過去のひと言
2024年1月 準備(と忍耐)
あけましておめでとうございます。 しかし 元旦の能登大地震 2日の羽田航空機事故と衝撃なニュースを目にすると 素直に「おめでとう」と言い難い気がする。とりわけ能登大地震の強風の中の火災をリアルタイムで目にしているときは神戸大地震のなすがないままの大火災を思い出さずにはいられなかった。
今日は4日夜 いろいろとその後のニュースを耳にすると 準備の大切さを改めて感じている。個人的には能登方面にはあまり馴染みがない。しかし ニュースによると 2007年の能登半島地震(M6.9)をはじめとして この地域は最近地震が繰り返し起きていたという。特に 2018年以降は頻発し 2022年にはM5.4の地震も起きるなど 大地震への警鐘が鳴らされていた。そこに今回のM7.6の大地震。ある意味 起こるべきして起きたと言えなくもない。だとすれば もう少しだけでも地震への準備ができなかったのだろうか。個人では無理にしても せめて自治体はもう少し準備はできなかったのだろうか。個人の準備を後押しすることはできなかったのだろうか。
一方で 羽田の事故。海保で5名もの死者が出たのは本当に残念至極。しかも能登地震の支援物資を送る救援機の事故と聞くと言葉も出ない。しかし あの燃え盛るJAL機を見ながら いったい乗客はどうなっているのかとじっと画面を見ていた時に 「乗客・乗員全員脱出」の言葉を聞いた時 本当に安どした。というか驚きだった。テレビを見る限り 着陸の際に発火後 すぐに火に覆われるような感じで1キロ滑走していき 止まった時にはすでに機体そのものからはっきりと見える火が上がっていた。それからおそらく20分も経たないうちに火だるまになっている。この間に全員脱出など本当にJALの普段からの準備の賜物と頭が下がる。
話は変わるが 箱根駅伝では大方の予想を覆して 青学が駒大に実力勝ちした。よくよく聞くと 完全制覇を狙って1万メートルのトラックから力を磨いてきた駒大に対し 青学は箱根に的を絞り 20キロのロードに絞って準備を重ねてきたという。ちなみに 出雲駅伝(駒大優勝)では 青学は5位。全日本大学駅伝(駒大優勝)では 青学は2位だった。考えてみると 出雲駅伝は6区(平均7.5キロ/区)全日本大学駅伝は8区(平均13.4キロ/区)に対して 箱根は10区(平均21.7キロ/区)。つまり 箱根では20キロ以上走れる選手を10人以上育成する必要がある。この3つの大会を同じやり方でチーム育成するのは 素人が考えても難しい。そこを割り切って 最初から箱根に焦点を絞って準備した原監督はさすがだと思う。
元旦から3日間 ずっと頭をよぎったのは「準備」の大切さだ。今年はこれで行きたいと思う。
蛇足ですが 年末から今に至るまで喉を痛め体調がすぐれない状態で 5割方寝正月。年末の紅白歌合戦もベッドでラジオを聴きながら 時々起きてテレビを見るという感じだった。というわけでフルにテレビ鑑賞したわけではないが 今年は過去数年で一番面白かった気がした。とくに私にとっては キャンディーズや薬師丸ひろ子さんの「セーラー服と機関銃」はまさにドンピシャの時代。また 有吉弘行さんが藤井フミヤさんにサポートされながら「白い雲のように」を歌う姿は泣けてきた。電波少年で脚光を浴び その後に続く不遇の時代。よくぞ耐えたと有吉君を心からほめてあげたいと思った。今年の目標に「準備」に「忍耐」を加えよう。
2024年2月 世界の10大リスク
1月半ば 地政学の権威 イアン・ブレマー氏が代表を務めるユーラシア・グループが 恒例の「世界の十大リスク2024」を発表した。
リスクNo.1 米国の敵は米国
リスクNo.2 瀬戸際に立つ中東
リスクNo.3 ウクライナ分割
リスクNo.4 AIのガバナンス欠如
リスクNo.5 ならず者国家の枢軸
リスクNo.6 回復しない中国
リスクNo.7 重要鉱物の争奪戦
リスクNo.8 インフレによる経済的逆風
リスクNo.9 エルニーニョ再来
リスクNo.10 分断化が進む米国でビジネス展開する企業リスク
リスクもどき:①米中危機 ②ポピュリストによる欧州政治の乗っ取り ③BRICS対G7
今年の報告書は 恐ろしい言葉で始まっている。いわく 「2024年。政治的にはヴォルデモートの年、恐怖の年、口にしてはならない年である。三つの戦争が世界情勢を左右する。ロシア対ウクライナは3年目、イスラエル対ハマスは3カ月目に入った。そして米国対米国の争いは、今にも勃発しそうだ。」 この3つの争い(米国内、中東、ウクライナ)がブレナーの挙げる3大リスクだ。
