過去のひと言
2015年1月 職人技
年賀状の宛名書きは随分前から万年筆で書くようにしている。もっと以前は毛筆で書いていた。しかし さすがにこれは手間がかかるためにギブアップした。その宛名書きや署名などの際に愛用しているのが 10数年前に購入したモンブランの万年筆(太字)である。使い始めの頃はインキが途切れたりして今ひとつだったが 最近ようやくペン先が私の書き方に馴染んできた。
万年筆はもう一本 中字のものを持っている。大橋堂の手作り万年筆だ。友人からギフトとして頂いたもので モンブランと同様に黒のオーソドックス型だ。太字は署名やら宛名書きなどいろいろ使う機会があるのだが 一般的な中字は実際にはあまり使う機会がない。どうしてもボールペンを使ってしまうからだ。宛名書きをしながら これからはもっと万年筆を使おうと考えた。
と思っていたところに和風総本家の年末再放送で 同じく手作りの中屋万年筆が紹介された。今持っているモンブランや大橋堂のものが黒のオーソドックス型なのに比べ 中屋のものは漆塗が基本で しかも色や塗りにかなりの種類がある。あまりの美しさに惹かれ先日注文を出した。モンブランは太字用、大橋堂のものはクリップつきのポータブル用、今回注文する中屋のものはクリップなしの卓上使用 一応無駄はしていないぞと自分を説得した。今 納品待ちだ。3ヶ月くらいかかるらしい。
職人技と聞くとどうも心惹かれてしまい 財布のひもが緩くなる。以前購入した職人もので言うと 諏訪田製作所のニッパー型爪切り。結構重宝している。倉田製作所の手作り毛抜き。一本一万円近くするが これは秀逸である。更には 製作工程の6割が手作業と言われるタレックスの偏光サングラス。これも職人技に入れてよいだろう。あまりの素晴らしさに 個人用だけで3本購入した。職人物の共通点は 皆 普段日常的に実際に使用しているものばかりという点だ。これこそが芸術作品の違いだ。職人は決して芸術家を気取らない。
私の仕事は経営者向けに経営アドバイスをするコンサルタントであり 企業向けに教育研修を提供するトレーナーである。経営コンサルタンティングでも教育研修でも 私はずっと以前から優れた職人になることを意識し目指してきた。
職人技とは手作り作業と言い換えることもできる。最高のものを目指せば どうしても機械化したり 他人任せの汎用化が難しくなる。職人技を続ける限りは大量注文には応じることは出来ない。昔 私が開発した企業向け教育研修を某研修会社とタイアップして展開したことがある。しかし人に頼るとどうしても質が落ちる。これは職人としてもっとも我慢ならないことだ。結局このタイアップ事業は私の方からお願いして解消してもらった。職人技は所詮ニッチ・ビジネスだ。しかし それでも 私は職人技を目指したい。職人技には百点はない。ベストはなく つねにベターがあるのみだ。そして つねに目指すべきものがあるということはとても幸せなことだと思う。
2015年1月その2 トヨタへの提案
トヨタの「ミライ(燃料電池車)」には驚いた。まさかこんなに早く燃料電池車が登場するとは考えてもみなかった。ハイブリッドの次は100%EV 燃料電池車はその次だろう。あと20年くらい先の話しかなと漠然と思っていたからだ。これで私の次の車は燃料電池車で決まりだ。
更に トヨタの燃料電池車に関する特許無料公開のニュースには感激した。さすがトヨタ。やるではないか。実はこのニュースを耳にして 私がかつて携わったECR(Efficient Consumer Response)の事を思い出した。
ECRとは1988年以降 米国のグローサリー(日用雑貨)業界で繰り広げられた業界ぐるみの流通効率化運動のことだ。もともとは米国最大の消費財メーカーであるP&G(プロクター・アンド・ギャンブル社)と米国最大の小売りチェーンであるウォルマートが手を組んで開発した物流効率化が発端になっている。それ以前 米国のグローサリー業界では メーカーと小売りは敵対的な関係にあった。メーカーは出来るだけ多く売りつけようとし 小売りは出来るだけ安く買いたたこうとしていた。P&Gとウォルマートが共同で何かをやるなどあり得ない状況だった。
