過去のひと言
2019年1月 JRでの出来事
あけましておめでとうございます。2019年 皆さまにとって 良い年となりますように。
さて 先週 大阪に日帰り出張した話。仕事を終え 新幹線で帰るべく 新大阪に向かった。早めについたので 券売機で早めの時間に指定席を変更し 駅弁を買い ホームのベンチで新幹線の到着を待っていた。ふと胸ポケットを探ると あるべきはずのチケットがない。大慌てで コート ジャケット ズボンのポケット カバンの隅から隅まで調べるが ない。どこかに落としたらしい。慎重な性格の私にとって初めての経験だ。何番ホームかを確かめるために新幹線の駅構内でチケットを眺めた記憶はある。失くしたのはそれ以降だ。そうこうしているうちに 新幹線がホームに到着した。
幸いにも座席番号を記憶していた私は ともかく新幹線に飛び乗った。新幹線の切符はネット(えきねっと)経由で購入し 乗車当日にクレジットカードを用いて駅の券売機で発券している。発券機からはクレジットカード購入記録書が発行されており そこには購入した新幹線のぞみの車両番号がしるされている。これを見れば 私が本当に切符を購入していることは明白だ。車掌さんに話せば何とかしてくれるだろう。
乗車後すぐに車掌さんをつかまえ事情を話した。私の楽観的な期待はすぐに覆された。車掌さん曰く この場合 新大阪の駅に遺失物として届けられていないかを調べる。もし見つからなければ 再購入が必要というのだ。クレジットカードで購入したという記録は 私がうそを言っていないという説得にはなったが それ以上の効果はなかった。車掌さんに新大阪駅に電話してもらい 遺失物の届け出をチェックしてもらった。しかし 届出はないという。彼が言うには まだ失くしてから時間がたっていないので 東京についてから駅の精算所にいってそこで再度遺失物チェックをしてもらってくれとのこと。そこでなければ再購入だという。
切符無しの新幹線の中で もう一度考えた。1階の駅構内で駅弁を買ったときか それとも2階のホームのどこかだろう。よく考えたら ホームがあやしい。しかし ホームで落としたのなら 風で吹き飛ばされているかもしれないし 気づいて拾って届け出る人などいないだろう。頭を冷やして 痛い出費の覚悟を決めた。世の中 あきらめが肝心なことはよくある。終わったことはしようがない。しかも会社経費だ。考えてもしようがないことは考えない。これは私の大事な生きる知恵のひとつだ。
ちょっと待てよ。東京駅に近づくと 新たな希望的観測が頭をよぎった。さっき精算所に行けと言われたけれど 改札所の人にまず聞いてみよう。もし心優しき人であれば だまって通してくれるかもしれない。何せクレジットカードの控えで私が実際に購入していることは明らかなのだから。だまって通してくれてもまったく誰にも被害は出ないのだ。
東京駅で わずかな期待を抱きながら改札所の人に聞いてみた。何というお役所仕事。やはり精算所に行けと言う。覚悟を決めて精算所に行き 事情を話す。結局同じ話しの繰り返し。クレジットカードの控えを見て 確かに同情は示してくれた。しかしそれ以上はお役所仕事だ。今や民間企業になっているかもしれないが 所詮 国鉄時代のお役所仕事的なものはなんにも変わっていない。若干変わったと言えば 確かにソフトになった口調だけだ。
彼によると 切符の紛失物は改札所に届けられる場合が多いので まず幾つかの改札所に電話するという。どうもなかったらしい。今度は 遺失物届出書に電話してみるという。遺失物の伝言テープを聞いているのだろうか 先方と電話で会話している様子はない。そうこうしているうちに 電話を切った。・・・そうか 痛い出費だがやむを得ない。
しかし 私に向かっての第一声は「ありました」。なな なんと。地獄から天国。聞くところによると ホームで落ちていたのをJR職員が見つけて届けたらしい。一件落着。平和な気分。さすが日本。海外だとこうはいかないだろうな。・・・しかし よ~く考えてみると 何か割り切れない。
私はネット経由でクレジットカードで切符を予約・購入し 東京駅の券売機で購入時のクレジットカードを用いて発券。指定席変更をしたが それも新大阪駅の新幹線券売機の機械経由。この間いっさい人手も現金も介していない。しかも 新幹線の中では 昔行われていた車掌さんの切符チェックも今はない。ということは 少なくともどの座席が予約されているかの情報は車掌さんに伝わっているという事だ。つまり 私は 新幹線切符の購入で キャッシュレスやネットという許されうる最先端の手法を使って切符を入手しているのだ。私がこの座席を購入したという証拠はシステムにしっかりと残っているはずだ。
もし私が殺人事件にまきこまれていたならば JRは警察の依頼を受け 1時間もしないうちに 私が実際にこの座席を購入しているというアリバイを提供するに違いない。しかし JRは一乗客の切符紛失にそこまで付き合ってはくれない。そもそも 飛行機がチケットレスなのに なぜ新幹線では未だに紙のチケットが必要なのか?
