過去のひと言
2022年3月 3年ぶりの東京マラソン
3年ぶりの東京マラソンに出場した。2020年2月のコロナ勃発から2年強 市民参加のマラソン大会は国内ではすべて中止になった。マラソンどころか 多くのハーフマラソンなどの大会も中止になった。まずは 開催にこぎつけた東京マラソン関係者のご苦労に感謝したい。
しかし いざ走ってみると2年間のブランクは思っていた以上に大きかった。なにせ この2年間で走った一回の最長距離は25キロ。この東京マラソンも1、2カ月前まで本当に開催するのかどうか分からない状況だったので どうしても練習に身が入らなかった。
新宿都庁前から繁華街を下って防衛庁前を経て市ヶ谷に向かう。かなりの下り坂なので 例年であれば軽快に飛ばすところ。しかし 今年はスタート直後からまったくスピードに乗れない。時計を見てその遅さにあれっと思いながら 市ヶ谷見附 飯田橋 水道橋を抜け 須田町に入る。今回 新たにコース変更となったのが 須田町から左に曲がって上野広小路へ出てまた須田町に戻ってくるというルート。キプチョゲを先導した白バイがコースを間違えたところだ。まだ10キロも走ってないのにこの新コースに入るところが何と長く感じたことか。初めて走るコースはやたらと長く感じる。
この後 神田 日本橋 茅場町を通り 水天宮を横目に 浜町中の橋から 浅草へ。約19キロの雷門で折り返し 蔵前橋を渡って 両国から富岡八幡宮の門前仲町へ。ここで20数キロだが 早くも足にきた。スピードがでないどころではない。
ここからは今来た道を戻り 日本橋へ。日本橋から銀座4丁目まで来るとあと10キロ。ここでもう一度頑張ろうと力をふりしぼったら 太ももがつりかかった。一度つると再び走り出すのは無理だ。つらないように つらないようにと気を使いながらゆっくりと走り続けるのが精いっぱい。それでも「決して歩くな」と心に言い聞かせながら 日比谷から増上寺へ。田町を折り返すとあと5キロ。この辺までくると かなりの人が歩いている。あとわずか3キロ地点で毛布につつまれて倒れている人もいた。日比谷にもどり大手町を抜けて皇居前でゴール。ゴール過ぎで倒れている人も何人かいた。
結果は4時間27分強。東京マラソンは7回目の出場だが 4時間を切れなかったのは始めてだ。やはり歳のせいかと思っていたら どうも2年ぶりのハンディキャップは他の市民ランナーにとっても同じだったらしい。順位を見ると 65~69歳の部で 368人中の98番。ちなみに私は69歳。そんなに悪くないではないか。やはり「決して歩かない」という頑張りが効いたらしい。
しかし疲れた。来年は もう少しゆっくりと 東京マラソン観光をしたいと思いました。
2022年2月 コロナ下の東京マラソン
2月27日に大阪マラソン そして 3月6日に東京マラソンの開催が予定されている。東京マラソン開催の最終決定は2月18日だが このままいけば 開催の運びとなるだろう。まずは コロナ蔓延の中 開催準備にご苦労された関係者の方々に感謝したい。それぞれ参加ランナーだけで約2万人のイベントだ。これら大規模マラソン大会の開催が「社会は動かす」の先駆けとなるにちがいない。
しかしだ。どうも主催者の方は大会実施という名目に縛られすぎて 参加者への思いやりが欠けている節がある。東京マラソンに限った話だが やりすぎではないかと思われる規制が多いのだ。それはあたかも現在の日本の入国制限の厳しさが海外のビジネス界からクレームを受けているのと同じような感じを抱かせる。コロナ患者が一人でも出ると責任を取らされそうなので まずは責任回避のためにできる限りの規制強化をしておこうという印象だ。ここは参加者の立場から 一言言わせていただきたい。
まずはPCR検査。国の大規模イベントに対する方針から 急遽 参加者全員にPCR検査が求められることになった。これ自体はやむを得ない。しかし 説明書によると 東京マラソンの場合 事前にキットが送られ 自分で事前に採取した結果を大会の1~3日前の受付会場で提出するらしい。陽性であった人は マラソン大会の当日 スタート会場入り口にて参加不可能と通知されるという。当日 突然 何の症状もない人が「あなたは陽性なので参加できません。自宅待機してください」と宣告されるのだ。これはひどい。そもそもPCRの精度は今でもせいぜい90%と言われている。陽性と言われた人のうちの10%は診断ミスの可能性があるのだ。オリンピックでもいったん陽性と判定された人が翌日の再検査で陰性となるケースが相次いでいる。ちなみに大阪マラソンでは3日前以降に接種したPCR検査の結果通知書を自分で持参するようにとある。詳細は不明だが どうみても東京マラソンの冷淡さが際立つ。
