2024年7月 人生五十歩百歩


五十歩百歩

先日 仲間内でゴルフした時の話。多少の腕前の差はあるものの 「五十歩百歩」 だなという話になった。「目くそ鼻くそ」 「どんぐりの背比べ」 「似たり寄ったり」・・・この種の同義語はやたらと多い。しかし後でじっくりと考えてみたら かなり含蓄のある表現のような気がしてきた。

「五十歩も百歩もたいして変わらない。どちらも同じようなものだ」という意味で 通常は ある特定の事柄について用いる。たとえば ゴルフの飛距離に関して 「200ヤード飛ばそうが 210ヤード飛ばそうが 我々の腕では五十歩百歩だ」。あるいはゴルフのスコアに関して 「100も105も五十歩百歩だな」という具合だ。

しかし よくよく考えてみると 特定の事柄だけではなくて より広い視点で使うこともできるのではないかと思った。たとえば 「多少広い家に住んで贅沢していようが 狭い家でこじんまり暮らしていようが五十歩百歩。それは人生観の違い。私は狭い家で暮らしているが 私にはこういう趣味や生きがいがある。人生トータルで見ると五十歩百歩」という具合。つまり よほどの天才やエスタブリッシュメントは別かもしれないが ほとんどの一般市民にとって 異なる人生観で物事を見ると 目に見えるそれぞれの生き方の違いなどすべて五十歩百歩に見えてくる。

つまり どんな生き方をしようが100年経てば死ぬと考えると それぞれの目に見える生き方はほとんど「五十歩百歩」 「目くそ鼻くそ」と言えるかもしれない。なるほど そう考えると 少し優しい気持ちになる。「五十歩百歩」・・・私の人生観に加えよう。

二度あることは三度

さてそのゴルフでの出来事 友人が昼食後の後半ハーフ開始の際 時間ギリギリで悠然とティーグラウンドにやってきた。前が空いていたので他の三人は彼を飛ばして先に打った後 イラつきながら彼を待っていたのに。ちなみに ゴルフでは昼食後のスタートは 指定された予定時間よりは早くスタートできるのが普通だ。ゴルフをやっている人ならみんな知っている。しかも昼食時には 彼にくぎを刺すように お互いに早めに集まろうと話していたばかり。その舌の根が乾かないうち スタートギリギリにやってきたのだ。彼は時間ギリギリを繰り返す常習犯だった。

さて そのゴルフはセルフでプレーしていた。キャディさんがいないので プレー中はゴルフクラブの管理は自己責任だ。ところが プレー中 もう一人の友人がクラブを置き忘れてあわてて前のホールに取りに行くことがあった。しかも二度も。さらには ゴルフの後 私が送ってあげた車の中に 自分のスマホを置き忘れることも発生。どうやら一つのことに集中すると他のことが目に入らなくなる性格らしい。忘れ物魔だ。

もう一人のまともな友人曰く 「二度あることは三度ある。二人ともこの歳になると直らないな」。「二度あることは三度ある」か または「三度目の正直」 どちらが正解だろうかと思うときもあるが その友人が年齢を切り口にしたのは慧眼だったかもしれない。つまり 若い時は「三度目の正直」を期待できるかもしれない。二度失敗することはあるかもしれないが 意識し努力すれば三度目には失敗を克服できるだろう。したがって二度の失敗くらい多めに見るべきと言えるかもしれない。しかし 我々の歳になると 多くの場合「三度目の正直」は期待できない。やはり「二度あることは三度ある」だろう。

さて 遅めのご報告ですが 4月の富士五湖100キロマラソンでは 結局74キロ地点でギブアップ。走っているときに足がふらつくことが何度か続き 危険を感じてリタイア。後で考えると脱水症状だったらしい。後半 疲労で胃がむかつき 水以外はポカリも受け付けない状況になっていた。情報によると 水だけでは脱水症は防げず ミネラル分などの補充が必要らしい。

結局 今までの100キロマラソンを総括すると 3回完走した後 4回目はハムストリング痛のために72キロでリタイア 5回目の今年は脱水症のために74キロでリタイア。さて 次回は「二度あることは三度ある」か または「三度目の正直」となるか。どうもこれは私の若さを占うチャレンジとなりそうだ。