過去のひと言


2015年3月No.2 横浜マラソン完走と感想

2月22日の東京マラソンに続き 3月15日に行われた第一回横浜マラソンを走ってきた。記録は東京マラソンが3時間56分 横浜マラソンが3時間51分だった。3週間の間隔しかなかったものの 横浜は自分でも驚くほどしっかりと走れた。去年の東京マラソンで出した自己ベスト(3時間45分)には及ばなかったが 上出来だ。

私は今62歳だが マラソンというのは歳をとっても意外と記録が落ちないことに驚かされる。間違いなく体力・脚力は衰えているはずなのだが マラソンは体力半分・気力半分というところなのかもしれない。つまり 強い気持ちさえ持っていれば多少の体力低下は補えるようだ。実際のところ 私がマラソン大会に出る最大の理由はフルマラソンを走り切る気力がまだあるかどうかの確認をしておきたいからだ。

さて横浜マラソンの5キロ刻みの記録を見てみると 全区間通してすべてキロあたり6分以内で走っていた。40キロ以降もキロ6分かかっていない。いつもはどうしても最後の何キロかは6分を越してしまうのだが どうやら後半のスピードダウンを防ぐ技(気力?)が少しばかり身についてきた気がする。62歳にしてようやくだ。ちなみに3時間51分ということは 平均時速11キロでフルを走り切ったということだ。自分を誉めてあげたい。

横浜マラソンは全体としてとてもよく出来ていた。特にゴール2キロ手前からの横浜馬車道の大応援はあきらかに今迄に経験したことのない日本最高の応援だった。沿道の皆さん 本当に感謝です。

さて横浜マラソンの売りの一つはマラソンコースに首都高速湾岸線を10キロほど組み入れた点だ。高速道路を完全に封鎖してそこを走るのだから気分は最高。しかし やはり高速道路とは車のための道路で 人が走るためのものではないと改めて感じ入った。まず路面アスファルトの材質が普通の道路とはまったく違っていた。固いのだ。固すぎて走るのには向いていない。また これは首都圏独特なのかもしれないが 少なくともコース上の高速道路には平坦でまっすぐと言う所はほとんどなかった。まず常に微妙な上下の起伏があった。更に微妙に曲がりくねっていた。しかもゆるやかなカーブでも車のコーナーリングの安定性を高めるために道路に微妙な傾斜がつけられていた。

ホノルルマラソンでも高速道路上を走ったが 曲りくねったというイメージはほとんどなかった。日本の首都圏の高速道路作りとは大変なのだと改めて思ってしまった。

2015年3月 限りある地球環境のために

先日 このコラムで トヨタの燃料電池車の動きを称賛した。トヨタの“ミライ”は販売予約が好調のようで 生産台数は当初予定の3倍増にすることが決定したと言う。一方で 欧米の電気自動車メーカーの批判はすさまじい。批判の最大の根拠は 水素はあくまでも二次エネルギーであり その水素抽出に莫大なエネルギーがかかる。結局 トータルのエネルギー消費は電気自動車よりもかなり高くつくというものだ。その通りだと思う・・・今のところは。

燃料電池車の最大の魅力は脱炭素エネルギー つまり水素社会実現に向けての引き金を引いた点だ。口先だけで地球温暖化というよりも 最大の燃料消費の源である自動車燃料を水素にしてしまえ そうすれば議論は必然と水素をどうやって作るか運ぶかに向かうはずだという発想だ・・・素晴らしい。

逆に言えば 燃料電池車への批判は結局のところ水素社会実現の否定と言える。もちろん 水素は生産コストはかかるし 運送保管の管理やコストも大変なものになる。基本的に作りづらいし扱いづらい。それだったら他の選択肢の方が・・・。私に言わせれば 反対意見の多くは 新しい考えにはまず否定的に反応するというタイプの議論に見える。しかし今議論すべきは 現在 どのエネルギーが効率的かではなく どうすれば脱炭素エネルギーを実現できるかと言う点だ。燃料電池車や水素社会が今効率的かどうかではなく どうすれば効率的な水素の生産・運送・保管ができるかという点だ。

地球の命には限界はあるし 自然環境にも限界はある。いつかは分からないが いつか地球上の生命は滅びる。このまま炭素を燃やし続けて温暖化を引き起こせば 我々の文明は 地球環境はいったいいつまで生き残れるのだろうか。あと数百年 数千年 数万年・・・今世界で起きている異常気象を目にすれば 私たちは既にそうした問題に直面しているように思えてならない。

