過去のひと言


2011年9月 還暦ということ


私は今、58歳。11月で59歳になる。60歳にでもなれば、妻とヨーロッパにでも行こうかと二人分のヨーロッパ往復ビジネスクラスのマイレージは貯めている。先日、ある会議で一緒のテーブルになった60過ぎのアメリカ人に、60歳になった時に何か特別のイベントをしたかと聞いてみた。その人はいかにも怪訝そうな顔をして、そんな事は何もしていないと言った。何でそんな質問をするのかという様子である。どうやらアメリカ人には60歳の区切りはないらしい。

考えてみれば、アメリカには「雇 用における年齢差別禁止法」という法律があって、年齢を理由に雇用に差別を設ける事が禁じられている。いわゆる日本のような、一定年齢を上限とした定年制 という制度自体が存在し得ない。少なくとも原則は(アメリカでは日常的に退職勧奨などがあるのであくまでも原則かもしれないが)、引退するかどうかは自分 が決めることなのだ。

よく考えてみると、60歳定年とか65歳定年とか、年齢そのものの議論は別にして、日本では、年齢に応じて定年制を設けること自体にはそれほど大きな異論や抵抗はないように思える。もっと考えると、日本人の(あるいは、東洋人の)根底には、年齢を自然の寿命サイクルとして受け入れる発想があるようだ。

さて、先のアメリカ人は東洋文化に造詣の深い人で、翌日、私を呼び止めて、「君は昨日、60歳で何かイベントをしたかと質問したが、後で考えてその質問の意味がやっと分かったよ」と言ってきた。

その通り、古代中国の思想に は、万物は五つの要素で成り立つ五行説というのがある。五行とは、木・火・土・金・水(もっかどこんすい)である。五行説はその後、陰陽思想と一体化し、 五行が陰と陽(「えと」)に分けられる。木(きのえ・きのと)、火(ひのえ・ひのと)、土(つちのえ・つちのと)、金(かのえ・かのと)、水(みずのえ・ みずのと)である。いわゆる陰陽五行説であり、万物の絶対的エネルギー要素と言われる。これに時間的エネルギー要素である十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせて、干支(十干十二支)と呼んでいる。暦を見れば分かるように、すべての年・月・日・時はこの干支(絶対的エネルギーと時間的エネルギーの組み合わせ)で表現されている。年で言えば、この干支が一巡するのが10(十干)と12(十二支)の最小公倍数である60年、つまり還暦である。

蛇足だが、占いで有名な四柱 推命は、生まれた人の年・月・日・時(四柱)の干支で、その人の命を推し量ろうとするものである。さらに蛇足だが、命を推し量ること、すなわち、私の命と は何かを知ろうとすることを「推命」または「立命」と称し、これこそが学問の本質であるとするのが中国思想だ。立命館大学の立命はこれに由来してい る。・・・素晴らしきかな、東洋思想

2011年8月No.2 ビリオネアの座を捨てた人

大学発ベンチャー企業の第一号といえば、音響機器メーカー、ボーズ(Bose)社だろう。先日、同社のPresidentを15年務めたSherwin Greenblattの話を聞く機会があった。ご存知の方も多いと思うが、同社はMITの教授をしていたBose博士が興したベンチャー企業である。Greenblattは、彼がMITの学生だったときに、Bose教授から一緒に会社を作らないかと誘われた人物だ。したがって、彼が紹介されるときには、「Bose社の社員第一号の・・・」が枕言葉になる。それにしても、1964年、大学の先生が教え子を誘って会社を興すなど前代未聞の時代の話である。当時は、会社を作って何をやるのかもはっきりと決まっていなかったというから、誘う方も誘う方だ。

Bose社創立当初の話もおもしろかったが、私がもっとも惹かれたのは、Greenblattのいかにも誠実で、しかし技術の追求には決して妥協をゆるさない語り口だった。私はBose博士本人を見たことはないが、Bose博士が彼を誘った理由が分かる気がした。おそらくは、Bose博士自身も彼に自分と同じ価値観を見出したのだろう。

さて、売上2ビリオン・ダラー(約2000億円)と言われるBose社の創立者、Bose博士は、もちろん大金持ちである。実際、世界に数百人いるビリオネア(1000億円以上の資産家)の一人として雑誌フォーブズのビリオネア・リストにたびたび登場している。2011年のリストにも登場している。・・・しかし、来年のビリオネア・リストに彼の名前が載ることはない。

今年4月、彼は自分が保有するBose社(非上場)の株のほとんど、すなわち、彼の財産のほとんどをMITに寄付したのだ。Bose社もBose博士もこのことについては全く発表していないし、MITもこの寄付が一体いくらの価値を持つものなのかなど、詳しいことは発表していない。発表されたのは、Bose博士が保有するBose社の株のほとんどをMITに寄付したこと、MITはこの株を売却することが禁じられていること、MITには経営に関する投票権はないこと、すなわち、MITは配当を受け取る権利だけを有するということだ。

私は、自分の事務所の引っ越し記念として、3年ほど前に、BoseのCDプレーヤーを購入したことがある。自慢の一品だ。ただ、Greenblattの話を聞いているうちに、またBoseが欲しくなった。そこで、前から関心を持っていた、ノイズ・キャンセレーション機能付きのヘッドホンを購入することにした。先日、新幹線の中でこのヘッドホンを使ってiPodを聞いてみた。最高だった。しかし、欠点が一つある。雑音がかき消され、音楽の世界に入り込んでしまうために、駅を乗り越してしまわないかと不安になることだ。

