過去のひと言
2013年9月 その2 東京湾岸地域の地価の行方
先日、日経新聞(9月20日付朝刊)で気になった記事があった。五輪開催地周辺の東京湾岸地域の地価が今後どうなるかという記事だ。某証券会社の不動産アナリスト、某大学の不動産学部長、そして、某不動産コンサルタントの3名の見解が解説されており、それぞれの見解が見事に異なっていたのだ。
証券会社の専門家は、東京五輪開催の2020年まで東京湾岸の地価は上昇し、五輪閉幕後も海外の注目を集め、投資先として地価の上昇は続くという見方である。特に国際的な注目を集めるという点を高く評価している。アナリストながら、やはり証券会社のコメントらしい。
大学の専門家は、東京五輪までは地価の上昇が続くと見る点では上記と同じだ。しかし、閉幕後の見方は異なる。17,000室の選手村は民間企業が分譲マンションとして売却する計画だが、短期でそれだけの供給をこなせる国内需要はなく、結果として地価は下落するとみる。大学の先生らしい、当たり障りのない模範的コメントだ。
一方、コンサルタント(マンション市場に関する研究所を運営)の見方はユニークだった。彼によれば、消費税値上げや金利上昇を背景とする今の不動産需要の上昇は、需要の先取りであり、来年4月以降に反動が来ると予想する。(今あわてて買うなということだ。)こうした全体観の中で、湾岸地域に関しては、ある程度値上がりした後、今から一年後には一定水準に落ち着き、そのままで推移した後、五輪閉幕後に価格は下落すると見る。2020年頃から都内の人口は減少に転じる見込みで、マンションを買う年齢層の人口も減るし、かつ、中古マンションの質の向上により、リフォーム需要の割合が増えると見る。東京の空き家率はすでに一割を超えており、五輪のころには二割になっている可能性もあるという。
同じ状況を見て、専門家の考えがこうも違うというのは驚きだ。繰り返すが、皆、専門家を自負する人たちであり、同じ状況を見ているのだ。なぜ?・・・おそらくは、状況を見る視点が違うのだ。今の状況をしっかりと客観的に見ることなしに、将来どうなるかという視点にとらわれすぎている。
アインシュタインは、地球を救う方法を考えるのに1時間与えられたら、どう使うかと聞かれた時、「55分を現状の理解に使う。解決を考えるのは残り5分あれば十分だ」と言ったという。つまり、状況を正確に判断すれば、答えは自ずと明らかになると言っている。
私の意見?・・・それはコンサルタントの人と同じだ。これだけ人口が減っているのになぜあんな不便な場所の地価が上がり続けるというのか、とても理解できない。実際、この3人の中で、今の状況をしっかりと説明したのは彼だけだった。他の二人は将来の事ばかりを語っていた。
2013年9月 東京オリンピック さあ新たな時代に向けて
2020年の東京オリンピック開催が決まった。晴らしい招致活動だったと思う。特に最後のプレゼンスピーチは皆見事だったし、チームジャパンの多様性と団結力を示すものだった。久子さまの格調高いスピーチを聞いて、日本中の人が日本にこんな女性皇族がいたのかと心から驚いたに違いない。少なくとも私はそうだった。佐藤選手の感動のスピーチは東京招致を決定づけたし、太田選手の流暢な英語スピーチは日本の若者ここにありと印象付けた。そして滝川クリステルさんの表現力豊かなおもてなしスピーチは日本のユーモアとおおらかさと神秘をうかがわせるものだった。いったい誰が彼らを選出したのだろうか、それこそ金メダルものだ。
前回の1964年東京オリンピックの時、私は小学生で、福岡県の田舎で暮らしていた。それは本当にビッグイベントであり、新しい時代の始まりを予見するものだった。身近な時代背景を振り返ると、1958年に東京タワーが完成。この頃にようやくテレビが一家に一台の時代になった。1959年には現天皇陛下のご成婚パレード。はじめて一般人からお妃を迎えられたことで美智子妃ブームが巻き起こった。1960年には新安保条約が締結。私のいた田舎ではほとんど話題にならなかったものの、東京では大規模な安保闘争があり、東大生の樺美智子さんがデモ闘争の中で亡くなられた。安保条約により日本の防衛をアメリカに任せることになった日本は、すべての力を経済発展に注ぎ込むことになる。1960年、池田内閣による所得倍増計画の始まりだ。1963年には、ケネディ暗殺が日米初の宇宙中継で放映された。この時は、私の住んでいた田舎でさえ号外が配られた。国際的な距離が大幅に縮まりつつあることを予感させる出来事だった。そして、1964年10月東京オリンピックの開催。現在の休日、体育の日(元は10月10日)はこの開会式の行われた日だ。
当時、日本がメダルを取りそうな試合は、生徒全員が講堂に集められ、テレビ観戦をした。授業なんてまったくの後回しだった。田舎でこの調子だから、東京はものすごい状況だったに違いない。オリンピックに合わせて、東京・大阪間の新幹線が開通となり、首都高速道路の建設ラッシュにはずみがつき、下水道工事も本格化していった。東京オリンピックは、国際化と経済復興の幕開けだった。キーワードは、「世界に追い付け・追い越せ」。
さて、2020年は1964年から56年の時を経ての開催となる。実によいタイミングだと思う。コンクリートの建築物の寿命とほぼ同じで、当時、建設された建物が立替えを行うタイミングと同じだ。人間で言えば、ちょうど、15歳から70歳の労働力としてカウントされそうな一つのサイクルと同じだ。今、2020年に向けて新しいサイクルが始まろうとしている。果たして今回のキーワードは?