劣悪な関係を何とかしたいと考えていた両社のトップは極秘プロジェクトを組み まずは物流の改善から取り組むことにした。それまでは ウォルマートが自社倉庫の在庫状況を見てP&Gに商品を発注し P&Gがメーカー倉庫からウォルマート倉庫に配送し ウォルマートが自社倉庫から店舗に配送するという仕組みだった。問題はこの過程に存在する流通在庫を如何にして削減するかである。
結論から言えば 発注の8割を占める補充商品に関しては 購入者であるウォルマートではなく 納入者であるP&Gが発注と納入を管理することになった。つまり 売り手のP&Gが買い手が購入する商品・数量・配送時期を決定するのだ。発想の転換だ。これを可能にしたのが 当時最先端だった 衛星を経由した販売・発注・配送・在庫データの共有だった。冷静に考えてみれば 補充品の管理ならば 何十万品目を扱うウォルマートがやるよりは 千品目を扱うP&Gがやる方がよほど効率的だし間違いもない。もちろんデータを共有しているのだから P&G側で悪いことをしてもすぐに分かる。
結果として 流通在庫・物流コストが30~40%削減しウォルマートと競合する小売りは大慌てすることになる。もちろん ウォルマートは他メーカーにも同様のやり方をやってほしいし P&Gも他小売りに同じサービスを提供したい。というわけで このやり方のすべてのノウハウを業界に提供し 業界を挙げて更なる効率化運動に取り組むことになった。具体的には P&Gとウォルマートが主導でECR委員会を主宰し 来る者拒まずで改善アイデアを出しあうことになったのだ。
トヨタさんに一言提案するとすれば 特許公開だけではまだ不十分ということだ。ここまで覚悟したのならばもう一歩進めるのがよい。ぜひ世界規模の燃料電池開発運動を展開し 特許の裏にあるすべての思想やノウハウを共有するようにすることを進めてほしい。そうすれば トヨタが今迄気づかなかった更なるアイデアが生まれてくるに違いない。この辺は小著「P&Gに見るECR革命」(ダイヤモンド社 中国語・韓国語訳あり)に詳しいので ぜひご一読あれ。
2015年2月 イスラムの指導者へ “ケンジ基金”の提案
とても理解できない。いったい後藤さんを殺害してISISに何のメリットがあったというのか?後藤さん殺害報道の前の事だが テレビのコメンテーターの中には 日本を巻き込むことでのISISの存在感を誇示できた。これによりアラブ諸国の同調者から莫大な寄付を募ることができると言っていた人がいた。しかし 本当にこの結末がISISの資金力強化につながるというのだろうか?
ISISはかなり周到な準備をして戦略的な広報活動をしていると言っていた人 いや未だにそう言っている人がいる。素人の私にはとてもそうは思えない。そもそも 人質の解放条件を途中から180度変えるなどとても考え抜かれた戦略には見えない。しかも日本の人質をとって ヨルダンを交渉相手に引きずり込むなどあまりにも場当たり的ではないか。サジダ・リシャウィ死刑囚との交換条件を出せば ヨルダン側が捕虜パイロットの話を持ち出すなど当たり前だ。パイロット生存の証拠も示せないのにリシャウィ死刑囚を解放させるなどあり得ない。私に言わせれば ISISはまったく勝算も戦略もなく しかも誰にとっても価値のない人質殺害をやってしまった。
ただ一つ今回の人質殺害に彼らなりの成果があったとすれば ISISの狂気を全世界に印象づけたことくらいだ。しかし それすら世界中の多くの人にとって ISISの狂気ではなく イスラムの狂気と受け止められただろう。パリのテロでは 下品なジョークでムハンマドを侮辱したというイスラム共通の怒りもあったかもしれない。しかし 今回殺害された後藤さんは日本のそして世界の良心ともいえるジャーナリストだった。ISISはその良心を抹殺したのだ。