考えれば考えるほど JRの時代遅れに腹が立ってきた。確かに新幹線というハードの素晴らしさは高く評価する。しかし 切符購入などに見る乗客サービスの時代遅れは実に嘆かわしい。JRの切符購入や座席変更などのシステムはJRの業務を機械化するという合理化には役立っているのだろう。しかし 驚くことにJRのシステム化には顧客サービス強化という戦略的な側面がそっくりと抜け落ちている。やはり発想がまだ民営化していない。エアラインを見習うべきだろう。
2019年2月 ラブ・ネバー・ダイ
最近 時間的な余裕がでてきたこともあり 月に二度近い頻度で観劇やコンサートに出かけている。観劇的には 歌舞伎 ストレートプレイ 文楽 ミュージカル など分野は問わない。今月は横内正の「マクベス」(シェークスピア)とミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」を見に行った。やはりシェークスピアは面白い。シェークスピアを見に行くと 大学時代の英語の先生 小田島雄志(当時助教授)を思い出す。小田島雄志と言えばシェークスピア翻訳の権威中の権威。シェークスピアの劇を見ると 本を読むだけでは分からない凄さを実感できる。小田島先生がシェークスピアに一生をかけて取り組んだ理由がよくわかる。
ミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ(Love Never Dies)」は数年前から日本で公開しているが 私は初めて。演者は「市村正親・濱田めぐみ」と「石丸幹二・平原綾香」のダブルキャスト。どちらも豪華キャストだが 私が選んだのは「石丸幹二・平原綾香」。お目当ては「あーや(平原綾香)」だ。コンサートには行ったことがあるが ミュージカルを見るのは初めて。
「ラブ・ネバー・ダイ」は「オペラ座の怪人」の10年後をテーマにした続編。「オペラ座の怪人」は劇団四季を2度見に行ったことがある。ラブストーリーとしてはミュージカル最高傑作だと思っていた。最初に見た時のシャンデリアが落ちる場面や運河を船で渡るシーンは決して忘れることができない。ただ今回見た「ラブ・ネバー・ダイ」はこの「オペラ座の怪人」を超えていた。それくらいに素晴らしいミュージカルだった。
石丸幹二ももちろん素晴らしかったが 平原綾香は期待通りに素晴らしかった。平原綾香演じるクリスティーヌは怪人のお陰でデビューを果たすオペラ座の歌姫。平原綾香はもちろん本物の歌手だが 歌手役を演じる彼女はなぜか実に最高だ。根っからの表現者に違いない。昔 緒形拳の遺作となった「風のガーデン」(フジテレビ)で中井貴一の恋人の歌手役で歌っていたシーンを思い出した。
ミュージカルはやはり華やかなセット展開が売り。もともとミュージカルを元に書かれた脚本だけにこの辺は実にすばらしい。歌姫に相応しい〝豪華さ“や怪人に相応しい〝おどろおどろしさ“ そして愛の世界の〝哀愁〟が見事にセットで表現されている。いきなりサーカスの劇場シーンから始まるのには驚かされるし きびきびとしたシーンやセットの展開にはまったく無駄がない。特に驚かされたセットは ガラスと鏡面でできた角柱の中でサーカス演者が体をくねらせて踊るシーン。 「黒蜥蜴」を凌ぐほどにおどろおどろしく その斬新な表現は目をくぎ付けにさせる。落ちてくるシャンデリアこそ登場しないが 大がかりでかつ細かい部分にも気を使ったセットはオリジナル譲り。セットが大きすぎるために地方公演ができないという説明には 思わず東京に住むありがたさを感じてしまった。
しかし演劇もミュージカルも出来映えを決めるのは何と言っても脚本と演出。「ラブ・ネバー・ダイ」の脚本と音楽は「オペラ座の怪人」「キャッツ」「エビータ」などミュージカル界の大御所アンドリュー・ロイド・ウェバー。脚本の補佐には 「ジャッカルの日」のフレデリック・フォーサイスまで加わっている。
浅利慶太と劇団四季のお陰で 日本にも多くのミュージカル役者が育ってきた。石丸幹二も市村正親も濱田めぐみも皆 劇団四季出身者だ。これから日本のミュージカル界でも ブロードウェイに負けない脚本家・作曲家などのクリエイティブ・スタッフが育つことを楽しみにしたい。
2019年3月 東京マラソン 寒さとの戦い
3月3日東京マラソンを走った。スタートは9時10分。朝食の消化状況などを考え 3時半頃には起床する。早めの朝食を済ませ 朝風呂に入り体温を上げストレッチ。これはマラソン当日朝の私のルーティーン。
前日の天気予報では昼過ぎから雨となっていたけれども 起床時の予報では9時くらいから雨。それでも降水量は1ミリとなっていたので たかをくくっていた。1ミリならお湿り程度だ。また予報では 走る時の気温は7~8度。まあそれほど気にするほどではない。むしろマラソンには好都合な天気かもしれないと思っていた。寒さなどみじんも考えなかった。
スタート地点は新宿の都庁前。7時過ぎに新宿駅に着くころにはすでにしとしと雨が降り始めていた。予報と違う。受付場所に着き 混む前に早々に仮設トイレで大を済ませる。いつも7時半ころに起きる人間にとって 3時半起床ではスムーズな排便はとても無理。マラソンにとってトイレはとても重要なのだ。
