過去のひと言
2024年11月 コンサート雑感
時間的にも 金銭的にも多少の余裕が出たおかげで 最近 演劇やコンサートによく出かけるようになった。正直 特にこれというこだわりはない。歌舞伎 文楽 演劇 ミュージカル オペラ バレエ 落語 講談など分野は問わない。その時々の気分と出し物で決めている。中でも 最近よく出かけるのはコンサートだ。とりわけ 年齢の高いアーティストを見に行くようにしている。引退するまでに一度は生で聴いておきたいと思うからだ。
2年前に引退した加山雄三(87歳)のコンサートにはかなり通った。最後に行ったのは引退の年 横浜みなとみらいでのコンサートだ。2015年 全国ツアーの最終公演(NHKホール)で初めて聴いて以来 毎年2回以上は聴きに行っていた。中学生の時に同級生と映画の若大将を見に行ったのをなぜかはっきりと覚えている。彼のコンサートは純粋に歌が好きなのだというのが伝わってくる幸せな若返りの時間だった。
昨年亡くなられたアリスの谷村新司(74歳で没)のコンサートにもよく出かけた。谷村新司は私が大学の受験勉強で聴いていた深夜放送セイヤングのパーソナリティ。加山雄三よりもちょっと身近で 大人になりかけの時代のアイドルだ。実は 昨年2月 彼が入院する前月のコンサート(有明アリーナ)にも行った。すでにかなり瘦せていたし ほとんどの曲を座ったまま歌っていた。あまりにも早い別れだ。
しかし最近は 引退する前に見ておきたいどころか 高齢アーティストのバリバリの元気さにエネルギーをもらうことが多い。
半年前 中島みゆきのコンサートに行った。コロナで全国ツアーを中断して以来 4年ぶりのコンサート。プラチナチケットと言われたが 幸運にもチケットを入手できた。72歳。元気そのもの。コンサートの最後に歌ったのは72歳にして始めて書いたアニソンだった。ぜひ 私の大好きな「夜会」(一人歌芝居)も復活してくれないかと願っている。
2か月前には 初めて長渕剛のツアーに行った。68歳。しかしエネルギー満載の彼を見ると68歳はまったくもって現役真っ只中。65歳で定年とか 年金とかいうのがまったくピンとこない。休憩なしで何と2時間45分 舞台狭しと歌いまくった。長渕剛初めての私にとっては 聞いているのも大変。とにかく 曲のほとんどを立ち上がって腕を振らなければならないのだ。
先月 友人の強い勧めで 舟木一夫(80)のコンサートに行った。私にとっては初めての舟木一夫。行って再認識したのが熱烈なファンの多さ。ラインキューブ(旧渋谷公会堂)は満員御礼。休憩なしで2時間 約20曲を歌い切った。声量も立派だったが 驚いたのは80歳にしてあのスマートな体型。これは見習わないといけない。加山雄三が85歳まで歌っていたのだから まだまだ数年は大丈夫だ。
来年 楽しみにしているのは 私の一押し 高橋真梨子(75)のツアーだ。年に一度は必ず聴きに行くことにしているが 今回のツアーは東京と横浜の2回聴きに行くことにした。歌のうまさではやはりピカ一。一時期 体調不良と激やせで心配していたが 数年前から復活したようだ。むしろ心配なのは ツアーをプロデュースしている旦那でバンドマスターのヘンリー広瀬が81歳になったこと。これからも引退するまで毎年聴きに行くので 夫婦ともども頑張ってほしい。
もう一人 来年楽しみにしているのは70歳を迎える竹内まりや。11年ぶりのコンサートとのことで 超プラチナチケット。妻にせがまれ 1枚8千円のCDを買い その中にあるツアー応募抽選券で手に入れたチケットだ。中島みゆきの時はダフ屋対策で本人の身分証チェックがあったが 今回は本人だけでなく同伴者も身分証チェックという徹底ぶり。
うーん。仕事どころではないかも・・・
2024年10月 3ボール2ストライク
英語で算数を勉強している中学生の孫を見ていて ふと思った。分数を表現するときに 日本では分母を先に 分子を後に呼ぶ。例えば 3/5は「5分の3」。英語ではこれが逆になる。例えば 3/5は「3 over 5」となる。よく考えると この違いは意味深だ。
