2017年4月 ウルトラマラソン挑戦


4月24日(日) チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン(100km)の部に出場した。一生に一度くらい100キロを走ってみようか これ以上歳をとると難しいかもしれないが今の内なら大丈夫だろうという気持ちだった。フルマラソンを必死のスピードで走るよりも100キロをゆっくり走る方が楽なのではないかという甘い気持ちも実はあった。完走できるかどうかは問題ではなく どのくらいのタイムで走れるだろうかを考えていた。

しかし大会一週間前 コースの高低状況と関門閉鎖時間をじっくりと調べ直し ネット情報を見ているうちに その甘い気持ちの半分は吹っ飛んでしまった。高低差を見れば かなりのアップダウンが幾つもありそうなのだ。富士山の麓だから当たり前といえば当たり前。しかし以前経験した 河口湖と西湖の湖畔を走る富士山マラソン(河口湖マラソン)の時には 河口湖と西湖をつなぐ一カ所を除いてアップダウンはなかった。この印象が頭の中に残っていたのだ。

交通規制などの関係上 フルマラソンの場合も同じだが 途中で何カ所かの関門があり 関門ごとに通過時刻が定められている。マラソンの場合 ゴール制限時間は6時間か6時間半で それに見合った関門閉鎖時間になっている。4時間前後で走る私にとって 関門ごとの閉鎖時間などまったく気にしたことはない。しかし 100キロマラソンはちがった。

富士五湖チャレンジの100キロマラソンでは ゴール制限時間は14時間で 途中6カ所に関門が儲けられている。問題は前半の関門制限時間の厳しさだ。最初の湖 山中湖からの戻り道はずっと登り坂になっている。にもかかわらず関門閉鎖時間が結構厳しい。歯が立たないというわけではなく 油断できない。結局 この前半40キロくらいでどれだけ脚力を維持できるかが勝負の分かれ目となる。

しかし あろうことか このしっかり走らなければならない区間で溝のブロック蓋の隙間に足をつっかけ転倒してしまった。交通規制がないので 歩道や溝のブロック蓋の上を走ることが多いのだ。30数キロの地点だった。幸いなことに足は大丈夫だったのでそのまま起き上がって走り続けることができた。周りを集団で走っていた人が皆心配し暖かく気遣ってくれた。・・・本当にありがとうございました。大事に至りませんでした。

河口湖を走り 西湖を超えた後 体力的に かつ精神的にもっともしんどかったのが最後の精進湖の端に設けられた第4関門(72.2キロ)の手前数キロの区間だった。この時点で 転倒した時にかばってついた右手の甲が紫色のグローブみたいに腫れ上がっていた。幸い指は動くので折れてはいないようだ。しかし右肩も強打していたため 痛くて思い切り腕を振れない。そんな中 ふと「何のために走っているのだろうか」という疑問が頭をよぎった。過去20回のフルマラソンでそんなことを思ったことなど一度もない。そして その関門の少し手前の長い下り坂を走りながら 帰りには この長い登り坂を上らねばならないのか と考えたところでほぼ切れた。この関門到達でリタイアしようと決意したのだ。気持ちの中で人生初めてのリタイア宣言だ。特にどこがものすごく痛いというのではないが ともかく体力の限界で走る気力が湧いてこない。

心の中でリタイア宣言した後 次の区間はどうなっているのかと念のためにポケットのメモをチェックした。・・・えっ何と次はサービス区間になっているではないか。次の区間約8.4キロを1時間半で走ればクリアできるのだ。これは出血大サービス。何度も間違っていないかチェックした。これだったら 登り坂はすべて歩いても大丈夫だ。これで生き返った。

制限時刻18:45のところ 18:25にゴール。もうすぐ夕暮れ うっすらと寒さを感じる時間になっていた。朝4時45分暗闇の中をスタートして13時間40分経っていた。久しぶりに自分を誉めてあげたいと思った。

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