その後 屋根のあるところで着替えを済ます頃には雨は本格的になってきた。寒い。あまりの寒さにまた もよおしてきた。早めに来てよかったと思いながら すでに長蛇の列になっていた仮設トイレに並んで小を済ませる。トイレから出てきたのは 整列の制限時間8時45分ギリギリ。スタートラインに並ぶと そこはもちろん都庁前の道路。屋根もなければ壁もない。スタート後捨てるつもりのビニールのレインコートの下は半そでTシャツ一枚のみ。下はランニングパンツ。しまった。少なくとも上は長袖にすべきだった。後の祭り。
雨と風の中 震えながらスタート時間を待つうちに またもや小をもよおしてきた。そのうち スタートの号砲が鳴った。しかし先頭から3万5千人の真ん中付近で待っている私の場所は動きだにしない。一方で いったんもよおしたものはなかなか我慢できない。号砲後にもかかわらず 意を決して 道路わきにある仮設トイレに駆け込むことにする。号砲が鳴った後なのでトイレにはあまり並んでいない。すると係員が「いま列を離れると最後尾からのスタートになるかもしれない。スタート後500メートルのところに仮設トイレがあるからそこに行った方がよい」と言う。「冗談じゃない。スタート後ならタイムに影響するではないか。それに経験からしてスタート直後のトイレは混みこみに違いない」。列を離れ 大急ぎで道路わきのトイレで用を済ませ 幸運にも列の途中に紛れ込むことができた。そこはまだスタートラインのはるか手前。結局 スタートラインを通過したのは 号砲から20分すぎた頃だった。
ちなみに 記録はランナーが身につけた計測チップで測る。公認記録は号砲後からの計測だが 記録証には ランナーがスタートラインを過ぎてゴールラインを跨ぐまでのネット記録も表示される。列の先頭から走ることのない市民ランナーにとって重要なのはネット記録だ。走り出してからのトイレ休憩は トイレの列に並ぶ時間も入れると短くとも1分はかかる。これは完全なタイムロスなのだ。私の場合 フルマラソンは途中でトイレ一回だが それでもこのタイムロスは痛い。プロのマラソンランナーは走りながら小を済ませるそうだ。どうせパンツは汗だらけ。おしっこも汗と同じ成分だと考えたら我慢はできる。ただ さすがにこれは私は未経験。今回 降りしきる雨の中 どうせ濡れネズミなのだからやってみようかという思いが頭をかすめた。しかし やはり遠慮することにした。なかなか勇気がいる。次回の雨のマラソンに回すことにしよう。
一日中雨のマラソンははじめてだった。水たまりを走った挙句 シューズの中は水浸し。Tシャツもパンツもびしょびしょ。普通 マラソンでは どんなに寒くとも 2~3キロ走っているうちに体はすぐに温まってくるものだ。しかし 雨が降っている時には そうはいかなかった。若干寒さには慣れるけれども どれだけ走っても体は温まらない。
しかし 一番寒かったのは何といってもゴール直後。ゴールラインからビル内の更衣室まで ビル街を歩く間だった。途中 記念メダルとバスタオルと寒さ除けのアルミ・シートをもらったが 手がかじかんでいるためにアルミ・シートを上手く握れない。ゴールから更衣室まで500メートルくらいの道が長いのなんの。帰宅後 大迫選手が体を小刻みに震わせながらリタイアした場面をテレビで見た。よく分かる。それほど寒かった。
タイムは3時間58分19秒。一応サブフォーの目標はクリア。66歳にしては上々だろう。寒かったけれども それでも暑いよりはまだましだった。報道によると 今回のランナーには 評判の厚底ナイキ・シューズを履いていた人が多かったと言う。来シーズンはこの評判のシューズを買って走ろうかと思いを巡らせている。懲りることはない。おっと その前にもう一度 今シーズンの締めくくりとなる富士五湖100キロマラソンが来月に控えている。
2019年4月 新型クラウンの挑戦
前々回だったか 2018年ヒット商品についてこのコラムで語った時 「新型クラウンは2018年度の成功を今後も維持できるだろうか」という疑問を投げかけた。
我ながら面白いテーマだと思い 4月の某コンサルティング会社向けの“マーケティング戦略研修”の課題の一つにこれを付け加えることにした。まずは課題作成のために 新型クラウンや競合するレクサスの車種を詳しく比較してみた。コラムを書いた時には 新型クラウンに対しやや否定的な見方をしていた。しかし よくよく見ると 新型クラウンの開発がなかなかに考えられた戦略に基づいていることが見て取れる。
クラウンは1955年に発売開始以来 長年にわたりトヨタの最高級車種として位置づけられてきた。1983年から用いられたCMキャッチコピー「いつかはクラウン」は知らない人はいないほど有名となり それなりに出世を遂げたサラリーマンにとって クラウンは成功の証といえるような車種になった。
その一方で トヨタは 1989年に米国市場で そして2005年に日本市場で “レクサス”ブランドを投入する。レクサスは トヨタ・ブランドとは別の販売組織で 別の生産ラインで “トヨタ”とはまったく異なるプレミアム・ブランドとして売り込むことになった。会社としては 大衆ブランドとしてのトヨタに対し レクサスはメルセデスに負けない高級車種としての位置づけだ。悪く言えば 「お金に余裕がある人はトヨタではなくレクサスを買え」と言っているようなものだ。そして レクサス的に見ればこのやり方はかなりの成功を収めることになった。
