2016年5月第2回 三菱自動車不正問題(続)


前2回にわたって三菱自動車に関する私の昔のコラムを再掲させていただいた。コラムでは三菱グループと三菱ロゴ(三菱と言う名前)の不可分の象徴性を強調したつもりだ。しかし事態はあっという間に逆の方向に向かって動き出した。

先日 日産(ルノーグループ)が三菱自動車へ2,373億円の出資をし 34%の株主比率を保有する筆頭株主になることが決まった。これは三菱グループ全保有比率を上回るもので これにより三菱自動車は日産の傘下に入ることになった。日産が三菱にOEM供給したり その逆に三菱が日産にOEM供給したりと その密接なビジネス関係を考えると妥当な着地点と見る人が多いようだ。しかし 本当にこの決定は日産に有益なものになるのだろうか?

第一の疑問は 日産は あるいは ルノーは これだけ不正を繰り返した三菱自動車を立て直せるのかという素朴な疑問だ。もちろん この疑問は なぜ日産が三菱自動車とここまで深いビジネス関係を求めたのかという疑問と同じである。しかし 単なるOEM関係と 筆頭株主として日産・ルノーグループの傘下に入れるというのは全くの別次元の話しだ。

ここで誰もが思い浮かべるのが ダイムラークライスラーと三菱自動車の提携失敗の歴史である。2000年 三菱苦境のさなか ダイムラークライスラーは三菱との資本提携を決めた。ダイムラー側は必死で三菱立て直しを試みたが その間にも幾つものクレーム隠しが発覚し 結局 上手く行かなかった。資本関係は2005年に解消となった。三菱自動車はそういういわくつきの会社なのである。

たしかにゴーン氏は大企業病に陥った日産に外科手術の大ナタを振るって同社を死の淵から救った。しかし少なくとも 日産は三菱自動車のような不正はしていない。今の三菱自動車は慢性の病魔におかされた会社で とても外科手術では救えそうにない。

確かにインドネシアを中心とする東南アジアにおいて三菱自動車のブランド力は強い。しかしそれだけでこの出資を正当化できるだろうか?もしかすると日産出資の理由はもっと単純なところにあるのかも知れない。ひょっとしてゴーン氏は三菱ブランドを過大評価しているのではないだろうか?確かに 外国人が三菱ロゴに大きな魅力を感じるのは分かる。これからは大手を振って三菱ロゴを使えるのだ。三菱自動車そのものを手に入れたのだから 自動車にちょっとでも関連するビジネスであれば三菱ロゴを用いるとしても誰も文句は言えないだろう。しかし今 三菱ロゴ(三菱と言う名前)にそれほどの価値があるのだろうか?

一方で 三菱グループは 仏の顔も三度までと 三菱の名前と看板を背負った会社を切り捨てる決断をした。三菱グループの主導で立て直すことをあきらめ 三菱グループの主導で引導計画を立てることも避け 三菱ロゴの会社を三菱と無縁の外資企業に引き渡すことにしたのだ。三菱ロゴの会社の経営が三菱と無縁の会社に任されることになったなど もしかすると三菱の歴史で初めての出来事ではないだろうか。三菱グループ各社はゴーン氏が考えるほどの価値を三菱という名前に感じていないのかも知れない。

三菱グループ各社は それぞれが独立した公開企業である。個々の経営が最重要であり 三菱自動車を助けたくとも 各経営者は三菱自動車支援が自社の株主の了解を得られるのだろうかという大きな問題に直面する。結局のところ 三菱グループはグループ各社の経営があってのグループなのである。グループあっての三菱各社の経営ではない。当たり前のように聞こえるかもしれないが 昔は後者だったし 三菱自動車の経営も後者だった。つまり 三菱グループがあってこそ三菱自動車が存在していたのだ。

今回の出来事はグループそのものの存在価値低下を表している。もしかすると いよいよ三菱という最後の財閥グループの崩壊を意味するのかもしれない。考えてみると 三井銀行と住友銀行が合併したのが2015年の話し。今回の出来事は遅きに失した必然の経過かも知れない。

そこでまた新たな疑問が湧いてくる。つまり 三菱グループのグループ力低下はグループの象徴である三菱ロゴ(三菱という名前)の価値低下を意味するものかという疑問だ。グループの力が弱まっても グループ各社が頑張れば三菱ロゴの価値はアップするという考えもあるけれども 常識的に考えれば この疑問への答えはイエスだと思う。

そう考えると もしかすると 三菱ロゴへのゴーン氏の高い評価は時代の流れと矛盾するものかも知れない。ここまで来ると ゴーン氏と日産の頑張りに期待するしかない。

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