純粋なイスラム教徒たちは今回の事件の大きな犠牲者だ。これはシーア派対スンニ派の問題ではない。スンニ派たるISISは同じくスンニ派の部族に対してすら虐殺を続けている。私は 世界のイスラム教の指導者たちがシーア派もスンニ派も まずは一致団結し 今回の事件に対しイスラムの立場・イスラムの精神を明快に公に述べる必要があると思う。ISISという狂気の排除を徹底的に追求し 真のイスラム教の精神を取り戻すべきだ。
ISISを異端と考えるイスラムの指導者たちよ あるいは 日本在住のイスラムの指導者たちよ たとえば あなた方イスラムの主導で 「ケンジ基金」を作り 全世界に募金を募るなどしてはどうだろうか。この基金を後藤さんの幼い子供たちの将来に使っていただき 少なくとも子供さんたちには異教への憎しみを持たないように育っていただきたいと思う。それが後藤さんの生き方でもあっただろうから。
2015年2月その2 行政改革の火
一か月ほど前のテレビ番組(確か BS朝日の「昭和偉人伝」の再放送)で 土光敏夫の特集があった。中でも 土光氏が会長を務めた第二次臨時行政委員会(土光臨調)の話には改めて見入ってしまった。「増税なき財政再建」を旗印にした土光臨調は1981年から1983年の話しなので 既に30年以上前のこと。当時あまりのインパクトだったので 土光臨調がわずか3年そこらの出来事だったと知り 改めてその濃密さに驚いている。テレビを見ていると 会長就任当時まだお元気だった土光さんが3年後の最終答申の時には車いす状態になっている。本当に頭が下がる思いだ。
テレビでは土光臨調のメンバーの一人 ウシオ電機の牛尾会長がこう言っていた。「今の日本があるのは 7割がた 土光さんのおかげだ。」テレビを見ていて私も本当にそうだと思った。何しろ 電電公社(NTTグループ) 国鉄(JRグループ) 日本専売公社(日本たばこ産業)の三公社の民営化はすべてが土光臨調の提案から始まったのだ。今もしも これら企業が公社のままで存在していたとしたら・・・考えるだけでも身の毛のよだつ思いがする。本当に心から「土光さんありがとう」と言いたい。もちろん 土光臨調の設立を画策し 支え 民営化を実現した中曽根元総理もよくやったと言いたい。
さて 80年代の土光臨調・中曽根内閣の三公社民営化の後に続いた行政改革と言えば 未だ記憶に新しい2000年代 小泉内閣による郵政民営化だ。そして今年 安倍内閣による農協改革への着手が始まった。
先日 全国農業協同組合中央会(JA全中)が政府・自民党の農協改革案を受け入れると表明した。これにより JA全中の持つ地域農協に対する監査権限は廃止されることになる。というか こんな権限を全中が持っていたなどびっくり仰天だ。これでまともな農政改革などできるわけがない。望むらくは この農協改革により地域農協が経営の自由度を高め 農業の競争力を高める取り組みに力を注ぐようになることだ。もちろん JA全中が農協の代表・調整機能を持つことなどが認められるなど JA全中の実質的な影響力が保持される可能性も残されている。気がかりな点も多いし 妥協の産物との批判も多い。
おりしも先月末 ヤマト運輸のメール便廃止に関する憤りの記者会見があった。いわゆる親書(手紙)の定義と親書の取り扱い認可に関する 誰が聞いても不可解な行政問題に端を発した出来事だ。結局のところ 郵政民営化と言いながらも 郵便行政(旧郵政省・郵政族)の抵抗は未だに根強く続いているのだ。
三公社民営化から30年 おそらくは郵政民営化の価値が本物になるにはまだ10年以上かかるだろう。農協改革もしかり。これからが勝負だ。しかし少なくともJA全中の政府・税金依存圧力は今までのようには行かないだろう。久しぶりに がんばれ安倍さんと言いたい。
2015年3月 限りある地球環境のために
