過去のひと言
- 東京レガシーハーフは東京マラソンと同様に 事前受付のために本人が国立競技場まで出向かなければならない。代理出走防止とPCR検査のためらしい。しかし この2日間の受付に伴う人件費だけで大変。とてもボランティアだけでは賄いきれない。
- 横浜マラソンでは事前受付はオンライン。この事前受付で顔写真登録することになっており これを大会当日にチェックする。当日の入場チェックをしっかりやればこれで代理出走は防げる。たしかにわざわざ事前受付に来させる東京レガシーハーフと比べれば緩いが 代理出走防止目的ならば 必要十分に思える。
- もう一つの事前受付の目的はPCR検査らしい。しかしそもそも 今となって全参加者にPCR検査が必要なのだろうか。ワクチン接種証明書で充分ではないか。あるいは唾液PCRキットを事前送付し その画像をスマホで送るようにすればよい。ちなみに富士五湖ウルトラマラソンではそうやっていた。横浜マラソンではPCR検査そのものを省いている。
- また東京レガシーハーフの事前受付では 事前にスマホで電子チケットをダウンロードし 受付で電子承認をする。コンサートの電子チケットと同じ要領だ。しかし電子チケットのダウンロード先が東京レガシーハーフではなくスポーツエントリー(申込み代行業者)のURLなのでやたらと面倒だ。もちろん 電子チケットそのものに慣れていない人が多く 三人に一人はトラブルを起こす。そのたびに係員がつきっきりで説明することになる。ここまでくるとボランティアでは手に負えない。無論 スマホを持っていない人は当初から参加申し込みの対象外だ。ちなみに横浜マラソンでは電子受付のダウンロードは必要だが 電子承認などはない。
- もっと言えば 東京レガシーハーフも横浜マラソンも 今や一般的となった体調管理アプリへの記入が必要だ。しかし こんなの自主記入だから意味がない。大会当日に体温チェックし紙一枚の誓約書をだせばそれで十分だろう。
2022年1月 31年目の始めに
弊社を設立したのが1992年。また 今メインの活動となっている「考える技術・書く技術」の研修を始めたのも1992年。つまり 今の私の起点となった年が1992年。ついに今年 その起点から31年目に突入した。昔はよく会社の平均寿命30年と言われていたので それなりの歴史を刻んだものだと感慨深い。
振り返れば 会社を設立して数年は 外資系企業経営者のお誘いもあり 経営者の途を目指すか 一匹狼の専門職の途をめざすか迷った時期もあった。結局 好きな経営コンサルティングとこれまた好きな教育研修の途を選んだのは賢い選択だったと思う。よく考えれば部下を使う経営者など私に向いていないし 何より好きとは言えない。コンサルティングや研修はともに一人で出来る商売であるのが私の性に合っている。
更に20年近く前 当時 コンサルティング収入9割 研修収入1割だった仕事の比率を逆転させることを考えた。ともに好きな仕事だったのだが コンサルティングは一人でやるにはきつかった。私のコンサルティングはお客チームとの連携作業であり かつ必要に応じて調査会社などを活用するのだが それでも時間的に同時進行でこなせるのは2つの仕事まで。これを適度な量でこなすのは難しく 結局 大忙しか 暇でしょうがないかのどちらかだった。忙しい時は体力的にきつく 暇なときは精神的にきつかった。
事業転換を目指した結果 一時的に売上を半分近くに落としたものの 2年がかりで収入の大半を研修事業に切り替えることに成功。以降 「考える技術・書く技術」をコアにした研修が仕事の中心になっている。心優しき友人はそうした私を指して「本当のプロフェッショナルだ」と言ってくれた。しかし 私自身はどちらかと言えば「職人」という言葉を気に入っており 自分の仕事は職人仕事だと思っている。