この状況の中 クラウンの開発責任者は 今までトヨタ・ブランドの最高級車種として位置づけてきた“クラウン”をどうやって誰に向けて売ればよいのかという課題に直面することになる。そして彼らが出した解答が新型クラウンだった。
新型クラウンの素晴らしいところは レクサスGS/ESを明確な競合相手として認識している点だ。明らかに レクサスGS/ESの客を奪い取ることを念頭に開発している。まず 今まで マジェスタ/ロイヤル/アスリートにタイプ分けしていたモデルをクラウン一つにまとめなおし資源を集中することにした。
新型クラウン(ハイブリッド)には大きく 6気筒3.5Lと4気筒2.5Lの2つのタイプを揃えた。最大の競合相手は 同じく 6気筒ハイブリッドと4気筒ハイブリッドを持つレクサスGSだ。また4気筒ハイブリッドのレクサスESとも競合するだろう。ざっとだが 値段を見ると 新型クラウンはこれらレクサス競合車種と比べ 数十万円~100万円以上安い。かなり衝撃的な価格差だ。
ポイントは同じ機能の車だったら 客は“レクサス”というブランドにどのくらいのプレミアムを支払うかという問題だ。恐らく 新型クラウン開発陣はこれを市場調査したに違いない。上記の価格差は この問題に対するクラウン開発陣の答えを表している。
ちょっと待てよ。メルセデスなどのブランド指向の購入者に対し 本当に価値のある車を提案し受け入れられたのが レクサスだったはずだ。もしかすると 今 新型クラウン開発陣がやっているのは レクサスというブランド指向の購入者に対し 新型クラウンを通じて本当の価値を問いかけているのかもしれない。 レクサスGS/ESの国内販売責任者はこの状況を一過性と受けとめない方がよいだろう。
2019年5月 100kmマラソン
先月下旬 チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100kmの部に参加した。一昨年に続き 二度目の参加だ。この大会は 富士山の北山麓に位置する富士五湖(東から 山中湖 河口湖 西湖 精進湖 本栖湖)のすべてを周回する118kmの部 本栖湖を除く四湖を周回する100kmの部 更に山中湖を除く三湖を周回する71kmの部の3つに分かれている。山中湖と河口湖はかなり離れているし それぞれの湖の間の道には大きな勾配が存在する。
私のスタートは朝4時45分。まだ明けきれぬ薄暗い空の向こうに しかし雪をまとった富士山がくっきりと姿を見せるというまさに幻想的な美しさ。今迄に見た富士山の中で一番美しい富士山だった。制限時間は14時間後の午後6時45分 夕暮れの始まり時だ。
富士五湖100kmの部の特徴は 6つの途中関門の制限通過時間が最初に厳しく 後半に甘く設定されている点だ。前半頑張った人には後半は優しくしてあげようという思いやりと言えなくもない。特に 第一関門(約18km地点)と第二関門(約38km)地点の制限時間が厳しい。しかも第二関門近くは長い登り坂だ。ちなみに完走率は例年70%位だが リタイア組の半分以上はこの第一/第二関門でアウトになるらしい。計算してみると この区間 フルマラソンで4時間半程度の走りをしなければ第二関門を通過できない。
一昨年の初参加ではこのことをしっかり頭に刻み意気揚々と走り出した。しかし後半に失速。精進湖を巡る70数km地点で「私は何のために走っているのか」という迷いが脳裏をよぎった。上り坂はもちろんのこと 下り坂も足がつらく 平坦な道だけを軽く走り あとはすべて歩きというありさま。最後の方は制限時間をにらみながら必死の思いの完走だった。
一昨年走った時 私はずっと 精進湖(五湖の内で最小)とコース道路の間には林があり コースからは精進湖が見えないものだと思い込んでいた。ところが今回 驚くことに コース横に精進湖がくっきりと姿を現し しかもコースはずっと精進湖を取り囲んで展開していた。前回は余りの疲労のため 精進湖を見た記憶がまったく失われていたのだった。
今回は ともかく前半はできるだけ軽めに走ることを心がけた。軽く走ったのはよかったのだが 今度は逆に中・後半に余裕がなくなってしまった。56キロの休憩地点では Tシャツの着替えだけはしたものの靴下を取り換える余裕もなく 時間に追われて飛び出す始末。去年と比べれば 後半もそれなりのエネルギーは残っていたが 制限時間をにらみながらの完走は同じだった。結局 タイム的には一昨年とほぼ同じだった。
その夜はホテルでバタンキュー。翌日 朝食の前に 風呂場で体重を測ると 何と通常より5キロも減っているではないか。「走ったキロ数×体重≒消費カロリー」 「7200カロリー≒1キロの脂肪消費」という概算式に従えば このマラソンで脂肪が1キロ近く消費されていることになる。あとの4キロは水だ。しっかりと走りながら水を取っていたのだが当然その程度では追いつかない。体の60~65%が水ということを考えると どうやら体内の水分量の1割を消費していたらしい。
一昨年と比べ足は驚くほどに大丈夫だった。しかし 全体的な疲労感は今年の方がやばかった。66歳の私には100kmは過酷すぎる、これを最後にしようかと思った。ただ ウルトラマラソンは なぜか 終わって日が経つにつれ もう一度チャレンジ心が燃えてくる。事務局によれば 今回の100kmの最高齢完走者は75歳とのこと。70歳までなら何とかなるかも。とりあえず 来年も頑張るか!
