過去のひと言


2019年3月 東京マラソン 寒さとの戦い

3月3日東京マラソンを走った。スタートは9時10分。朝食の消化状況などを考え 3時半頃には起床する。早めの朝食を済ませ 朝風呂に入り体温を上げストレッチ。これはマラソン当日朝の私のルーティーン。

前日の天気予報では昼過ぎから雨となっていたけれども 起床時の予報では9時くらいから雨。それでも降水量は1ミリとなっていたので たかをくくっていた。1ミリならお湿り程度だ。また予報では 走る時の気温は7~8度。まあそれほど気にするほどではない。むしろマラソンには好都合な天気かもしれないと思っていた。寒さなどみじんも考えなかった。

スタート地点は新宿の都庁前。7時過ぎに新宿駅に着くころにはすでにしとしと雨が降り始めていた。予報と違う。受付場所に着き 混む前に早々に仮設トイレで大を済ませる。いつも7時半ころに起きる人間にとって 3時半起床ではスムーズな排便はとても無理。マラソンにとってトイレはとても重要なのだ。

その後 屋根のあるところで着替えを済ます頃には雨は本格的になってきた。寒い。あまりの寒さにまた もよおしてきた。早めに来てよかったと思いながら すでに長蛇の列になっていた仮設トイレに並んで小を済ませる。トイレから出てきたのは 整列の制限時間8時45分ギリギリ。スタートラインに並ぶと そこはもちろん都庁前の道路。屋根もなければ壁もない。スタート後捨てるつもりのビニールのレインコートの下は半そでTシャツ一枚のみ。下はランニングパンツ。しまった。少なくとも上は長袖にすべきだった。後の祭り。

雨と風の中 震えながらスタート時間を待つうちに またもや小をもよおしてきた。そのうち スタートの号砲が鳴った。しかし先頭から3万5千人の真ん中付近で待っている私の場所は動きだにしない。一方で いったんもよおしたものはなかなか我慢できない。号砲後にもかかわらず 意を決して 道路わきにある仮設トイレに駆け込むことにする。号砲が鳴った後なのでトイレにはあまり並んでいない。すると係員が「いま列を離れると最後尾からのスタートになるかもしれない。スタート後500メートルのところに仮設トイレがあるからそこに行った方がよい」と言う。「冗談じゃない。スタート後ならタイムに影響するではないか。それに経験からしてスタート直後のトイレは混みこみに違いない」。列を離れ 大急ぎで道路わきのトイレで用を済ませ 幸運にも列の途中に紛れ込むことができた。そこはまだスタートラインのはるか手前。結局 スタートラインを通過したのは 号砲から20分すぎた頃だった。

ちなみに 記録はランナーが身につけた計測チップで測る。公認記録は号砲後からの計測だが 記録証には ランナーがスタートラインを過ぎてゴールラインを跨ぐまでのネット記録も表示される。列の先頭から走ることのない市民ランナーにとって重要なのはネット記録だ。走り出してからのトイレ休憩は トイレの列に並ぶ時間も入れると短くとも1分はかかる。これは完全なタイムロスなのだ。私の場合 フルマラソンは途中でトイレ一回だが それでもこのタイムロスは痛い。プロのマラソンランナーは走りながら小を済ませるそうだ。どうせパンツは汗だらけ。おしっこも汗と同じ成分だと考えたら我慢はできる。ただ さすがにこれは私は未経験。今回 降りしきる雨の中 どうせ濡れネズミなのだからやってみようかという思いが頭をかすめた。しかし やはり遠慮することにした。なかなか勇気がいる。次回の雨のマラソンに回すことにしよう。

一日中雨のマラソンははじめてだった。水たまりを走った挙句 シューズの中は水浸し。Tシャツもパンツもびしょびしょ。普通 マラソンでは どんなに寒くとも 2~3キロ走っているうちに体はすぐに温まってくるものだ。しかし 雨が降っている時には そうはいかなかった。若干寒さには慣れるけれども どれだけ走っても体は温まらない。

しかし 一番寒かったのは何といってもゴール直後。ゴールラインからビル内の更衣室まで ビル街を歩く間だった。途中 記念メダルとバスタオルと寒さ除けのアルミ・シートをもらったが 手がかじかんでいるためにアルミ・シートを上手く握れない。ゴールから更衣室まで500メートルくらいの道が長いのなんの。帰宅後 大迫選手が体を小刻みに震わせながらリタイアした場面をテレビで見た。よく分かる。それほど寒かった。

タイムは3時間58分19秒。一応サブフォーの目標はクリア。66歳にしては上々だろう。寒かったけれども それでも暑いよりはまだましだった。報道によると 今回のランナーには 評判の厚底ナイキ・シューズを履いていた人が多かったと言う。来シーズンはこの評判のシューズを買って走ろうかと思いを巡らせている。懲りることはない。おっと その前にもう一度 今シーズンの締めくくりとなる富士五湖100キロマラソンが来月に控えている。

