2017年11月その2 カズオ・イシグロを読む


ノーベル賞作家カズオ・イシグロの作品を読んだ。「日の名残り」 「私を離さないで」 そして 「忘れられた巨人」の三作品である。「さすがノーベル文学賞」の一言に尽きる。

「日の名残り(The Remains of the Day)」は1989年の作品。ブッカー賞受賞作。老境に差し掛かった執事の回想で話が進む。同じく執事を務めた父を手本に執事でもっとも重要なものは“品格”だと信じる主人公。品格を生きるよすがとして実直な執事生活を続けてきた。ある日 以前女中頭だった女性を訪問する一週間の休暇旅行に出る。この旅が初めて仕事を離れ外からゆっくりと自分の人生を振り返るきっかけになる。旅を通じ 今迄けっして疑うことのなかった自らの頑なな人生に もしかすると他の生き方もあったのかもしれないと気づく。

老境を前に人生を振り返る執事に 執事という陰の仕事の価値 かつて英国政治の中心にいた貴族が大衆からの乖離いく様子 そして英国の斜陽を巧みに重ね合わせて描く。共通するのは 変化の中で静かに輝きを失う昔ながらの価値観 そして それを当然の事として受け入れざるをえない現実。考えつくされた展開にはまさに脱帽である。リアリティの高い丹念な描写は 本当に執事経験者の語り口に思えるほどだ。

「私を離さないで(Never Let Me Go)」(2005年)は臓器提供の目的で産み出され育てられた多くのクローン人間の一人が自分の過去を振り返る話。これだけ聞くと 臓器提供のためにクローン人間を産み出すことへの倫理的な批判が作品の根底にあるように思えるが 本書のテーマはそこにはない。主人公は 自分の環境を憤るのではなく 他者を批判するでもなく 自分の運命を素直に受け入れようとする。一般人とは異なる環境の中でも 友情や愛を育んだ子供時代を楽しく振り返り 成長した後も残された人生を精一杯生きようとする。どうしようもなく不合理な運命にありながらも 普通の人と何ら変わりなく 生きる価値を追い求める。だからこそ 逆に その不合理な運命への憤りが読み手の心に強く響く。

世界にはロヒンギャを始めとする多くの虐げられた少数民族がいる。“絆”の価値が声高に叫ばれる中 彼らは深い闇で仕切られた世界に孤立しているのかもしれない。日本人の両親を持ち 英国と言う保守的社会で育ったイシグロならではの感性がうかがえる作品だと思う。

「忘れられた巨人(The Buried Giant)」(2015)は最新作。舞台はアーサー王死後のブリテン国。ブリトン人を率いるアーサー王はサクソン人との闘いに勝利しブリテンを制する。ただし 勝利の裏には 平和協定を踏みにじり多くのサクソン人を虐殺した忌まわしい過去があった。アーサー王は 自分の亡き後 これら虐殺の記憶がサクソン人の恨みと反撃を引き起こすことを恐れる。アーサー王の助言者 魔術師マーリンは 人々の脳裏から虐殺の過去を忘れさせるために 忘却の魔法をかける。忘却の魔法は霧となり村々を覆い 人々の記憶を消し去っていく。そのおかげで 霧に覆われた村々の人は ブリトン人もサクソン人も虐殺の過去を忘れ 平和な暮らしを続けることになる。話はここからスタートする。

登場するのは 消された子供の記憶をとりもどしたいと願う愛情深いブリトン人の老夫婦。ブリトン人攻撃のためにサクソン人の恨みの記憶を蘇らせようと西方からやってきたサクソン人戦士。アーサー王の命を受け 平和を維持するために魔法を守ろうとするブリトン人騎士。竜と血を通じ心を通わせる勇敢な少年。記憶をめぐってそれぞれの思いが交錯する。

忌まわしい過去があり その過去の記憶が蘇ったとしても 老夫婦の間の愛情に変わりはないのか。虐殺は罪であるけれども 平和を維持するためには過去を忘れることが大切なのだというブリトン人騎士の考えは通用するのか。あるいは 虐殺と忘却の上に成り立った平和は偽物であり 長続きしないのか。・・・日本が過去に起こした虐殺の記憶はどうすれば償えるのか。今世界中で行われている虐殺の記憶はどう語り継がれるのだろうか。過去の罪 罪の記憶という永遠のテーマを投げかけた意欲作。

他の二作品が主人公の回想と言う形で一人称で描かれているのに対し この作品は三人称で展開する。また 他の二作品はリアリティを前面に押し出した丹念な描写が特色だが 本作品は想像の世界であり 目まぐるしいストーリー展開が読む者を引き付ける。更に 想像の世界ということもあり 幾つものメタファーが登場し テーマ追及に深みをもたらしている。テーマ・描写・ストーリーのすべての面でカズオ・イシグロの力を見せつけた作品。ここに挙げた三つの作品の中では この「忘れられた巨人」が私のイチ押しである。

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