一攫千金を狙うベンチャー経営者を目指す人たちは、まず、Bose社経営の研究から始めるのがよいと思う。

2011年8月 第4の権力

メディア王、ルバート・マードックの足元が音を立てて崩れかけている。彼の会社、ニューズ・コーポレーションの傘下にあるイギリスの人気タブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の記者が芸能人や政治家らの携帯電話を盗聴していた事が判明したからだ。マードックの秘蔵っ子と言われていた、同紙のCEO、レベッカ・ブルックスは盗聴を指示した罪で逮捕された。

ブルックスは、マードックの秘書から出発してニューズ・コーポレーションの役員まで上り詰めたやり手女性 だ。ブルックスの機嫌を損なえば、どんな記事が掲載されるか分からない。これは政治家にとって致命的だ。ブルックスは、このゴシップ満載の人気タブロイド 紙を活用して、とんでもない権力を握っていたという。「現首相/前首相とも仲良しで、事実上、彼女がイギリスを動かしていたようなものだ」という人もいるほどだ。

さて、ニューズウィーク誌(日本語版7月20日号)は、このマードック関連記事を掲載する一方で、日本社会における第4の権力(メディア)のあり方を痛烈に批判している。暗に、日本のメディアもマードックと同じ穴のむじなだと言っているようなものだ。最近、まれに見るヒット記事である。同誌いわく、「権力を監視し、政策や国家中枢の動向を国民に分かりやすく伝える事が、“第4の権力”であるメディアの役割。しかし、 この国のメディアは、その本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあげつらってヒステリッ クなバッシング報道を展開する。・・・政治の本質的な問題がメディアから伝えられる事はほとんどなかった。」

先日、私の大学の同級生で、東京電力に勤める友人がメディアの生贄になった。彼は二年前から、東大建築学 科の特任教授として建築設備の講義を行っていた。東京電力が寄付金を出し、出向のような形で特任教授として東大に籍を置き、学生の指導にあたっていたの だ。東大で博士号を取得している彼の研究テーマは、いかにして省エネ効果の高い建築設備を実現するかだ。専門は建築の電気設備であり、原子力発電とは関係 がない。

ところが、先日、原発問題を追及する某週刊誌が、東京電力から東大に流れている寄付金の多さをスクープ記 事として掲載、東大原発研究者と東電の間の癒着問題として追及したのである。原子力を専門とする大学教授と電力会社が仲間内の関係である事は、テレビの原 発解説を見ていれば誰の目にも明らかだった。しかし、この関係をお金という切り口でスクープするのはいかにも週刊誌的でセンセーショナルだ。

そして、その週刊誌に掲載された顔写真は、原発とは無関係な省エネ建築設備の専門家である私の友人の写真 だった。東電社員の身分で、東大の特任教授という微妙な立場が餌食になったわけだ。結果?・・・ご想像の通り、メディアに睨まれた組織は東大であれ、東電 であれ、尻尾を切っておしまい。メディアに本質的な論議を挑むものなどはいない。

2011年7月 あきらめない力

久しぶりに“ネバーギブアップ”の精神を思い知らされた。今、こう言えば、もちろん、なでしこジャパンの事だ。しかし、その一週間前にも、この精神を思い出させてくれた青年がいた。全英オープン初日に見せた石川遼選手のプレーだ。

いつ見ても、彼のプレーには 頭が下がる。ボールを飛ばすとか、プレーの歯切れがよいとかではない。決してあきらめない姿勢がプレーからにじみ出ている。今年、彼はフォーム修正を試み たという。先日見たゴルフ雑誌の写真によると、かなりバックスイングの角度が昨年とは違っている。素人目に見ても、修正後の方がよさそうだ。しかし、実践 では何かがかみ合わずにボールを引っかけていた。悪い事に、引っかけを避けようとすると右に曲がる。日本で2試合連続予選落ちという最悪の状態のまま、全英オープンに臨んでいた。どれだけ不安でいたことか、その心情は痛いほど分かった。

全英オープンではドライバー はよかったものの、アイアンは案の定、最悪だった。なかなかグリーンに乗らない。初日前半だけで、スコアはどんどん悪くなっていった。普通であれば、いつ 心が折れてもおかしくない状態だった。しかし、後半は耐えに耐えた。誰の目にも最悪のショットだったのだが、グリーンまわりで決してあきらめずにパーを拾 いまくった。“どうして、ここまであきらめずに頑張れるのか?”本当にそう思った。

残念ながら二日目には力尽 き、予選通過ならなかった。しかし、その後の青木選手とのインタビューで見せた、涙ぐんだ姿には正直驚いた。恐らく、“もっと出来たはずなのに、あきらめ ずに最後まで頑張りきれなかった”自分がふがいなかったのだろう。・・・そう、彼は本当にあきらめていなかったのだ。

なでしこジャパンの優勝決定戦の延長戦でアメリカが最初にゴールしたとき、私は正直、“力つきたか”と思ってしまった。しかし、その後の展開を見ると、おそらく彼女らの心の中には、まったくもって、そんな気持ちは微塵もなかったに違いない。

あきらめずに頑張る心の強さの裏に見たもの・・・一つは、石川選手の涙ぐむ姿に見た、それまでの辛い努力とまだ駄目だと言う自分のふがいなさへの厳しさ。もう一つは、PKの前のなでしこの明るさに見た、ここまでやったのだから、後は神頼みという楽天性。結果は両極端だったが、石川選手が本当にここまでやりきったと思ったとき、メジャーの最終ホールで微笑んでティーグラウンドに立つに違いない。そして、それは決して遠くないと思った。

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