2015年4月No.2 ジクレー版画(その2)
前回 ヘザー・ブラウンのジクレー版画の話を持ち出し 幾らだったら買うだろうかという話しをした。よく考えてみると これは実に難しい需要と供給の話しなのかもしれない。何しろ ジクレー版画では デジタルデータさえあれば いつでも何枚でも何万枚でも同じものを作り出すことができるからだ。何度も言うがまったく同じものをだ。
先のヘザー・ブラウンの場合 キャンバス地に印刷したものを通常は100枚の枚数限定で数万円~10数万円で売っている。画廊の人に聞くと 作品の裏にプリント数と手書き署名があるという。 おもしろいのは ヘザー・ブラウン・ギャラリー(日本)では 紙に印刷したジクレーは“アート・プリント”と称し数千円で売っている。アート・プリントがキャンバス印刷と同じ程度に精密な印刷になっているかどうかは定かではない。しかし恐らくは キャンバス地に印刷し 限定印刷枚数をアーティストが裏に本人署名することにより価値を保とうとしているのだ。
しかし しかしである。うがった見方をすればこの印刷枚数はアーティストへの信頼がすべてである。それはあくまでも個人の宣言であり 第三者機関の保証ではない。アーティストが原版とデジタルデータを廃棄し その事実を第三者機関が保証すればこの印刷枚数は正真正銘の限定である。しかし 現状のジクレー版画では いつ刷ろうが 何枚すろうがアーティスト次第なのだ。通常 原版は存在するが(つまり直接デジタルで作らないのが普通らしいが) それは廃棄せずに高い値段で売却する。
極端に言えば 100枚限定と称しても実際には一度に100枚刷る必要はない。注文が来てから一枚ずつ刷ればよい。作者的にはその方がコスト管理的に都合がよい。もし予想以上に つまり宣言した印刷枚数以上に売れそうだったら 原画に少しだけ手を加えてバージョン・アップ作品として印刷すればよい。もちろん アーティストは信用できる人でも 原画のデジタルデータが盗まれたり 悪用されないという保証はない。何せ 作品は正真正銘すべて同じものなのだ。また 印刷されたものを原版としてさらにジクレー印刷しても 今の技術では見分けがつかないかもしれない。
ここに原画が同じ二つのヘザー・ブラウンのジクレー版画があったとする。一方の作品の裏にはヘザー・ブラウンの手書き署名があり 他方の作品にはないとしよう。はたして価格はどう違うだろうか。よく考えると ジクレー版画には供給の議論は当てはまらないように思える。というか 供給の無限性を前提としなければならないように思える。つまりこれは美術作品そのものの需要と供給の話しではなく ヘザー・ブラウンの手書き署名の需要と供給の話しにすり替わっているのだ。極論すれば ヘザー・ブラウンのジクレー版画の価値は表面の絵ではなく 裏の署名にあるとも言える。・・・しまった!画廊で作品の裏を見てこなかったことに今気が付いた。