2018年4月その2 財務省のインチキ(2/2)


(続き)
10年以上前だろうか 「正しいこと」(ダイヤモンド社)の翻訳を終わった後 金融機関向けの月刊誌にビジネス倫理に関する連載執筆を書いたことがある。その時に強調した指針の一つに 判断に迷った時には「自分の行ったことが明日の全国紙朝刊第一面に出るとすれば その新聞を家族に読ませることができるだろうか」と自問せよというのがある。「大丈夫 家族にはすべて説明できる」と思ったら 恐らくそれは正しいことだ。もしノーだったら それは恐らく正しい行為ではない。

こんなこと当たり前だと思うかもしれない。ところが事がビジネスになるとこれがなかなかに難しい。ビジネスでは 正しいことと共に利益を追求することが求められるからだ。つまり 単に正しいだけでは済まないことが多いのだ。このためには「考えること」が必要になる。

近畿財務局の決裁文書改ざんの現場職員のことを考えてみよう。森友学園の交渉を有利に進めるようにと 恐らくは本省や上司から命令されたとき あるいは 半ば強制的な忖度(そんたく)を求められたとき 彼の行ったことは 「まず 決裁文書に政治家などの介入を匂わせ この契約が尋常ものではないことを明確にしておくこと」だった。これにより 今回の格安売却は自分ひとりの責任ではないこと 自分としてはやむを得ない処置だったことを文書として残しておくことができる。現場の直属上司もこの意図を理解したに違いない。どっちにしろ 本省がこの文書を見ることはないだろうし 本省の意向にたてつけば 一生冷や飯食らいだ。

正直ずいぶんと考えた上での行動だと思う。いかに上からの命令とはいえ 誇れる行為ではないことは否定できないし 匿名でインチキ契約の存在をリークするなど他にもやれることはあったかもしれない。しかし「クビを覚悟してでもこんなインチキはやってはならない」など 誰が彼にそんなことを言えるだろうか。問題は多いが 私は たとえこの一連の経緯が明日の新聞の朝刊を飾ったとしても 彼は少なくとも家族に対しては自分の取った行為を説明できると思う。

しかし 本省理財局長の怖いもの知らずは「こんなことは到底隠し切れないだろう」という思いを持っていた現場担当者の倫理観をはるかに超えていた。直接的か間接的か 何れにせよ担当者は明確に決裁文書の改ざんを命じられることになる。そして 彼は命じられたとおりに改ざんを行う。そして 改ざんを嗅ぎつけられた担当者は自ら命を絶つ。残念だ。なぜオリジナルの決裁文書にあれだけ政治家などの関与を記したかと言えば このインチキ売却が公になる可能性があると思ったからだ。だとすれば 当然 決裁文書の改ざんもいつかは公になるだろうと推測できたはずだ。オリジナルの決裁文書を注意深く記した時と同じくらい考えをめぐらせていれば 幾つかのやり方はあったと思うのだがどうだろうか。例えば 命令された証拠や録音を残しておき ディープスロートの役割を演じるなどだ。

決裁文書の改ざんを命じられるような状況下で そんなに冷静に考えを巡らせるなどできないかもしれない。あるいはそんなに強い気持ちを持つことなど無理かもしれない。しかし相手は倫理観のかけらもない自分の利益しか考えない輩なのだ。平気で公然と嘘をつく輩なのだ・・・残念だが 「正しいことを行う」には強い心が必要なのだと改めて考えた。

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