トヨタの特許公開の動きを受け 真っ先に対応したのは東京都に見えた。東京都は新たに400億円の基金を設け オリンピックまでに水素社会のモデルケース作りをしようとしている。「水素社会の実現に向けた東京戦略会議」なるものを立ち上げ これをオリンピックと合わせた車の両輪にしようと考えているらしい。舛添知事にしてはなかなかの目の付け所だと思う。

ちなみに水素抽出にはいろんな方法があるらしい。例えば 風力発電を利用して海水を電気分解してナトリウムを抽出し 後はナトリウムを輸送保管し 消費地の近くで水をかければ水素の出来上がりだ。現実にはとても困難なプロセスであることは分かるが 5年あればもしかすれば簡単なデモプラントくらいできるかもしれない。

一方 日本国政府はいかがだろうか。もちろん 政府も燃料電池車の購入助成金や水素ステーション設置助成金などを準備している。しかし もっと広い視点で水素社会実現に向けての政府投資を考えてもよいのではないだろうか。はっきり言って 安倍総理がなぜこれを第三の矢の中核として位置づけようとしないのか不思議でしようがない。安倍さん 水素社会実現を第三の矢の中心に据えなさい。今からでも遅くはない。いや今だからこそぜひ。

2015年2月その2 行政改革の火

一か月ほど前のテレビ番組(確か BS朝日の「昭和偉人伝」の再放送)で 土光敏夫の特集があった。中でも 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政委員会(土光臨調)の話には改めて見入ってしまった。「増税なき財政再建」を旗印にした土光臨調は1981年から1983年の話しなので 既に30年以上前のこと。当時あまりのインパクトだったので 土光臨調がわずか3年そこらの出来事だったと知り 改めてその濃密さに驚いている。テレビを見ていると 会長就任当時まだお元気だった土光さんが3年後の最終答申の時には車いす状態になっている。本当に頭が下がる思いだ。

テレビでは土光臨調のメンバーの一人 ウシオ電機の牛尾会長がこう言っていた。「今の日本があるのは 7割がた 土光さんのおかげだ。」テレビを見ていて私も本当にそうだと思った。何しろ 電電公社(NTTグループ) 国鉄(JRグループ) 日本専売公社(日本たばこ産業)の三公社の民営化はすべてが土光臨調の提案から始まったのだ。今もしも これら企業が公社のままで存在していたとしたら・・・考えるだけでも身の毛のよだつ思いがする。本当に心から「土光さんありがとう」と言いたい。もちろん 土光臨調の設立を画策し 支え 民営化を実現した中曽根元総理もよくやったと言いたい。

さて 80年代の土光臨調・中曽根内閣の三公社民営化の後に続いた行政改革と言えば 未だ記憶に新しい2000年代 小泉内閣による郵政民営化だ。そして今年 安倍内閣による農協改革への着手が始まった。

先日 全国農業協同組合中央会(JA全中)が政府・自民党の農協改革案を受け入れると表明した。これにより JA全中の持つ地域農協に対する監査権限は廃止されることになる。というか こんな権限を全中が持っていたなどびっくり仰天だ。これでまともな農政改革などできるわけがない。望むらくは この農協改革により地域農協が経営の自由度を高め 農業の競争力を高める取り組みに力を注ぐようになることだ。もちろん JA全中が農協の代表・調整機能を持つことなどが認められるなど JA全中の実質的な影響力が保持される可能性も残されている。気がかりな点も多いし 妥協の産物との批判も多い。

おりしも先月末 ヤマト運輸のメール便廃止に関する憤りの記者会見があった。いわゆる親書(手紙)の定義と親書の取り扱い認可に関する 誰が聞いても不可解な行政問題に端を発した出来事だ。結局のところ 郵政民営化と言いながらも 郵便行政(旧郵政省・郵政族)の抵抗は未だに根強く続いているのだ。

三公社民営化から30年 おそらくは郵政民営化の価値が本物になるにはまだ10年以上かかるだろう。農協改革もしかり。これからが勝負だ。しかし少なくともJA全中の政府・税金依存圧力は今までのようには行かないだろう。久しぶりに がんばれ安倍さんと言いたい。

2015年2月 イスラムの指導者へ “ケンジ基金”の提案

とても理解できない。いったい後藤さんを殺害してISISに何のメリットがあったというのか?後藤さん殺害報道の前の事だが テレビのコメンテーターの中には 日本を巻き込むことでのISISの存在感を誇示できた。これによりアラブ諸国の同調者から莫大な寄付を募ることができると言っていた人がいた。しかし 本当にこの結末がISISの資金力強化につながるというのだろうか?

