過去のひと言
2021年3月 コロナが続く中
昔は 「二月は逃げる 三月は去る」と語呂合わせで言ったものだが 本当に 2月 3月は早く過ぎていく。
さて 辛うじて望みをつないでいた富士五湖ウルトラマラソンも 先月中止が決定。これで 昨年3月以降すべてのマラソン大会が中止になった。今も走ってはいるが ダイエットを兼ねたジョギング程度。やはりモチベーションをつなぐのはとても難しい。
そういう状況の中 東京マラソン財団主催のバーチャルマラソンが開催中だ。アシックスのランニングアプリをスマホにインストールし 既定の距離を走るというものだ。データは自動的にアスキー経由主催者の元に届くという仕組みになっている。先週は そのフルマラソン・プログラムに参加。一週間何度走ってもよいので合計で42.195kmを走るというもので 参加者には今年10月の東京マラソン出走権が当たる。久しぶりにしっかり時間を計りながら 気合を入れてランニングすることができた。バーチャルなんてと若干馬鹿にしていたが やってみるとなかなかのモチベーションになる。
これには4600人くらいが参加し 3799人がフルを走っている。その中から600人に東京マラソンの出走権があたるのだから悪くない確率だ。今 楽しみに抽選結果を待っている。ウェブで参加者の記録データを眺めることができるのだが よく見ると 走行距離42.190kmで完走に至っていない人が何人もいる。つまり50mだけ距離不足ということだ。明らかな凡ミス。かわいそうだが 走る前の注意書きには 「GPS測定のため若干の狂いがありえる。距離は余裕を持って走るように」とある。教訓 細部のツメは重要。
今週は 東京マラソン中止で走れなかった人(つまり参加料1万5千円を徴収されて腹を立てた人。私もその一人)を対象に バーチャルマラソン(ハーフ)が行われている。これは 一度にハーフを走るというもの。参加者には抽選で100人に2023年の東京マラソン出走権が当たる。もちろん これにも参加だ。今日午後にも挑戦しようかと思っている。
欧州・アフリカ各国で新型コロナが猛威を振るっている中 東京オリンピックはいったいどうなるのか未だに見えない。私は趣味で走っているだけだが 生活のかかったプロのアスリートのモチベーション維持の大変さは想像もできないほどだろう。 個人的には ワクチン接種は医療従事者の次はオリンピック候補選手たちにやってもらうのがよいと思っているのだが オリンピックの基本方針が未だ見えていない状況ではそういう議論もやりにくいのだろう。
先日 ハワイに住む次女と話をしたが 医療従事者に続き 軍関係者や学校の先生など いわゆるEssential Workerはすでに二度目のワクチン接種を済ませた人が多いらしい。一度目は何のことはないのだが 二度目の接種で気分が悪くなったり 吐き気が続く人がけっこう出ているという。あくまでも娘の話だが とくに40~60歳の女性にそういう症状が出る人が多いという。私は世田谷在住の高齢者なので どうやら東京都のワクチン接種では優先順位が高いらしい。接種が終わったらなる早でこの欄にて報告したいと思っています。いつになるかはわかりませんが・・・
2021年1月 不要不急のお正月
年内冬至過ぎに穴八幡宮(早稲田)にお参りし一陽来復のお札を頂き 三が日のうちに明治神宮に参拝するのが我が家の習いになっている。穴八幡宮は知る人ぞ知る融通の神様 つまりお金の融通を助けてくれる神様。ここで頂く一陽来復のお札を 冬至の夜か 大みそかの夜か 節分の夜に 決まった方角に向けて貼ると 一年中 お金に困ることはない(と言われている)。明治神宮は 実はもう40年以上ずっと新年にお参りしている。大神社なので私ごとき者の願いは聞き入れてはくれないだろうと思いながらも 神道の私にとっては何となくご本尊みたいになっている。
不要不急の外出は控えましょうという掛け声の中 確かに初詣は不要不急かもしれないが これは私にとって一年の終わりと初めの大切なルーティーン。というわけで 昨年の12月25日に穴八幡宮に出かけた。一昨年ほどではないにしろ 平日の昼過ぎにもかかわらずそれなりの人の出だった。まあまあこんなもんだろう。しかし 明治神宮の人出はこんなもんでは済まないかもしれない。行くとは決めたものの 問題はいつ行くかだ。
元旦の朝 テレビを見ていると 参拝客はガラガラ。それじゃということで 元旦昼過ぎの参拝と相成った。行ってみると本当にガラガラだった。我が家の分と娘一家の分の二つのお札を拝受し 本殿の中で参拝する。さすが今年は三密回避ということで ご祈祷の内容も簡素化。雅楽演奏や神楽舞はすべて省略。考えてみればこれで必要最小限。本質に戻るとこうなるのかもしれない。ただし ご祈祷というのはやはり一つの儀式でありお祭りみたいなものだから神様もさぞかしさみしい思いをしたかもしれない。また雅楽の演奏者や神楽舞のアルバイト(?)の巫女さんは大丈夫なのだろうかと要らぬことが頭をよぎる。
さて今年頂いた年賀状のなかに 年賀状は今年で最後にしますと書かれたものが4、5通あった。例年になく多い。この種の但し書きつきの年賀状は数年に一回あるかないかで 昨年はゼロだった。私も高齢者なので 年賀状も同じ年代から頂く場合が多い。高齢者の方の場合 どこかで断捨離したいとか 何か一区切りをつけたいという気持ちがあるのだろう。よくわかる。また 今やLINEやメールの時代。年賀状に意味を感じないという考えもよく理解できる。とりわけ 裏も表もすべて印刷 その上 内容が「あけおめ ことしもよろしく」的なものだと実に興ざめだ。
しかしそれでも 年賀状に添えた一言でその方の近況がうかがい知れる場合もあれば 年賀状の家族写真に目を奪われる場合もある。あえて最後の年賀状と宣言する必要もないと思うのだが・・・と考えているうちに これもコロナの影響があるのかもしれないと思い始めた。つまり 新年のご祈祷の神楽舞のようなものだ。不要不急の外出は避けようと繰り返し言われているうちに 不要不急のことが悪者みたいなレッテルを張られ 年賀状が不要不急探しの犠牲になったような気がする。
昨年は 例年になく多くの方から 喪中のため年賀状辞退のお葉書をいただいた。全員が親御さんの逝去だった。驚いたのは 亡くなられた親御さんの年齢だ。一番若くお亡くなりになられた方が89歳 最高齢は102歳 平均すると95歳くらい。本当に人生百年の時代になったのだ。人生百年という観点に立てば ほとんどが不要不急の積み重ね。早く 不要不急が大切に思える時代に戻るといいね。
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