過去のひと言
2010年6月No.2 iPad恐るべし
iPad を実際に使ってみて1週間強経った。これはなかなか使える。仕事にはやはりラップトップが必要だが、家の中で寝そべって将棋ゲームをしたり、ちょっとネッ トで調べ物をしたり、本を読むには最高だ。また、ネットでほんのちょっとした調べものをする場合、今までパソコンでブラウザーを立ち上げるのに1分以上か かったことを考えると、この素早さはすごい。
特に新聞を読むのに老眼鏡が必要な歳になると、文字の拡大機能は実にありがたい。はっきり言って、新聞はiPad で読む方がよい気さえしている。今定期購読中の雑誌も含め、iPad版が登場したら、ぜひ切り替えを検討したいと思う。単純に紙をデジタルに置き換えただ けのものを読んでもそう思うのだから、iPadを前提に編集したものが出ると、少なくとも新聞・雑誌に関しては、紙はとても太刀打ちできないだろう。要 は、ハリーポッターに出てくるような写真が動く新聞になるのだろう。実にわくわくしてしまう。あと10年もしないうちに、昔は、新聞は紙で読んでいたのだ よと孫に話す時代が来るに違いない。
本に関しては、まだ、ちゃんとした本をiPad で読んでいないので何とも言い難い。しかし、文字の拡大機能や物理的に場所をとらない点だけをとってみても素晴らしい。私の場合、仕事柄、月に数冊、英語 原書をアマゾン・ドット・コムで購入し読んでいる。本代は安いのだが、運送費が高くつく。結局、一冊だけの購入では運送費がもったいないので、あまり読ま なさそうな本もついでに購入してしまう。最近出た本はキンドル版で売っているものもかなり多くなったし、無料ソフトをインストールすればキンドル版の本も iPadで読めるので、これはありがたい。おそらく、今後、原書購入に支払う運送費は半額になるだろう。
ただし、本は、新聞・雑誌と比べれば、生き残るとは思う。本の持つあの厚み感、厚みがもたらす読書の達成感のようなものや、感覚的に確かこのあたりに記述していたというアバウトな検索感覚は実に捨て難い。もしかすると、パソコン/ワープロの反動として書道ブームが起こったように、電子書籍の反動として、紙の読書ブームが起こるかもしれない。
PC と比べて、iPadには物理的なキーボードがない。マーケティング上、iPadの最大の特徴を挙げるならば、私は、キーボードのないことと、文字の拡大表 示機能をあげたい。この二つの特徴は、老眼鏡の必要な高齢者世代、そして、キーボード・アレルギーの強いおばさん世代を、あっという間にデジタル時代に取 り込んでしまうだろう。新聞・雑誌・本の出版社は要注意だ。出版社の経営陣はすぐにiPadを購入し、その衝撃を身近で感じた方がよい。一言で電子書籍と 言っても、iPadとPCは別物である。とりわけ、裾野の広がりはまったく違う。
iPadの使い方を妻に説明したところ、PC嫌いの妻にまったく抵抗感がない。結局、妻用にもう一台注文する事にした。iPad恐るべし。
2010年6月 2つでいくか、3つでいくか
つい先ほど、ネットで注文していたiPad がついに届いた。Ipad(WiFi)は、16ギガ(48.800円)、32ギガ (58.800円)、64ギガ (68.800円)と容量により、3つのタイプを選ぶ事が出来る。プロに聞くと、価格の差は納得できる範囲で、動画などをよく見るのならば64ギガがお勧 め、そうでなければ16ギガで十分。32ギガは中途半端なのでお薦めしないという話だった。
で、結局、私は32ギガを購入した。なぜ?・・・プロならば目的に応じて必要なスペックを購入すればよいかもしれないが、私は素人だ。松竹梅から選べといわれれば、竹を選ぶのが人情だろう。分かってはいるが、これに抵抗するのは難しい。
プラスとマイナス、陰と陽、右と左、作用と反作用、長と半、アメリカとソ連・・・2という数字には対立概念の緊張感あふれるバランスを感じる。180度向かいあったリニアーな(直線的な)対立であり、やじろうべえのような危険がいっぱいのバランスだ。大きな緊張感は存在するが、危険いっぱいとも言える。
一方、3 という数字には、2にはない、柔らかな(平和な)バランスがある。2が直線的であるのに対し、3は最小のネットワーク単位だ。2には勝つか負けるかしかな いが、3には多数決という解決もある。しかし、バランス感はあるものの、2のような緊張感には欠ける。ある意味、妥協的バランスに陥るリスクもある。