そもそも 日本語では 下にあるのが「母」で上にあるのが「子」。誰がなぜ「分父」ではなく「分母」と名付けたのだろうか。中国語でも「分母」は「分母」と書くらしいのでこれは中国由来なのだろう。どういう道徳観/宗教観が反映されているのか不明だけれども 算数という論理の世界で「母」や「子」という親子関係(宗教観/道徳観)が反映されること自体がいかにもアジアっぽい。
それにしても なぜ日本語(中国語も同じ)では分母を分子より先に呼ぶのだろうか。母の方が大切だから?あるいは 分母となる全体の方が大切だから?しかし 分母という全体を重視すると 5/3などの仮分数が理解しづらい。もしかすると子が母を超えるという意味になるのだろうか。
英語では 分子は「numerator(あるいは単にtop)」と呼び 分母は「denominator(あるいはbottom)」と呼ぶ。「numerator」の動詞「numerate」 は単に「計算する」という意味で「numerator」には計算機という意味もある。「denominator」の動詞「denominate」は「名前を付ける/称する」という意味で 「denomination」と言えば 「命名/名称/派/階級/宗派」の意味がある。つまり 英語では 分母は単位を意味する固まりで 分子が計算の対象になるということだろう。なるほど。親子関係を持ち出す日本語や中国語よりも英語の方が分かりやすい。
英語では計算の主体である分子を先に呼ぶ。分母は分子を規定する単位の表現に過ぎないという原則に立てば やはりこの順序の方が分かりやすい。社会学流にいえば 「母ではなく子(個人)を重視」していると言えるかもしれない。ともかく分数全体に関して英語流の方が絶対に分かりやすい。
話は変わるが 日本の野球ではストライク・ボールのカウントをコールするときに 以前はストライクを先にコールしていた。たとえば「2ストライク3ボール」。ところが米国では当初からこれとは逆にボールを先にコールしていた。たとえば「3ボール2ストライク」。日本の野球が米国に準じてボールを先にコールすることになったのは2010年の話だ。
アメリカ野球の草創期は 打者が指定したゾーンに入った球だけがストライクと判定されたらしい。それ以外のボール球はすべて無視された。ボールに対してペナルティはなかった。つまり ボールの数をカウントする必要もなかった。しかし それでは時間がかかりすぎるので その後9ボール(今は4ボール)で一塁に歩けるようにした。ボール球に対し投手にペナルティをかけることになったのだ。この時に 投手へのペナルティを重視し 「外した球」を先にカウントするようになったという。そりゃ8ボールまで許されるなら まずはボールが今幾つ目なのかちゃんとコールしてもらわないと分からなくなるだろう。あくまでも打者視点なのだ。
日本でもアメリカから野球が伝わった頃は同じコール順だったらしい。ただし 本格的に日本で野球が普及し始めたときにはすでに4ボール制になっていた。これは推測だが 4ボールで一塁というように投手へのペナルティが厳しくなると コースに入った球を打てない打者へのペナルティをもっと明確にしようということでストライクを先にコールすることになったらしい。つまりアメリカ流が打者視点なのに対し 日本流は投手視点と言える。
しかし アメリカ流コールは野球がテレビで放映される前の大昔の話だ。テレビで放映される現在では ほとんどの場合 投手後方からの図柄で放映される。となると 視聴者はいやおうなしに投手視点になる。そういう視点でテレビを見ていると 打者視点でボールからコールされるのは実に分かりにくい。
打者視点でカウントする方が攻撃視点なので面白いという理屈は理解できる。ならば テレビの放映も打者視点での図柄にしてほしい。それはさすがにちょっと見づらいだろうから 現実にはキャッチャー視点ということになるだろうか。キャッチャーのヘルメットにカメラを装着して カメラの揺れをAIで調整すれば不可能ではない気がする。それだったら 「3ボール2ストライク」のコールも身に染みる。ぜひご検討いただきたい。
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