2019年6月 リンドバーグに学ぶ
先日 NHK(BSプレミアム)でチャールズ・リンドバーグのドキュメント番組を見た。実に面白かった。実に勉強になった。波乱に満ちた彼の人生を貫いているものは 誰が見たって そのハートの奥に潜む 向う見ずにも見える「冒険心」だ。
リンドバーグと言えば もちろん大西洋初横断飛行(1927年)。彼は米国下院議員を務めた父に独立心を学び 高校の化学教師だった母から勉強心を学び 機械好きの祖父に「飛行機」という進む道を見つけたらしい。
リンドバーグは 大西洋横断飛行の成功の後 世界の超有名人・超セレブとなった。裕福な投資家の娘と結婚し 幸せな生活を送っていたが ある日 突然の悲劇に見舞われる。赤ん坊の長男が誘拐・殺害されるという事件だ。ここまでは私も知っていた。しかしその後も続く彼の波乱の人生については全く知らなかった。
赤ん坊を失い失意のリンドバーグは 押し寄せるマスコミの眼を避けるため 家族でロンドンに移る。その後 ナチ台頭を恐れる米国政府の依頼でナチの空軍能力の視察に赴く。ヒトラーは 有名人リンドバークに最先端の施設を見せ 逆に彼をナチの広告塔として使おうとする。彼をベルリンオリンピックに招き 勲章を授け ドイツの力を誇張して見せつけた。
リンドバーグはまんまとヒトラーの作戦に乗せられてしまう。リンドバーグは米国政府に「ナチの空軍力は英仏を合わせた空軍力をはるかに上回る」と報告し 米国の戦争介入に反対の立場をとることになる。この報告は当時の英国首相チェンバレンの失策(対ドイツ融和政策)を後押ししたとも言われているし 実際 彼の主張はチェンバレンの主張と同じだった。結局 米国に戻ったリンドバーグは戦争介入反対を主張するため積極的に政治の場に登場する。1930年代後半の話しだ。
彼は 一時は国民の圧倒的な支持を得 ナチを毛嫌いするルーズベルト大統領と真っ向から対立することになる。しかし ナチの台頭に伴い米国の世論は反ナチに傾く。結果として リンドバーグはナチの手先との汚名を着せられ政治・社会の表舞台から姿を消すことになった。
この時 リンドバーグがヒトラーの脅威をどこまで感じていたのかのは分からない。ただ 英国で対ドイツ強硬派のチャーチルが首相になったのは1940年。それまでチェンバレンのドイツ融和策が続いていたことを考えると リンドバーグを責めるのも無理がある。しかし1940年フランスがドイツに敗北して以降も 彼は主張を変えなかった。彼が立場を変えたのは 1941年日本の真珠湾攻撃のことだった。いい意味でも悪い意味でも かなりの思い込みの強さだ。
戦後 アウシュビッツや広島を訪れたリンドバーグは 科学の発展に疑問を持つようになり これが彼の晩年の生き方になる。彼はハワイ・マウイ島に電気も通さない質素な住まいを建て そこで 飛行機ではなく鳥を友とした生活を送ることになる。同時に 自然環境保護のために様々な活動に精をだしはじめる。
ある時 フィリピンの水牛タマラオが乱獲により絶滅の危機にあることを知ると 単身フィリピンに飛び マルコス大統領に直訴。これによりタマラオの絶滅は救われることになった。最晩年 彼は一年のほとんどをフィリピンで過ごしたという。もちろん 動物と共存するフィリピンの田舎で現地の人の住む高床住宅で現地の人と同じような生活を送っていた。
フィリピンの生活中 リンパ腫瘍が発見されたリンドバーグはニューヨークの病院で診察を受ける。余命が短いことを知ったリンドバーグは マウイ島にもどることを決め そこを死に場所に決める。彼は死の床の中で 妻と共に葬儀の手配をし 葬儀で歌うべき讃美歌を自ら選んだという。残されたメモには 死という最後の冒険に向かうという前向きな言葉が記されていた。
もっと早くリンドバークの冒険心や行動力に触れていれば 私の人生も違ったものになったかも・・・。まあ それは次の人生に回すとして 彼を見習い 自分の死に場所くらいは自分で決めたいと思う。それくらいの ちょっとばかりの行動力と自由な心を持ってもバチは当たらないだろう。
2019年8月 私の仕事
しまった。気づいてみたら 先月のこの欄をミスってしまった。本当に忙しかったのだ。
私の仕事(中堅社員を対象とした研修)には季節性がある。毎年のことだが 一番忙しいのが6月と7月 その後 8月は夏休みなどで若干仕事が減るものの 11月までそこそこの忙しさが続き 12月から3月にかけて暇になり 3月半ばから5月半ばにかけて一番暇になる。
クライアントである人事部はどうしても3月半ばから4月末まで新入社員の研修で多忙を極めている。それらが一段落したところで一般社員の研修を手掛けることになる。というわけで 例年6月から7月が最繁忙期になるわけだ。
とりわけ今年は なぜか実例課題を対象としたスライド研修やフォローアップ研修の依頼が相次いでいる。例えば スライド研修では クライアントにて実際に使用したスライドから 課題として使えそうなものを選び それに微調整を加えて課題に作り上げるという作業を行う。課題としてふさわしいように ひどすぎず かつ 良すぎない資料を選ぶ。しかし 研修を依頼してきているのだから 正直 課題としては出来が良すぎるなどの資料はほとんどない。作業としては 課題と修正結果をイメージしながら題材選びをやるのだが 選ぶだけでも時間がかかる。結構 経験のいる作業だ。
できあがった課題は 当然 私の方で修正見本を作成する。もちろん この見本づくりが難関。えらい手間がかかる。会社によっては 内容がかなり専門分野に及ぶものもあるため まずは内容と背景をしっかりと理解しなければならない。読み手の状況もある程度把握しなければならない。原本をしっかりと読みこなすのはもちろんだが それだけでは不十分。内容に関連することや読み手を取り巻く状況をネットで調べまくらねばならない。それからようやく見本づくりに入る。
手間はかかるものの 実はこの実例を題材にした修正見本づくりは面白い。実際にどういうものが社内で作成されているのか現実のビジネス状況をイメージすることができる。机上で作成した問題解答ではなく 実例である。実際にはきれいごとだけで済ますことのできない様々な制約があるし 幾つもの妥協も必要になる。なかなか教えた通りにはいかない。したがって どこまで原則に忠実にしなければならないか どこまで妥協がゆるされるのかのせめぎあいになる。しかし こうしたプロセスを経て 絶対に守るべき原則や鉄則が見えてくる。私としては 原点回帰の復習であり 錆びつかないための練習になる。
こうした実例を見て感じるのだが 世の中には本当に分かりにくい文書やスライドが蔓延している。もちろん 分かりにくい文書とは伝えようとするメッセージがしっかりと考え抜かれていないことを意味する。中途半端な考えでなされるコミュニケーションは悲惨だ。本来は一度で済むやり取りが二度三度くりかえされる。これにより生じる非生産的な業務は積み重ねると膨大なものになりそうだ。
どうやらまだまだ私の仕事には価値がありそうだ。
2019年9月 東京マラソン寄付金争奪?
