2012年12月 富士山マラソンと河口湖町の行方


11月25日に河口湖で行われた第一回富士山マラソンに出場した。記録は、3時間56分ちょっと。シーズン最初のマラソンにしては上出来だろう。

この富士山マラソンは、昨年まで河口湖マラソンと呼ばれていたもので、30数年の歴史があるリゾートマラソンだ。私自身、過去数回出場したことがある。オフィシャルな荷物預かりがなく、近隣の飲食店や民宿が総出で、荷物置き場・更衣所・お風呂を無料提供するという手作り感が特徴の雰囲気の良いマラソンだった。

ただし、スタート時間が8時と早いために、参加者のほとんどを占める関東からの参加者は前泊が前提となる。しかし、宿泊施設が限られているために、周辺の旅館はマラソン前夜の宿泊料金が軒並み倍になる。ごく普通の旅館で、この日は平均で一人2万5千円くらい。私のように夫婦で出かけると5万円の出費だ。需要と供給の関係と言われればやむを得ないが、これはボトルネックだ。参加者だけでなく、主催者にとってもボトルネックだった筈だ。

せっかく手作りの良さを感じるだけに、宿泊施設の分散化、宿泊施設とスタート地点の公共交通の完備、スタート地点の変更、もう一歩踏み込んだ温泉サービス、マラソン以降のシーズンオフの観光優待などなど、もうひと工夫すれば、河口湖観光の継続的なきっかけづくりになるだろうに、とてももったいないと感じていた。実際、来るたびに河口湖周辺はすたれていっているように見えた。

そして、そう感じていたのは私だけではなかったのだろう。その結果、今年は、名称が富士山マラソンに変わり、コースが変更になり、マラソン規模が参加者1万3千人から一挙に2万3千人となった。このマラソンを地域復活イベントとして徹底的に利用しようというすごい意気込みだった。その結果、この意気込みは見事な空振りに終わった。

そもそも、富士山を走らないのに富士山マラソンという名前には違和感を覚える。羊頭狗肉と言われても仕方がない。最大の問題は規模だ。昨年まで1万3千人規模で宿泊施設がパンク状態。結果として旅館に泊まる人は一泊2万5千円もださないと参加できない状況だったのに、2万3千人の参加を募るなど常識では考えられない。東京マラソンでさえ3万6千人の参加者で、この運営を支えるために1万人以上のボランティアが参加しているのだ。この2/3の規模のマラソンをあの狭い河口湖周辺で、しかも東京から電車で参加できない朝8時スタートで開催しようと言うのだ。どう考えても無理だろう。

結果?・・・宿泊設備を確保できなかった多くの人たちは、当然、唯一の交通手段であるマイカーで当日朝に行くしかない。その結果、当日、夜が明けるずっと前から河口湖インターの近くで全く動けない大渋滞が発生。運よく通り抜けた人たちは、今回初めて戦略提携した(恐らくは、前泊のマラソンランナーを遊園地に誘導するために提携した?)富士急ハイランド内のマラソン専用駐車場に誘導される。しかし、この駐車場、そもそも駐車可能台数が少ない上に、マラソンのスタート地点からかなりの距離がある。したがって、運よく駐車できた人も、ここからスタート地点まで大会シャトルバスで行くことになる。少なくともそのように誘導された。もちろん、その大会バスは一般道の渋滞で立ち往生。結果として5千人近い人がスタート可能時間に間に合わず走れなかったという。ネットでみると、当日参加者の場合、東京を夜1時に出発した人が何とかスタート5分前にスタート地点に到着したという状況だったらしい。これ以外にも運営にまつわる問題が多々あったが、あまりにも多いので割愛。

どう考えてももったいない話だ。河口湖マラソンが持っていたせっかくの手作りの良さが台無しになってしまった。おそらく、この富士山マラソンの企画には、東京から河口湖マラソンに出場した経験のある平均像的ランナーは一人も参加しなかったに違いない。参加者の気持ちを理解できない大会が上手く行くはずがない。

ことはマラソン大会にとどまらない。もし、河口湖の将来が同じような人たちにより、同じようなプロセスで計画されているとすれば・・・。観光客の気持ちを理解できない観光地に未来はない。河口湖の将来に責任のある人は、富士山マラソンの幻想に固執せず、もう一度ゼロからやり直した方が良い。

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