職人には引退はないし 引退のことなど考えもしない。体が動く限り 客がいる限り 仕事は続ける。それが職人だ。まあ今の状況ならば 私もあと10年は全く問題ないだろう。たまに お客さんから「考える技術・書く技術」の研修を引き継ぐ人はいるのかと聞かれることがあるが 残念ながら 私の研修も 職人仕事に共通して後継者難である。というか 職人仕事を引き継ぐのはとても難しい。もっと言えば そもそも職人はおそらくは後継者のことなどあまり考えないと思う。それが職人技というものだ。自分と同じように好きで自分と同じように思い入れの強い後継者などいるわけがない・・・と普通の職人ならば思う。
ただし 客に迷惑はかけられない。辞める時には研修動画を充実させ それをリピート客への置き土産にしようと考えている。そうした気持ちはあるのだが 一方で 昨年から「仮説アプローチ」研修などの新プログラムも始めている。また「添削コース」などへの問い合わせもある。まだまだ現状は 終わることへの準備よりも新たなことへの準備の方が忙しい。まあ 職人とはそういうもの。
さあ今年はどんなことに挑戦するか。一つくらいは新しいことにチャレンジしてみよう。
皆さま 良いお年を。
2022年2月 コロナ下の東京マラソン
2月27日に大阪マラソン そして 3月6日に東京マラソンの開催が予定されている。東京マラソン開催の最終決定は2月18日だが このままいけば 開催の運びとなるだろう。まずは コロナ蔓延の中 開催準備にご苦労された関係者の方々に感謝したい。それぞれ参加ランナーだけで約2万人のイベントだ。これら大規模マラソン大会の開催が「社会は動かす」の先駆けとなるにちがいない。
しかしだ。どうも主催者の方は大会実施という名目に縛られすぎて 参加者への思いやりが欠けている節がある。東京マラソンに限った話だが やりすぎではないかと思われる規制が多いのだ。それはあたかも現在の日本の入国制限の厳しさが海外のビジネス界からクレームを受けているのと同じような感じを抱かせる。コロナ患者が一人でも出ると責任を取らされそうなので まずは責任回避のためにできる限りの規制強化をしておこうという印象だ。ここは参加者の立場から 一言言わせていただきたい。
まずはPCR検査。国の大規模イベントに対する方針から 急遽 参加者全員にPCR検査が求められることになった。これ自体はやむを得ない。しかし 説明書によると 東京マラソンの場合 事前にキットが送られ 自分で事前に採取した結果を大会の1~3日前の受付会場で提出するらしい。陽性であった人は マラソン大会の当日 スタート会場入り口にて参加不可能と通知されるという。当日 突然 何の症状もない人が「あなたは陽性なので参加できません。自宅待機してください」と宣告されるのだ。これはひどい。そもそもPCRの精度は今でもせいぜい90%と言われている。陽性と言われた人のうちの10%は診断ミスの可能性があるのだ。オリンピックでもいったん陽性と判定された人が翌日の再検査で陰性となるケースが相次いでいる。ちなみに大阪マラソンでは3日前以降に接種したPCR検査の結果通知書を自分で持参するようにとある。詳細は不明だが どうみても東京マラソンの冷淡さが際立つ。
次に 東京マラソンは体調管理アプリをスマホにダウンロードし スタート会場でそのスマホ画面を入場時に提示しなければならない。ひどい話だが 最初から ガラケーの人の参加を無視している。そもそもこの体調管理アプリは一週間前から体温や体調をインプットしていくというもの。要は自己申告なのだ。入場時に体温チェックするのだから はっきり言って意味がない。しかも あろうことか 参加要項では走っている最中も“スマホ”を携行するように義務付けている。何でだ?正直 ランナーと称する人の殆どは少なくとも正式な大会でスマホを持って走る人は少ない。ランナーは何十グラムの靴の重さの違いを気にしているのだ。
もう一点 参加者無視の中で 最たるものが スタート会場での手荷物預かり廃止だ。東京マラソンはスタートが新宿都庁前でゴールが皇居前。従来であればスタート地点で着替えた服を預け ゴール後にそれをピックアップする形だ。大会要項では 信じられないことに 走る服装で会場に来いと言っている。まだまだ寒い3月6日の午前8時前の話である。しかも スタート会場の東京都庁は新宿駅から歩いて15分以上。当然 古着を来て行きそれをスタート会場で捨てるしかないと思うのだが 「古着回収はしない ゴミ箱もない」と要綱に明記しているのだ。従来はNPOの古着回収ボックスがあり そこで回収した古着は途上国に送られていたのに。更衣所がないのは分かるし 手荷物預かりしないのも許せる。しかし SDGの時代に なぜ古着回収がないのか。これは解せない。
