過去のひと言


2009年9月 政権交代とバランス

ついに政権交代となりました。

し かし最近のマスコミ報道を見ていると、小沢幹事長では権力の二重構造やら何やらと、やたらと斜に構えた報道が多いのには驚きます。圧倒的多数で民主党が選 ばれたというのに、少なくともマスコミ報道においては、民主党圧倒勝利の翌日から、期待よりも批判の方が多いようです。自民党の時には民主待望論、民主党 が勝つと民主批判。良いか悪いかは別として、マスメディアの権力に対する批判精神は概ね健在なようです。

マ スコミ報道は“中立”であるべきなどと言いますが、もちろん、そもそも、“中立的立場”などというものはあり得ません。社会学的にいえば、すべての人間は 自らの立場性(イデオロギー)から逃れられないわけで、マスメディアも例外ではありません。正確には、マスコミ報道は権力と対峙することにより“バラン ス”を保つべきと言うところなのでしょう。

こ れは会社経営についてもあてはまることだと思います。会社経営は時代の変化に応じて、右に舵をとったり、左に舵をとったりしながら、“バランス”を取るよ うなものです。つまり、右に舵を取るのがつねに良いこととは言えず、左に舵を取るのがつねに良いこととも言えません。むろん、つねに中庸を心がけるのは愚 の骨頂。そもそも何が中庸なのかすら分かりません。

以 前、「会社の事業部門制を推し進め、持ち株会社と複数の事業会社による分割統治を目指すのが良いか、あるいは、今の事業部門制をもっと統合し、統合経営を 目指すべきか」というご相談を受けた事もあります。答えは、「時代環境によって異なる。ただし、つねに前者が良いとは言えず、逆もまた真なり。大切なの は、変化に対応して、前者へ、または、後者へ、つねに舵を切りやすい状況を保持しておく」という事でしょう。極論すれば、分割統治は損を出さないようにす る場合に好都合、つまり、厳しい環境に強く、統合経営は拡大施策の推進に好都合、つまり、好景気に向いています。

バランスとは「両極端への行ったり来たり」というのは言いすぎでしょうか。

2009年8月No.2 自民党マニフェストを考える

自民党のマニフェスト、これはひどい。ただし、私の専門分野である“ロジカル・コミュニケーション”の観点からの話です。ともかく、読み手に読んでもらいたい、理解してもらいたいという意欲をまったく感じません。

ちなみにそのマニフェストはこう始まっています。(第1章:安心な国民生活の構築、第1項:国民の安心・安全のための社会保障制度の確立)

「年金、医療、介護等の社会保障制度について、・・・暮らしの安心を支えるセーフティネットとしての機能を果たし、将来にわたって国民にとって安心、信頼できるものとなるよう、社会保障制度の一体見直しを進める(①)。 社会保障番号・カードを2011年度中を目途に導入し(②)、・・・社会保障サービスの信頼性と透明性を向上させる。 また、社会保障制度を真の国民の立場に立って検討をする場として「社会保障制度改革国民会議(仮称)」の設置に向けた法整備を進める(③)。」

  • ①の文章を読んで、“一体見直し”が何を意味するのか、自民党が具体的に何をやろうとしているのか、分かる人が何人いるのでしょうか。私にはまったく分かりません。
  • ②は、具体論が表現されている数少ない箇所の一つです。しかし、2011年度を目途に導入となっています。この“目途に”は何を意味するのでしょうか?なぜ2011年度に導入となっていないのでしょうか?出来なかったときの言い訳なのでしょうか?
  • ③は典型的な官僚文章です。もう一度読んでみてください。具体的に約束しているのは、社会保障制度改革の中身ではなく、改革を検討する会議の設置です。しかも、よく読むと、会議の設置を約束しているのではなく、会議の設置に向けた法整備を約束しているのです。勿論、いつまでにやるとはどこにも書いていません。

この調子で、ほとんど意味のない抽象論が延々と10 数ページ続くのですから、これは拷問です。自民党のマニフェスト執筆ご担当の方、是非これを英語に訳し、HP上で公開してください。そうすればこのマニ フェストの曖昧さがすぐに分かるはずです。ご担当の方には、小著「オブジェクティブ&ゴール」(講談社)の購読を心からお勧めします。

ちなみに、自民党HPでは“マニフェスト”という表現は使わず、“自民党政策BANK”と称しています。確かにこれではマニフェストとは呼べないでしょう。自民党の中にも、そういう良心を持った人がいたということかもしれません。

2009年8月No.1 国際ビジネス大賞を審査して

先般、国際ビジネス大賞(International Business Awards)の最終審査員を頼まれ、その審査にあたりました。国際ビジネス大賞は、全米ビジネス大賞(American Business Awards)などを主催するスティービーアワードが、その国際版として2003年から始めたものです。スティービーアワードは、幾つものカテゴリーで優 秀企業を評価する、いわば、ビジネス界のアカデミー賞(“ニューヨークポスト、2005.4.27”)とでも言うべきコンテストです。本年度から日本事務 局を設け、最終審査員にも日本人を加え、日本企業の積極的な応募を働きかけています。 (http://stevieawards.jp/)

この賞の特徴は、多くのカテゴリーに分かれ、企業の著名度、大小、国籍、業種に関わらず、正当に評価され、受賞の可能性があるということでしょう。実際、私が担当した最終審査対象企業に関しては、その7割は私が初めて耳にする企業で、非先進国の企業が3割以上、中堅企業が半分近くという感じでした。

