2018年5月大谷選手の痛快さ
毎年の事だが 4月に入るとどうも寝不足になる。深夜や早朝に多くの海外スポーツがライブで放映されるからだ。
復活した錦織選手のしぶといテニスは見ていて本当に面白い。錦織選手が頭一つ分ほど背が高い海外選手の強打に食らいつき打ち負かすのを見るのは何とも気分すっきり。決してあきらめずに球を追う彼の姿勢はネバーギブアップの気持ちの強さを思い出させてくれる。見ていて勇気を与えてくれる。大好きなスポーツ・プレーヤーだ。
松山選手が活躍するUSPGAも目が離せない。メジャー制覇は本当に時間の問題だ。彼らのレベルになるとゴルフに必要なのは強靭な精神力であることがよく分かる。テニスの動に満ちたプレーと比べると ゴルフ中継は静まり返った静粛な世界だ。精神を集中し目の前の一つのプレーに絞り込む。何事にも動じない集中力のすごさ。松山選手がとれそうでとれないメジャー大会の中継を前に まだ天は試練を与えるのかと思う。プレーを見ながら思わずこちらも息を止めてしまう真剣勝負の世界がたまらない。
しかし何と言っても今年の睡眠不足の最大の原因はMLB大谷選手の活躍だ。MLBの他選手と比べ体格的にも劣らない大谷選手の活躍はまさにいろんな理由を超えた「痛快さ」そのものだ。
大谷選手がMLBでも二刀流を目指すと言った時 正直そりゃ無理だろうと思った。マー君の才能を開花させた あの野村元楽天監督でさえどちらかに絞るべきだと主張した。いやほとんどのプロ野球関係者が無謀だと言い とりわけ多くのMLBの現地関係者は半ば冷笑気味だった。
今 大谷選手の二刀流の活躍を見ながら 本当に先入観の怖さを感じている。「投げる」能力に秀でている人と「打つ」能力に秀でている人は別 あるいは 「投げる」能力を磨くことと「打つ」能力を磨くことは両立しないという先入観だ。大谷選手の痛快さは そのような先達の先入観を当たり前の事として受け入れることを拒否した点だ。大谷選手の100マイルを超す速球も 度胆をぬくホームランも痛快だが 最大の痛快さは既存の物の見方をひっくり返したところだ。
そもそも リトルリーグの優秀な選手の多くはピッチャーで四番バッター。投げる能力と打つ能力が別物などおかしいだろう。また投げる能力を磨くことと打つ能力を磨くことは本当に相いれない別の努力なのだろうか・・・そうかもしれないし そうでないかもしれない。とりわけ ある種の能力を持つ人にとってはそうでないケースが多いのではないかと思う。おそらくは 今の大リーグにも日本のプロ野球にも 能力的には二刀流として立派にやっていける人が何人もいる(いた)のではないかと思う。ただ 世の中の「常識」に逆らってその思いを貫くことができる人がいなかったのだ。
大谷選手が3号ホームランを打った後 桑田元巨人投手が「大谷選手は最初のキャリアはピッチャーとして そしてキャリア後期にバッターとして両方で記録を残す方がよい。その方が二つの良い記録を残せる」と言った。正直驚いた。桑田氏のような頭のよい人であっても 投手の成績・打者の成績という従来の常識から脱却できていない。投手・打者という既存の物差しをひっくり返そうとしていることに大谷選手の価値があるのだ。