過去のひと言


2012年12月その2 自民圧勝

衆議院総選挙が終わった。事前の予想通り、自民党が圧勝した。しかも自公で衆議院議員の2/3を超える結果になった。もちろん、喜ばしい側面もあるし、不安な側面もある。

私が思うに、自民党圧勝の最大のメリットは、ねじれ国会の消滅だ。参議院で否決された議案も、差し戻された後、衆議院の2/3以上の賛成で可決成立するので、これで、ねじれ国会の足かせはなくなった。良くも悪くも、これからは自公の決定がすべてとなるのだ。今後、ねじれ国会を、決められない政治の言い訳にすることはできない。

せっかくここまで圧勝したのだから、自民党には、将来の政治状況を考え、ぜひ、ねじれ国会状況を永遠になくすような改革に取り組んでもらいたい。つまり、二院制の改革だ。参議院を無くすのでもよいし、参議院の権限を縮小するでもよい。もちろん、これには憲法改正が必要になるので単純にはいかないだろうが、ここは、今の圧倒的多数状況を背景に、何とか、改革の総意を取り付けてほしいと思う。ちなみに、憲法改正には、両院それぞれで2/3以上の合意、さらには、国民投票が義務付けられている。憲法改正というと、皆、第2章9条(戦争放棄)ばかりを言うが、私に言わせれば、第4章(国会)の改正の方が最大の急務に思える。

“法案成立はすべて自公の思うままとなる”というと、自公の暴走が不安視されそうだが、この点、私はそれほど心配していない。一人の個人に権力が集中するわけではなく、あくまでも組織の話だからだ。個人的には、暴走への不安というよりも逆への不安の方が大きい。つまり、これだけ圧倒的多数を達成しながら、誰も、何も根本的な解決に着手しようとしないのではないかという不安だ。

今回の選挙結果報道を見て改めて感じたのは、自民党の世襲議員の多さだ。選挙前で自民党の4割が世襲議員と言われていたが、さらに増えているのではないだろうか。自民党の最近の総理を見ると、麻生さん、福田さん、安倍さん、小泉さんとすべて世襲議員。そもそも自民党の総裁選挙に手を挙げた、安倍さん、石破さん、石原さん、林さんはすべて世襲議員だ。別に世襲がすべて悪いとは言わないが、経済的に恵まれた環境で育ち、カバン(政治資金)、地盤(後援会組織)、看板(知名度)をまるごと引き継いで、世襲の何が悪いと言っているような人がどうやって庶民の苦しみを理解し、自分の人生をかけて改革にチャレンジしようとするのだろうか。

・・・そうだ。財政危機に陥ったギリシャは政治家の世襲で有名な国で、この無責任的世襲政治家制度が財政危機の根幹にあると言われていた。もしかして、日本も同じ道をたどるのだろうか?どうか、この不安が杞憂に終わりますように。

2012年12月 富士山マラソンと河口湖町の行方

11月25日に河口湖で行われた第一回富士山マラソンに出場した。記録は、3時間56分ちょっと。シーズン最初のマラソンにしては上出来だろう。

この富士山マラソンは、昨年まで河口湖マラソンと呼ばれていたもので、30数年の歴史があるリゾートマラソンだ。私自身、過去数回出場したことがある。オフィシャルな荷物預かりがなく、近隣の飲食店や民宿が総出で、荷物置き場・更衣所・お風呂を無料提供するという手作り感が特徴の雰囲気の良いマラソンだった。

ただし、スタート時間が8時と早いために、参加者のほとんどを占める関東からの参加者は前泊が前提となる。しかし、宿泊施設が限られているために、周辺の旅館はマラソン前夜の宿泊料金が軒並み倍になる。ごく普通の旅館で、この日は平均で一人2万5千円くらい。私のように夫婦で出かけると5万円の出費だ。需要と供給の関係と言われればやむを得ないが、これはボトルネックだ。参加者だけでなく、主催者にとってもボトルネックだった筈だ。

せっかく手作りの良さを感じるだけに、宿泊施設の分散化、宿泊施設とスタート地点の公共交通の完備、スタート地点の変更、もう一歩踏み込んだ温泉サービス、マラソン以降のシーズンオフの観光優待などなど、もうひと工夫すれば、河口湖観光の継続的なきっかけづくりになるだろうに、とてももったいないと感じていた。実際、来るたびに河口湖周辺はすたれていっているように見えた。