2019年2月 ラブ・ネバー・ダイ

最近 時間的な余裕がでてきたこともあり 月に二度近い頻度で観劇やコンサートに出かけている。観劇的には 歌舞伎 ストレートプレイ 文楽 ミュージカル など分野は問わない。今月は横内正の「マクベス」(シェークスピア)とミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」を見に行った。やはりシェークスピアは面白い。シェークスピアを見に行くと 大学時代の英語の先生 小田島雄志(当時助教授)を思い出す。小田島雄志と言えばシェークスピア翻訳の権威中の権威。シェークスピアの劇を見ると 本を読むだけでは分からない凄さを実感できる。小田島先生がシェークスピアに一生をかけて取り組んだ理由がよくわかる。

ミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ(Love Never Dies)」は数年前から日本で公開しているが 私は初めて。演者は「市村正親・濱田めぐみ」と「石丸幹二・平原綾香」のダブルキャスト。どちらも豪華キャストだが 私が選んだのは「石丸幹二・平原綾香」。お目当ては「あーや(平原綾香)」だ。コンサートには行ったことがあるが ミュージカルを見るのは初めて。

「ラブ・ネバー・ダイ」は「オペラ座の怪人」の10年後をテーマにした続編。「オペラ座の怪人」は劇団四季を2度見に行ったことがある。ラブストーリーとしてはミュージカル最高傑作だと思っていた。最初に見た時のシャンデリアが落ちる場面や運河を船で渡るシーンは決して忘れることができない。ただ今回見た「ラブ・ネバー・ダイ」はこの「オペラ座の怪人」を超えていた。それくらいに素晴らしいミュージカルだった。

石丸幹二ももちろん素晴らしかったが 平原綾香は期待通りに素晴らしかった。平原綾香演じるクリスティーヌは怪人のお陰でデビューを果たすオペラ座の歌姫。平原綾香はもちろん本物の歌手だが 歌手役を演じる彼女はなぜか実に最高だ。根っからの表現者に違いない。昔 緒形拳の遺作となった「風のガーデン」(フジテレビ)で中井貴一の恋人の歌手役で歌っていたシーンを思い出した。

ミュージカルはやはり華やかなセット展開が売り。もともとミュージカルを元に書かれた脚本だけにこの辺は実にすばらしい。歌姫に相応しい〝豪華さ“や怪人に相応しい〝おどろおどろしさ“ そして愛の世界の〝哀愁〟が見事にセットで表現されている。いきなりサーカスの劇場シーンから始まるのには驚かされるし きびきびとしたシーンやセットの展開にはまったく無駄がない。特に驚かされたセットは ガラスと鏡面でできた角柱の中でサーカス演者が体をくねらせて踊るシーン。 「黒蜥蜴」を凌ぐほどにおどろおどろしく その斬新な表現は目をくぎ付けにさせる。落ちてくるシャンデリアこそ登場しないが 大がかりでかつ細かい部分にも気を使ったセットはオリジナル譲り。セットが大きすぎるために地方公演ができないという説明には 思わず東京に住むありがたさを感じてしまった。

しかし演劇もミュージカルも出来映えを決めるのは何と言っても脚本と演出。「ラブ・ネバー・ダイ」の脚本と音楽は「オペラ座の怪人」「キャッツ」「エビータ」などミュージカル界の大御所アンドリュー・ロイド・ウェバー。脚本の補佐には 「ジャッカルの日」のフレデリック・フォーサイスまで加わっている。

浅利慶太と劇団四季のお陰で 日本にも多くのミュージカル役者が育ってきた。石丸幹二も市村正親も濱田めぐみも皆 劇団四季出身者だ。これから日本のミュージカル界でも ブロードウェイに負けない脚本家・作曲家などのクリエイティブ・スタッフが育つことを楽しみにしたい。

2019年1月 JRでの出来事

あけましておめでとうございます。2019年 皆さまにとって 良い年となりますように。

さて 先週 大阪に日帰り出張した話。仕事を終え 新幹線で帰るべく 新大阪に向かった。早めについたので 券売機で早めの時間に指定席を変更し 駅弁を買い ホームのベンチで新幹線の到着を待っていた。ふと胸ポケットを探ると あるべきはずのチケットがない。大慌てで コート ジャケット ズボンのポケット カバンの隅から隅まで調べるが ない。どこかに落としたらしい。慎重な性格の私にとって初めての経験だ。何番ホームかを確かめるために新幹線の駅構内でチケットを眺めた記憶はある。失くしたのはそれ以降だ。そうこうしているうちに 新幹線がホームに到着した。