せっかくやるのなら あまり意味のない 責任逃れの規制作りだけは止めてほしいものだ。大会開催を決めた東京都への感謝も半減してしまう。
2022年3月 3年ぶりの東京マラソン
3年ぶりの東京マラソンに出場した。2020年2月のコロナ勃発から2年強 市民参加のマラソン大会は国内ではすべて中止になった。マラソンどころか 多くのハーフマラソンなどの大会も中止になった。まずは 開催にこぎつけた東京マラソン関係者のご苦労に感謝したい。
しかし いざ走ってみると2年間のブランクは思っていた以上に大きかった。なにせ この2年間で走った一回の最長距離は25キロ。この東京マラソンも1、2カ月前まで本当に開催するのかどうか分からない状況だったので どうしても練習に身が入らなかった。
新宿都庁前から繁華街を下って防衛庁前を経て市ヶ谷に向かう。かなりの下り坂なので 例年であれば軽快に飛ばすところ。しかし 今年はスタート直後からまったくスピードに乗れない。時計を見てその遅さにあれっと思いながら 市ヶ谷見附 飯田橋 水道橋を抜け 須田町に入る。今回 新たにコース変更となったのが 須田町から左に曲がって上野広小路へ出てまた須田町に戻ってくるというルート。キプチョゲを先導した白バイがコースを間違えたところだ。まだ10キロも走ってないのにこの新コースに入るところが何と長く感じたことか。初めて走るコースはやたらと長く感じる。
この後 神田 日本橋 茅場町を通り 水天宮を横目に 浜町中の橋から 浅草へ。約19キロの雷門で折り返し 蔵前橋を渡って 両国から富岡八幡宮の門前仲町へ。ここで20数キロだが 早くも足にきた。スピードがでないどころではない。
ここからは今来た道を戻り 日本橋へ。日本橋から銀座4丁目まで来るとあと10キロ。ここでもう一度頑張ろうと力をふりしぼったら 太ももがつりかかった。一度つると再び走り出すのは無理だ。つらないように つらないようにと気を使いながらゆっくりと走り続けるのが精いっぱい。それでも「決して歩くな」と心に言い聞かせながら 日比谷から増上寺へ。田町を折り返すとあと5キロ。この辺までくると かなりの人が歩いている。あとわずか3キロ地点で毛布につつまれて倒れている人もいた。日比谷にもどり大手町を抜けて皇居前でゴール。ゴール過ぎで倒れている人も何人かいた。
結果は4時間27分強。東京マラソンは7回目の出場だが 4時間を切れなかったのは始めてだ。やはり歳のせいかと思っていたら どうも2年ぶりのハンディキャップは他の市民ランナーにとっても同じだったらしい。順位を見ると 65~69歳の部で 368人中の98番。ちなみに私は69歳。そんなに悪くないではないか。やはり「決して歩かない」という頑張りが効いたらしい。
しかし疲れた。来年は もう少しゆっくりと 東京マラソン観光をしたいと思いました。
2022年4月 世界のリスク
世界のリスク
ウクライナ紛争を目に先日のニューズウィーク日本版(2月15日号)の特集記事を思い出した。1月初めに発表された 地政学分析の権威 イアン・ブレマーによる「2022年を襲う世界のトップ10リスク」の特集だ。
リスク第1位は 中国ゼロコロナ施策の失敗
第2位は テクノポーラー世界
第3位は 米国の中間選挙
第4位は 中国の国内回帰
第5位が ロシア(ウクライナ紛争を含む)
第1位に輝いたのは「中国のゼロコロナ政策の失敗」だった。今まさに コロナ拡大の国際都市 上海で起こりつつある問題だ。ブレマー氏はオミクロン株の登場により ゼコロナ(コロナ封じ込め)政策は失敗に終わると予想している。
