過去のひと言


2016年6月その2 舛添都知事辞任

舛添都知事が辞任表明した。当然のことだろう。しかし一方で直接選挙である首長選び特有の結果ともいえる。これが国会議員だったらやめることはなかったかもしれない。
 
舛添さんは違法行為はしていないようだ。しかし ザル法の隙間を突く形で 明らかに法の精神を逸脱した行為をしている。実はこちらの方が庶民にとっては許しがたい行為といえる。しかし このことに彼は気づかなかった。通常 違法行為をした人は司法の下で裁きを受ける。しかし 本当にずるがしこい人は法に触れない形で悪いことをする。庶民はこれを肌感覚として知っている。
 
一方で今回の問題の最大の責任を負うべき人も庶民である。特に都知事として舛添さんに投票した人の責任は大きい。今回問われているのは特定の違法行為ではない。全体としての舛添さんの人格的な問題である。これを見抜けずに都知事として選んだ人には大きな責任があると私は思う。直接選挙でトップを選ぶという行為は間接選挙である国政選挙とはまったく違った重みの一票であることを選挙民は自覚しなければならない。具体的には もっと立候補者のことを目を皿にして精査すべきである。これは直接選挙を行う投票者の義務と考える。
 
そういう意味では 直接選挙においては 立候補者の討論会や報道 あるいは立候補者精査の期間や仕組みなど 制度面での再考が必要と考える。少なくとも 立候補者の政治資金使用状況や個人の財産・納税状況などを第三者の目で事前精査する仕組みは必要だろう。
 
立候補者を精査する仕組みが十分ではない現制度において 立候補者を推薦する党の問題は大きい。今回 選挙民の次に大きな責任があるのは舛添さんを推薦した自民党と公明党だと考える。党として“推薦”の持つ意味を深刻に考えるべきである。猪瀬さん 舛添さんと二度続けて間違った推薦をした自民党と公明党は 今回 推薦を自粛すべきである。彼らに推薦する資格はない。
 
さらに 現制度下においてマスコミ報道の果たす役割も大きい。いったん立候補が確定してしまうと様々な報道規制に従わねばならないことはわかる。しかし それでもやろうと思えばやれることはいっぱいあるはずだ。そういう意味ではやはり週刊文春は別格といえる。今回舛添さん辞任の引き金を引き続けた有力メディアの一つが週刊文春である。実は 猪瀬さんが辞任表明し 舛添さんが立候補表明をしたとき 週刊文春は舛添批判を繰り返した。とくに 自らの介護経験を声高にアピールした舛添さんに対し 実際にやっていることと言っていることがまったく違うと批判したのだ。
 
私自身は舛添さんに投票しなかったし 知事になってもすぐに化けの皮がはがれるだろうと思っていた。私にとっては 実は2年半もやりおおせたこと自体が驚きだった。舛添さんは極めて頭の回転の速い方である。しかし そうした頭が良い人につきものの傲慢さは度を越していた。特に今回私が驚いたのは 口汚い言葉で相手をののしり批判しながら 自らが何の恥じらいもなく同じことを行っていたという事実だ。

それでも 人は変わると私は思う。いや 思いたい。今回の出来事は追い風を受けていた舛添さんにとって突然の嵐に巻き込まれたようなものかもしれない。しかしまだ沈没には程遠い。舛添さんには今回の出来事を糧にカムバックしてもらいたい。それだけの才能が彼にはあると思う。

2016年6月 がんばれ山尾さん

先日 山尾志桜里民進党政調会長と安倍総理との保育士に関する国会質疑をニュースで拝見した。「男尊女卑」発言が出た国会質疑である。びっくりした。もし子や孫が国会議員になりたいと言ったら、「君はもっと優秀なはずだ」と答えるような私にとって、にこんなに頭の回転の速い国会議員がいるとは知らなかった。正直 数合わせで作られた民進党なんてやっぱりダメだろうなとあまり期待していなかった。しかしわずか当選2回の山尾氏を政調会長に抜擢するなど 能力重視の若手抜擢人事を見ると将来にちょっとばかし期待が持てそうな気がしてきた。

山尾氏は以前「日本死ね」のブログを国会で紹介した方だ。この当選2回41歳の若手議員のストレートな質問に安倍総理はまともな回答ができなかった。「匿名のブログなど相手にしておられない。空振りですね」的な木で鼻をくくった答弁には驚いた。以降の保育園や保育士問題の広がりを見れば 山尾氏の指摘は空振りどころかホームランだった。

