2013年9月 東京オリンピック さあ新たな時代に向けて


2020年の東京オリンピック開催が決まった。晴らしい招致活動だったと思う。特に最後のプレゼンスピーチは皆見事だったし、チームジャパンの多様性と団結力を示すものだった。久子さまの格調高いスピーチを聞いて、日本中の人が日本にこんな女性皇族がいたのかと心から驚いたに違いない。少なくとも私はそうだった。佐藤選手の感動のスピーチは東京招致を決定づけたし、太田選手の流暢な英語スピーチは日本の若者ここにありと印象付けた。そして滝川クリステルさんの表現力豊かなおもてなしスピーチは日本のユーモアとおおらかさと神秘をうかがわせるものだった。いったい誰が彼らを選出したのだろうか、それこそ金メダルものだ。

前回の1964年東京オリンピックの時、私は小学生で、福岡県の田舎で暮らしていた。それは本当にビッグイベントであり、新しい時代の始まりを予見するものだった。身近な時代背景を振り返ると、1958年に東京タワーが完成。この頃にようやくテレビが一家に一台の時代になった。1959年には現天皇陛下のご成婚パレード。はじめて一般人からお妃を迎えられたことで美智子妃ブームが巻き起こった。1960年には新安保条約が締結。私のいた田舎ではほとんど話題にならなかったものの、東京では大規模な安保闘争があり、東大生の樺美智子さんがデモ闘争の中で亡くなられた。安保条約により日本の防衛をアメリカに任せることになった日本は、すべての力を経済発展に注ぎ込むことになる。1960年、池田内閣による所得倍増計画の始まりだ。1963年には、ケネディ暗殺が日米初の宇宙中継で放映された。この時は、私の住んでいた田舎でさえ号外が配られた。国際的な距離が大幅に縮まりつつあることを予感させる出来事だった。そして、1964年10月東京オリンピックの開催。現在の休日、体育の日(元は10月10日)はこの開会式の行われた日だ。

当時、日本がメダルを取りそうな試合は、生徒全員が講堂に集められ、テレビ観戦をした。授業なんてまったくの後回しだった。田舎でこの調子だから、東京はものすごい状況だったに違いない。オリンピックに合わせて、東京・大阪間の新幹線が開通となり、首都高速道路の建設ラッシュにはずみがつき、下水道工事も本格化していった。東京オリンピックは、国際化と経済復興の幕開けだった。キーワードは、「世界に追い付け・追い越せ」。

さて、2020年は1964年から56年の時を経ての開催となる。実によいタイミングだと思う。コンクリートの建築物の寿命とほぼ同じで、当時、建設された建物が立替えを行うタイミングと同じだ。人間で言えば、ちょうど、15歳から70歳の労働力としてカウントされそうな一つのサイクルと同じだ。今、2020年に向けて新しいサイクルが始まろうとしている。果たして今回のキーワードは?

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