そして、そう感じていたのは私だけではなかったのだろう。その結果、今年は、名称が富士山マラソンに変わり、コースが変更になり、マラソン規模が参加者1万3千人から一挙に2万3千人となった。このマラソンを地域復活イベントとして徹底的に利用しようというすごい意気込みだった。その結果、この意気込みは見事な空振りに終わった。

そもそも、富士山を走らないのに富士山マラソンという名前には違和感を覚える。羊頭狗肉と言われても仕方がない。最大の問題は規模だ。昨年まで1万3千人規模で宿泊施設がパンク状態。結果として旅館に泊まる人は一泊2万5千円もださないと参加できない状況だったのに、2万3千人の参加を募るなど常識では考えられない。東京マラソンでさえ3万6千人の参加者で、この運営を支えるために1万人以上のボランティアが参加しているのだ。この2/3の規模のマラソンをあの狭い河口湖周辺で、しかも東京から電車で参加できない朝8時スタートで開催しようと言うのだ。どう考えても無理だろう。

結果?・・・宿泊設備を確保できなかった多くの人たちは、当然、唯一の交通手段であるマイカーで当日朝に行くしかない。その結果、当日、夜が明けるずっと前から河口湖インターの近くで全く動けない大渋滞が発生。運よく通り抜けた人たちは、今回初めて戦略提携した(恐らくは、前泊のマラソンランナーを遊園地に誘導するために提携した?)富士急ハイランド内のマラソン専用駐車場に誘導される。しかし、この駐車場、そもそも駐車可能台数が少ない上に、マラソンのスタート地点からかなりの距離がある。したがって、運よく駐車できた人も、ここからスタート地点まで大会シャトルバスで行くことになる。少なくともそのように誘導された。もちろん、その大会バスは一般道の渋滞で立ち往生。結果として5千人近い人がスタート可能時間に間に合わず走れなかったという。ネットでみると、当日参加者の場合、東京を夜1時に出発した人が何とかスタート5分前にスタート地点に到着したという状況だったらしい。これ以外にも運営にまつわる問題が多々あったが、あまりにも多いので割愛。

どう考えてももったいない話だ。河口湖マラソンが持っていたせっかくの手作りの良さが台無しになってしまった。おそらく、この富士山マラソンの企画には、東京から河口湖マラソンに出場した経験のある平均像的ランナーは一人も参加しなかったに違いない。参加者の気持ちを理解できない大会が上手く行くはずがない。

ことはマラソン大会にとどまらない。もし、河口湖の将来が同じような人たちにより、同じようなプロセスで計画されているとすれば・・・。観光客の気持ちを理解できない観光地に未来はない。河口湖の将来に責任のある人は、富士山マラソンの幻想に固執せず、もう一度ゼロからやり直した方が良い。

2012年11月その2 衆議院解散

先週の野田首相の解散宣言はなかなかのものだった。私は彼の発言を高く評価している。あれだけ消費税アップを貫いておきながら、その後、幹事長に言いたい放題にさせている様子を実は不思議に思っていた。消費税アップのときに見せた執念や小沢切りに見せた決断と比べ、最近の人任せ的な無責任姿勢にはあまりにもギャップがありすぎる。しかし、この方はやるときはやる人だった。ただの解散ではなく、定数削減の確約をテレビの前で言質にとったのだからしたたかだ。

今まで次の選挙で民主党に入れることはないだろうと思っていたが、あの発言を見て、もう一度民主党に入れてみようかと考え始めた。今、民主党は離党者続出の状況だが、どんどん離党者が出て、考えを同じにする者だけが残れば、ますます投票しやすくなる。

自民党?今の日本における政治と霞が関の癒着体質を作り出した自民党にはまだ投票する気はおきない。しかも、病気が理由で首相の座を辞した人がまた自ら立候補して首相の座に返り咲くなど、正直理解できない。いかに良い薬が処方可能になったといっても、首相はおそらくは日本でもっともストレスの大きな仕事だ。

維新の会?本音を言って維新の会には期待していた。橋下代表は独裁者だとか言われるが、私に言わせれば、独裁的な政治家の方が何もしない政治家よりもよほどましである。独裁政治は何かブレーキの仕組みを作れば活動に歯止めをかけることができる。しかし、何もしない政治家に何かをさせるような仕組みを作るのは無理だ。