今回の男尊女卑質疑は 保育士の処遇改善4万円を 全産業の女性労働者賃金平均との格差から算出した値だと答弁した(塩崎恭久厚生労働相)のが始まりだった。これは官僚の作成した答弁書の丸読みだろうが 質疑のテレビ報道を見る限り どうも山尾氏から質問を受けるまで(あるいは受けた後も?) 総理はこのロジックのおかしさに気づいていなかったようなのだ。もしこのおかしさに気づいていたらもっとましなやり取りをしていたはずだ。もちろん発端の答弁を作成した官僚はこのおかしさに気づいていない。

山尾氏はすぐさま「保育士は女性だけの職業ではない」と切り替えし 男女間の給与格差の存在を前提とした目標値の設定はおかしいと主張した。まったく当たり前の主張だ。この切り返しの速さはすごかった。こんなに頭の回転が速い人が議員にいるのだ。これに比べると総理の答弁は議員特有のステレオタイプに見えた。今すぐは無理かもしれないが 大目標としては「同一労働同一賃金」を目指すべきだと私は思う。男女や人種で異なる賃金は決して許されるべきではない。

総理だって 大目標は山尾氏の言う通りだが是正の現実的第一歩として計算したものだと説明すれば皆納得するものを 異なる他者の意見はすべてはねのけるとでもいうような頑なさで質問をはねのけようとした。総理の頭の中は 保育士は女性の仕事 女性が男性より給与が低いのは当たり前という石器時代の考えで凝り固まっているように見えた。がんばれ山尾さん!!

2016年5月第2回 三菱自動車不正問題(続)

前2回にわたって三菱自動車に関する私の昔のコラムを再掲させていただいた。コラムでは三菱グループと三菱ロゴ(三菱と言う名前)の不可分の象徴性を強調したつもりだ。しかし事態はあっという間に逆の方向に向かって動き出した。

先日 日産(ルノーグループ)が三菱自動車へ2,373億円の出資をし 34%の株主比率を保有する筆頭株主になることが決まった。これは三菱グループ全保有比率を上回るもので これにより三菱自動車は日産の傘下に入ることになった。日産が三菱にOEM供給したり その逆に三菱が日産にOEM供給したりと その密接なビジネス関係を考えると妥当な着地点と見る人が多いようだ。しかし 本当にこの決定は日産に有益なものになるのだろうか?

第一の疑問は 日産は あるいは ルノーは これだけ不正を繰り返した三菱自動車を立て直せるのかという素朴な疑問だ。もちろん この疑問は なぜ日産が三菱自動車とここまで深いビジネス関係を求めたのかという疑問と同じである。しかし 単なるOEM関係と 筆頭株主として日産・ルノーグループの傘下に入れるというのは全くの別次元の話しだ。

ここで誰もが思い浮かべるのが ダイムラークライスラーと三菱自動車の提携失敗の歴史である。2000年 三菱苦境のさなか ダイムラークライスラーは三菱との資本提携を決めた。ダイムラー側は必死で三菱立て直しを試みたが その間にも幾つものクレーム隠しが発覚し 結局 上手く行かなかった。資本関係は2005年に解消となった。三菱自動車はそういういわくつきの会社なのである。

たしかにゴーン氏は大企業病に陥った日産に外科手術の大ナタを振るって同社を死の淵から救った。しかし少なくとも 日産は三菱自動車のような不正はしていない。今の三菱自動車は慢性の病魔におかされた会社で とても外科手術では救えそうにない。

確かにインドネシアを中心とする東南アジアにおいて三菱自動車のブランド力は強い。しかしそれだけでこの出資を正当化できるだろうか?もしかすると日産出資の理由はもっと単純なところにあるのかも知れない。ひょっとしてゴーン氏は三菱ブランドを過大評価しているのではないだろうか?確かに 外国人が三菱ロゴに大きな魅力を感じるのは分かる。これからは大手を振って三菱ロゴを使えるのだ。三菱自動車そのものを手に入れたのだから 自動車にちょっとでも関連するビジネスであれば三菱ロゴを用いるとしても誰も文句は言えないだろう。しかし今 三菱ロゴ(三菱と言う名前)にそれほどの価値があるのだろうか?