中でも最大リスクとして挙げられたのは米国内の争い。1月15日の米国大統領アイオワ党員集会ではトランプ氏が51%の得票を獲得した。50%を超えるかどうかが注目されていたが 結果としてこれを上回った。対トランプ候補として注目を浴びていたヘイリー氏は3位にとどまった。続く1月22日のニューハンプシャー予備選でもヘイリー氏に10ポイントの差をつけてトランプがトップを確保した。このまま行くと よほどのことがない限り今年もトランプ対バイデンになりそうだ。
トランプ氏にとってみれば 有罪か大統領かという瀬戸際の戦い。バイデン氏が勝てば就任時には82歳 任期終了時にはなんと86歳。ブレマー氏によれば 米国民の大多数が何れの候補者も望んでいない。そして この望まない二者択一の結果は 幾つかのスウィング州の何%かの有権者に握られている。日本が小選挙区制導入時に 見本とした米国の二大政党制は完全に機能不全に陥っている。しかも この機能不全の結果が世界の未来を左右するのだ。
リスクNo.2に挙げられた中東の争い。ブレマー氏がここで言及しているのは イスラエル対パレスチナにとどまらず ガザを超えた地域拡大への危惧だ。まずはイスラエルとヒズボラの紛争拡大。これはすなわち イスラエルを支持する米国とヒズボラを支持するイランの代理戦争だ。このことは米国対フーシ派にもあてはまる。米国は イランが武器供与する武装組織フーシ派の拠点に対しすでに攻撃を開始している。一方 フーシ派をはじめとする反イスラエル感情は中東全域に そして米国内にも広がりつつある。
リスクNo.3はウクライナ問題。ブレマー氏は 西側諸国の支援削減に伴い ゼレンスキー大統領がリスクの高い戦略をしかけるかもしれないと危惧する。最悪の場合 NATOも戦争に巻き込まれかねない。トランプ大統領が誕生すれば当然だが バイデン政権下でも議会が追加支援を渋る米国は欧州の信用を失う。米国とNATO間の溝は深まるかもしれないとブレマー氏は言う。
この報告書を読んで改めて感じたのは 世界はつながっているということだ。ブレマー氏の挙げたリスクはかなり直接的に相互に関連している。米国内の分裂はイスラエル中東問題と関連しているし ウクライナ・ロシア戦争とも綿密に関連している。これにガバナンスが追い付かないAI(テクノポーラ)の暴走を加えれば 何百本もの映画が出来上がるだろう。
さて この状況の中で 我々は何をなすべきか。ブレマー氏は報告書の最後をこう締めている。「今いるこの惑星でより良い仕事をすることに集中しよう」。・・・我々としては できることを正しくやるしかない。
2024年3月 S国際学園
私の下の孫娘は今 小学4年生。我が家の近所に住み 近くの区立小学校に通っている。ハワイ生まれのハーフで 日本に引っ越して2年以上経つ。英語塾で英語力の維持に努めているおかげもあり 何とかバイリンガルを維持している。
その母親 つまり私の娘が 英語塾から中学のパンフレットをもらってきた。中高一貫のサレジアン国際学園世田谷校。聞いたことのない名前だ。よく読むと 我が家から徒歩圏内にある目黒星美学園(世田谷)が2023年からサレジアンに改名したという。もともとカソリックの同じグループだが 思い切って日本の学校運営を統合・大改革することにしたらしい。女子校だったのを共学にしたうえで 名前が示すように国際教育に舵を切るらしい。
パンフレットを読むと 本科の他に インターナショナルクラスがあり そのインターナショナルクラスはレギュラーとアドバンスドの2グループで構成されている。レギュラーは日本人でグローバルを目指す人が対象。一方 アドバンスドは帰国子女が主な対象のようだ。アドバンスドのクラスでは英数理社は英語オンリーの授業(英米と同じ授業ということ)で その他は日本語という。つまりインターナショナルスクールとは違い バイリンガル育成を目指しているらしい。ただし ケンブリッジ国際校の認定を受けているので 学位はグローバルに通用する。
ちなみに日本にある大手の小中高一貫インターナショナルスクールはほとんどがケンブリッジ国際カリキュラムの認定を受けているし 大手は日本の文科省からも認定を受けているので 欧米や日本の高校卒業の資格が得られる。ただし 授業や学校の運営はすべて英語。父母への連絡も先生とのコミュニケーションもすべて英語だ。
サレジアンの学費は授業料他で年間100万円。お高めの気もするが 公立学校で塾にかかる費用を考えるとそれほどではないと言えるかもしれない。ちなみに いわゆる日本のインターナショナルスクールは年間250万円以上する。調布にあるASIJは300万円を超す。
サレジアンのパンフレットを読んで この学校が目指している国際教育に心から共感した。よくぞこういう学校ができたものだ。しかしなぜ今までこんな学校が日本になかったのだろうか。もしかして私が知らないだけだったのか。ともかく かなり時間がかかったものの 日本の教育もようやくここまで来た感じ。日本の将来も捨てたものではないと心から感じた。
