2026年4月その2:鳴り止まない土曜のチャイム


今年4月 私の孫が区立中学から某私立高校に もう一人の孫が区立小学から某私立中高一貫校に入学した。驚くことに両校ともに 土曜日も毎週授業があるという。
「ゆとり教育」の象徴として 日本も欧米並みに「土曜授業」などてっきり消えたとばかり思っていた。しかし 最近の私立中高では 土曜日を正規の授業日 あるいは特別なプログラムの日として活用する学校が目に見えて増えているらしい。さてはかつての「半ドン」の復活かと思いきや その中身はもっと戦略的で現代的な課題に満ちているようだ。
なぜ各校はあえて「休日」を削る選択をするのか。最大の理由は 「学習指導要領の深化」と「独自性の追求」のジレンマらしい。現在の教育課程では 英語の4技能(聞く/読む/書く/話す)強化やプログラミング教育など新しい重荷が次々と追加されているという。これらを平日の5日間だけで消化し かつ学校の独自カリキュラムでも追加しようとすると 1日の授業数がパンパンになり 生徒の限界を超えてしまう。
そこで土曜日授業の復活だ。しかし単なる補習ではない。「じっくり考える時間」や「外の世界と繋がる時間」を土曜日に置くことにより学校としてのブランド力を高めようという戦略が多くの学校で見て取れる。例えば 進学校として知られる海城中学校・高等学校では 土曜日に「PA(プロジェクト・アドベンチャー)」や「社会構築学」といった 通常の教科書学習の枠を超えた体験型学習を組み込んでいる。
こうした変化は 子供や家庭にどんな影響を及ぼしているのだろうか。主観だが これは「家庭の休息の二極化」を招いている気がする。 子供が土曜も学校へ行くことで 親にとっては「自分の時間が持てる」というメリットがある。一方で 家族揃ってキャンプに出かけたり 何もしない「余白」を共有したりする機会は確実に削り取られていく。特に中堅社員世代の親にとって 土曜日の弁当作りや早起きは 平日の延長線上の負担となる。子供たちもまた 週末という「リセットボタン」を押すタイミングを失い 常に「学習」のサイクルの中に身を置くことになる。
私は研修で「思考の深化には時に情報の遮断が必要だ」と話すことがある。しかし 今の子供たちは 土曜日までもが「インプット」の日となり 自分自身の内面と対話する「空白の時間」を失いつつあるのではないか。そんな危惧を抱かずにはいられない。
人事や研修を担当される皆さまにとっても これは他人事ではない。 土曜授業で育った世代が やがて数年後には皆さんの会社の門を叩くでしょう。彼らは「効率的に学ぶこと」には長けているが 同時に「常に何かをしていないと不安」という感覚に覆われているかもしれない。
「考える技術・書く技術」は単なるテクニックではない。情報の洪水から一度離れ 自分の頭で整理する贅沢な時間を必要とする。土曜日の授業が増える今だからこそ 私たちはあえて「何もしない時間」の価値を見つめなおす必要があるのではないだろうか。