少し。ゴールが近づくにつれ沿道は選手の応援団で埋め尽くされていく。ラストスパートと行きたいところだが そのエネルギーはない。あと少し。公道を右に曲がるとフィニッシュ・ゲートと時計が目に入る。・・・精一杯のスマイルでゴールイン。

結果 3時間45分12秒。自己ベスト。トイレ休憩の時間も入れて、しっかりとペースを刻んだ完璧な勝利だった。しかし翌日 エネルギーを使い果たした私は 突然の寒気に襲われ 風邪をこじらせ 火水木と三日間寝込む羽目になってしまった。頑張れる自信も持てたけれども 無理がきかない現状も思い知らされました。何とか80歳までフルマラソンを走ること これが今の私の目標だ。

2014年3月 東京マラソン激走

2月23日 東京マラソン激走。これで私の今期のマラソン・シーズンが終了した。

昨年11月の富士山マラソン 12月のホノルルマラソンはともに4時間15~18分の記録に終わった。私にとっては正直意気消沈の記録だ。ホノルルマラソンが終わった時には 61歳の私にはもしかするともう一生4時間切りは無理なのではないかいう思いさえ頭をかすめた。4時間を超した時 特に途中で歩いたりした時には いつもこういう気になってしまう。4時間切りはランナーの世界ではサブフォーと呼び 市民ランナーと呼んで恥ずかしくないレベルを意味する。つまりそう簡単にサブフォーの称号を捨てるわけにはいかないのだ。我々レベルのサブフォーランナーは皆この称号に執着している。

ともかく東京マラソンでは何としてもサブフォーをという気持ちで ホノルルマラソンから2ヶ月間 20~25キロのペース走を週一回欠かさずにこなした。実はその効果はあったようで一月に出場した二度のハーフマラソンでは 二度とも自己ベストを更新した。しかも東京マラソンは過去3度の出場すべてで4時間を切っている。自信回復というタイところだが 実は気がかりな点もあった。それはホノルルマラソンの30キロ過ぎで左膝裏がつりそうになったことだ。その痛みの後は怖くて思い切り足を動かすことが出来なかった。初めての経験だったが、実はそれ以降も20キロくらいを走ると同じ部位で痛みの予感というものを感じるときがあった。

東京マラソンは日本でナンバーワンの市民マラソン大会だ。コース設計、運営、沿道の応援・・・どれをとっても素晴らしい。ただ一つ欠点を挙げるとすれば 30分以上にわたり寒い中をじっと立ってスタートを待たなければならない点だろう。東京マラソンの場合 この都庁前で待っている間が実に寒くて長い。特に今年は寒かった。何とかいけるだろう、もしかすると自己ベストもありかもという高ぶる気持ちとホノルルマラソンで感じた足の痛みへの不安・・・マラソンで一番緊張するのはこのスタートラインを待つ時だ。

寒い中 本当に震えながらいろいろ考えていると 実は恐らく私がマラソンで一番好きな楽しい時間はこの待ち時間だということに気づいた。走り終えてゴールする時は達成感に満ちた「嬉しさ」だ。一方 スタートの号砲を待つ間は期待と興奮に満ちた緊張感あふれる「楽しさ」だ。ソチ五輪のジャンプで葛西選手が滑り出す瞬間ににこっとした表情をカメラがとらえた。これを見た瞬間 一流のアスリートも同じなのだと思った。葛西選手はこの緊張の瞬間を確かに楽しんでいた。

9時10分号砲。出場選手36,000人。芋を洗うような大混雑の中 いよいよスタートだ。とは言っても 私の場所からだとスタートラインを通過するのは号砲から5分以上経過した後になる。徐々に徐々に気合いを入れながらスタートラインまで歩きを速めて行く。

