2016年5月 三菱自動車の不正(その2) 


前号に引き続き三菱自動車の話しです。2004年に書いた「金融財政事情」の私のコラムからの再掲です。

Qte:
 「三菱の文化は変わったのか。その答えを出してくれるのは時間だけだ。」前回は、米国三菱自動車セクハラ事件ケースを出発点に、一連のクレーム隠し問題を経営者の倫理行動という視点から考えてみました。
 さて、この教科書ケースでは、ケース名も、冒頭の言葉も、三菱自動車ではなく単に三菱となっています。全米至る所で三菱の名前をつけた車を見かけるのですから、少なくとも米国では、三菱自動車は三菱の看板的存在です。やはり、三菱自動車問題は三菱グループの問題と考えるべきでしょう。
ただし、私が「三菱グループの問題」というのは、グループ間取引などのケイレツ的な重要性を指しているのではありません。私が指摘しているのは、あくまでも一般市民の視点、即ち、三菱という企業グループ・ブランドの視点です。
 言うまでもなく、三菱ブランドには誰もがうらやむ大きな価値が存在します。各社独立企業でありながら、戦後数十年にわたり、この価値を向上させてきたのです。なぜこのようなことができたのでしょうか?
 おそらくは、創業の理念を共有しようという強固な意志が三菱各社の経営者にあったためではないかと思います。三菱の経営理念といえば、130年にわたり引き継がれてきた三綱領を指します。所期奉公(事業の目的は社会貢献)、処事光明(公明正大、フェアプレー)、立業貿易(グローバル視野)です。
 もちろん、三菱自動車に起きた一連の不祥事は、この三綱領の精神から見れば論外のできごとです。それでは、このことは三菱グループとして経営理念の共有にひびが入りつつあることを意味するのでしょうか?
 私はその可能性が高いのではないかと思います。もしそうならば、この問題は今後、三菱自動車のみにとどまらない可能性も秘めています。
私は、仕事柄、何社もの外資系企業やその日本子会社の方とお付き合いがあります。とても残念なことですが、誠実経営として評判が高い外資系企業であるにも関わらず、日本子会社のモラルの低さに驚かされることが何度かありました。ビジネス倫理とは企業文化、企業風土です。同じ企業組織でも、国が変わればその管理は大変に難しいものです。同じ企業グループでも、組織が変われば同じことが言えます。
 三菱グループが三菱ブランドの価値を維持するためには、恐らくはその原点にある三綱領の経営理念を再度、各社で「積極的に」確認することが必要でしょう。「積極的に」とは、単に三菱金曜会の集まりにとどまらず、三菱グループ全体で経営理念の教育研修に取り組むというようなことです。格好の教育材料があるのですから、それを利用しない手はありません。
 大小の違いはあれ、何らかのグループを形成する多くの金融機関にとり、この話しは他人事ではありません。グループがその求心力を維持するにはお金や人以外の何かが必要なのです。
Uqte:

繰り返しになりますが 前回 今回と二度に渡り掲載した内容は12年前に私が書いた雑誌コラムの転載です。結局 三菱自動車は 1990年から続く不正の連鎖を断ち切ることができませんでした。そしてもっと重要なことは 三菱グループ各社がこの出来事を自分の痛みとして対処することができなかったことです。今問われているのは三菱自動車の問題ではなく 明らかに三菱グループの問題だと考えます。

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