2009年11月No.2 オバマ大統領のノーベル賞
先日、友人と話しをしていて、オバマ大統領のノーベル賞が話題になりました。まだ大統領になったばかり、これといった業績もないのになぜ受賞できるのか?日本流に考えるとあり得ない話しですが、欧米的に考えると「あり得ないとは言えない」話しという気もします。
娘がアメリカの大学に留学中の話しですが、3 年が終わったときに成績優秀者として表彰されたことがあります。聞くところによると、卒業名簿に印がつくし、履歴書などにも書けるくらい価値あるものだと 言います。しかし、それだけのものであれば、卒業時に判定し表彰する方が公平ではないか、まだあと一年あるのだから早すぎるのではないかと言ったところ、 どうやら米国ではこの種の中途表彰というのはよくある話しだというのです。
つ まり、表彰には二つのタイプがあるという考えです。一つは、結果に対して表彰する「ご苦労様」タイプ。もう一つは、この調子でこれからも頑張れという、今 の頑張りを表彰する「励まし」タイプ。見方を考えれば、過去を重視した「ご苦労様」タイプと、将来を重視した「励まし」タイプです。もちろん、「ご苦労 様」タイプもその存在自体が「励まし」になる訳ですし、「励まし」タイプも今の頑張りに対する評価という意味では「ご苦労様」という意味もあります。この2つのタイプは必ずしも完全に別物というわけではありません。要は、意識の問題、目的の問題です。
はっきり言って、日本では、学校の表彰から文化勲章に至るまで、ほとんどの表彰が「ご苦労様」タイプではないかという気がします。そもそも日本では表彰というものが少なすぎます。
こんなこと、学校などでは簡単にできるはずです。私が校長ならば即実行です。表彰はすべて「励まし」タイプにします。表彰の機会そのものを増やします。とりわけ小学校では、卒業時の表彰よりも、学年ごとの表彰を増やし、大掛かりにします。当たり前の事ですが、3年生で表彰された子は4年生になればもっと頑張るはずだからです。3年で表彰にもれた子も、表彰の機会が増えれば色々の形で励ます事ができます。人生全体で見ると、3年生での表彰と卒業時の表彰の間には、少なくとも、「ご苦労さん」的な意味の違いはありません。
地 球にとって、とりわけ政治において、大切なのは過去ではなく未来です。オバマ大統領がノーベル賞をもらうことで、彼の意識、そして、彼の支持者や世界中の 人の意識が非核化や環境に向けて少しでも確実な一歩を踏み出すとすれば、ノーベル賞の意味は大きかったと言えるのではないでしょうか。そもそも、政治家の 過去の業績に対してノーベル賞を授与するなどそれこそ愚の骨頂に思えます。
前回の問題
100人がトーナメント形式でテニスの試合を行ないます。各試合は勝つか負けるかのみで、引き分けはありません。さて、優勝者を決定するまでに、幾つの試合が行なわれる事になるでしょう。(答えは過去の一言集にあります)