さて サレジアンのインターナショナルクラス・アドバンスドへの入学には英検2級が必要とある。ほぼバイリンガルの孫娘にとって英検2級の難関はライティングと2次試験のQ&Aらしい。例えば「気候変動」に関してエッセイが求められたり 面接で自分の考えを説明する必要があるという。小学4年生にとってこれは厳しい。しかし英検2級が受かれば 後は入試というものはなく エッセイと面接だけらしい。考えてみれば日本の中学受験の塾通いと比べれば 実に有意義な受験準備ではないかと思えてくる。
そして先週 小4の孫娘が英検2級に合格したという連絡があった。この調子なら入学時に奨学金をもらえるのではないかと言ったところ 娘曰く 英語は問題ないけど算数が・・・と学校の算数のプリント答案を見せてくれた。うへっ! これではやはり算数の塾にも行く必要があるかも。教育は一筋縄ではいかない。
2024年4月 東京マラソン振り返り
先月 東京マラソンを走った。私にとっては9回目の東京マラソン出場だ。結果は4時間27分ちょうど。コロナ以降のベストタイムだったので まあ 満足しよう。東京マラソンは 2020と2021の二度 コロナのために中止。コロナ前 2019年春の東京マラソンまではずっと4時間を切って走っていたのだから 多少はコロナを言い訳にしてもいいかもしれない。いろんなところにコロナの影響は現れている。
さて結果を見ると 70~74歳のカテゴリーで440人中の86位。何とか上位20%に食い込んだ。この話をすると 皆一様に驚く。ただし驚くのは私の順位ではなく 440人という数字だ。70歳以上で考えると おそらくは6~700人は走っているだろう。これだけ多くの高齢者が42キロの距離を走るのだから驚くのも無理はない。私の場合 トイレ休憩の2分を含み キロ当たり6分20秒で42キロ走っていることになる。ジムでベルトの上を走ってみるとわかるが 結構きつい。自分をほめてあげよう。
今回 それなりのタイムで走れたのには理由が二つある。一つは途中で追いついた4時間30分のペースランナーにぴったりくっついて走ったこと。やはりペースランナーの存在は 少なくとも我々レベルにはありがたい。
もう一つの理由は事前にコースをみっちり研究したことだ。東京マラソンは2017年にコースが大きく変更になった。今まで有明に合ったゴールを皇居前に変更したのだ。これにより 蔵前橋から富岡八幡を往復するルートが追加された。他にもマイナーなルート変更があったが とくに辛いのは この蔵前橋を渡って富岡八幡を往復するルートだ。
これがちょうど20キロから28キロ。一番きつい距離にもかかわらず このルートには途中にある中間点を除き特徴がない。富岡八幡宮も奥まったところにあるので見えないし 途中の清澄公園も見えない。今回 69歳のランナーが観衆に手を振っているときに足をもつらせ転倒。打ち所が悪く死亡するという事故が発生した。これが起きたのが21キロ地点。この一番つらいルート上だった。
総合的にみて こうしたルート変更により 東京マラソンは走りやすい東京周遊コースになった。ただこれらの変更により ルートが若干複雑になり 走っているうちに場所感覚をつかみにくくなった。そこで 今回はルート図を事前に観察し 3キロごとにどこを走るか 何が目印かを頭に刻み込むことにした。これが効いた。やはりきつくなると あと少しという目印を持つのはとても重要だ。
参加者人数も増やしたせいだろうか スタートからゴールまで1メートル前には必ずランナーがいるという超混雑レースだった。感覚的にいえば ランナーの3割は外国人だ。スタートからゴールまで沿道の声援は全く途切れることがなかったし 外国人の派手な声援も目立っていた。文字通り 国際レースとしてほぼ完成した感はある。
さあ 次は4月21日予定の富士五湖ウルトラだ。参加予定の100キロの部は制限時間14時間。途中に6か所の時間制限の検問がある。朝5時にスタートすれば夜7時にゴール。3年前に事務局に問い合わせたところ 最高齢の時間内完走者は75歳だった。まだまだ行ける。東京マラソンに見習い 走る前にルートを頭に叩き込むつもりだ。しかし東京マラソンと違い 上り下りが激しい。平面図チェックだけではうまく行かないのがウルトラの難しい点だ。
2024年6月 GGOB
先日 ある知り合いの方が 私が20年前に出版した本『オブジェクティブ&ゴール』(講談社)を携え 某中堅企業の次期社長という方を連れてオフィスにやってきた。次期社長氏は社長就任を機会に新施策を考えていた。それは ある目標利益を達成したら 超過分の利益の半分は従業員に賞与還元するというものだった。