ち なみに、評価の過程で私がこれは素晴らしいと強く印象付けられた企業は、著名な大企業というよりも、むしろ、古いビジネス慣習の中で改革を試みる途上国の 企業や、思いつかないようなアイデアをビジネス化し、急成長を続けている中堅企業の方でした。今回、私は日本企業の評価には携わりませんでしたが、日本か らは株式会社コムセルと株式会社アイエフネットの2社が受賞したと聞いています。共に、それほど著名とはいえない中堅企業です。

ま た、評価を通じて感じたのは、この種の応募というのは、賞を取れたか取れなかったかという結果よりも、この応募プロセスそのものに意味があると言うことで す。応募に当たっては、短い文章で自社や自分をしっかりとアピールしなければなりません。何を目的とし、何を行い、どういう結果を生み出したか、そして、 なぜそれが賞を取るに相応しいと考えるか。この応募書類を作り上げるというプロセスそのものが、自分が目指してきたもの、そして、自分が成し遂げてきたこ とへの良い“振り返り”になるのです。

この賞は、企業としてのみならず、企業の一チームとしての応募も可能と聞いています。大企業、中堅・中小企業を問わず、ぜひチャレンジされてはいかがでしょうか。

2009年7月No.2 “卒業”、サイモン&ガーファンクル、そして、アメリカ

私が最も感動した映画といえば、間違いなく、“卒業”です。改めて見ると単純な映画ですが、私に初めてアメリカへのあこがれをもたらしてくれた映画です。今から40 年前、私が高校生の頃の話です。当時、博多に住んでいた私は、映画を見終わった翌日、天神にある日米文化センターに行き、米国大学の留学資料を山のように もらってきました。更に、当時数千円もした米国大学留学の本を通信販売で買い、20校近い大学にあてて奨学金の有無を問い合わせる手紙を書きまくりまし た。つい最近のように思い出します。

時が経つにつれて、米国大学留学の夢は夢のまま、いつの間にか日常の生活に埋もれていきました。しかし、心の中ではその夢が残っていたせいでしょう。社会人になって2年目、企業派遣の留学生として米国のビジネススクール(大学院)に留学するチャンスに恵まれました。映画“卒業”から10年経っていました。そして、これ以来、私の人生からアメリカという国は切り離せない存在になりました。

先日、最後の日本公演と言われる、サイモン&ガーファンクルの東京ドーム公演に行ってきました。生粋のニューヨーカーであり、小学校時代からの幼馴染みであり、解散と再結成を繰り返してきたサイモン&ガーファンクルも、もう65 歳だそうです。公演から帰ってすぐに、1967年のニューヨーク・コンサート、再結成時の1981年のセントラルパーク・コンサート、2003年の再々結 成時のオールドフレンズ・コンサートのCDやDVDをまとめて注文しました。“卒業”、そして、サイモン&ガーファンクル・・・私にとって、アメリカの、 そして、ニューヨークの象徴です。懐かしい曲を聴いているうちに、昔のチャレンジ精神がふつふつとよみがえってきました。

あなたの心に火をつけた映画や歌とはどんなものでしょうか?

2009年7月No.1 1Q84、そして、1984

村上春樹氏の『1Q84』(いちきゅうはちよん)が空前のベストセラーになっています。私も先日、読み終えました。小説の中では、この1Q84とは、1Q84年、すなわち、1984年のもう一つの世界を指しています。

なぜ1984年かと言えば、あの『動物農場』で有名な英国人作家、ジョージ・オーウェルの小説、『1984』をモチーフにしているからです。私自身はこの『1984』 を直接読んだ事はないのですが、1984年に訪れるであろう全体主義国家の恐怖を描いた近未来小説で(執筆は1948年)、『動物農場』と同様に、ディス トピア(反ユートピア)小説の代表作と言われているそうです。

さて、ジョージ・オーウェルは、近未来小説の形をとり、『1984』 の中で、全体主義の恐怖を警告しました。このことをモチーフに、村上春樹氏は、『1Q84』の中で、今度は近未来ではなく、近過去にあったかもしれないもう一つの世界を、ジョージ・オーウェルとは逆方向で描くことで、現代の(つまり、1984年から見ると未来の)恐怖を伝えようとしたようです。勝手な解釈 ですが、これから『1Q84』を読もうとする方は、こうしたことを念頭におくと面白いかもしれません。・・・えっ、村上春樹は何の恐怖を伝えようとした か?・・・それは皆さんが自分のハートで理解してください。ただ、個人的には、結末部分をもう少し詳しく書いていただきたかった。どちらかと言えば、『海辺のカフカ』の方がおもしろかったかな。(もちろん、素人感想です。)

私は、この本を読んで、自分の1984 年を振り返りました。31歳、務めていた日本の商社を辞め、米国系の経営コンサルティング会社に転職した年です。初めての転職でしたが、まったく何の不安 もありませんでした。後ろを振り向く余裕などなく、ただひたすら明日に向かって必死に仕事に取り組んでいた時代です。ちょうど、経営コンサルティングとい う職種がようやく日本のビジネス界に根を広げつつあった時代です。そして、ちょうどこの頃から日本はまっしぐらにバブル景気へと突入していきます。もしか すると、この時、多くの日本人が1Q84年にスリップしていたのかもしれません。

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