過去のひと言
2023年6月 100kmマラソン総括
4月に出場した富士五湖ウルトラマラソン100kmの総括です。結果から言えば 途中にある6つの関門のうち 72km地点にある4つめの関門で制限時間に間に合わずあえなくギブアップ。
完走できなかった理由はいくつかある。まず前年末から続いていた左ハムストリングス(太もも裏の筋肉)の痛み。とくに膝との接合部とお尻との接合部の痛みがとれなかった。1月末から週に2度 整形外科で療法士のマッサージを受けていた。かなり改善したものの完全回復とはいかなかった。今でもまだ整形外科に通っている。療法士の方からは 筋肉の柔軟性がなくなっているのが原因だと言われた。要は筋肉劣化(老化)ということらしい。更には体幹・腹筋など体全体の筋肉を強化しないといけないとの忠告だった。
ただ100kmマラソン時点では 9割近く回復し そこそこ走れるようになっていた。何しろ2万5千円の参加料の他 大会前後2泊のホテル代 総じて10万円近い投資だ。というわけで出場強行。しかし練習不足は否めなかったので 悪くても第3関門(56km)までは頑張ろうという気持ちで臨んだ。
スタート当日 脚の痛みが気になったので ロキソニンを服用して臨むことにした。5時スタート 4時間近く走っていると今度は足の指が痛くなった。これは予期せぬ場所。かなり痛い。迷った結果 走っている最中に再度ロキソニンを服用することにした。6時間内の連続服用は禁止との注意書きはあったが 最初の服用からちょうど6時間経っている。まあ大丈夫だろう。しかし これが大きく足を引っ張ることになった。
10時頃を過ぎると天気はカンカン照り 体感では25度を超す暑さになった。走るには過酷だ。この暑さと空っぽの胃にロキソニンが効いてきた。胸がむかつき始めたのだ。昼過ぎには胃が水以外何も受け付けなくなった。ポカリスエットすら飲む気がしなくなった。消化器官は人間の臓器の中でも最も大切。胃の不調は走る意欲に影響を及ぼし始めた。結局 最初にノルマ設定した第3関門56キロを通過はしたが その後の坂道でかなり歩く結果となった。第4関門近くではこれはやばいと頑張ったものの時期すでに遅し 数分の差でアウトとなってしまった。
さて何がまずかったのか冷静に考えた。たしかにハムストリングスの痛みは効いたし 胃のむかつきも効いた。実際 ホテルに帰ってみると ソックスの先っぽは血まみれだったし そのままトイレに駆け込んで吐き続けた。もちろん 夕食はパスし さっとシャワーを浴びただけで寝続けることになった。やはり過酷ではある。しかし考えてみれば 第4関門近くの 私にとっては最後の3キロくらいは頑張って走れたのだ。どういうことだ?
考えるに やはり最大の敗因は 気持ちの問題だったと思う。第一に 走る前に 最悪でも第3関門(56㎞)までは頑張ろうと妥協したことだ。これが「56kmまで頑張れ」ではなく「56km走れればよい」という悪魔のつぶやきとして頭の隅に残った。
第二の理由は 最初の申し込みにさかのぼる。100kmの部は申込者が多いので 4時半、4時45分、5時と3つのグループに分けてスタートする。後で気付いたのだが 予定走行時間を遅く申告した人は最後のグループに回されるようだ。私は予定完走時間を13時間50分(制限時間14時間)と正直に申告したために 5時スタートを割り振られた。このグループは遅い人が多いので 途中で歩く人 完走しない人が多くなる。つまり 周りに結構歩いている人が多くなるのだ。人間とは弱いもの。周りに歩いている人が多くいれば ついつい引きずられて自分も歩いてしまう。結局 これも気持ちの問題だ。
さて富士五湖ウルトラは62km、100km、118kmと3つの部で構成される。62kmは3つの湖を回る制限時間11時間のコース。100km は4つの湖を回る制限時間14時間のコース。118kmは5つの湖で制限時間15時間。私にとって118kmコースはとても無理だが 62kmコースは若干物足りない(多分)。来年はどうするか いろいろと考えた。62kmコースで気分よく走り 明るい時間内にゴールテープを切るか。それとも再度100kmに挑むか。
結論は10月末の横浜マラソンの結果まで待つことにした。今は 療法士のリハビリ通いの他 毎日欠かさずにストレッチと腹筋・体幹・背筋の筋力強化に努めている。
2023年5月 ペン入力奮闘記
最近 仕事でペン入力をよく使うようになった。課題の添削作業やオンライン研修でのパワポ解説に利用している。
ペン入力に目覚めたのは 半年近く前にiPadを買い替えた時だ。追加購入した付属のアップルペンで遊んでいるうちに その使い勝手の広さに気付いた。まず考えたのは添削作業だ。今までわざわざプリントアウトした紙に赤ペンで添削し それを書画カメラで撮り PDF化するという いかにも紙の無駄遣いをやっていた。これは即座にペン入力に切り替えることにした。
ペン入力でやるにあたって まずは iPadに無料パワポをインストールしたうえで MS OneNoteアプリを使ってみた。しかし やってみるとファイル操作が今一つ使いづらい。そこで iPadではなくWACOMの液晶タブレットを使ってペン入力することにした。漫画家がアニメを画面で描きこむ あのツールだ。この液晶タブは何度か実践で試してみた。要は PC画面をHDMIで液晶タブに映し込み マウスの替わりにペン入力を使って操作するという仕組みだ。しかし PCと液晶タブの2つの画面を見ながら作業するのはやってみるといかにも面倒だった。