いろいろとご相談させていただくうちに どうも目指しているのはOBM (Open Book Management) のようなものだと思いあたった。そこで OBMの産みの親といわれる企業 米国ミズーリ州にあるSRC社のGGOB (Great Game of Business)手法を紹介させていただくことにした。ちなみに 日本ではOBMという呼称が有名だけれども SRC社ではGGOBという独自呼称を用いている。OBMといえば 「Open Book」の印象が強すぎるために 多くの人が「会社の財務・経営情報の詳細を従業員と共有することだ」と誤解している。この誤解を避けるため 同社ではOBMという言葉の使用を避けているのだ。GGOBの呼称はSRC社創立者Jack Stack氏が書いた世界のベストセラー 『The Great Game of Business』に由来している。
もう20年も前になるが 私は このGGOBの4日間ワークショップを受講するためにミズーリ州に足を運んだことがある。当時 この手法にえらく感銘を受け その内容の一部を紹介したのが 前述の小著『オブジェクティブ&ゴール』だった。この知り合いの訪問を契機に すっかり忘れかけていたGGOBが亡霊のように私の頭に甦ることになった。というわけでもう一度関連図書(もちろん英語の原本)を何冊も取り寄せ GGOBについて調べ物をすることになった。
さてGGOBのコンセプトを簡単に説明させてください。GGOBではまずコアとなるのが「設定目標の共有(Setting Critical Number)」。そして その共有目標を3つの共有プロセスで実現化するという手法を取る。具体的には ①「目標達成方法の共有:従業員の仕事と目標がどう関連するのかを教える(Know & teach the rules)」 ②「目標達成状況の共有:目標達成の状況を逐次開示する(Follow the actions & keep scores)」 ③「目標達成成果の共有:目標達成の成果を従業員と分かち合う(Provide stake in the outcome)」。
この考えは社会学の基本と合致している。すなわち「組織と集団の違いは目標の共有にある。目標の共有意識がなければそれは単なる集団であって組織とは呼べない。目標の共有意識が強ければ強いほど組織の力は強くなる。」また GGOBの教義にはこういう言葉もある。「People support what they help create.(人は自分が一緒になって作った目標に関しては その実現に力を尽くす。逆にいえば、単に他者から与えられた目標に関しては 実現の努力を期待するのは無理)」。
さて話を元に戻そう。次期社長氏は「目標利益を達成したら 超過分の利益の半分は従業員に賞与還元する」と言った。皆さんはこのやり方をどう思いますか?・・・確かにそれで従業員はハッピーだろう。しかし果たして従業員のやる気はアップするだろうか。残念ながら GGOB的にいえば 不十分と言わざるを得ない。
まずコアとなるべき目標が共有されていないのが最大のボトルネックだろう。この目標は社長が上から与えた目標ではだめなのだ。従業員が関与して納得して決めたものでなければならない。具体的にどうすればよいかというと プロジェクトチームを作って従業員主導で目標を設定させればよいのだ。ついでに超過目標のどれだけを社員と分かち合えばよいのかの決定も彼らに関与させたい。もちろん どうやればこの目標が達成できるのか あるいはどのようなやり方で社員と情報共有するのがよいか その他の目標共有プロセスについても逐次考え出さねばならない。GGOBというのは考え方はシンプルだが 実行には手間がかかる。いや正確には手間というよりも リーダーの覚悟が必要なのだ。
2024年7月 人生五十歩百歩
五十歩百歩
先日 仲間内でゴルフした時の話。多少の腕前の差はあるものの 「五十歩百歩」 だなという話になった。「目くそ鼻くそ」 「どんぐりの背比べ」 「似たり寄ったり」・・・この種の同義語はやたらと多い。しかし後でじっくりと考えてみたら かなり含蓄のある表現のような気がしてきた。
「五十歩も百歩もたいして変わらない。どちらも同じようなものだ」という意味で 通常は ある特定の事柄について用いる。たとえば ゴルフの飛距離に関して 「200ヤード飛ばそうが 210ヤード飛ばそうが 我々の腕では五十歩百歩だ」。あるいはゴルフのスコアに関して 「100も105も五十歩百歩だな」という具合だ。