先日 このコラムで トヨタの燃料電池車の動きを称賛した。トヨタの“ミライ”は販売予約が好調のようで 生産台数は当初予定の3倍増にすることが決定したと言う。一方で 欧米の電気自動車メーカーの批判はすさまじい。批判の最大の根拠は 水素はあくまでも二次エネルギーであり その水素抽出に莫大なエネルギーがかかる。結局 トータルのエネルギー消費は電気自動車よりもかなり高くつくというものだ。その通りだと思う・・・今のところは。
燃料電池車の最大の魅力は脱炭素エネルギー つまり水素社会実現に向けての引き金を引いた点だ。口先だけで地球温暖化というよりも 最大の燃料消費の源である自動車燃料を水素にしてしまえ そうすれば議論は必然と水素をどうやって作るか運ぶかに向かうはずだという発想だ・・・素晴らしい。
逆に言えば 燃料電池車への批判は結局のところ水素社会実現の否定と言える。もちろん 水素は生産コストはかかるし 運送保管の管理やコストも大変なものになる。基本的に作りづらいし扱いづらい。それだったら他の選択肢の方が・・・。私に言わせれば 反対意見の多くは 新しい考えにはまず否定的に反応するというタイプの議論に見える。しかし今議論すべきは 現在 どのエネルギーが効率的かではなく どうすれば脱炭素エネルギーを実現できるかと言う点だ。燃料電池車や水素社会が今効率的かどうかではなく どうすれば効率的な水素の生産・運送・保管ができるかという点だ。
地球の命には限界はあるし 自然環境にも限界はある。いつかは分からないが いつか地球上の生命は滅びる。このまま炭素を燃やし続けて温暖化を引き起こせば 我々の文明は 地球環境はいったいいつまで生き残れるのだろうか。あと数百年 数千年 数万年・・・今世界で起きている異常気象を目にすれば 私たちは既にそうした問題に直面しているように思えてならない。
トヨタの特許公開の動きを受け 真っ先に対応したのは東京都に見えた。東京都は新たに400億円の基金を設け オリンピックまでに水素社会のモデルケース作りをしようとしている。「水素社会の実現に向けた東京戦略会議」なるものを立ち上げ これをオリンピックと合わせた車の両輪にしようと考えているらしい。舛添知事にしてはなかなかの目の付け所だと思う。
ちなみに水素抽出にはいろんな方法があるらしい。例えば 風力発電を利用して海水を電気分解してナトリウムを抽出し 後はナトリウムを輸送保管し 消費地の近くで水をかければ水素の出来上がりだ。現実にはとても困難なプロセスであることは分かるが 5年あればもしかすれば簡単なデモプラントくらいできるかもしれない。
一方 日本国政府はいかがだろうか。もちろん 政府も燃料電池車の購入助成金や水素ステーション設置助成金などを準備している。しかし もっと広い視点で水素社会実現に向けての政府投資を考えてもよいのではないだろうか。はっきり言って 安倍総理がなぜこれを第三の矢の中核として位置づけようとしないのか不思議でしようがない。安倍さん 水素社会実現を第三の矢の中心に据えなさい。今からでも遅くはない。いや今だからこそぜひ。
2015年3月No.2 横浜マラソン完走と感想
2月22日の東京マラソンに続き 3月15日に行われた第一回横浜マラソンを走ってきた。記録は東京マラソンが3時間56分 横浜マラソンが3時間51分だった。3週間の間隔しかなかったものの 横浜は自分でも驚くほどしっかりと走れた。去年の東京マラソンで出した自己ベスト(3時間45分)には及ばなかったが 上出来だ。
私は今62歳だが マラソンというのは歳をとっても意外と記録が落ちないことに驚かされる。間違いなく体力・脚力は衰えているはずなのだが マラソンは体力半分・気力半分というところなのかもしれない。つまり 強い気持ちさえ持っていれば多少の体力低下は補えるようだ。実際のところ 私がマラソン大会に出る最大の理由はフルマラソンを走り切る気力がまだあるかどうかの確認をしておきたいからだ。