ゼロコロナ政策により 中国人の多くはコロナ免疫がない状況が続いており しかも 中国製のワクチン効果には大きな疑問が残る。ところが ゼロコロナ政策の成功を誇らしく喧伝してきた習政権はこの方針を変更することができない。そのうち感染が拡大し 今迄以上に厳しい更なるロックダウンが必要になる。結果として サプライチェーンの混乱に拍車をかける。当然 世界経済への影響は不可避だ。国内経済への打撃は計り知れず 国民の不満は高まる。政府は混乱を最小に抑えるために市場への介入を図る。結果として 事態は我々の想像を超えて悪化する。はたして習近平体制はこれを乗り切れるほど盤石なのか。
一方 ロシア・リスクは第5位に挙げられている。ロシアのウクライナ侵略の可能性(発表当時)を含め 米ロ関係の不安定化 エネルギーをロシアに依存する欧州とアメリカの関係の危うさ ロシアによる米国中間選挙への妨害工作 更には中ロ関係強化いかんによっては中国の南シナ海の軍事行動が拡大する可能性も挙げている。
それでも ブレマー氏は ロシア・リスクは中国リスクと比べると相対的なリスク度合いは低いと見ている。ブレマー氏の予測は1月初めのものなので プーチンの暴走は想定外だったのかもしれない。しかし現実を見ると 中国の人口はロシアの10倍 経済規模もほぼ10倍。防衛予算に関しても 中国はロシアの4倍に上る。これがロシアの現実なのだ。
リスクのつながり
ただ ウクライナ紛争と中国のコロナ問題を目にして私の頭をよぎったのはリスクのつながりだ。
ウクライナはどういう形で決着するのか あと数か月後の話なのか あるいは数年にわたる長期戦争となるのか まったく見えない。もともとウクライナ東部ドネツクが長年にわたり紛争中であったことを考えると 東部地域を中心とした戦争状況が長期化しても何ら不思議はない。戦争の長期化とは戦争の日常化だ。世界を見渡すと アフガニスタン シリア リビア イエメン など戦争・紛争が日常化している例はあまりにも多い。
ウクライナ戦争の長期化など想像すらしたくない事態だが 長期化する場合 経済的に弱体化するロシアの後ろ盾になるのは中国しかいない。そこで改めてクローズアップされるのが ブレマー氏が最大リスクに挙げた中国のゼロコロナ政策の失敗だ。果たして 習近平はこのリスクを抑え込むことができるのだろうか。このリスクを抱えながら ロシアとの連携を図ることができるのだろうか。中国リスクが我々が思う以上に習近平に大きな打撃を与えるとすれば ロシアのウクライナ戦争に影響が出ないとは言えない。
もちろん私は専門家ではない。しかし どうもこの一見無関係に見える2つのリスクは最終的に大きく関連するのではないかと思える。ゼロコロナ政策の失敗が習近平の足を引っ張り それがプーチンの失脚につながり それがウクライナ戦争の早期終結に結びつく・・・そんな可能性はないのかと密かに夢想している。
2022年5月 100キロマラソンとランニング曲
先月 3年ぶりの開催となった富士五湖ウルトラマラソン100キロの部に三度目の出場を果たした。このウルトラマラソンは山中湖と本栖湖を除く3つの湖を回る62キロの部 本栖湖を除く4つの湖を回る100キロの部 そして5つの湖すべてを回る118キロの部の3つがある。100キロの部の制限時間は14時間だが 途中に6つの関門があり それぞれの関門に制限時間が設定されている。関門到着が設定時間より何秒かでも遅いとその場でアウト。回収バスに乗せられてしまう。
おそらくコロナのせいでボランティア集めに苦労したのだろうか 今年は3年前と比べ30分以上遅い 朝5時20分にスタート。やはり3年間のブランクは大きく 途中からは関門ごとに制限時間まであと2、3分という状態が続き ゴールしたのは14時間ギリギリの夜7時20分。小雨が降り続く寒さの中 真っ暗な山を駆け抜けての必死のゴールだった。何はともあれ100キロ完走。
さて 14時間も走るとなると やはり後半は音楽が欲しい。今年は コロナ・ルールで スマホで体調管理アプリの結果を入り口で見せなければならず かつ400グラムの飲料水を携帯しなければならないという条件がついたので 初めて小型リュックを担いで走ることにした。というわけで どうせリュック持参ならiPhoneから無線イヤホンに音楽を飛ばすことにした。以前は リュックなしで走り スマホではなく 小さなiPodを活用していた。
