2017年10月 言葉の威力


あっという間に 総選挙が決まって あっという間に「希望の党」やら「立憲民主党」などが出現した。選挙結果がどうなるかは別にして 最近感じた「発言」や「言葉」について好き勝手に言ってみたい。

さすが総理大臣の安倍さんは言葉の使い方が絶妙である。解散発言から今現在(10月6日)まで 失敗らしい発言は見当たらない。というか 発言に中身がないので失敗も見当たらないというのが正しい表現かもしれない。ご本人は無難に解散批判を切り抜けたと思っているのかもしれないが 国民をばかにしてはいけない。国民は解散理由などお見通しである。

おそらくは安倍総理の意を受け 小池都知事に挑発的な発言を続ける小泉進次郎氏。どうもこのお坊ちゃんには中高年の気持ちが分からないらしい。今や中高年がアンチ自民で若年者が自民支持の時代と呼ばれる時代だ。ちなみに 自民党は若者の自民支持を反映して選挙年齢を引き下げたと言われている。中高年の私に言わせれば この小生意気な二世小僧の挑発的な発言は少なくともわれら中高年の更なる自民離れを招いたはずだ。

一方 舌鋒鋭いと思わせた小池都知事だが あの「排除」発言にはびっくりだ。なぜ排除などという言葉を使ったのだろうか。おそらくは つい本音が出てしまったのだろう。内容的に考えれば当たり前のことを言っているのだが このたった一言で驚くほど多くの票を失ったに違いない。「排除」・・・小池都知事は この言葉に潜む差別的なニュアンスを感じないほどに鈍感になってしまったのだろうか。

「三権の長経験者は遠慮してもらいたい」と語った希望の党の細野氏の発言にもびっくり。まさにゴーマン発言の何物でもない。これは小池氏に言わされたのか それとも自分の考えで発言したのか。なぜこんなことを公の場で言う必要があるのだろうか。対象者は二人しかいないのだから 直接言えばよいと思うのだが。

さて民進党から割れて立憲民主党を立ち上げた枝野氏。この立憲民主党と言う言葉にこだわったらしいが これを見た一般国民が何を思うかは考えたのだろうか。大隈重信の立憲改進党、板垣退助の立憲自由党、戦後の立憲政友会などなど やたら古めかしく時代錯誤的な印象を持つのは私だけだろうか。どうにも 新鮮さや未来を感じない。過去に引きずられた表現というイメージがしてしまう。「希望の党」も斬新さには程遠いが 立憲民主党よりはましな気がしてきた。

政治家のあまりにもひどいコミュニケーション能力に唖然としていた今日 カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞の発表を耳にした。その受賞理由がすばらしい。選考委員が「世界とつながっているという幻想の下に隠された闇(深淵)(the abyss beneath our illusory sense of connection with the world)をあらわにした」のが授賞理由だと言ったのだ。・・・すごい。選考委員の発表する授賞理由そのものが文学になっているではないか。「きずな」と言われれば誰も反対できないような今の時代に きずなという幻想の下に隠された深淵をあらわにしたというのだ。この選考理由一言で読みたいと思った人が何万人もいるはずだ。カズオ・イシグロを読んだことのない私もすぐに三冊注文したのだから。

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