しかし よくよく考えてみると 特定の事柄だけではなくて より広い視点で使うこともできるのではないかと思った。たとえば 「多少広い家に住んで贅沢していようが 狭い家でこじんまり暮らしていようが五十歩百歩。それは人生観の違い。私は狭い家で暮らしているが 私にはこういう趣味や生きがいがある。人生トータルで見ると五十歩百歩」という具合。つまり よほどの天才やエスタブリッシュメントは別かもしれないが ほとんどの一般市民にとって 異なる人生観で物事を見ると 目に見えるそれぞれの生き方の違いなどすべて五十歩百歩に見えてくる。
つまり どんな生き方をしようが100年経てば死ぬと考えると それぞれの目に見える生き方はほとんど「五十歩百歩」 「目くそ鼻くそ」と言えるかもしれない。なるほど そう考えると 少し優しい気持ちになる。「五十歩百歩」・・・私の人生観に加えよう。
二度あることは三度
さてそのゴルフでの出来事 友人が昼食後の後半ハーフ開始の際 時間ギリギリで悠然とティーグラウンドにやってきた。前が空いていたので他の三人は彼を飛ばして先に打った後 イラつきながら彼を待っていたのに。ちなみに ゴルフでは昼食後のスタートは 指定された予定時間よりは早くスタートできるのが普通だ。ゴルフをやっている人ならみんな知っている。しかも昼食時には 彼にくぎを刺すように お互いに早めに集まろうと話していたばかり。その舌の根が乾かないうち スタートギリギリにやってきたのだ。彼は時間ギリギリを繰り返す常習犯だった。
さて そのゴルフはセルフでプレーしていた。キャディさんがいないので プレー中はゴルフクラブの管理は自己責任だ。ところが プレー中 もう一人の友人がクラブを置き忘れてあわてて前のホールに取りに行くことがあった。しかも二度も。さらには ゴルフの後 私が送ってあげた車の中に 自分のスマホを置き忘れることも発生。どうやら一つのことに集中すると他のことが目に入らなくなる性格らしい。忘れ物魔だ。
もう一人のまともな友人曰く 「二度あることは三度ある。二人ともこの歳になると直らないな」。「二度あることは三度ある」か または「三度目の正直」 どちらが正解だろうかと思うときもあるが その友人が年齢を切り口にしたのは慧眼だったかもしれない。つまり 若い時は「三度目の正直」を期待できるかもしれない。二度失敗することはあるかもしれないが 意識し努力すれば三度目には失敗を克服できるだろう。したがって二度の失敗くらい多めに見るべきと言えるかもしれない。しかし 我々の歳になると 多くの場合「三度目の正直」は期待できない。やはり「二度あることは三度ある」だろう。
さて 遅めのご報告ですが 4月の富士五湖100キロマラソンでは 結局74キロ地点でギブアップ。走っているときに足がふらつくことが何度か続き 危険を感じてリタイア。後で考えると脱水症状だったらしい。後半 疲労で胃がむかつき 水以外はポカリも受け付けない状況になっていた。情報によると 水だけでは脱水症は防げず ミネラル分などの補充が必要らしい。
結局 今までの100キロマラソンを総括すると 3回完走した後 4回目はハムストリング痛のために72キロでリタイア 5回目の今年は脱水症のために74キロでリタイア。さて 次回は「二度あることは三度ある」か または「三度目の正直」となるか。どうもこれは私の若さを占うチャレンジとなりそうだ。
2024年8月 米国分断
トランプ候補は3月 米自動車産業について語った際 自分が大統領選で負ければ「国は血の海になる」と述べ 批判を呼んだ。バイデン大統領は8月7日に 「彼は本気で『自分が負ければ血の海になる』と言っている」と述べ 大統領選でトランプ前大統領が敗北した場合に平和的な政権移行が行われるという確信はないと語った。このニュースは広く報じられたが これがどのような意味を持つものか深く理解できなかった。
そして 8月13/14日 「NHKBS 世界のドキュメンタリー」を見てその意味を理解した。番組の日本語タイトルは「米議会襲撃が再び起きたら シミュレーション 緊迫の6時間」。英語の原題は「War Game」。
設定は2025年1月に予定される米国大統領の議会承認日。2期目を迎えるホーサム大統領(仮名)に僅差で負けたストリックランド候補(仮名)の支持者数千人が承認日に議事堂を襲撃するという内容。2021年に起きたトランプ元大統領呼びかけの議会襲撃事件が 今回はより組織だった形で計画的に行われるという設定になっていた。元州知事や大統領補佐官や軍関係者が大統領 官邸 軍トップなどの役割を演じ 経験豊富な元軍人がテロリストを演じる。シミュレーションは襲撃開始から6時間という時間を区切り すべてアドリブで進行する。大統領は6時間で全米に広がる事態を収束させることができるのか あるいは全米を二分した内戦状態を引き起こすのか。