2013年8月 引っ越し(マンション開発業者必見)
先月はこのコラムをお休みさせていただきました。理由は、仕事と自宅の引越しが重なり、てんやわんやの忙しさに見舞われていたからです。今もまだ忙しさを引きずっています。
もともと、私がメインに行っている社員研修の仕事は、新卒採用が一段落する6~9月が最繁忙期です。その最中、6月中旬にマンションの買い替えを決め、その下旬に、今住んでいるマンションの売却と新しいマンション(中古)の購入を契約し、7月中旬に簡単なリフォームの上、7月末に引っ越し。その後、8月1日に、住んでいたマンションを引き渡すという過密スケジュールをこなしました。今もまだ、段ボールに囲まれた生活です。
さて、今回は、18年間住んだ築28年のマンションを離れ、築5年のマンションへの引っ越しです。以前のマンションも竣工当時はハイカラなものだったようですが、いざ住み替えてみると、この20数年の間のマンション建築の変化に改めて驚きます。建築の変化と言うよりは、生活スタイル・生活意識の変化といった方がよいでしょう。一言でいえば、「歳をとったらマンション住まい」を意識したデザインになっているのです。私の気づいた変化と今後の予想をリストしてみましょう。マンション開発業者必見です。
1) エコ構造
今回のマンションは、欧米では一般的な外断熱工法。日本では20年前にはほとんどなかった工法ですし、今でも多くはありません。コンクリートの外に断熱材を張る仕組みなので、コンクリートが外気温の変化を直接受けません。結果として、①コンクリート躯体が長持ちする、②室内の湿気や結露を防ぐ、③断熱効果が高いなどの効果があるようです。これに重層ガラス窓を加え、マンションを長期的、エコ的に考え始めたということでしょう。普通の鉄筋コンクリートならば50~60年、外断熱なら100年持つという人もいます。どうやら、私が死ぬまではしっかりと持ちそうです。マンションが老朽化し、いろいろの問題が出てくると、年寄りにとってはとても負担が大きいのです。
外断熱で太陽光発電が当たり前というマンション時代も遠くないでしょう。ともに高コストがボトルネックですが、コストで片付くことは時代が解決してくれます。
2) 高齢化対応
廊下が広くなり、全面バリアフリーになり、車いすで大丈夫なようにスイッチ類の位置が低くなっています。なるほど、これならば、足腰が弱っても大丈夫。二階建ての一軒家では、エレベーターでもつけない限り、こうはいきません。
20数年前は戸建て感覚のメゾネット型マンションが流行だったのですが、実際には、やはりフラットが便利だし、ずっと広く使えます。特に、歳をとると階段はきつい。
3) セキュリティ強化
歳をとり、夫婦二人住まいになると、夫婦旅行の機会も増えます。この時に頭を悩ますのがセキュリティ。今回は、玄関でのキー、エレベーター乗り場へのキー、室内の戸別セコム。至れり尽くせりです。このセキュリティシステムを使いこなせないのが難点ではありますが・・・。
4) ゆとり対応
老人ホームに行くまでは自宅で。となると、やはりそれなりのゆとりは必要。今風マンションの天井高の高さには納得。また、風呂場も昔のマンションと比べると広い。また、今や当たり前の二重床なので、階下への騒音を気にすることもあまりありません。
さて、若い建築家に、中高年の生活を意識したデザインができるでしょうか。・・・あれっ。今、思い出しましたが、私は建築学科卒業でした。中高年向けのマンション開発業者の方、いつでも私をアドバイザーにどうぞ。お安くしておきます。
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