さて横浜マラソンの5キロ刻みの記録を見てみると 全区間通してすべてキロあたり6分以内で走っていた。40キロ以降もキロ6分かかっていない。いつもはどうしても最後の何キロかは6分を越してしまうのだが どうやら後半のスピードダウンを防ぐ技(気力?)が少しばかり身についてきた気がする。62歳にしてようやくだ。ちなみに3時間51分ということは 平均時速11キロでフルを走り切ったということだ。自分を誉めてあげたい。
横浜マラソンは全体としてとてもよく出来ていた。特にゴール2キロ手前からの横浜馬車道の大応援はあきらかに今迄に経験したことのない日本最高の応援だった。沿道の皆さん 本当に感謝です。
さて横浜マラソンの売りの一つはマラソンコースに首都高速湾岸線を10キロほど組み入れた点だ。高速道路を完全に封鎖してそこを走るのだから気分は最高。しかし やはり高速道路とは車のための道路で 人が走るためのものではないと改めて感じ入った。まず路面アスファルトの材質が普通の道路とはまったく違っていた。固いのだ。固すぎて走るのには向いていない。また これは首都圏独特なのかもしれないが 少なくともコース上の高速道路には平坦でまっすぐと言う所はほとんどなかった。まず常に微妙な上下の起伏があった。更に微妙に曲がりくねっていた。しかもゆるやかなカーブでも車のコーナーリングの安定性を高めるために道路に微妙な傾斜がつけられていた。
ホノルルマラソンでも高速道路上を走ったが 曲りくねったというイメージはほとんどなかった。日本の首都圏の高速道路作りとは大変なのだと改めて思ってしまった。
2015年4月 ジクレー版画(その1)
先週一週間 ホノルルに行っていた。夜ワイキキのビーチウォーク通りを散歩の途中 ふらっとギャラリーに立ち寄った。ウィンドーに飾ってあったヘザー・ブラウンの絵に惹かれたのだ。今やかなりの著名売れっ子アーティストなので名前は知らずとも 作品を見ればああこの絵かと思う人も多いに違いない。カリフォルニア出身ハワイ在住の女性若手アーティストで 日本にもヘザー・ブラウン・ギャラリー(代官山)があるほどの人気らしい。
ギャラリーでは 奥の一角にヘザー・ブラウン・コーナーが設けられ 多くの作品が展示されていた。展示されていた作品はすべてキャンバス地だったが 近づいてよく見ると やはり版画。今はやりのジクレー版画だと言う。ちなみに ヘザー・ブラウンの版画はすべてジクレーだという。ジクレー版画?・・・お恥ずかしい話だが このヘザー・ブラウンの実物を見るまで 私はジクレー版画が何なのか全く知らなかった。
木版やエッチングもあるが 現代の美術版画はリトグラフ(水と油の反発を利用した平板印刷)とシルクスクリーン(プリントゴッコみたいな仕組み)が主流だった。ちなみに私のオフィスや自宅には米国のポップアート版画を何枚か飾っているが すべてシルクスクリーン(米国風に言えばセリグラフ)である。しかし調べてみると 今やジクレー版画が幅を利かせつつあるようなのだ。
ジクレー版画とは 要するに高級インクジェット・プリントのこと。原画をデジタルで読み取り それをインク吹付で印刷するのである。ただし数百種類のインクを用いて数万色を発色させる超高級インクジェットだ。これにより原画をかなり忠実に再現できるようになっているし 紙だけでなくいろいろのものに印刷できるようになっているという。
まさにデジタル時代の申し子。言いこと尽くしに思えるが これを美術品として見ると話しが違ってくる。つまり何枚でも全く同じものを生み出せるインクジェット印刷物にどれだけの美術的価値を見出すかという問題である。つまり幾らで売るか買うかという問題だ。
たとえば ホノルルのギャラリーでお気に入りのジクレー版画が売られていたとする。しかし その版画には値段表示がない。ものすごく気に入っているのだが あなたはそれがジクレーであり ジクレーがジェットプリント印刷であることも承知している。さて あなたは幾らならばこの作品を買うだろうか?