というわけで 結局 今まで避けていたMS365(Office)のサブスク購入を決断し iPad上で積極的にパワポやワードを使うスタイルに行きついた。今 添削はすべてiPad上のみでやっている。残念ながら iPadは一番シンプルなものなので アップルペンも第一世代。作業中に時々接続が途切れるのが欠点。しかし まずはそこそこ上手くいっている。何よりiPadだけで完結できるので作業が大幅に効率化した。不要になったWACOMの液晶タブはモバイルモニターとして利用している。
添削作業のペン入力に慣れてくると オンライン研修でのパワポ解説もiPadのパワポでやるほうが便利かもという気になった。何しろ スライドビュー中にペンで書き込みができるからね。スライドビュー中にペン入力で自由に書き込みができるほかに気付いたメリットがある。それはスライドの拡大機能だ。iPadではパワポ・スライドビュー中に 指で自由に拡大・縮小ができる。PCでは「虫眼鏡機能」を利用するが 拡大の大きさが一つに規定されている。これは実際にやっているときわめて大きなメリットだ。
デメリットもある。その一番はハイパーリンクだ。Windowsパワポではスライドに簡単にハイパーリンクを張ることができる。これが iPadでは難しい。同じフォルダー内の別ファイルへのハイパーリンクがうまく設定できないのだ。今うまい方法はないかと検討中だが どうも簡単にはできないみたいだ。
試行錯誤の結果 一応 iPadやペン入力も必要に応じて使えるようにはなった。しかし MSアプリ使用を前提にすれば 次に買うのは やはりMS Surfaceだろうか。・・・しかし キリがないな。
2023年4月 ワーク・ライフ・バランスに想う
先日 某コンサルティング会社で行ったマーケティング研修の時 若い参加者から 「今はワーク・ライフ・バランスが重要視されているのですが 先生の時代はどうでしたか」という質問があった。ワーク・ライフ・バランス?・・・はっきり言って 私の時代には 若い時も歳取ってからも そういう発想とは無縁だった。
学卒後 最初に就職した総合商社はもちろんモーレツ商社マンの時代。ひたひたと押し寄せるバブル前夜の中 毎日深夜の帰宅だった。一時期は 週のうち半分はタクシーでの深夜帰宅だった。タクシーの中で眠っているのだが いつも自宅近くのゆったりとした長いカーブに差し掛かると 目が覚める。運転手さんから「タクシーに乗り慣れてますね」と感心されてしまった。
最初の子供が生まれたとき 私は商社の仕事でイラクのバグダッドに出張中だった。ちょうどイラン・イラク戦争の最中で 駐在員をしばらく日本に帰国させたいので その間 約一か月 イラクで駐在員の替わりをやってくれという話だった。最初の子の出産予定日だったが その時に留守になることをあまり気に留めなかったし 上司もほとんど気にしなかった。今考えるとあり得ない。まったくもってワーク・ライフ・バランスとは無縁の時代だった。
その後に転職した米系コンサルティング会社でも毎日深夜まで仕事をしていた。ただこの時から働く意識が変わってきた。日本の会社ではないので いつクビになっても生きていけるようになろうと覚悟を決めての転職だった。サラリーマンではあるが意識としては「自分の力で生きる」という気持ちだった。一方で やるにつれコンサルティングという仕事がますます好きになってきた。コンサルティングというのは知的職人的な側面があって 特にその職人的な側面に惹かれていったのだ。夜遅くまでの仕事はまったく苦にならなかった。というか 楽しかった。ツボづくり職人や靴作り職人が仕事に没入するようなものだと思う。そしてこの頃から 商社マン時代とは違った意味で ワーク・ライフ・バランスとは無縁の生活に入っていった。
ワーク・ライフ・バランスとは仕事と生活のバランスがとれた状態を指すらしいが これは雇われ人の発想だ。職人(よく言えばプロフェッショナル)など自分の腕一本で仕事をしている人にとっては 「ワーク=ライフ」なのだ。したがってワークとライフのバランスという発想はない。
先日 エンゼルスの大谷選手がヤンキースとの試合を終えたときの囲み取材でニューヨークの街の印象について質問された。答えは「一度も街に出たことがないので分からない」だった。遠征先では睡眠管理が第一。彼は生活のすべてを野球に捧げているのだ。世界のニューヨークシティではあるものの 大谷選手にとってみればニューヨークの街歩きなど優先順位は下の下なのだ。通訳の水原さんの話によると 大谷選手の結婚はしばらくはないらしい。元ヤンキースの松井秀喜さんが結婚したのは34歳の時。大谷選手も松井さんを見習っていて それくらいになるまでは野球しか考えないということだった。
職人(プロフェッショナル)を自負する私にとって ワーク・ライフ・バランスを超越した彼のプロフェッショナリズムには憧れと尊敬を抱くだけだ。
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