2021年1月 不要不急のお正月


年内冬至過ぎに穴八幡宮(早稲田)にお参りし一陽来復のお札を頂き 三が日のうちに明治神宮に参拝するのが我が家の習いになっている。穴八幡宮は知る人ぞ知る融通の神様 つまりお金の融通を助けてくれる神様。ここで頂く一陽来復のお札を 冬至の夜か 大みそかの夜か 節分の夜に 決まった方角に向けて貼ると 一年中 お金に困ることはない(と言われている)。明治神宮は 実はもう40年以上ずっと新年にお参りしている。大神社なので私ごとき者の願いは聞き入れてはくれないだろうと思いながらも 神道の私にとっては何となくご本尊みたいになっている。

不要不急の外出は控えましょうという掛け声の中 確かに初詣は不要不急かもしれないが これは私にとって一年の終わりと初めの大切なルーティーン。というわけで 昨年の12月25日に穴八幡宮に出かけた。一昨年ほどではないにしろ 平日の昼過ぎにもかかわらずそれなりの人の出だった。まあまあこんなもんだろう。しかし 明治神宮の人出はこんなもんでは済まないかもしれない。行くとは決めたものの 問題はいつ行くかだ。

元旦の朝 テレビを見ていると 参拝客はガラガラ。それじゃということで 元旦昼過ぎの参拝と相成った。行ってみると本当にガラガラだった。我が家の分と娘一家の分の二つのお札を拝受し 本殿の中で参拝する。さすが今年は三密回避ということで ご祈祷の内容も簡素化。雅楽演奏や神楽舞はすべて省略。考えてみればこれで必要最小限。本質に戻るとこうなるのかもしれない。ただし ご祈祷というのはやはり一つの儀式でありお祭りみたいなものだから神様もさぞかしさみしい思いをしたかもしれない。また雅楽の演奏者や神楽舞のアルバイト(?)の巫女さんは大丈夫なのだろうかと要らぬことが頭をよぎる。

さて今年頂いた年賀状のなかに 年賀状は今年で最後にしますと書かれたものが4、5通あった。例年になく多い。この種の但し書きつきの年賀状は数年に一回あるかないかで 昨年はゼロだった。私も高齢者なので 年賀状も同じ年代から頂く場合が多い。高齢者の方の場合 どこかで断捨離したいとか 何か一区切りをつけたいという気持ちがあるのだろう。よくわかる。また 今やLINEやメールの時代。年賀状に意味を感じないという考えもよく理解できる。とりわけ 裏も表もすべて印刷 その上 内容が「あけおめ ことしもよろしく」的なものだと実に興ざめだ。

しかしそれでも 年賀状に添えた一言でその方の近況がうかがい知れる場合もあれば 年賀状の家族写真に目を奪われる場合もある。あえて最後の年賀状と宣言する必要もないと思うのだが・・・と考えているうちに これもコロナの影響があるのかもしれないと思い始めた。つまり 新年のご祈祷の神楽舞のようなものだ。不要不急の外出は避けようと繰り返し言われているうちに 不要不急のことが悪者みたいなレッテルを張られ 年賀状が不要不急探しの犠牲になったような気がする。

昨年は 例年になく多くの方から 喪中のため年賀状辞退のお葉書をいただいた。全員が親御さんの逝去だった。驚いたのは 亡くなられた親御さんの年齢だ。一番若くお亡くなりになられた方が89歳 最高齢は102歳 平均すると95歳くらい。本当に人生百年の時代になったのだ。人生百年という観点に立てば ほとんどが不要不急の積み重ね。早く 不要不急が大切に思える時代に戻るといいね。

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