こうして考えると、2 の戦略でいくのか、3の戦略で行くのか、これはとても興味深いテーマだ。2の戦略は単純で実行しやすいし、緊張感や高揚感を持たせることができる。しか し、バランスをとるのが難しい。3の戦略は複雑だが、上手く管理すれば非常にバランスのとれた固い成功をもたらす。しかし、気を抜くと、緊張感のないもた れあいに陥る。
例えば、自動車。今、フォードの乗用車カーライン(グループ・ブランド)は、ボルボを除けば、フォード、マーキュリー、リンカーンの3 つである。GMも、ビュイック、キャデラック、シェブロレーの3つである。一方で、トヨタは、トヨタとレクサスの2つだ。現在のフォード、GMがバランス 重視の固い戦略をとったのに対し、トヨタは高リスクの戦略に見える。実際、トヨタかレクサスかの二者択一的的戦略は、米国市場で大きな成功をもたらしたも のの、日本でのレクサスは大苦戦だ。危険に満ちたバランスである。
英国民は、保守党か労働党かの2つの戦略ではなく、自由民主党を加えて3つの戦略を選ん だ。日本では、民主党は社民党、国民新党の3つの連携内閣をとっていたが、2つにせざるを得ない状況になった。小沢派か反小沢派かという2つの発想は、緊 張感を盛り上げるのには役立つが、危険にあふれている。2つで行くか、3つで行くか・・・それが問題だ
2010年5月No.2 往復はがき
先日、将棋雑誌の問題回答を往復はがきで送った。往信のあて先は日本将棋連盟、返信のあて先は私自身である。投函して2 日もしないうちに、その往復はがきが切り離されないまま私の元に配達されてきた。「これはしまった。往信と返信を逆に書いてしまったか」と思い、じっくり とあて先を調べてみた。しかし、どうみても私の書き方に間違いはない。そもそも性格上、私はこういう凡ミスはほとんど犯さない人間である。
あ ろうことか、投函した往復はがきが間違えて返信のあて先に配達されたのである。とても信じられない。郵便局が往復はがきの往信と返信を間違えて配達したの だ。こんなこと、生まれて初めての経験である。官製の往復はがきは、往信面と返信面では印刷された切手の色を変えて間違いが起こらないようにしている。郵 便局で郵便物の仕分けをしているプロは今までに恐らく膨大な量の往復はがきの行き先を仕分けしてきたに違いない。そういう人がなぜこんなミスを起こすのだ ろうか?・・・もしかしたら、その仕分け人は前日、子どもが急病になり看病で寝不足だったのかもしれない。あるいは、当日の朝礼で、今年は不景気のために 給与はベアゼロだと申し渡されたのかもしれない。人生に苦労はつきもので、ミスはつきものである。
この話を妻にしたところ、彼女が言うに は、「それはひどい。でも、普通は、配達の人だって気づきそうなものよね。往復はがきを配達するのだから、配達人だって、どっちに配達するかあて先を チェックするでしょう。切り離されていない往復はがきを返信先の方に届けるなんて配達する人だったらすぐにおかしいと気づくはずだ。」・・・しかし、もし かすると、その配達人は前日、高齢の親が入院し、その世話で寝不足だったのかもしれない。あるいは、前日、財布を落とし、そのことで頭がいっぱいだったの かもしれない。
翌 日、その往復はがきを購入し、投函したポストがおいてあった某郵便局にその往復はがきを持っていった。「今後このような初歩的なミスは絶対に起こさないよ うに徹底して欲しいという」という心からの善意のご忠告と、無駄になった往復はがきを新しいものに代えてもらうためである。
た またま出てきた窓口のおばちゃんはひたすら申し訳ありませんでしたとの言葉。しかし次に、所定の用紙を私に渡し、住所氏名を記入してくれと言う。よく見な かったがどうも苦情表のようなものだった。誤配のはがきを渡しているのだから、それを書き写せばよいのにと思ったが、むかつく気持ちを抑え、民営化された とはいえ所詮はお役所仕事と割り切り、素直に応じることにした。そして、新しい往復はがきを下さいと言ったところ、な、な、なんと、「この消印は世田谷郵 便局の消印で、仕分け業務はそちらでやっており、実際のミスはそちらの責任になる。ここは投函されたはがきを世田谷郵便局に持っていくだけ。したがって、 そういう要望は世田谷郵便局に言っていただくしかない」との言葉。ちょっと待って。「何のために私はここで苦情表に氏名を書かされたのだ!」さすがの私も 堪忍袋が切れかけたところで、ただならぬ雰囲気を感じ取った若い女性がさっと出てきて、申し訳ありませんとすぐに代わりの往復はがきを持ってきた。