9月になると 趣味のマラソン大会の出場申込みがほぼ出揃う。今シーズンの予定は フルマラソンが3つ。11月の神戸マラソン(初出場) 12月の湘南国際マラソン(久しぶり) 3月の東京マラソン(連続出場)。これらは既に出場確定。フルマラソン以外にハーフマラソン数大会への参加を予定している。そしてシーズン最後は まだ申込みが始まっていないが 来年4月の富士五湖ウルトラマラソン(100km)で締める予定だ。
神戸マラソンは3回続けて落選した人の優先抽選枠のお蔭で 出場権確保。ただし 神戸マラソンの最大の楽しみは マラソン終了後に予定している有馬温泉(神戸三宮から電車で30分)だ。東の横綱と言われる草津温泉には何度か行ったが 西の横綱と言われる有馬温泉にはまだ行ったことがない。テレビの「ぶらたもり」で有馬温泉が紹介されて以来 いつか行きたいと思っていた。日本でいちばん深い場所から湧き出るという金泉は今から楽しみでしょうがない。
さて 来年の東京マラソンは今年と同様 10万円を払ってチャリティランナーで走ることにした。正直 一般抽選ではとてもあたる気がしない。チャリティ先も希望に応じて選べるし 寄付と考えれば贅沢しているという負い目もない。昨年走って改めて感じたが やはり東京マラソンは走りやすい。どちらかと言えばやや下りの片道コース。都心を走る楽しさに加えて 観光地がいっぱいだから飽きない。都庁から始まり 銀座 歌舞伎座 日本橋 浅草 スカイツリー 増上寺 東京タワー 泉岳寺 そして 皇居前でゴール。なかなかに考え抜かれた都心満喫コース。そのまま はとバスコースになりそうだ。
さて今年は7月2日にチャリティランナーの応募が始まった。チャリティ応募枠は3700人。先着順。参加選手は全部で3万5千人くらいなので1割以上が10万円ランナーということになる。この枠が去年は4日で埋まったという。そして今年は 何と応募開始から数時間で応募終了になってしまった。
この状況はさすがに東京マラソン事務局も予想外だったらしい。受付のネットシステムがパンク状態になったのだ。朝10時から応募スタートのところ 私はおもむろに11時にパソコンに向かった。ところがなかなかつながらない。ようやくつながって10万円のカード決済を済ませ 次に寄付とは別の参加料の支払い画面に移ったところで まったく画面がつながらなくなった。15分おきに繰り返したが何度やっても同じ。当然のように電話は話し中でまったく通じない。
しばらくして午後1時過ぎにHPに「アクセスが殺到している。登録確認の返信メールが届いていない人は最初からやり直してくれ」との告知。すでに済ませた10万円決済はどうなるのかと若干不安に思いながらも 最初からもう一度やり直すことにした。そして決済画面に到達したとき 画面に「応募人数に達したので閉め切ります」との冷血メッセージが登場。唖然。結局ダメだったのか。何というお役所仕事。しかし 頭の中は10万円の支払いはどうなるのかという不安の方が大きかったので それほどの怒りはなかった。もちろん電話は一切通じない。合計10回は電話したがすべて話し中。翌日に回すよりしようがない。
翌日 東京マラソンから一通のメールが届いた。「登録が確認されたので出場できます。ご安心ください。詳細は追って連絡します」。何度かやりなおしたので 同じメールが3通も来た。おそらく 事務局は目の回るような忙しさだったに違いない。正式な受付確認通知が届いたのはそれから数日後だった。
10万円払って走る人がそんなに殺到するというのも驚きだった。しかし 後でよく考えてみたが これにはどうも裏の理由が関係してそうだ。寄付金先は前もってリストされた団体の中から申込者が任意に選択できる仕組みになっている。その結果起こるのが寄付金の争奪合戦である。3700人で一人10万円 という事は合計3億7千万円の寄付金だ。参加料は別途なのでこれは純粋な寄付金総額らしい。
認定された寄付金事業団体は29だったので 平均すると一団体当たり 1千数百万円の寄付となる。これは団体にとっては全く無視できない額だし 東京マラソンの寄付で成り立っている団体もあるにちがいない。当然 そうした団体は過去に一度でも寄付した人は決して逃すまいと チャリティ申込み期日前には必死になって申込み催促メールを出す。来年は「チャリティランナー申し込みは受付後数時間で定員に達しました。申し込みは受け付け開始後すぐに・・・」という内容のメールが過去のチャリティランナー全員に届くはずだ。というわけで 早めに申し込もうとする人は増えることはあっても減ることはない。
とはいってもたかが3700人の応募枠。これでネットがパンクするというのもちょっとお粗末な気がする。まあ私にとっては結果オーライ。長い一日だったが 来年は万全の受け付け体制をお願いしたい。
2019年10月 ウィルスに抗生物質は効かない