この議会襲撃を裏で画策していたのは実は宗教法人の名の下に極秘裏に組織されていたプロのテロリスト集団。州兵の一部を仲間に引き込み 幾つかの州で反乱を主導する。アリゾナ州では議員が人質にとられ州議会が乗っ取られる。SNSで偽の情報を拡散させ いったい今実際に何が起きているのか 国民には分からない。当初の情報戦争では襲撃側が圧倒的な優位に立つ。
大統領官邸のポイントは 反乱法を発動し 連邦軍の力で連邦議会や州の暴動を鎮圧させるかだ。米国憲法では反乱法を発動しない限り 軍隊は米国民に銃を向けてはならない。テロリスト集団としては 大統領に反乱法を発動させ 連邦軍に先に自分たちに向けて発砲させるように仕向ける。「先に発砲した方が負け」という内乱の鉄則にのっとった戦法らしい。
結果としては 大統領は反乱法を発動せずに 州兵で混乱を鎮めるという判断を下し これが功を奏する。内戦(第二の南北戦争)を避けることができ 何とか最悪事態を脱出。めでたし めでたし。
しかし これはあくまでもシミュレーションの話。本当に州議会を乗っ取られたときに反乱法を発動せずに済むのか 誰にも分からない。しかも 現実問題として 州兵や軍部の数%には親トランプ派がいるという。ちなみにこのシミュレーションの詳細結果はバイデン大統領や現官邸に報告されている。おそらくは先のバイデン大統領のコメントはこうした背景を反映しているのだろう。「米国の分断状況を内戦前夜とみなすのはお門違い」と言い切れない怖さが本当にある。
もう一点 このシミュレーションを見て再認識したのがSNSの偽情報の怖さだ。偽情報は とりわけ問題発生の初期においては 先手が優位。後手に回ると防御(偽情報の修正)は難しい。シミュレーションではアカウント削除などにより偽情報の拡散が沈静化をみせる。しかし 現実に そんなにうまく行くだろうか。拡散が拡散を呼ぶのではないだろうか。これに海外の工作が加わると そら恐ろしい。と考えていたら 今日 テイラー・スイフトがトランプを支持しているという偽画像がトランプ候補から流された。・・・事実は想像を超えているらしい。
2024年9月 在宅勤務廃止とフリーアドレス廃止
在宅勤務廃止
9月18日の日経新聞朝刊でアマゾン社の特集記事が出た。見出しは「アマゾン 週5日出社義務」。アマゾンでは新型コロナの蔓延で事務系社員の大半に在宅勤務を認めたものの 23年5月には週3日出社を義務付けることにした。現状 多くの米国企業ではこの週3日出勤(それ以外は在宅勤務可)というのが一般的になっており 日本の大企業もほぼこれに倣っている。
アマゾンは この一見定着したかに見えた週3日出勤制をコロナ以前の週5日出勤に切り替えることを決定したのだ。全世界の社員に対し2025年1月から適用すると発表。ハイテク業界で先駆けての決定だ。理由として挙げているのは「強固な企業文化構築」。在宅勤務を続けていると 社員の当事者意識の強さや素早い意思決定 倹約と言ったアマゾンの企業文化の維持が難しいと判断したという。
以前 このコラムでも オンライン・ミーティングは 決まったことを伝達するだけならよいが 参加者間で共感を育成したり 実のあるミーティング成果を出すのは難しいと述べた。オンライン・ミーティング参加者の脳波測定から得られた検証結果によるものだ。当然 このオンラインの限界は アマゾンの言う「強固な企業文化」という観点でも同じだ。
面白いのは アマゾンのいう企業文化の維持は週3日の出社では無理だと判断した点だ。考え方が徹底している。米国では テスラのイーロン・マスクCEO オープンAIのサム・アルドマンCEO グーグルのエリック・シュミット元CEOなど 特にハイテク企業の経営者に在宅勤務に否定的な人が多い。在宅勤務禁止の動きはハイテク業界に波及するかもしれない。
フリーアドレス廃止
見出しにはなかったが この特集記事の中で特に私の目を引いたのが アマゾンの米国2本社(シアトルとアーリントン)でフリーアドレス(自由に勤務座席を選ぶシステム)を廃止し 固定座席に戻すと発表したことだ。強固な企業文化の確立を追求するならば この決定も当然だ。
私自身は幸いなことにフリーアドレスの経験はない。ただし 私が1980年代後半 米国系の経営コンサルティング会社に勤務していた時に 米国本社の一部支店の若手スタッフに対しフリーアドレスの採用が始まったのを覚えている(マネジャー以上は個室)。経営コンサルティングの場合 活動組織がプロジェクトごとに融通的に編成・変更されるので 組織ごとに机の場所を固定化する必然性はない。とりわけBPO(Business Process Outsourcing)的なプロジェクトを請け負い 主に顧客先で仕事をするような業務では固定座席の必要性は薄いだろう。