ただ終わった後で考えてみると この大会は荷物預かりがあるので 必ずしもスマホを持って走る必要はなかった。しかも給水箇所は多いので 携帯する水もぎりぎりの量で充分。となれば ボトルホルダーつきのウエストポーチがあれば リュックは必要なかったのだ。この違いはギリギリのタイムで走るランナーには大違いだ。
大会が終わって一週間後 来年の大会のことを考えた。そうだ 来年はスマホなしで リュックなしで ともかく100グラムでも軽くして走ろう。音楽は 奮発してイヤホンにプレーヤーがついているものにしよう。調べると この種のイヤホンも昔と比べ安く手に入るようになっている。というわけで Sonyのウォークマン(プレーヤー付きイヤホン)を購入。
iPodもそうだが このイヤホンには選曲ボタンはない。つまりイヤホンに入れる選曲が重要になる。というわけでランニングにふさわしい曲を改めて選び 手元にない曲は一曲ずつネットで購入することにした。選曲をしているうちに ふと気づいた。たとえランニング応援歌という目的がはっきりしたものであっても 楽曲選びというのは必ずしも 歌詞やリズムだけではなかった。その曲と関連する私の個人的な思い出や連想する感情が深く関係するのだ。
例えば ランニング応援曲の定番は「負けないで(ZARD)」や「Runners(爆風スランプ)」。しかしそれに勝るのは 私の場合「ロッキーのテーマ」だ。この曲を聴くと ロッキーがフィラデルフィア美術館の階段を駆け上る映画のワンシーンが思い浮かぶ。しかも当時 フィラデルフィアに留学中の私は 街の映画館で拍手をしながらこの映画を見ている。この曲を聴くと 映画のシーンだけでなく 当時の私自身のエネルギーさえよみがえる。
サイモンとガーファンクルの「Mrs. Robinson」もランニング曲に含めることにした。これを聞くと映画「卒業」で 赤のスポーツカーに乗りゴールデンゲートブリッジを駆け抜けるワンシーンがよみがえる。このシーンで流れたのがこの曲なのだ。そして このシーンとともに私が青春時代に抱いたアメリカへの熱い思いもよみがえってくる。何を隠そう 私が最初にアメリカにあこがれるきっかけになったのが 高校時代に見たこの「卒業」なのだ。
加山雄三の「サライ」と「座・ロンリーハーツ」も加えた。サライはもちろん24時間テレビのマラソンシーンが思い浮かぶし 「座・ロンリーハーツ」はおじさんへの応援歌。そもそも 加山雄三のコンサートを何度も聴きに行った私は 84歳でも歌い続ける加山雄三の頑張りそのものが応援歌なのだ。変わったものでは安室奈美恵の「ヒーロー」も加えることにした。安室奈美恵の生きる姿勢が私のエネルギーになるからだ。
いろんな歌を20曲近く選んだが 一番のお気に入りは間寛平の「Run Run Run」だ。10年以上前 大阪マラソンを走った時 間寛平と並走になったことがある。走っている間ずっと一般ランナーや応援者に手を振って応える 見た目通りの素晴らしい人柄。この曲は 彼が250キロのウルトラマラソンに出場していた頃の歌だ。私が100キロマラソンを走ろうと思った深層心理には間違いなく間寛平とこの曲がある。めちゃくちゃ古い曲だが お勧めです。・・・この世に歌があればこそ まだまだ100キロも耐えられる。
2022年6月 加山雄三引退に考える
ついに加山雄三が年内引退を発表した。今年3月にビルボードライブ横浜での復活ミニコンサートを見に行ったばかりだ。脳溢血の後遺症から立ち直り しっかりと杖なしで歩いていた。とても元気そうだった。しかしやはり85歳。いつまで歌えるだろうかという気はしていた。ファンとしては残念至極ではあるが やむを得ない。先日 孫の小学校(男子校)の卒業式で加山雄三の「海 その愛」を合唱していた。よく聞いてみると 実にいい歌だ。9月のラストコンサートは仕事の都合でいけないが まだ年内にはいくつかのミニコンサートが予定されているらしい。機会があればぜひ行きたいと思う。これまで何度もコンサートに行き 大きなエネルギーをいただいてきた。本当にありがとう。