次に 東京マラソンは体調管理アプリをスマホにダウンロードし スタート会場でそのスマホ画面を入場時に提示しなければならない。ひどい話だが 最初から ガラケーの人の参加を無視している。そもそもこの体調管理アプリは一週間前から体温や体調をインプットしていくというもの。要は自己申告なのだ。入場時に体温チェックするのだから はっきり言って意味がない。しかも あろうことか 参加要項では走っている最中も“スマホ”を携行するように義務付けている。何でだ?正直 ランナーと称する人の殆どは少なくとも正式な大会でスマホを持って走る人は少ない。ランナーは何十グラムの靴の重さの違いを気にしているのだ。
もう一点 参加者無視の中で 最たるものが スタート会場での手荷物預かり廃止だ。東京マラソンはスタートが新宿都庁前でゴールが皇居前。従来であればスタート地点で着替えた服を預け ゴール後にそれをピックアップする形だ。大会要項では 信じられないことに 走る服装で会場に来いと言っている。まだまだ寒い3月6日の午前8時前の話である。しかも スタート会場の東京都庁は新宿駅から歩いて15分以上。当然 古着を来て行きそれをスタート会場で捨てるしかないと思うのだが 「古着回収はしない ゴミ箱もない」と要綱に明記しているのだ。従来はNPOの古着回収ボックスがあり そこで回収した古着は途上国に送られていたのに。更衣所がないのは分かるし 手荷物預かりしないのも許せる。しかし SDGの時代に なぜ古着回収がないのか。これは解せない。
せっかくやるのなら あまり意味のない 責任逃れの規制作りだけは止めてほしいものだ。大会開催を決めた東京都への感謝も半減してしまう。
2022年1月 31年目の始めに
弊社を設立したのが1992年。また 今メインの活動となっている「考える技術・書く技術」の研修を始めたのも1992年。つまり 今の私の起点となった年が1992年。ついに今年 その起点から31年目に突入した。昔はよく会社の平均寿命30年と言われていたので それなりの歴史を刻んだものだと感慨深い。
振り返れば 会社を設立して数年は 外資系企業経営者のお誘いもあり 経営者の途を目指すか 一匹狼の専門職の途をめざすか迷った時期もあった。結局 好きな経営コンサルティングとこれまた好きな教育研修の途を選んだのは賢い選択だったと思う。よく考えれば部下を使う経営者など私に向いていないし 何より好きとは言えない。コンサルティングや研修はともに一人で出来る商売であるのが私の性に合っている。
更に20年近く前 当時 コンサルティング収入9割 研修収入1割だった仕事の比率を逆転させることを考えた。ともに好きな仕事だったのだが コンサルティングは一人でやるにはきつかった。私のコンサルティングはお客チームとの連携作業であり かつ必要に応じて調査会社などを活用するのだが それでも時間的に同時進行でこなせるのは2つの仕事まで。これを適度な量でこなすのは難しく 結局 大忙しか 暇でしょうがないかのどちらかだった。忙しい時は体力的にきつく 暇なときは精神的にきつかった。
事業転換を目指した結果 一時的に売上を半分近くに落としたものの 2年がかりで収入の大半を研修事業に切り替えることに成功。以降 「考える技術・書く技術」をコアにした研修が仕事の中心になっている。心優しき友人はそうした私を指して「本当のプロフェッショナルだ」と言ってくれた。しかし 私自身はどちらかと言えば「職人」という言葉を気に入っており 自分の仕事は職人仕事だと思っている。
職人には引退はないし 引退のことなど考えもしない。体が動く限り 客がいる限り 仕事は続ける。それが職人だ。まあ今の状況ならば 私もあと10年は全く問題ないだろう。たまに お客さんから「考える技術・書く技術」の研修を引き継ぐ人はいるのかと聞かれることがあるが 残念ながら 私の研修も 職人仕事に共通して後継者難である。というか 職人仕事を引き継ぐのはとても難しい。もっと言えば そもそも職人はおそらくは後継者のことなどあまり考えないと思う。それが職人技というものだ。自分と同じように好きで自分と同じように思い入れの強い後継者などいるわけがない・・・と普通の職人ならば思う。
ただし 客に迷惑はかけられない。辞める時には研修動画を充実させ それをリピート客への置き土産にしようと考えている。そうした気持ちはあるのだが 一方で 昨年から「仮説アプローチ」研修などの新プログラムも始めている。また「添削コース」などへの問い合わせもある。まだまだ現状は 終わることへの準備よりも新たなことへの準備の方が忙しい。まあ 職人とはそういうもの。
さあ今年はどんなことに挑戦するか。一つくらいは新しいことにチャレンジしてみよう。
皆さま 良いお年を。
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