ところが 2000年代に入り 日本の一般企業で続々とフリーアドレスが採用され始めたのには驚いた。コンサルティングのようにプロジェクトごとに組織が編成・変更されるのではなく 活動する組織単位が固定化されている企業の話だ。ちょっと待ってくれ。組織単位というのは所属メンバーが目標を共有し 共同してその目標を達成するための集団の筈だ。せっかく組織がしっかりと構築されているのにその組織単位と無関係な形でフリーに座席を決めてよいというのだから 私には理解できない。
フリーアドレスにはもっともらしいメリットが挙げられるがはっきり言ってコストだろう。コストが許されるならば 組織単位で座席を固定し 組織を超えてコミュニケーション可能な場を別に設ければよいだけの話だ。もちろん アマゾンのような余裕のある会社はこれができるはず。アマゾンが強固な企業文化を目指すならば それは強固な組織づくりと同義語。その一歩としてフリーアドレス廃止にはもろ手を挙げて賛成したい。
在宅勤務を積極採用している企業の方 フリーアドレスを採用している企業の方 このアマゾンの組織作り(強固な企業文化構築)と回帰戦略の関係を再度考えなおした方がよいだろう。
2024年10月 3ボール2ストライク
英語で算数を勉強している中学生の孫を見ていて ふと思った。分数を表現するときに 日本では分母を先に 分子を後に呼ぶ。例えば 3/5は「5分の3」。英語ではこれが逆になる。例えば 3/5は「3 over 5」となる。よく考えると この違いは意味深だ。
そもそも 日本語では 下にあるのが「母」で上にあるのが「子」。誰がなぜ「分父」ではなく「分母」と名付けたのだろうか。中国語でも「分母」は「分母」と書くらしいのでこれは中国由来なのだろう。どういう道徳観/宗教観が反映されているのか不明だけれども 算数という論理の世界で「母」や「子」という親子関係(宗教観/道徳観)が反映されること自体がいかにもアジアっぽい。
それにしても なぜ日本語(中国語も同じ)では分母を分子より先に呼ぶのだろうか。母の方が大切だから?あるいは 分母となる全体の方が大切だから?しかし 分母という全体を重視すると 5/3などの仮分数が理解しづらい。もしかすると子が母を超えるという意味になるのだろうか。
英語では 分子は「numerator(あるいは単にtop)」と呼び 分母は「denominator(あるいはbottom)」と呼ぶ。「numerator」の動詞「numerate」 は単に「計算する」という意味で「numerator」には計算機という意味もある。「denominator」の動詞「denominate」は「名前を付ける/称する」という意味で 「denomination」と言えば 「命名/名称/派/階級/宗派」の意味がある。つまり 英語では 分母は単位を意味する固まりで 分子が計算の対象になるということだろう。なるほど。親子関係を持ち出す日本語や中国語よりも英語の方が分かりやすい。
英語では計算の主体である分子を先に呼ぶ。分母は分子を規定する単位の表現に過ぎないという原則に立てば やはりこの順序の方が分かりやすい。社会学流にいえば 「母ではなく子(個人)を重視」していると言えるかもしれない。ともかく分数全体に関して英語流の方が絶対に分かりやすい。
話は変わるが 日本の野球ではストライク・ボールのカウントをコールするときに 以前はストライクを先にコールしていた。たとえば「2ストライク3ボール」。ところが米国では当初からこれとは逆にボールを先にコールしていた。たとえば「3ボール2ストライク」。日本の野球が米国に準じてボールを先にコールすることになったのは2010年の話だ。
アメリカ野球の草創期は 打者が指定したゾーンに入った球だけがストライクと判定されたらしい。それ以外のボール球はすべて無視された。ボールに対してペナルティはなかった。つまり ボールの数をカウントする必要もなかった。しかし それでは時間がかかりすぎるので その後9ボール(今は4ボール)で一塁に歩けるようにした。ボール球に対し投手にペナルティをかけることになったのだ。この時に 投手へのペナルティを重視し 「外した球」を先にカウントするようになったという。そりゃ8ボールまで許されるなら まずはボールが今幾つ目なのかちゃんとコールしてもらわないと分からなくなるだろう。あくまでも打者視点なのだ。
日本でもアメリカから野球が伝わった頃は同じコール順だったらしい。ただし 本格的に日本で野球が普及し始めたときにはすでに4ボール制になっていた。これは推測だが 4ボールで一塁というように投手へのペナルティが厳しくなると コースに入った球を打てない打者へのペナルティをもっと明確にしようということでストライクを先にコールすることになったらしい。つまりアメリカ流が打者視点なのに対し 日本流は投手視点と言える。