考えてみると 加山雄三が最後の全国ツアーで日本各地を回ったのが 2014/15年。その最終公演をNHKホールに見に行ったことを思い出す。当時 加山さんは78歳。まだまだ元気バリバリの様子だった。全国ツアーはやめたものの 以降もいろんなコンサートを主催していた。
ところで 加山雄三と同じ歳の北島三郎は今どうしているのだろう。考えてみると彼が明治座の最終公演を行ったのも2014年。加山さんの全国ツアー最後の歳と同じく78歳の時だ。この公演にも駆け付けたが 当時の大漁船や祭りの熱唱は忘れがたい。ただし 北島さんの場合 加山さんとは違い これ以降はステージのみならずテレビでの出演もめっきり減らしている。実は最終公演でも劇中で転びそうな場面があった。脚が悪かったらしい。
同郷の福岡育ちで 私の大好きな高橋真梨子(73歳)は 今年 最後の全国ツアーの最中だ。どうも全国ツアーというのは出演者にとってはかなりの負担らしい。このコンサートにも行ったが まだまだ元気いっぱい。一時期 激やせでかなり体調が悪そうだったが完全復活という印象だった。全国ツアーをやめるだけで まだまだコンサート活動は続けるとのこと。一安心だ。若干心配なのは 高橋真梨子の夫でプロデューサー兼バンドマスターのヘンリーさんの体調。何せもう78歳。二人三脚で頑張ってきただけに くれぐれも体調に気を付けてほしい。
こうしてみると 総じて 負担の多い全国ツアーは70歳代の半ばで卒業 それ以降の活動はその人次第らしい。加山雄三のように驚異の若さを維持できれば 85歳まではいけるということだろう。
先週 妻の好みで ユーミンのコンサート(深海の街)に行ってきた。私にとっては初めてのユーミン。それにしても 聞きしに勝る スモークとライティング満載のド派手な演出だった。ユーミンもすでに68歳だが体の切れは秀逸。かなり鍛えていることが伺える。会場は東京国際フォーラムAホール。5千人収容の会場を埋め尽くす客の多くは中高年のおばちゃん。にもかかわらず 曲の半分近くは総立ちの声援。すさまじいおばちゃんパワーだった。妻は手に入れたおばちゃんパワーにいたって満足の様子で 早くも次のユーミンを楽しみにしている。コンサートで コロナの時は引退も考えたといっていたが この調子ならあと10年は大丈夫なようだ。
と考えると ユーミンと同世代の私もまだまだ大丈夫。全国ツアーもあと数年はいけそうだし 加山雄三の頑張りを学べば あと10数年は現役でいけそうだ。こりゃ 来年も100キロウルトラ完走を目指すしかない。
2022年10月 個人向け研修
またしばらくこの欄に穴をあけてしまった。しかも3か月も。この欄を読む人は限りなく少ないとは思うのだが それでもたまにこの欄を読んだという方に出くわす時がある。そういう方には 「もしかして何かあったのではないか」と心配をおかけしたかもしれない。大変申し訳ありませんでした。何もありませんでした。ただ仕事が立て込んでいただけでした。
さて数か月前に 出版社のダイヤモンド社から連絡があった。オンラインで個人向けの研修を一緒にやらないかという話だ。
実は 昔は セミナー会社のオープンクラスで教えていたり 大学院(ビジネススクール)で教えていたりしていた。私の研修を個人で受講したい人には そのセミナー会社のクラスを紹介したり 大学院で特別聴講を勧めることができた。しかし 今は法人向けの研修しかやっていないため 私の研修を個人で受ける機会は全くない。年に1、2度 個人で受けられないかとの問い合わせがあるのだが その度に申し訳ないと思いながらも断ってきた。
いつか個人向けのクラスをやりたい やらなければとは思っていた。ただ 個人向けの集合研修をアレンジするのはなかなか手間がかかる。募集 教室手当 入出金など管理が大変なのだ。ところが コロナでオンライン研修が普及したおかげで オンラインでの個人向け研修が現実味を帯びてきた。そろそろ個人向けも考えなければと思っていた矢先に ダイヤモンド社からのお誘いだった。
