2012年8月 お墓考(1/2)


先日テレビで桜の下に遺骨を埋める樹木葬の特集をしていた。かなり人気があるらしい。20~30万円程度で済むらしいが、人気の最大の原因はお金ではない。死ぬ者としてみれば、子孫に墓守の負担をかけなくて済む、自分の気に入った場所で土に戻る方が自然という考えだ。樹木葬は、今迄NPOや一部のお寺などがやっていたが、都立霊園でも新たに導入し募集を始めたという。都立霊園とすれば、墓地不足解消の切り札になる。

樹木葬の面白い点は、墓問題を、どのように墓を守っていくかではなくて、そもそもお墓は必要なのかという視点に立っている点だ。正直、今のような核家族化・少子化の時代では、お墓を一族で守るなど、よほどのお金持ちや名家を除いてとても難しい。だったら、お墓という発想を無くしてしまうのも一つのやり方だと提案しているのだ。この発想は海への散骨と同じだが、骨を撒くという考えに抵抗感があるためか、手法としては例外でしかなかった。樹木葬は、これを一つの方法論として一 般化することに成功した。実にユニークだと思う。

米国人と国際結婚した娘に聞いたところ、アメリカ人の夫やその親が墓参りしたという話など 聞いたことがないという。どうも米国人は墓参りなどしないらしい。祖父母あたりになると墓の場所さえ定かでなくなる。キリスト教では、死ねば魂は天国に行くのであって、お墓に眠っているのではないのだから、墓参りの必要もないといえばないのだろう。米国人にとって、墓参りに行くとすれば、それは死者の在りし日を偲ぶのが目的であって、日本の弔いの気持ちとはどうも違うようだ。米国の場合、お墓は個人のモニュメントのようなものらしい。

しかし、それだと、いつかは皆、無縁墓になるし、そもそもお墓の意味が余りない。実際に無縁墓は多いらしいが、幾ら土地の広い米国とはいえ、これではいつかは 墓地不足になる。ということで、今では米国でも火葬が30%程度になっており、アパート型の共同霊園的な納骨堂も登場しているし、遺灰を撒いたり、しゃれ た壺に入れて自宅に置いておき墓は立てないという人も増えているらしい。

土地が狭いにもかかわらず宗教心の強い日本、しかし急速に進みつつある核家族化と個人主義・・・よく考えてみると、この日本の置かれたユニークな状況が世界の見本になるような墓地スタイルを生むのではないかという気がする。(次回に続く)

>> 過去のひと言