鼻の下に小さな赤い湿疹ができた。疲れた時に時々こういうものが出る。カミソリまけかと思い 抗生物質の軟膏を塗ったが 一週間たっても治らない。今回はなかなかにしつこい。病院に行ったところ 「これは単純疱疹ですよ。一度出ると95%の人は体内に抗体ができるので二度と出ません。何度か起きると言うことは 山崎さんは残り5%ですね。原因はウィルスなので抗生物質は効きません。専用の抗ウィルス薬を塗るか飲むかすれば すぐに治ります」と言う。
そうか 細菌ではなくウィルスが原因なのか。そして 抗生物質はウィルスには効かないのか。恥ずかしながらウィルスは最近よりも小さいことくらいは知っていたが 抗生物質がウィルスに効果がないと言うのは知らなかった。で すぐに調べてみた。
細菌は単細胞生物で ヒトの体内で自分と同じ細胞を複製して増殖していく。一方 ウィルスは なんと自分で細胞を持っておらず 細菌の1/50程度の大きさしかない。ウィルスは ヒトの体に侵入すると ヒトの細胞の中に入って自分の複製を作り 細胞を破裂させて多くのウィルスを飛び散らせ 他の細胞に入り込んでいく・・・これは怖い。
いわゆる抗生物質は細菌の細胞壁の合成を阻害するなどして増殖を抑え死滅させるものなので そもそも細胞を持たないウィルスにはまったく効果がないのだ。例えば 最初の抗生物質 ペニシリンは 細菌の細胞壁合成を担うたんぱく質に作用し細胞壁の合成を妨げる役割があるという。これで細菌は増殖機能を失い 死滅していく。なぜ人間の細胞は大丈夫かと言えば 人間をはじめとする動物の細胞には細胞壁というものがそもそもないからだ。
正直な話 ウィルスに細胞がないことも知らなかったし 抗生物質とは細胞に作用するものだとも知らなかったし 動物の細胞には細胞壁がないということも知らなかった。
ちなみに ウィルスは 細胞を有する生物と異なり その形質が著しく多様だと言う。そのために 万能的な抗ウィルス薬などなく 開発されている抗ウィルス薬もまだまだ限定的だと言う。ちなみに通常の風邪はウィルスが原因なので抗生物質は効かない。インフルエンザと同じだ。一般的に売られている風邪薬はあくまでも症状を軽減するためのもので ウィルスを殺す機能はない。
それでは 原因が細菌かウィルスかをどうやって判断するのか。これはちゃんとした検査をしないと分からないらしい。ただし大まかな目安としては 発熱・のどの痛み・咳・鼻水といった代表的な風邪の諸症状が複数出ている時にはウィルス感染。鼻だけ 咳だけといった特定部位のみの症状が出ている場合には細菌感染の疑いが高いと言う。最近は特定の部位に集中して増殖するのに対し ウィルスは部位を問わずに増殖する傾向があるからだという。
とはいっても私の赤みを帯びた湿疹は鼻の下の部分的なもの。ウィルスの世界は奥深い。病院からもらった軟膏のおかげで3日で治りました。
2019年11月 エディ・ジョーンズ
今月初め 東京スタジアムにワールドカップ3位決定戦(ニュージーランド対ウェールズ)を見に行った。その時にふと以前見たNHKの「奇跡のレッスン」という番組を思い出した。世界のプロスポーツ界で活躍した人を日本に呼び 数日間 高校生をレッスンしてもらうという番組だ。指導者の大切さがよくわかる。
先日の再放送(オリジナルは2017年放送)で見たのは ラグビーワールドカップの元日本代表ヘッドコーチ エディ・ジョーンズが目黒学院高校のラグビーを5日間指導するという内容だった。いわずと知れた名将 エディ・ジョーンズ。2015年のワールドカップで日本を3勝させ 今度のワールドカップでは2015年に決勝進出を逃したイングランド・チームを準優勝に導いた男だ。
一方 目黒学院は関東代表として何度も花園進出を果たしたラグビー名門高校。しかし 2017年までの数年間は優勝まであと一歩及ばず 全国大会出場を逃している。今回 エディ・ジョーンズがコーチをするチームは一度も花園を経験していない。しかも エディ・ジョーンズが指導する期間はたったの5日間。それまで 目黒学院のプレーを一度も目にしていないのだ。
彼のやり方は徹底したスキル練習。すなわち 実戦練習が主体だ。テレビを見ていてよく分かったが 徹頭徹尾 実戦を意識する。実戦につながらない練習はほとんどやらない。どうやらこの指導スタイルはワールドカップに出場する代表チームでも高校生でも変わりはないようだ。
2015年のワールドカップが終わった後 エディ・ジョーンズが日本のテレビ番組でこう語っていた。「日本の選手はテクニックの練習ばかりやる。たしかにテクニックの練習は必要だが これだけでは絶対に試合に勝てない。スキルの練習が必要なのだ。」番組に出演していた日本人がこう質問した。「監督。スキル練習とテクニック練習はどう違うのですか?」エディ・ジョーンズの答えは的を射ていた。「子供たちのサッカーのドリブル練習を例にとろう。日本人の子供たちは コーンを等間隔に立てて その間をボールを転がしていく練習をする。これはテクニックの練習だ。ドリブルのテクニックを磨くにはこの練習は不可欠だ。しかし これをいくら上達しても試合には勝てない。ブラジルの子供たちは5歳になった段階で 生身の人間をディフェンダーに仕立て その間をドリブルで抜く練習をする。これがスキル練習だ。スキル練習とは実戦を意識した練習だ。これこそが勝つための練習なのだ。」