ただし、今の状況では維新の会には投票しづらい。時々テレビで、維新の会のアドバイザー的に登場する元横浜市長や元宮崎県知事を見るたびに、そう思う。元横浜市長は大赤字の博覧会を途中で投げ出した悪名高い御仁だ。元宮崎県知事は営業マンとしては高く評価するが、いつの間にか新幹線開通は長崎に先を越されてしまった。この方を見るたびに知事の仕事とは何なのと考えさせられる。「独裁者=人の意見を聞かない人」ではない。できれば、橋下さんには人の意見や考えに耳を傾ける独裁者になってほしい。

あくまでも主観です。

2012年11月 大統領選挙と共和党

オバマ大統領が再選を決めた。マスコミ情報では接戦が報じられていたが、ふたを開けてみると圧勝だった。これは選挙日の前週にニューズ・ウィーク誌が予想した通りだった。

同紙によると、選挙前の接戦情報は窮地に陥った共和党が画策したものだという。接戦状況をでっちあげることにより、ロムニーの選挙運動に活を入れ、結果として接戦状況を現実のものにしようという戦術だったらしい。もちろん、マスコミとしては、オバマ優勢が続くよりも接戦のほうが話題性を呼ぶ。これは昔ながらの共和党のやり方で、共和党の活動家に染みついた体質だという。ジョージ・W・ブッシュ政権下、その側近がニューヨーク・タイムズ紙の記者に「現実を自らつくり出す。そして君たちがそれを仔細に検証しているうちに、われわれはまた別な現実をつくり出す」と語っている。(ニューズ・ウィーク日本版2012年11月7日号から)

しかし、選挙的には圧勝と言いながらも、投票者数ではわずかの差だったのも事実だ。私にも何人かの米国人の友人がいるが、皆、インテリで、民主党支持者ばかりだ。そのせいもあり、なぜ共和党を支持する人があれほどたくさんいるのか、私には正直よく理解できない。なぜ国民皆保険の医療制度に反対するのだろうか。

しかも、共和党の支持者には、どちらかと言えば、あまり裕福ではない、正直、医療保険の支払にも困ることのある白人が多い。いわゆる、プア・ホワイトと言われる人たちだ。今回、接戦州と言われた北東部はこう呼ばれる人たちが多く住む地域だ。カトリック系で信心深く、田舎に住む労働者で、あまり裕福でなく、学歴もそれほどではない。しかし、まじめに人生を送っている人たちだ。こういう人たちの多くは共和党支持で、しかも誰が大統領候補になっても共和党という頑なな人たちだ。しかもこうした共和党的な政治信条(小さな政府、安い税金、アメリカンドリーム万歳)は親から子へと引き継がれていく。

現実は作り出すものだと言い切る一部の権力者や超金持ちと、多くの恵まれないプア・ホワイトで成り立つ共和党。共通するのはとても頑固で強固な信条だ。共和党穏健派が徐々に姿を消していく中、共和党に潜む、アメリカの問題の根深さと危うさを感じた大統領選挙だった。がんばれ、オバマ! (・・・しかし、アメリカにはまだ応援したい政治家がいるのだから羨ましい。残念ながら、日本には頑張れと声をかけたい政治家など一人もいない。)

2012年10月その2 罰則と罰金

ある日、友人と一緒に食事をした時の話、いきなり、その友人が黄色の駐車違反ステッカーをテーブルの上に置き、ちょっと読んでみてくれないかと言う。彼によると、先月、駐車違反をし、ステッカーを車に貼られてしまったとのこと。しかし、そのステッカーの文言が実に分かりにくいというのだ。よく読むと、そのステッカーには駐車違反と大きく書いており、放置車両をすぐに移動させなさいとは書いているのだが、確かに、その後に具体的にどうすればよいのかは書かれていない。警察署に出向かねばならないのか、交番でよいのか、あるいは、車両を移動して後はじっと待っていれば何か言ってくるのか、まったくわからないのだ。

そのステッカーには担当の交番の電話番号が記してあるのだが、友人は交番に電話をする前に、まずはネットで調べてみることにした。これだけ分かりにくいステッカーなら、戸惑う人も多いはずだ。そして驚くべき事実を発見した。

どうやら駐車違反は数年前にシステムが変わったらしい。ネット情報によると、運転者が黄色のステッカーを持って交番に行くと、その場で違反切符を切られ罰金を支払うことになる。この時点で、運転免許の違反点数がマイナスされる。ところが、何もせずに待っていると、車の所有者に罰金を支払えと言う通知が送られてきて、所有者が罰金を支払うことになるという。罰金の金額は同じだ。それで終わり。つまり、駐車違反をした運転者には違反切符は切られず、違反点数のマイナスもない。結局、私の友人はネット情報に基づき、交番には行かなかった。後日、所有者として罰金を支払うことにはなったが、ゴールド免許はそのままだと喜んでいた。