一方で 三菱グループは 仏の顔も三度までと 三菱の名前と看板を背負った会社を切り捨てる決断をした。三菱グループの主導で立て直すことをあきらめ 三菱グループの主導で引導計画を立てることも避け 三菱ロゴの会社を三菱と無縁の外資企業に引き渡すことにしたのだ。三菱ロゴの会社の経営が三菱と無縁の会社に任されることになったなど もしかすると三菱の歴史で初めての出来事ではないだろうか。三菱グループ各社はゴーン氏が考えるほどの価値を三菱という名前に感じていないのかも知れない。

三菱グループ各社は それぞれが独立した公開企業である。個々の経営が最重要であり 三菱自動車を助けたくとも 各経営者は三菱自動車支援が自社の株主の了解を得られるのだろうかという大きな問題に直面する。結局のところ 三菱グループはグループ各社の経営があってのグループなのである。グループあっての三菱各社の経営ではない。当たり前のように聞こえるかもしれないが 昔は後者だったし 三菱自動車の経営も後者だった。つまり 三菱グループがあってこそ三菱自動車が存在していたのだ。

今回の出来事はグループそのものの存在価値低下を表している。もしかすると いよいよ三菱という最後の財閥グループの崩壊を意味するのかもしれない。考えてみると 三井銀行と住友銀行が合併したのが2015年の話し。今回の出来事は遅きに失した必然の経過かも知れない。

そこでまた新たな疑問が湧いてくる。つまり 三菱グループのグループ力低下はグループの象徴である三菱ロゴ(三菱という名前)の価値低下を意味するものかという疑問だ。グループの力が弱まっても グループ各社が頑張れば三菱ロゴの価値はアップするという考えもあるけれども 常識的に考えれば この疑問への答えはイエスだと思う。

そう考えると もしかすると 三菱ロゴへのゴーン氏の高い評価は時代の流れと矛盾するものかも知れない。ここまで来ると ゴーン氏と日産の頑張りに期待するしかない。

2016年5月 三菱自動車の不正(その2) 

前号に引き続き三菱自動車の話しです。2004年に書いた「金融財政事情」の私のコラムからの再掲です。

Qte:
 「三菱の文化は変わったのか。その答えを出してくれるのは時間だけだ。」前回は、米国三菱自動車セクハラ事件ケースを出発点に、一連のクレーム隠し問題を経営者の倫理行動という視点から考えてみました。
 さて、この教科書ケースでは、ケース名も、冒頭の言葉も、三菱自動車ではなく単に三菱となっています。全米至る所で三菱の名前をつけた車を見かけるのですから、少なくとも米国では、三菱自動車は三菱の看板的存在です。やはり、三菱自動車問題は三菱グループの問題と考えるべきでしょう。
ただし、私が「三菱グループの問題」というのは、グループ間取引などのケイレツ的な重要性を指しているのではありません。私が指摘しているのは、あくまでも一般市民の視点、即ち、三菱という企業グループ・ブランドの視点です。
 言うまでもなく、三菱ブランドには誰もがうらやむ大きな価値が存在します。各社独立企業でありながら、戦後数十年にわたり、この価値を向上させてきたのです。なぜこのようなことができたのでしょうか?
 おそらくは、創業の理念を共有しようという強固な意志が三菱各社の経営者にあったためではないかと思います。三菱の経営理念といえば、130年にわたり引き継がれてきた三綱領を指します。所期奉公(事業の目的は社会貢献)、処事光明(公明正大、フェアプレー)、立業貿易(グローバル視野)です。
 もちろん、三菱自動車に起きた一連の不祥事は、この三綱領の精神から見れば論外のできごとです。それでは、このことは三菱グループとして経営理念の共有にひびが入りつつあることを意味するのでしょうか?
 私はその可能性が高いのではないかと思います。もしそうならば、この問題は今後、三菱自動車のみにとどまらない可能性も秘めています。
私は、仕事柄、何社もの外資系企業やその日本子会社の方とお付き合いがあります。とても残念なことですが、誠実経営として評判が高い外資系企業であるにも関わらず、日本子会社のモラルの低さに驚かされることが何度かありました。ビジネス倫理とは企業文化、企業風土です。同じ企業組織でも、国が変わればその管理は大変に難しいものです。同じ企業グループでも、組織が変われば同じことが言えます。
 三菱グループが三菱ブランドの価値を維持するためには、恐らくはその原点にある三綱領の経営理念を再度、各社で「積極的に」確認することが必要でしょう。「積極的に」とは、単に三菱金曜会の集まりにとどまらず、三菱グループ全体で経営理念の教育研修に取り組むというようなことです。格好の教育材料があるのですから、それを利用しない手はありません。
 大小の違いはあれ、何らかのグループを形成する多くの金融機関にとり、この話しは他人事ではありません。グループがその求心力を維持するにはお金や人以外の何かが必要なのです。
Uqte:

繰り返しになりますが 前回 今回と二度に渡り掲載した内容は12年前に私が書いた雑誌コラムの転載です。結局 三菱自動車は 1990年から続く不正の連鎖を断ち切ることができませんでした。そしてもっと重要なことは 三菱グループ各社がこの出来事を自分の痛みとして対処することができなかったことです。今問われているのは三菱自動車の問題ではなく 明らかに三菱グループの問題だと考えます。

2016年4月 三菱自動車の不正(その1)

またもや三菱自動車の不正が発覚した。しかもまたしても外部からの指摘だった。以前 “金融財政事情”という金融関係向けの雑誌でビジネス倫理のコラムを連鎖していたことがある。その時 三菱自動車のクレーム隠しが問題となり それをテーマに2回のコラムで筆を執った。今回それを読み返して まったくそのまま通用する内容であることに驚きと納得を感じた。というわけで ここで当時のコラムをそのまま2回にわたって掲載させていただくことにした。2004年のコラムである。

「三菱の文化は本当に変わったのか。その答えを出してくれるのは時間だけだ。」・・・今回のクレーム隠しのことを言っているのではありません。米国のビジネススクール教科書(注)に収録された米国三菱自動車セクハラ事件ケースの結びの言葉です。

1990年から続いていた米国三菱自動車イリノイ工場のセクハラ問題は、98年、同社が約500人の女性被害者に計34百万ドルを支払うことで和解に至りました。この事件は、米国でも最大規模のセクハラ訴訟として全米メディアで取り上げられ、多くのビジネス倫理教材に掲載される結果となりました。

さて、冒頭の言葉は、98年の和解から2、3年後の状況を指したものです。この教科書では「この時点で極端なセクハラ問題は無くなったものの、依然として多くの深刻な問題が存在する」と指摘し、問題の根源を断つ努力がなされていないのではないかとの疑問を呈しています。

三菱自動車では、この米国セクハラ事件と同時並行して、97年に総会屋利益供与事件が発生。その後、記憶に新しいパジェロのリコール隠し事件、そして最近の一連のクレーム隠しへと発展しました。どうやら、答えを出すのにそれほどの時間は必要なかったようです。

さて、最近のクレーム隠し事件で私がもっとも驚かされたのは、どうしてこう次から次へ、ばらばらとクレーム隠しが出てきたのかということです。はたして、社内に全容を把握していた責任者はいなかったのでしょうか?実は、私はその可能性が高いのではないかと思っています。

このコラムでは、しつこいほど、個人の道徳観は所属する組織(すなわち、上司や同僚)によって作られると述べ、倫理モデルとしての経営者の行動の重要性を指摘してきました。これに従えば、いつ頃かはわかりませんが、経営者が一件のクレーム隠しを決断した時点で今日の事態も予測できたといえます。この時以来、こうした問題は経営陣にすら報告されることが少なくなったはずです。「隠せ」と指示した経営者が、部下に「ただし、私には隠すな」と期待すること自体が無理な話です。

経営者の決断を知った管理職の大半はこれがこの組織に通用する規範だと考えたはずです。つまり、この種の問題は隠し通すのが社員としての責任と理解したはずです。

その管理職の部下も、部下の部下も同様です。経営責任者が関わったクレーム隠しはたったの一件かも知れないのに、その行為は何十件ものクレーム隠しを生むことになります。これほど多くのクレーム隠しの実態にもっとも驚いたのは逮捕された三菱自動車の元経営者自身だったかもしれません。

さて、冒頭の言葉は原文の直訳ですが、ここでは三菱自動車ではなく、三菱という言葉が使われています。次回はグループという視点からこの問題を考えてみましょう。

(注)Business Ethics: Ethical Decision Making and Cases, 5th Edition (Houghton Mifflin, 2002)

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