驚くことに 監督と出会って わずか5日間。目黒学院チームは生まれ変わった。その年の秋に行われた東京都大会で優勝し 4年ぶりの全国大会出場を果たしたのだ。
プロでも高校生でも指導者は本当に大切。ぜひジェイミー・ジョセフには来年の日本代表監督を受諾してもらいたいものだ。もちろん エディ・ジョーンズでも大歓迎。余談だが ゴルフの松山英樹選手はコーチをつけないことで有名だ。しかし私は少なくともパターはコーチをつけた方がよいと思う。
2019年12月 iPhone紛失と新型購入
先日 新神戸からの帰り 新幹線の車中にスマホを置き忘れると言う大失態をしでかした。自宅に帰りつくとスマホがないのだ。八重洲から自分の車で帰宅したのだが 車にもない。やはり新幹線の中にちがいない。
旧いiPhoneを使っていたのだが ここでiPhoneの素晴らしさに感激することになった。パソコンでicloudを経由してiPhoneを探す機能をオン。あっという間に GPSで 自分のiPhoneが八重洲にあることが判明。やはり新幹線の車内に置き忘れたのだ。
次に iPhoneの紛失メッセージを起動させ 自宅の連絡先電話番号を入力。そうすると 見つけた人がiPhoneを起動させると 初期画面に 「この携帯電話は紛失したものです。見つけた方は xxx にお電話ください」というメッセージが現れる。日本であれば これで8割方 手元に戻りそうな気がする。実に素晴らしい。
一応やるべき操作はした後 気持ちを落ち着け 八重洲の紛失窓口に電話してみるのだが これがやっかい。前にこのコラムでも書いたことがあるが 新幹線の大阪方面の運航はJR東海が担当している。したがって 大阪方面からの新幹線車内の置忘れとそのホームでの紛失物に関しては 八重洲のJR東海の紛失係に電話しなければならない。一方 ホームを出てから改札までの紛失に関しては 八重洲のJR東日本の紛失係に電話しなければならない。というわけで 普通は両方の窓口に電話することになる。
JR東日本は割としっかり管理されているので一本の電話で済むのだが JR東海はいつも通り 2、3度電話しないと話が通じない。JR東日本とJR東海ではかなりシステム化に差があるらしい。結局 JR東海の紛失係で置忘れが確認されたのは翌日。まあ何とか出てきて一安心。しかし 同じ八重洲なのだから 紛失物の一元管理はできないものだろうか。
後日談になるが これを機会に iPhoneを新型の11に買い替えることにした。老眼が進んできたので大きい画面にしたいのと 夜でも美しく撮れるという新型カメラに惹かれていた。しかし アップルストアで手に取ってみて最初に驚かされたのは顔認識の素早さだ。指紋認証でいちいち指で押すのとは比べ物にならない というか 認証機能が作動しているという感覚すらないのだ。
しかしよく考えてみると これで私の顔データはアップルのデータベースにしっかりと保存されてしまったことになる。何か犯罪に巻き込まれてアップルが私の顔データを当局に提出することになれば 私の顔は街にある防犯カメラと照合され iPhoneのGPS機能で 逐一追跡されるにちがいない。
そうでなくても マイナンバーを登録している人は要注意だ。マイナンバーというと番号で管理されているイメージだが もちろんマイナンバーカードを取得している人はナンバーだけではなく顔写真でも管理されている。これは個人的な推測だが マイナンバーカード取得者は国家データベースにて顔写真を含めたあらゆる情報が登録されていると思った方がよい。事件に巻き込まれると防犯カメラと呼ばれる監視カメラですべての情報はつつぬけになるだろう。ちなみに 米国では 成人の7割以上が顔写真を含めて情報管理されているという。中国ではこれが90数パーセントに跳ね上がる。最近 中国で7人を殺し逃亡していた美人女性殺人犯が逮捕され話題になった。田舎に設置されていた監視カメラが居場所特定の決め手になったと言う。
パスポートで管理されているから同じではないかという人もいるかもしれない。しかし 出入国管理を目的としたパスポートと全個人情報管理を目的としたマイナンバーカードではそもそもの発想が違う つまり情報管理の仕組みが根本的に違うと私は思う。
私は 政府というものをあまり信用していないので マイナンバーカードはいまだ取得していないし 今のところ 取得する気もない。しかし それを聞いていた友人いわく 「悪いことばかりじゃないよ。もう少し歳を取って ボケて徘徊するようになったら 防犯カメラで簡単に見つけてくれるよ」・・・なるほど。
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