今 この個人向けオンライン・プログラムが完成段階にある。現在 法人向け研修で一番ポピュラーな基礎コースは 4時間45分のクラスが2回(集合研修もオンライン研修も同じ)。この4時間45分というクラスはかなりハード。個人向けには これを3時間15分程度のクラスにし 内容を拡大したうえで 従来の法人向け基礎コース(4時間45分が2回)を 基礎知識編(3時間15分を2回)と実践編(3時間15分を2回)の2つに分けることにした。
内容はほぼ固まったが 問題は実際にどれくらいの時間がかかるかだ。クラスは双方向だし 参加者の予習をもとに進めるので この時間の見極めが実は難しい。先日の法人向け研修では 参加者からの質問が相次ぎ 4時間45分のクラスが40分延長になってしまった。
それやこれやで 法人向け研修に関しても 教材の見直しをやることになった。もう30年以上やっている研修だが 未だに 毎年 教材の修正を行っている。同じような内容なのだが 未だに変更したいと思う箇所が出てくるのが我ながら不思議だ。本音を言えば 以前書いた小著も変更したい場所がいっぱいなのだが これは如何ともしがたい。お許しください。
2022年11月 東京レガシーハーフの高価格と非効率
先月 東京レガシーハーフマラソンと横浜マラソンに出場した。東京レガシーハーフは東京マラソンの成功を受けて ハーフも開催ということになったらしい。今年がその第一回大会だ。主催は東京マラソン財団(東京都と日本陸上競技連盟の設立)。はっきり言ってお役所である。今回は横浜マラソンと比べながら そのお役所仕事ぶりについて一言触れておきたい。もちろん主観である。
東京レガシーハーフのウリは新しい国立競技場をスタート/ゴールに設定したことだ。東京オリンピックで使われた日本最新最高の競技場で走れるというのはランナーにとっては心が躍る。ただそのウリだけで参加料が20,700円というのは たとえPCR検査料を含むにしても異常に高い。ちなみに 同様に新国立競技場をスタート/ゴールする2023年1月開催予定の新宿シティハーフマラソンは12,000円だ。
通常ハーフマラソンの相場は5,000~7,000円(PCR検査なし)。フルマラソンでも2万円を超える大会はあまりない。フルマラソンは東京マラソン(2023)で23,300円 大阪マラソン(2023)で23,000円 横浜マラソン(2022)で2万円。高速道路を貸し切って走る横浜マラソンは高額な参加費で以前から有名だったが 東京レガシーハーフはそれを上回る。
東京レガシーハーフはどうみても合理化努力にかけていた(と思う)。要はお役所的な発想だ。以下 横浜マラソンと比べてみたい。
どうでしょう。こうした無駄の積み重ねを取っ払えば あと数千円は参加費用を値下げできるはず。コースがよいだけに 東京レガシーハーフの来年に期待したい。
2022年12月 変化
40歳代の頃は 経営コンサルティング8割 研修2割ていどの配分で仕事をやっていた。ある時期 コンサルティングを一人でこなすのに体力的・精神的な限界を感じ50歳をめどに仕事の中心を研修に切り替えることを決めた。計画的に切り替えを進め 1年半かけて 仕事の9割を研修に振り替えることに成功した。しばらくは顧問的な業務もこなしていたが 実質 この時点で経営コンサルティングを卒業した。
経営コンサルティングでは 企業再建なども手掛けたが 仕事の多くはマーケティング戦略に関するものだ。業種は問わない。自動車業界 化粧品業界 出版業界 化学業界じつにさまざまな業種を経験した。そのせいもあり 長年 某コンサルティング会社の新入社員向けにマーケティング戦略を教えている。
この研修では多くの実例を議題に挙げる。何か問題がありそうだ このままではやばいかもしれない 何か変化が必要だと思いながら実例を選択する。おもしろいのは 取り上げた実例がその後本当に変化する場合があるのだ。さすが 目の付け所がよいのかも。
