2013年3月その2 ボーイング乱気流突入


ボーイング社が深刻な乱気流に突入して抜け出せないでいる。もちろん直接の発端はボーイング787の不具合だ。しかし、新聞情報などを目にするにつれ、いったいなぜこんなひどいことが起きたのか、ボーイング社の開発管理体制はどうなっていたのか、ボーイング社の経営に何が起こっていたのか、不思議でしようがない。

ちなみに、ボーイング787は、848機受注して、その内の50機が納入済みだった。お金に換算すれば、一機当たり2億700万ドルと言われているので、全受注額で約17兆円。内訳でみると、納入済みが約1兆円、受注残が約16兆円。しかし、納入済みの1兆円分(50機)はすべて飛行停止の状況である。これから問題になるであろうエアラインへの補償金などを考えると、普通であれば会社の存続が疑問視される状況だ。

ちなみに、事故が多いと取りざたされている、あのオスプレイは、ベルヘリコプターとボーイングの子会社(ボーイング・ロータークラフトシステムズ社)の共同開発で、ボーイングの工場でも組立が行われている。もっと言えば、マリーンワン(大統領が短距離移動の際に利用するヘリコプター)の機種選定では、オスプレイも3社のうちの一社として候補に挙がっていたが、初期の段階で早々と落選している。

もともと、ボーイング社は、トヨタやホンダと同様に、ものづくりで評判の高い優良企業だった。しかも、トヨタと言えば愛知というように、ボーイングと言えばシアトル。政治やビジネスの中心から距離を置いた場所に拠点を置き、モノ作り一筋に励んでいるというイメージがあった。ところが、ボーイングは2001年に本社をシアトルからシカゴに移している。どうもこの辺から経営の雲行きが怪しくなってきたような気がする。

本社移転の決定を下したのは、ボーイング生粋のエンジニアから頂点に上り詰めたコンディットだった。噂話では、地方暮らしに飽き飽きしたコンディットは、ボーイングを名実ともに大都会の名門企業に飾り立てたいという個人的な野心が高かったらしい。早い話、ボーイング流の保守的な経営に飽きたのではないかと言われている。結局、コンディットは、同社幹部社員と国防省との贈賄スキャンダルが表ざたになり辞任に追い込まれた。

コンディットの後任として選ばれたストーンサイファーもまたエンジニアだが、GEでの経験が長く、GEの航空機エンジン部門を率いていた人物だ。その後、マクダネル・ダグラスのCEOなどを経たものの、結果から見れば、棚ボタ式にボーイングのトップとなった。ボーイングにとってはよそ者だ。彼は、ボーイングの企業文化を無視し、短期利益を重視した経営に終始したと言われている。ボーイングの従業員からは嫌われ者だったらしい。結局、CEO就任2年もしないうちに、ストーンサイファーは社内の女性管理職との不倫が表ざたになり、辞任することになる。

ストーンサイファーの後を引き継いだのはマクナーニだ。マクナーニは、ストーンサイファーと同じく、GEの経歴が長く、同社の航空機エンジン部門のトップを務めていた人物だ。ジャック・ウェルチの後任レースで、ジェフリー・イメルトに敗れた後、3Mのトップになっていた。非常に優秀な人物との評判が高いが、結局、彼もまたウェルチ流の合理主義者で、ボーイングのモノ作り文化を知らない人間である。

これだけ歴史のある会社である。私はボーイングにはしっかりとしたモノ作り文化が残っていることを疑わない。しかし、経営陣はどうだろうか?ボーイングは上昇気流をつかめるのだろうか。それとも・・・。

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