2012年7月 同級生の死
私は今年末に60歳を迎えるのだが、自分の人生と無関係に色々な仕組みが60歳で一区切りを迎える。今まで納めてきた国民年金や国民年金基金の徴収が終わりを迎え、(制度に変わりがなければ)厚生年金比例報酬部分や厚生年金基金の受給が始まる。
そして、なぜか60歳が区切りとなっている生命保険も徴収が終わり、死亡時の保険支払いはがくっと減額される。60歳 を過ぎると、死んだ時にもらえる保険はこんなに減ってしまうのか・・・そう考えると、何だか価値がぐっと下がったみたいで気分はよろしくない。以前、保険 は貯蓄ですからと言っていた保険のおばちゃんは、いつの間にか、保険は“保険”ですからという説明に変わっている。おばちゃんはしきりに保険の継続を勧め るのだが、妻と話した結果、掛け捨てで十分ではないか、継続はやめようということになった。その話の最中、妻は、しきりに生命保険会社はぼろ儲けだと怒っ ていた。
ちょうどその時、大学同級生急逝の連絡があった。これによって私の生命保険の決断に変わりはなかったが、思わず同級生の死亡確率の高さが気になった。私が卒業した東京大学工学部建築学科は定員60名、当時全員が男性だった。その内、今日までに60歳を迎えずに6名が死亡している。これでは生命保険会社がぼろ儲けとは言えない。そのことを妻に言うと、同級生が普通ではないのだと言う。
確かにそうかもしれない。実は、亡くなった6名の同級生の内、3名は30歳を迎えずして自殺している。60名のうち3名である。また、1名は狂牛病で半年間入院の後に死亡した。まさかと思い、いろいろな人にあたったがどうやら狂牛病は本当らしい。もちろん、このことは一切公表されていない。死亡時、若くして某国立大学教授職にあった彼は、数年間、ロンドンに駐在経験があった。もう1名 は喉頭癌による壮絶死。国家公務員キャリア組として霞ヶ関で働いていた彼は、数年間、職場と病院を行き来し、癌と闘いぬいた挙句、壮絶な死を迎えた。当 時、告別式でお父様が話してくれた闘病生活は言葉を失うほどにすさまじいものだった。そして、今回、亡くなった同級生は脳溢血。突然死だった。
こうしてみると、歳をとるにつれ、ようやく死が自然で共感できるものになってきている。身近なものになってきている。これまでの友人の死は、あまりに驚愕で 強烈で、その事実に憤りを覚えるものばかりだった。しかし脳溢血ならば、あり得る・・・私にも。私個人的にはたばこは吸わないし、血圧も高くないので確率 は低そうだが、しかし、あり得る。心臓病ならもっとあり得る。
先日、ベストセラー、“大往生したけりゃ医療とかかわるな”(中村仁一、幻冬舎)を読んだ。実におもしろい。私は決めた。60歳 になったら、万が一の時に延命処置はするなという事前指示書を書こう。実は、すでに臓器提供カードに「延命処置はするな」とメモ書きしているのだが、延命 処置の内容をもっと具体的に書く必要があるらしい。また、毎年、私自身の死亡通知の原稿を書いておこうと思う。「・・月・・日、私はあの世に旅立ちまし た。生前は一方ならぬご厚情を頂きありがとうございました」という感じだ。しかし、これだけいろいろの人の世話になっていると、ハガキ一枚に書ききれるか どうかが心配だ。