あるいは まったく同じジクレー作品が二つあり 片方には作品の裏側にアーティストの署名がついている。しかし もう片方にはどこにも署名がない。裏側に署名つきのものの相場販売価格が5万円だとする。あなたが売り手ならば 署名なしのものは幾らで売ればよいだろうか。もちろんジクレー印刷なので作品そのものはまったく同じである。(次回に続く)
2015年4月No.2 ジクレー版画(その2)
前回 ヘザー・ブラウンのジクレー版画の話を持ち出し 幾らだったら買うだろうかという話しをした。よく考えてみると これは実に難しい需要と供給の話しなのかもしれない。何しろ ジクレー版画では デジタルデータさえあれば いつでも何枚でも何万枚でも同じものを作り出すことができるからだ。何度も言うがまったく同じものをだ。
先のヘザー・ブラウンの場合 キャンバス地に印刷したものを通常は100枚の枚数限定で数万円~10数万円で売っている。画廊の人に聞くと 作品の裏にプリント数と手書き署名があるという。 おもしろいのは ヘザー・ブラウン・ギャラリー(日本)では 紙に印刷したジクレーは“アート・プリント”と称し数千円で売っている。アート・プリントがキャンバス印刷と同じ程度に精密な印刷になっているかどうかは定かではない。しかし恐らくは キャンバス地に印刷し 限定印刷枚数をアーティストが裏に本人署名することにより価値を保とうとしているのだ。
しかし しかしである。うがった見方をすればこの印刷枚数はアーティストへの信頼がすべてである。それはあくまでも個人の宣言であり 第三者機関の保証ではない。アーティストが原版とデジタルデータを廃棄し その事実を第三者機関が保証すればこの印刷枚数は正真正銘の限定である。しかし 現状のジクレー版画では いつ刷ろうが 何枚すろうがアーティスト次第なのだ。通常 原版は存在するが(つまり直接デジタルで作らないのが普通らしいが) それは廃棄せずに高い値段で売却する。
極端に言えば 100枚限定と称しても実際には一度に100枚刷る必要はない。注文が来てから一枚ずつ刷ればよい。作者的にはその方がコスト管理的に都合がよい。もし予想以上に つまり宣言した印刷枚数以上に売れそうだったら 原画に少しだけ手を加えてバージョン・アップ作品として印刷すればよい。もちろん アーティストは信用できる人でも 原画のデジタルデータが盗まれたり 悪用されないという保証はない。何せ 作品は正真正銘すべて同じものなのだ。また 印刷されたものを原版としてさらにジクレー印刷しても 今の技術では見分けがつかないかもしれない。
ここに原画が同じ二つのヘザー・ブラウンのジクレー版画があったとする。一方の作品の裏にはヘザー・ブラウンの手書き署名があり 他方の作品にはないとしよう。はたして価格はどう違うだろうか。よく考えると ジクレー版画には供給の議論は当てはまらないように思える。というか 供給の無限性を前提としなければならないように思える。つまりこれは美術作品そのものの需要と供給の話しではなく ヘザー・ブラウンの手書き署名の需要と供給の話しにすり替わっているのだ。極論すれば ヘザー・ブラウンのジクレー版画の価値は表面の絵ではなく 裏の署名にあるとも言える。・・・しまった!画廊で作品の裏を見てこなかったことに今気が付いた。
2015年5月 マーリン・メソッドの薦め
5月に行われる九州・アジア経営塾(碧樹館)の卒塾式に向けて贈る言葉をしたためた。九州アジア経営塾は九州財界が中心となり約10年前に設立された経営リーダー育成組織である。約一年に渡り 祝日・週末を利用して講義・講演・勉強会が繰り返される なかなかにハードなプログラムである。福岡出身であることもあり 私はこの教育プログラムの一コマを担当している。
今回私が寄せた卒塾のテーマはマーリン・メソッドの薦めである。さて 皆さんはこのマーリン・メソッドという言葉を聞いたことがあるだろうか?フロリダ・マーリンズのマーリン(marlin)ではなく Merlinだ。マーリン(Merlin)と言うのはアーサー王物語(英国)に出てくる魔法使いのこと。この魔法使いは未来を知っており 自分が見る未来の姿から今やるべきことをアーサー王に助言する。このことから「先ず将来どうなりたいかを目標として定め 将来あるべき視点から今やるべきことを考える」アプローチをマーリン・メソッドと呼ぶようになった。
そこで提案なのだが 今将来を考えている方 進路にお悩みの方は 一度 マーリン・メソッドで人生を考えてみたらどうだろうか。たとえば あなたは60歳の時にどうなっていたいと思うか?何を達成していたいと思うか?次に この目標を達成するためには 50歳の時にどうなっている必要があるだろうか?そして そのためには 今 何をなすべきだろうか?