しかし アメリカ流コールは野球がテレビで放映される前の大昔の話だ。テレビで放映される現在では ほとんどの場合 投手後方からの図柄で放映される。となると 視聴者はいやおうなしに投手視点になる。そういう視点でテレビを見ていると 打者視点でボールからコールされるのは実に分かりにくい。
打者視点でカウントする方が攻撃視点なので面白いという理屈は理解できる。ならば テレビの放映も打者視点での図柄にしてほしい。それはさすがにちょっと見づらいだろうから 現実にはキャッチャー視点ということになるだろうか。キャッチャーのヘルメットにカメラを装着して カメラの揺れをAIで調整すれば不可能ではない気がする。それだったら 「3ボール2ストライク」のコールも身に染みる。ぜひご検討いただきたい。
2024年11月 コンサート雑感
時間的にも 金銭的にも多少の余裕が出たおかげで 最近 演劇やコンサートによく出かけるようになった。正直 特にこれというこだわりはない。歌舞伎 文楽 演劇 ミュージカル オペラ バレエ 落語 講談など分野は問わない。その時々の気分と出し物で決めている。中でも 最近よく出かけるのはコンサートだ。とりわけ 年齢の高いアーティストを見に行くようにしている。引退するまでに一度は生で聴いておきたいと思うからだ。
2年前に引退した加山雄三(87歳)のコンサートにはかなり通った。最後に行ったのは引退の年 横浜みなとみらいでのコンサートだ。2015年 全国ツアーの最終公演(NHKホール)で初めて聴いて以来 毎年2回以上は聴きに行っていた。中学生の時に同級生と映画の若大将を見に行ったのをなぜかはっきりと覚えている。彼のコンサートは純粋に歌が好きなのだというのが伝わってくる幸せな若返りの時間だった。
昨年亡くなられたアリスの谷村新司(74歳で没)のコンサートにもよく出かけた。谷村新司は私が大学の受験勉強で聴いていた深夜放送セイヤングのパーソナリティ。加山雄三よりもちょっと身近で 大人になりかけの時代のアイドルだ。実は 昨年2月 彼が入院する前月のコンサート(有明アリーナ)にも行った。すでにかなり瘦せていたし ほとんどの曲を座ったまま歌っていた。あまりにも早い別れだ。
しかし最近は 引退する前に見ておきたいどころか 高齢アーティストのバリバリの元気さにエネルギーをもらうことが多い。
半年前 中島みゆきのコンサートに行った。コロナで全国ツアーを中断して以来 4年ぶりのコンサート。プラチナチケットと言われたが 幸運にもチケットを入手できた。72歳。元気そのもの。コンサートの最後に歌ったのは72歳にして始めて書いたアニソンだった。ぜひ 私の大好きな「夜会」(一人歌芝居)も復活してくれないかと願っている。
2か月前には 初めて長渕剛のツアーに行った。68歳。しかしエネルギー満載の彼を見ると68歳はまったくもって現役真っ只中。65歳で定年とか 年金とかいうのがまったくピンとこない。休憩なしで何と2時間45分 舞台狭しと歌いまくった。長渕剛初めての私にとっては 聞いているのも大変。とにかく 曲のほとんどを立ち上がって腕を振らなければならないのだ。
先月 友人の強い勧めで 舟木一夫(80)のコンサートに行った。私にとっては初めての舟木一夫。行って再認識したのが熱烈なファンの多さ。ラインキューブ(旧渋谷公会堂)は満員御礼。休憩なしで2時間 約20曲を歌い切った。声量も立派だったが 驚いたのは80歳にしてあのスマートな体型。これは見習わないといけない。加山雄三が85歳まで歌っていたのだから まだまだ数年は大丈夫だ。
来年 楽しみにしているのは 私の一押し 高橋真梨子(75)のツアーだ。年に一度は必ず聴きに行くことにしているが 今回のツアーは東京と横浜の2回聴きに行くことにした。歌のうまさではやはりピカ一。一時期 体調不良と激やせで心配していたが 数年前から復活したようだ。むしろ心配なのは ツアーをプロデュースしている旦那でバンドマスターのヘンリー広瀬が81歳になったこと。これからも引退するまで毎年聴きに行くので 夫婦ともども頑張ってほしい。
もう一人 来年楽しみにしているのは70歳を迎える竹内まりや。11年ぶりのコンサートとのことで 超プラチナチケット。妻にせがまれ 1枚8千円のCDを買い その中にあるツアー応募抽選券で手に入れたチケットだ。中島みゆきの時はダフ屋対策で本人の身分証チェックがあったが 今回は本人だけでなく同伴者も身分証チェックという徹底ぶり。
うーん。仕事どころではないかも・・・
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