ISISはかなり周到な準備をして戦略的な広報活動をしていると言っていた人 いや未だにそう言っている人がいる。素人の私にはとてもそうは思えない。そもそも 人質の解放条件を途中から180度変えるなどとても考え抜かれた戦略には見えない。しかも日本の人質をとって ヨルダンを交渉相手に引きずり込むなどあまりにも場当たり的ではないか。サジダ・リシャウィ死刑囚との交換条件を出せば ヨルダン側が捕虜パイロットの話を持ち出すなど当たり前だ。パイロット生存の証拠も示せないのにリシャウィ死刑囚を解放させるなどあり得ない。私に言わせれば ISISはまったく勝算も戦略もなく しかも誰にとっても価値のない人質殺害をやってしまった。

ただ一つ今回の人質殺害に彼らなりの成果があったとすれば ISISの狂気を全世界に印象づけたことくらいだ。しかし それすら世界中の多くの人にとって ISISの狂気ではなく イスラムの狂気と受け止められただろう。パリのテロでは 下品なジョークでムハンマドを侮辱したというイスラム共通の怒りもあったかもしれない。しかし 今回殺害された後藤さんは日本のそして世界の良心ともいえるジャーナリストだった。ISISはその良心を抹殺したのだ。

純粋なイスラム教徒たちは今回の事件の大きな犠牲者だ。これはシーア派対スンニ派の問題ではない。スンニ派たるISISは同じくスンニ派の部族に対してすら虐殺を続けている。私は 世界のイスラム教の指導者たちがシーア派もスンニ派も まずは一致団結し 今回の事件に対しイスラムの立場・イスラムの精神を明快に公に述べる必要があると思う。ISISという狂気の排除を徹底的に追求し 真のイスラム教の精神を取り戻すべきだ。

ISISを異端と考えるイスラムの指導者たちよ あるいは 日本在住のイスラムの指導者たちよ たとえば あなた方イスラムの主導で 「ケンジ基金」を作り 全世界に募金を募るなどしてはどうだろうか。この基金を後藤さんの幼い子供たちの将来に使っていただき 少なくとも子供さんたちには異教への憎しみを持たないように育っていただきたいと思う。それが後藤さんの生き方でもあっただろうから。

2015年1月その2 トヨタへの提案

トヨタの「ミライ(燃料電池車)」には驚いた。まさかこんなに早く燃料電池車が登場するとは考えてもみなかった。ハイブリッドの次は100%EV 燃料電池車はその次だろう。あと20年くらい先の話しかなと漠然と思っていたからだ。これで私の次の車は燃料電池車で決まりだ。

更に トヨタの燃料電池車に関する特許無料公開のニュースには感激した。さすがトヨタ。やるではないか。実はこのニュースを耳にして 私がかつて携わったECR(Efficient Consumer Response)の事を思い出した。

ECRとは1988年以降 米国のグローサリー(日用雑貨)業界で繰り広げられた業界ぐるみの流通効率化運動のことだ。もともとは米国最大の消費財メーカーであるP&G(プロクター・アンド・ギャンブル社)と米国最大の小売りチェーンであるウォルマートが手を組んで開発した物流効率化が発端になっている。それ以前 米国のグローサリー業界では メーカーと小売りは敵対的な関係にあった。メーカーは出来るだけ多く売りつけようとし 小売りは出来るだけ安く買いたたこうとしていた。P&Gとウォルマートが共同で何かをやるなどあり得ない状況だった。

劣悪な関係を何とかしたいと考えていた両社のトップは極秘プロジェクトを組み まずは物流の改善から取り組むことにした。それまでは ウォルマートが自社倉庫の在庫状況を見てP&Gに商品を発注し P&Gがメーカー倉庫からウォルマート倉庫に配送し ウォルマートが自社倉庫から店舗に配送するという仕組みだった。問題はこの過程に存在する流通在庫を如何にして削減するかである。

