
2026年10月 ギャップイヤー その1
またまた孫の話で恐縮だが 東海大相模でラグビーをやっている高3の孫が 国スポ(昔の国体)のラグビー少年の部(高3対象)の神奈川代表に選ばれた。大したもんだ。神奈川チームは8月下旬に行われた関東予選で優勝し 10月に開催される青森国スポの本大会に出場することが決まった。本命は大阪府 その対抗馬が神奈川と言われている。
たまたまスケジュールが空いていた私は青森まで応援に行くことにした。青森はいつか ねぶたでも見に行きたいと漠然と考えていたが 実は今まで行ったことがない。人生初めての青森行だ。ぜひ足を延ばして恐山に行ってみたい。孫よ ありがとう。
さて 国スポ関東予選全試合でスタメンを務め それなりにラグビーで活躍した孫だが 170cmに満たない体格上のハンディはフォワードではいかんともし難い。他大学からのラグビーへのお誘いもなかったので ラグビーはいったん卒業。東海大へ内部進学することに決めた。
さて東海大の場合 5月の連休後に17ある付属高校の内部進学希望者に一斉の統一試験を実施する。その試験結果と志望をもとに最終的にはエッセイと面接で入学する学科が決まる。孫は希望どおりの学科に決まったものの 高3になってすぐに進路を決めなければならないのは ちょっと酷な気がする。そんな年齢で自分のやりたい事 希望したい分野など決められるのだろうか・・・と今の私は考えてしまう。
とは言っても振り返ってみれば 私も同じようなものだった。私の場合 理工系という大きな枠で入学し 大学2年の半ばに それまでの成績と希望で進学する学科が決まる。私は希望通りに建築学科に入学したのだが あくまでも漠然とした希望でしかなかった。どうしても建築をやりたいという気持ちがあったわけではない。
ところが 建築家を目指して建築学科に入学した人のほとんどは 建築デザインで生きることを決めて入った人だった。中には留年して建築学科に進学する人も複数いた。これは私にとって大きな驚きだった。そんなに早い時期にやりたいことを見つけた人がいるなど思ってもいなかったからだ。実際 建築デザインンの途を選んだ人はその後一生その職に生きている。
建築学科で勉強するうちに 私は自分には建築家として生きるだけの才能も意欲も欠けていることを自覚した。また建築構造にも設備にも現場監督にもそれほどの興味は抱けなかった。しかし このことを自覚できたことだけでも建築学科に進んだ意義があった。結局 私は建築とは無関係の総合商社に就職することにした。海外への興味の方が建築への興味よりも大きかったのだ。建築学科卒業者の中で 建築と無関係の道を選んだのは私一人。卒業者60人弱の中で 一級建築士を持たない2人の中の一人だ。
就職した総合商社ではありがたいことに米国のビジネススクールに留学させてくれることになった。その数年後 日本企業に限界を感じた私は米系の経営コンサルティング会社に転職。その後 紆余曲折あったものの 40歳になってようやく 経営コンサルティングや教育研修こそが自分の天職だと思えるようになってきた。もちろん それまでの回り道を無駄だと思ったことは殆どないけれども もっと早い時期にじっくりと自分の進むべき道を考えてみたかったという気持ちはある。
孫の進学を横目で見ながら 彼はどうなるのだろうかと思っているところに ニューズウィーク誌の「Gap Year」の記事が目に入った。(続く)