2014年2月 私見出版事情 その2

前回は返品にまつわる話を書いた。今回は電子書籍の話だ。

私が二年前に出した「入門 考える技術・書く技術」が増刷になりますという話が来た。確か今回で9刷になるので そこそこ売れている。しかも 増刷部数が8千部だという。ビジネス本的に言えば 5千部が全国書店の最低配荷レベルなので 初版では安全を見て5~8千部の印刷と言うのが一般的だ。増刷で8千部というのはかなり景気の良い話である。さてこれで何万部刷ったことになるのだろうかと考えてみて はたと思いあたった。すぐに何万部と言う数字が出てこないのだ。

ちなみに著者が受け取る出版物の印税は 売れた時点ではなく 刷った時点で刷った部数を基準にして計算される。印税の%はビジネス本であれば販売価格の8~10%が妥当なところだろう。したがって出版物では 増刷時にそこそこの印税が小遣いとして入ってくる。ちょっとした楽しみだ。

ところが この「入門 考える技術・書く技術」は10近い電子書籍でダウンロード可能な契約にしている。電子書籍では刷るということがないので ダウンロードした時点で印税の支払となる。ただし その分 印税の%は紙の倍以上になる。私の場合 ダイヤモンド社にお願いして窓口になっていただいているので 同社から毎月どこからどれだけダウンロードされたかの報告が届き 毎月印税が支払われる。しかし 増刷の単位が数千部であるのに対し 電子書籍のダウンロード数は月に数十部の話だ。残念ながら 楽しみと言えるレベルにも達しない。いつの間にか振り込まれ いつの間にか消えていく。

ところが 先日届いた報告書では 驚くことに某電子書籍で月に3千部のダウンロードがあったという。こうなると電子書籍もばかにならない。どうやら急速に電子書籍が幅を利かせてきたようなのだ。問題は紙による従来型の出版システムと紙を使わない電子書籍という新システムの二つのシステムが併存している点だ。つまり 刷った部数が中心の従来システムと売れた部数のみしか意味のない新システムが混在しているのだ

著者視点で言えば 今までは刷った部数が唯一の数字だった。しかし今や この従来型観念がそろそろ通用しなくなってきたのだ。しかも 経験してみると分かるのだが この新旧システムはお互いに影響し合って併存しているのだ。

もう少し安定化すれば 紙の刷数と電子書籍のダウンロード数にそこそこの関係が見えてくるのかもしれない。当然 出版物のカテゴリや対象読者によって異なるであろうが 必ず一定の関係数が見えるに違いない。これが見えれば もっともっと売れる工夫ができそうな気がする。もう一冊本が書けそうな気がしてきた。

2014年2月 私見 出版事情

新聞の勧誘には洗剤のおまけや野球の無料チケットがつきものだ。なぜ? …理由は再販価格制度という法律にある。新聞や出版物などの文化(?)事業は 文化レベルを維持するために 値引き販売を禁止するというものだ。その結果 新聞は値引き競争ができず(つまり値引きをやらずに済み)おまけ競争がそれにとって替わる。穿った見方をすれば 新聞社の談合と言えなくもない。過去何度となく再販価格制度廃止の声が上がったというが 新聞社の強い抵抗には誰も勝てない。

書籍も再販価格なので 本屋で値引きというものはない。どんなに売れない本でも値引きはできないのだ。これはネット販売でも同じ。もちろんそのままでは本屋の経営は立ちいかない…というわけで 書籍では出版社への返品という制度がワンセットとなる。売れないので値引きというやり方が許されない商品では 売れなければすべて返品となるのだ。もちろん 書籍だけではなく 小売りされるすべての再販価格商品では返品制度がワンセットになっている。

書籍の場合 返品率は平均で確実に40%は超えているだろう。10万部刷ったら そのうちの4万部以上が返品として出版社に戻り 結局は断裁してサヨウナラとなる。何とももったいない非効率的な話だ。これが文化レベル維持を標榜するために作られた再販価格制度の現実である。