私は、その時初めて、その若い女性がい かにも正社員風で、それまで対応していたおばちゃんが契約社員風なことに気づいた。・・・そうか、もしかすると世田谷郵便局で郵便の仕分けをしていた方 も、配達をした方も契約社員だったのかもしれない。もしかすると、正社員と比べはるかに安い給料で、将来の不安で頭がいっぱいだったのかもしれない。
2010年5月 三次元時代の幕開け
先日、“アリス”の3次元映画を見に行っ た。もちろん、3次元のディズニー映画を見に行ったのであって、アリスを見たかったわけではない。アバター、そして、アリスと3次元の大型映画が続くと、 もう映画は3次元時代に突入したと言える。そして、テレビもあっと言う間に3次元が当たり前になりそうな感じだ。
「欲しいものを買う(・・・が欲しい!)」という考えは、際限がない、つまり、い つまで経っても満足の境地が得られない考え方だと少しだけ悟った私は、最近は、「必要なものを買う(・・・は必要だろうか?)」という考えに切り替えるよ うに心がけている。と言うわけで、必要を感じていないデジタル・テレビは最後の最後まで買わないことに決め、未だにアナログを見ている。とりわけ、価格引 下げスピードの激しい家電製品などは、必要がなければ、ある程度、待つ方がよい。
さて、デジタル・テレビを買い控えているうちに、3 次元テレビの登場である。これは待ったかいがあったかもしれない。今は、心から3次元テレビが馬鹿売れし、早くエクスペリエンス効果を出して欲しいと思っ ている。えっ。3次元テレビが必要か?・・・それは必要でしょう。デジタルの世界はすでにパソコンで経験済みなので必要は感じないが、やはり、3次元のゴ ルフ番組やサッカー番組は経験しないと駄目でしょう。
3次元と2次元の違い?それはもちろ ん、圧倒的な情報量の違いだ。1次元で伝える情報量が10だとすると、2次元で伝えられる情報量はその2乗、100。3次元だと3乗になるので、 1,000。この違いは大きい。例えば、プレゼン用のスライドを作る場合、スライドに文字を箇条書きするのと比べ、二次元のグラフで表現すると、2乗倍の 情報を伝える事ができる。更に、3次元の立体グラフで表現すると、元情報の3乗倍の情報を伝える事ができる。実際に、プロのコンサルタントのプレゼン・ス ライドはほとんどすべてのページが表やグラフの2次元情報で表現される。箇条書きのスライドなどは30枚のスライド・レポートに1枚あるかないかだ。
ただし、3次元となると伝える情報量が多くなる分、作り方が難しくなる。非常に頭のよいコンサルタントの友人が3次元のグラフをさらさら描いているのを見て驚いたことがある。私にはそんな芸当は無理だ。
話はもどって、先日、知り合いが2 次元のアバター(DVD)を借りて見たがそんなに面白いとは思わなかったと言っていた。同感です。アバターのすごいのは内容ではなく、3次元の編集技術。 映画で時々、めがねをずらして見ると、丁寧な編集に驚かされます。しかし、アバターの方がアリスよりはずっとましだ。アリスは、慣れるまでの最初の30分 間、かなり目が疲れた。特に字幕はしんどい。3次元効果を激しく使いすぎなのでしょう。(この点、テレビ場番組の3次元化にあたってはぜひ公のガイドライ ンで規制した方がよいと思う。)内容的にも、原作(不思議の国のアリス)のファンタジーな世界を期待している人には期待はずれ。想像力の湧かない戦いの映 画になってしまった。しかし、それにしても、アバターと言い、アリスと言い、タイタンの戦いと言い、3次元を売りにした映画はどれもこれも戦いだらけ。3 次元映画そのものは素晴らしいが、3次元映画の作り方という意味ではまだ先は長そうだ。
2010年4月N0.2 救世主兄弟
救世主兄弟・・・私はNHK スペシャルを見るまでまったく知りませんでした。一言で言うと、難病を抱えた子どもを救うために、同じ免疫機能を持つ新たな子ども体外受精で生むという現 実の話しです。テレビで紹介されたのは、治癒不可能な血液疾患を持つ子どもです。確か、治療には骨髄移植が必要なのだが、移植適合の割合は1万分の1とか で、現実的には、治療不可能な状態だったそうです。で、どうしたかと言うと、医師が提案したのは、その子どもと免疫機能が合致する子どもをもう一人生みな さいということです。つまり、体外受精で、受精卵の免疫パターンをすべて検査し、病気の子どもと同じ免疫パターンを有する受精卵のみを選んで、体に戻すと いう仕組みです。生まれてくる子どもは、病気の子どもとまったく同じ免疫パターンを持つことになるので、この二人の子どもの間では、骨髄移植のみならず、 すべての臓器の移植が可能になります。