この話を聞いて考えた。確かに、これではわざわざ出頭する正直者が損をするだけだ。しかし、現実問題として、取り締まる側としては、駐車違反をした運転者が誰かを特定するのは不可能だ。実際、「私は運転してなかった」という理由で罰金支払いを拒む人も多かったらしい。車の所有者に罰金を払わせるようにすれば、確実に請求書を送付することが出来るし、払わなければ次の車検に通らないわけだから、確実に払ってくれる。

私は今のシステムは実に画期的な発想の転換だと高く評価したい。要は、「罰則」重視の従来発想から、「罰金」重視の発想に切り替えたのだ。・・・素晴らしい。実に現実的でクリエイティブな発想ではないか。こういう発想のできる人が官僚の中にもいるのだ。

これでは駐車違反が増えるのではとの危惧もあるかも知れないが、そんなことはない。駐車違反をするほとんどの運転者がほんのちょっとの出来心なのだ。私の友人も駐車違反は十年ぶりだった。また、駐車違反を何度も繰り返す悪質車両は車両情報としてデータベースに残るわけだから、当然、そのような車両の運転者に対し別途の処置を施すことは可能だ。とは言え、多少の不公平が残るのは事実だから、違反ステッカーの文言も曖昧にならざるを得ない。まあ、これくらい許してあげようではないか。

2012年10月 日中問題考

先月末、台風の接近する中、やることもないので、テレビで日本女子オープン・ゴルフを見ていた。国内メジャーの難コースで、台風の強い風の中、優勝したのは、フォン・シャンシャンという中国人選手だった。2位は朴仁妃、3位は李知姫、ともに韓国人である。4位にようやく米ツアーで活躍中の宮里美香が入った。日中、日韓の領土問題が深刻な中、複雑な思いでこのゴルフを見ていた人も多かったのではないだろうか。実は私もその一人である。

私の中国への思いは複雑だ。私の会社の名前“隗コンサルティング”の“隗”はもちろん中国の逸話に登場する“郭隗”という人名からとったものだ。実在した人物かどうかは定かではない。ただし、“隗”という字はこの郭隗そのものを指しており、辞書を調べればわかるが、これ以外の意味はない。この社名からも推測いただけるように、私は昔、三国志関連の本を読み漁ったし、雄大な中国の歴史には今でも畏敬の念を抱いている。

しかし、中国には、24年前、北京とその近郊に数日間行ったことがあるだけだ。万里の長城や明の十三陵などの観光地を回ったほか、知り合いの紹介で、当時関心のあった東洋医学の病院めぐりをしたことを覚えている。歴史建造物であれ、東洋医学であれ、中国の持つ歴史の重みを感じるたびに日本の小ささを感じた。一方で、北京の現代生活にはわずか数日間の滞在でまったく馴染めそうもない雰囲気を味わった。具体的にものすごく嫌な経験をしたということはないのだが、なぜか、もう中国には来ないだろうという拒否反応に近い直感を抱いて今に至っている。

今回ばかりは、今の日中問題を見て、まったくもって具体的な解決案を示せない、解説者になりさがった政治家や学識者の批判をする気はあまり起きない。私自身、とても中短期の解決策が思いつかないからだ。冷静な対処が必要だとも思うし、もう少し国としての主張が必要なのではないかと思う時もある。

さて、冒頭の日本女子オープンの話だが、中国人選手が優勝した時点で、東京都知事的な複雑な思いを抱いていた私は、その優勝インタビューを聞いて本当に感動した。その時点で、日本ツアーで何度か優勝していた彼女は、とつとつと日本への感謝の言葉を述べ始めたのだ。日本ツアーでの経験を経て今の自分があるということを自分の言葉で語っていた。

考えてみれば、私の中にある中国は、悠久の歴史に対する畏敬の念と、現代中国に対する拒否感であり、ここに共通するのは親近感の欠如だ。たぶん、今の日中問題にはすぐに解決する妙案などはないだろう。しかし、スポーツなど様々な交流を通じていけばきっと理解しあえる日が来るに違いない。日中国交回復40年。つまり、まだわずか40年なのだ。国交回復は今始まったばかりではないか。

>> 過去のひと言一覧