結論から言えば 発注の8割を占める補充商品に関しては 購入者であるウォルマートではなく 納入者であるP&Gが発注と納入を管理することになった。つまり 売り手のP&Gが買い手が購入する商品・数量・配送時期を決定するのだ。発想の転換だ。これを可能にしたのが 当時最先端だった 衛星を経由した販売・発注・配送・在庫データの共有だった。冷静に考えてみれば 補充品の管理ならば 何十万品目を扱うウォルマートがやるよりは 千品目を扱うP&Gがやる方がよほど効率的だし間違いもない。もちろんデータを共有しているのだから P&G側で悪いことをしてもすぐに分かる。

結果として 流通在庫・物流コストが30~40%削減しウォルマートと競合する小売りは大慌てすることになる。もちろん ウォルマートは他メーカーにも同様のやり方をやってほしいし P&Gも他小売りに同じサービスを提供したい。というわけで このやり方のすべてのノウハウを業界に提供し 業界を挙げて更なる効率化運動に取り組むことになった。具体的には P&Gとウォルマートが主導でECR委員会を主宰し 来る者拒まずで改善アイデアを出しあうことになったのだ。

トヨタさんに一言提案するとすれば 特許公開だけではまだ不十分ということだ。ここまで覚悟したのならばもう一歩進めるのがよい。ぜひ世界規模の燃料電池開発運動を展開し 特許の裏にあるすべての思想やノウハウを共有するようにすることを進めてほしい。そうすれば トヨタが今迄気づかなかった更なるアイデアが生まれてくるに違いない。この辺は小著「P&Gに見るECR革命」(ダイヤモンド社 中国語・韓国語訳あり)に詳しいので ぜひご一読あれ。

2015年1月 職人技

年賀状の宛名書きは随分前から万年筆で書くようにしている。もっと以前は毛筆で書いていた。しかし さすがにこれは手間がかかるためにギブアップした。その宛名書きや署名などの際に愛用しているのが 10数年前に購入したモンブランの万年筆(太字)である。使い始めの頃はインキが途切れたりして今ひとつだったが 最近ようやくペン先が私の書き方に馴染んできた。

万年筆はもう一本 中字のものを持っている。大橋堂の手作り万年筆だ。友人からギフトとして頂いたもので モンブランと同様に黒のオーソドックス型だ。太字は署名やら宛名書きなどいろいろ使う機会があるのだが 一般的な中字は実際にはあまり使う機会がない。どうしてもボールペンを使ってしまうからだ。宛名書きをしながら これからはもっと万年筆を使おうと考えた。

と思っていたところに和風総本家の年末再放送で 同じく手作りの中屋万年筆が紹介された。今持っているモンブランや大橋堂のものが黒のオーソドックス型なのに比べ 中屋のものは漆塗が基本で しかも色や塗りにかなりの種類がある。あまりの美しさに惹かれ先日注文を出した。モンブランは太字用、大橋堂のものはクリップつきのポータブル用、今回注文する中屋のものはクリップなしの卓上使用 一応無駄はしていないぞと自分を説得した。今 納品待ちだ。3ヶ月くらいかかるらしい。

職人技と聞くとどうも心惹かれてしまい 財布のひもが緩くなる。以前購入した職人もので言うと 諏訪田製作所のニッパー型爪切り。結構重宝している。倉田製作所の手作り毛抜き。一本一万円近くするが これは秀逸である。更には 製作工程の6割が手作業と言われるタレックスの偏光サングラス。これも職人技に入れてよいだろう。あまりの素晴らしさに 個人用だけで3本購入した。職人物の共通点は 皆 普段日常的に実際に使用しているものばかりという点だ。これこそが芸術作品の違いだ。職人は決して芸術家を気取らない。

私の仕事は経営者向けに経営アドバイスをするコンサルタントであり 企業向けに教育研修を提供するトレーナーである。経営コンサルタンティングでも教育研修でも 私はずっと以前から優れた職人になることを意識し目指してきた。

職人技とは手作り作業と言い換えることもできる。最高のものを目指せば どうしても機械化したり 他人任せの汎用化が難しくなる。職人技を続ける限りは大量注文には応じることは出来ない。昔 私が開発した企業向け教育研修を某研修会社とタイアップして展開したことがある。しかし人に頼るとどうしても質が落ちる。これは職人としてもっとも我慢ならないことだ。結局このタイアップ事業は私の方からお願いして解消してもらった。職人技は所詮ニッチ・ビジネスだ。しかし それでも 私は職人技を目指したい。職人技には百点はない。ベストはなく つねにベターがあるのみだ。そして つねに目指すべきものがあるということはとても幸せなことだと思う。

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