救世主兄弟として生まれた子どもに、お姉さんのために、骨髄移植で骨髄細胞を提供してくれと言うのならまだ理解できるし、肝臓は再生機能があるのでその一部を提供してくれと言うのもまだ何とか理解できます。しかし、子どもに、腎臓は2 つあるので、その一つをお姉さんのために提供してくれというところまで来ると、大きな疑問を感じざるを得ません。すでに、世界には救世主兄弟が200人以 上生まれているそうです。英国ではこれが問題になり、血液関連の治療目的以外の救世主兄弟は法的に禁じられているそうです。ちなみに、アメリカでは何の法 的規制もありません。もちろん、日本にも何の規制も、何の議論もありません。
救世主兄弟・・・いったい誰が訳したのでしょうか?英語では、Savior Siblingと言うそうです。Siblingは兄弟。Saviorは“救助者、救い手、救済者、救い主”の意味で、“救世主”を指す場合もあります。しかし、アメリカで救世主と言えば普通はイエス・キリストを指しますから、Savior SiblingのSaviorが救世主を意図していたとはとても考えられません。死から復活(再生)したキリストは、兄弟の死を救うために人工的に生を受けたこの救世主兄弟の存在をどう思っているのでしょうか?
NHKスペシャルを見た後、私は自分の臓器移植カード(すべての臓器移植に印をつけています)を取り出し、自筆で“人工的な延命処置はいかなるものも禁じる”と書き込みました。週末は、久しぶりにツタヤで「私の中のあなた」を借りてこようかと思います。白血病の姉のドナーとして遺伝子操作で生まれてきた妹が、姉の犠牲となりつづけ、13歳の時、姉への腎臓移植を拒み、両親を相手に訴訟を起こすという2009年の映画(キャメロン・ディアス)です。原作が2004年というのには驚かされます
2010年4月 豚と再生医療
先月末、テレビをつけると、ちょうどNHK スペシャルの最中。一般の米国人を取材している場面で、何やら、事故で切断した中指に妖精の粉をかけると中指が生えてきて、まったく元通りになったという 話しです。今こまっているのは、爪が他の指よりも早く伸びることくらいだと言っています。・・・びっくりして見ていると、最先端の再生治療の話し。まだ実 験レベルらしいですが、米国の軍隊ではこの再生治療が最優先の課題で取り組まれているらしい。指を失った人や、脚の筋肉を失った人の回復事例が紹介されて いました。この妖精の粉というのは、豚の膀胱から作ったものだそうです。これを指の切断箇所などに振り掛けると、そこに患者体内の幹細胞が集まり、損傷箇 所の再生を始めるという夢のような本当の話です。
次々にまったく初耳の最先端事例が出てくるので驚いていると、今度は豚に人間の肝 臓を作らせるという話しです。もちろん、人間への移植用です。子豚の肝臓を切除し、そこに人間の幹細胞を移植すると、豚の体内で人間の肝臓が再生されると 言うのです。これは日本の自治医大で研究されている話し。すでにラット実験では実証済みのプロセスだそうで、5年以内に人間の肝臓再生に目途をつけたいというような話しをされていました。
ちなみに、豚の肝臓は人間の肝臓と大きさが近いので、この種の研究では豚が良く使 われるのは有名。つい先日、日本橋の豚肉専門レストランで食事したばかりなので、これからトンカツを食べるときには豚への感謝の気持ちを忘れないようにと 思い直しました。・・・しかし、よくよく考えてみると、これはすごいことです。子どもの時に自分の幹細胞を冷凍保存しておき(幹細胞は若い時のものの方が 効果が高い)、将来、新しい臓器が必要になったら、その時に、豚に協力をお願いすれば良いのです。豚か牛かは別にして、肝臓で可能になれば、腎臓だって、 あるいは心臓だって可能でしょう。将来、各家庭で、つねにスペア臓器用の豚が飼われているなどという未来もあり得ない話しではないのです。
しかし、ここまで来ると、若干、神の領域に足を踏み入れた気もします。臓器レベル であれば豚で済むかもしれませんが、人間の欲望は際限のないものです。思い浮かぶのは、映画「アイランド」で登場した、スペアとしてのクローン人間の世界 です。・・・そして、テレビは、この映画を思い起こさせる「救世主兄弟」の現実へと話しが進みます。難病を抱えた子どもを救うために、同じ免疫機能を持つ 新たな子ども体外受精で生むという現実の話しです。(続く)
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