幸いにも座席番号を記憶していた私は ともかく新幹線に飛び乗った。新幹線の切符はネット(えきねっと)経由で購入し 乗車当日にクレジットカードを用いて駅の券売機で発券している。発券機からはクレジットカード購入記録書が発行されており そこには購入した新幹線のぞみの車両番号がしるされている。これを見れば 私が本当に切符を購入していることは明白だ。車掌さんに話せば何とかしてくれるだろう。

乗車後すぐに車掌さんをつかまえ事情を話した。私の楽観的な期待はすぐに覆された。車掌さん曰く この場合 新大阪の駅に遺失物として届けられていないかを調べる。もし見つからなければ 再購入が必要というのだ。クレジットカードで購入したという記録は 私がうそを言っていないという説得にはなったが それ以上の効果はなかった。車掌さんに新大阪駅に電話してもらい 遺失物の届け出をチェックしてもらった。しかし 届出はないという。彼が言うには まだ失くしてから時間がたっていないので 東京についてから駅の精算所にいってそこで再度遺失物チェックをしてもらってくれとのこと。そこでなければ再購入だという。

切符無しの新幹線の中で もう一度考えた。1階の駅構内で駅弁を買ったときか それとも2階のホームのどこかだろう。よく考えたら ホームがあやしい。しかし ホームで落としたのなら 風で吹き飛ばされているかもしれないし 気づいて拾って届け出る人などいないだろう。頭を冷やして 痛い出費の覚悟を決めた。世の中 あきらめが肝心なことはよくある。終わったことはしようがない。しかも会社経費だ。考えてもしようがないことは考えない。これは私の大事な生きる知恵のひとつだ。

ちょっと待てよ。東京駅に近づくと 新たな希望的観測が頭をよぎった。さっき精算所に行けと言われたけれど 改札所の人にまず聞いてみよう。もし心優しき人であれば だまって通してくれるかもしれない。何せクレジットカードの控えで私が実際に購入していることは明らかなのだから。だまって通してくれてもまったく誰にも被害は出ないのだ。

東京駅で わずかな期待を抱きながら改札所の人に聞いてみた。何というお役所仕事。やはり精算所に行けと言う。覚悟を決めて精算所に行き 事情を話す。結局同じ話しの繰り返し。クレジットカードの控えを見て 確かに同情は示してくれた。しかしそれ以上はお役所仕事だ。今や民間企業になっているかもしれないが 所詮 国鉄時代のお役所仕事的なものはなんにも変わっていない。若干変わったと言えば 確かにソフトになった口調だけだ。

彼によると 切符の紛失物は改札所に届けられる場合が多いので まず幾つかの改札所に電話するという。どうもなかったらしい。今度は 遺失物届出書に電話してみるという。遺失物の伝言テープを聞いているのだろうか 先方と電話で会話している様子はない。そうこうしているうちに 電話を切った。・・・そうか 痛い出費だがやむを得ない。

しかし 私に向かっての第一声は「ありました」。なな なんと。地獄から天国。聞くところによると ホームで落ちていたのをJR職員が見つけて届けたらしい。一件落着。平和な気分。さすが日本。海外だとこうはいかないだろうな。・・・しかし よ~く考えてみると 何か割り切れない。

私はネット経由でクレジットカードで切符を予約・購入し 東京駅の券売機で購入時のクレジットカードを用いて発券。指定席変更をしたが それも新大阪駅の新幹線券売機の機械経由。この間いっさい人手も現金も介していない。しかも 新幹線の中では 昔行われていた車掌さんの切符チェックも今はない。ということは 少なくともどの座席が予約されているかの情報は車掌さんに伝わっているという事だ。つまり 私は 新幹線切符の購入で キャッシュレスやネットという許されうる最先端の手法を使って切符を入手しているのだ。私がこの座席を購入したという証拠はシステムにしっかりと残っているはずだ。

もし私が殺人事件にまきこまれていたならば JRは警察の依頼を受け 1時間もしないうちに 私が実際にこの座席を購入しているというアリバイを提供するに違いない。しかし JRは一乗客の切符紛失にそこまで付き合ってはくれない。そもそも 飛行機がチケットレスなのに なぜ新幹線では未だに紙のチケットが必要なのか?

考えれば考えるほど JRの時代遅れに腹が立ってきた。確かに新幹線というハードの素晴らしさは高く評価する。しかし 切符購入などに見る乗客サービスの時代遅れは実に嘆かわしい。JRの切符購入や座席変更などのシステムはJRの業務を機械化するという合理化には役立っているのだろう。しかし 驚くことにJRのシステム化には顧客サービス強化という戦略的な側面がそっくりと抜け落ちている。やはり発想がまだ民営化していない。エアラインを見習うべきだろう。

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