たとえば セグメンテーションの勉強では ずいぶん昔からパソコンのデル社を取り上げている。長く取り上げていると デルのセグメンテーションの考え方が少しずつ変化しているのが見える。テーマは「なぜ変えたのか」だ。よく観察すると まさに時代を反映した変化であることがよくわかる。
一番驚いたのは 東急ホテルズの課題だ。東急ホテルズのブランド展開には問題があると思いブランド戦略の課題にとりあげた。「今のブランド戦略にどのような問題があり あなたならどのようにブランド戦略を変更するか」がテーマだった。すると 課題に取り上げて2年後 本当にブランド変更が発表された。「東急イン」と「ビズフォート」という2つのブランドを統合し 東急REIという新ブランドを立ち上げたのだ。それに伴い 幾つかの個別ホテルの看板も掛けなおしている。そこで課題のテーマは 「なぜブランドを変更したのか このブランド変更は正しい判断だったのか 長期的にこれでよいのか」となった。正直 私に言わせれば まだまだ改善の余地はある。これで終わりには見えない。個人的には 数年のうちにまたブランド戦略の変更が必要になると思っている。東急ホテルズの課題はまだまだ私の研修に残る。
2018年にトヨタ・クラウンがフルモデルチェンジした時 このクラウン(15代)を課題に加えた。テーマは「この2018年のモデルチェンジが成功と言えるかどうか 次のモデルではどのようにモデルチェンジし どのように位置づけるべきか」だ。
クラウンはトヨタ・ブランドの中では最高峰のカーライン。「いつかはクラウン」で有名になった。ブランドとは他者との差別化が目的であるが 「クラウン」はそういう意味で大成功した例だ。クラウンと聞いただけで 誰もが 大企業である程度成功を収めた人が乗る国内最高峰のセダンとイメージする。ブランド名を聞いてここまでユーザーを明確にイメージできる商品はめずらしい。商品の特徴としては この15代まで国内専用(輸出はない)のセダンであること。また 高級車を象徴するかのようにエンジンはFR。ハイエンド・モデルは3.5リッターV6のハイブリッドという 今ではあまりお目にかからない高級仕様だ。問題はこの強烈なブランドが中高年/国内/セダンという成熟(縮小?)市場で成り立っていることである。
そして今年(2022年) 9月 クラウン・ブランドの限界論も出始める中 クラウンのフルモデルチェンジが発表された。クロスオーバー(セダンとSUVの合体)が先行発売され、その後に、セダン、スポーツ、エステートなどのモデルが続くらしい。セダンの詳細が不明なので比較できないが 国内専用車からグローバル車に大胆な衣替えをし 車体もワンサイズ大きくなった(逆にいえば 日本で重宝するサイズではなくなった)。また 少なくとも今のクロスオーバーは2.5リッター 直4のハイブリッド。希少価値にも見えた3.5L V6 ハイブリッドのエンジンは姿を消したようだ。デザインは今までのクラウンからは想像もつかない若者向け。どうやら 今まで成熟市場(中高年/国内/セダン)の王様クラウンを 成長市場(若者/グローバル/SUV)に向けて焼き直したように見える。乗ったことがないのでわからないが なぜ同じクラウンの名前である必要があるのか 見た目では全く理解できない。
15代クラウンの最大のライバルは 私の見る限り レクサスのセダンだった。この新しいクラウンはそもそも何と競合しようとしているのだろうか。少なくとも私には新しいクランに今までのような「クラウン」の主張(特徴)が見えない。悪く言えば 市場への迎合にも見える。・・・ただし これを論じるには丸一日必要なようだ。残念ながら 私のマーケティング戦略の課題としては荷が重すぎる。しばらくは私の課題から外すことにした。
それにしても変化は絶えない。マーケティングで大切なのは好奇心だ。さて2023年はどのような変化が見られるのだろうか 何が私の好奇心を駆り立ててくれるのだろうか ワクワクしている。2023年が皆さん方に取り 健康でワクワクとした年でありますように。
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