したがって出版社にとっては 返品をいかに防ぐかが営業の腕の見せ所になる。出版社は書店に配本した段階で売上げを立て代金を回収するのだが 返品された場合 その時点で代金を払い戻さねばならない。一方で 書店とすれば 新刊書は山のように出てくるし 棚の面積は限られているので 気づく限りせっせと返品する。結果として返品率は上昇の一途をたどる。コストのかかる本で売れなかった場合など 悲惨な末路を招く。昔 アイドルの写真集を数百万部刷ったが 思いのほか売れずに 60%を超える返品となった出版社があった。結局 その出版社は倒産した。

出版社は表立って絶版はしない。絶版にすれば その時点ですべての返品を受け入れる必要がある。これは大変な出費だ。したがって 出版社は絶版にするのを避け 一度に返品されるのを防ぐ。出版社から見れば 書店で売れない本は書店の在庫であり 出版社の在庫ではない。この結果 出版社のコンピュータでは書目数(品目数)だけがやたらと増え続けることになる。しかしよく見ると その書目数の1/3はまったく売れていないという状況なのだ。

昔 中堅出版社のコンサルティングをした時に 大ナタを振るって売れない書店在庫をすべて引取り 登録上の書目数を2/3にするという大合理化を行ったことがある。結果として 万年赤字の会社を一年で黒字化することに成功した。書店在庫はもちろん、効率化に対する出版社社員の意識改革に成功したのだ。この出版社はそれ以降ずっと黒字である。

2014年1月 謹賀新年

2014年あけましておめでとうございます。

東京では三が日は実に温暖な天気が続きました。この天気につられ のんびりとした正月休みを送らせていただきました。

元日は今年の願掛けの意味を込めちょっとランニングした以外はごろ寝。二日は浅草に出かけました。浅草と言えば浅草寺ですが 浅草寺の三が日はものすごい行列なのでパス。初詣ですから 浅草寺の横にある浅草神社にお参りすることにしました。今は神社とお寺は別々ですが これは明治時代の神仏分離によるもの。それ以前 多くの神社・お寺は同一の敷地内で一括して管理されていました。浅草神社も元をたどれば浅草寺の付録的な存在だったようです。

しかし決してあなどってはなりません。浅草神社の社殿は重要文化財に指定されているのです。説明によると 社殿は度重なる火災や戦災や震災をも免れ 350年もの間 生き続けていると言うことです。となりの浅草寺の本堂や五重塔は戦災で焼失しているので これはすごいことです。かなりのご利益が期待できそうです。

さて浅草神社にお参りした後は メインイベントである浅草公会堂での新春歌舞伎の観劇です。役者は市川猿之助と片岡愛之助。倍返しでブレイクした片岡愛之助さんは大みそかの紅白に出た後 元日は片岡一門の集まりで京都に行き トンボ返りで東京にもどって二日からの出演だそうです。芸能人は正月はハワイでのんびりというイメージでしたが 歌舞伎役者は大忙しのようです。

三日は穴八幡(早稲田)に参拝。八幡さまと言えば武運の神様。穴八幡ももちろん同じですが 今や穴八幡と言えば金運アップの神社として有名です。そもそも敷地の穴から金銅の御神像がでてきたのが名前の由来と言います。ここでしか頂けない「一陽来復」(陰の後は陽が来る)のお守りは大人気です。

さて穴八幡の後は新宿の末広亭で初寄席。正月の寄席は顔見世公演なので 多くの芸人さんが短い持ち時間で場を回します。深い話は無理ですが これはこれで普段見られない芸が見られるので面白い。

四日は明治神宮に参拝。ご利益があるのかどうかは分かりませんが 関東で最大の神社なのですからやはり外せません。その後にちょっとしたショッピング。・・・九州の慣習である三社参り(三つの神社に初詣に行く慣習)もつつがなく終了 平和なお正月でした。今年は安部首相が年男とのこと。どうか良い一年となりますように。

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