決して「今何をすべきか」だけを考えてはいけない。その答えは「あなたが将来何をしたいか 何になりたいか」にあるのだ。
さて冒頭の九州・アジア経営塾では今の育成プログラムを碧樹館と称している。碧樹とは落ち葉のない松などの常緑樹の事だ。この碧樹館の名前は 禅語に登場する「清流無間断 碧樹不曾凋」に由来しているという。「清らかな渓流は流れを絶やすことはなく 碧樹もいつも青々として決して凋む(しぼむ)ことなく永遠に碧(みどり)を保つ」という意味である。ひるがえって「毎年毎年の小さな若葉が永遠の碧樹を生む。つまり 日々の絶え間ない努力が未来につながる」という意味で使われている。
日々の努力の前に まずは努力の行方をイメージしてみることから始めよう。
2015年6月 “考える技術・書く技術” 裏話
先日 友人から 「読書で賢く生きる」(ベスト新書)の中で 私の翻訳した「考える技術・書く技術」がベスト10冊に入っていたとの連絡があった。これを契機に思わず昔のことを思い出してしまった。
同日本語訳書は1995年に出した原版20版と1999年に出した新版38版 あわせて58版のロングセラーとなっている。税込で3千円を超える高価な本にもかかわらず 20年経った今でもまだ売れている。出版業界では「ロングセラーのお化け本」的な存在らしい。
英語原書が出版されたのは確か1980年頃。私がこの本と出合ったのは1985年である。当時 経営コンサルタントになりたての頃 私のライティングはよほどまずかったらしい。米国人のパートナーから読んでおきなさいと手渡されたのがこの本だ。目から鱗というのはこのことだろう 手渡されたこの原書は以来私の宝になっている。
1988年頃 この本を読み返していて なぜ日本語訳がでないのだろうかと気になった。そこで本に出版元として記載されていた著者(バーバラ・ミント女史)の個人オフィス(ロンドン)に直接手紙を書くことにした。10年近く前の本に記載された住所なので もしかしたらもう移転して届かないかもしれない。届いたとしても何の面識も紹介もなしの手紙である。返事が来る保証などまったくない。まったくのダメ元だ。「本の内容にいたく感激しました。日本語訳を出す気はないでしょうか。オーケーなら私が日本で出版社にあたりたいのだが・・・。」
まったく見知らぬ若造からの手紙に興味をもったのか ミント女史からはすぐに返事が返ってきた。「マッキンゼーで同僚だった大前研一氏から こんな難しいものは日本では売れないと言われた。やれるならやってみて」という内容だった。
その後 幾つかの出版社に持ち込むも 大前研一氏の言葉どおり「難しすぎて売れない」と断わられた。しばらく寝かせた挙句 懇意になったセミナー会社グロービスの支援もあり ダイヤモンド社の説得に成功。出版にこぎつけたのは1995年だった。私が原書を読んで10年 ミント女史に手紙を書いて7年も経っていた。
良書ではあるけれども 所詮はコンサルタントというニッチ業界の本である。出版当時 当の出版社も含め誰もこんなに売れるとは思っていなかった。ダイヤモンド社編集長の「まあ売れないでしょう。でも腐らない本なのでやってみましょう」との言葉が今でも耳に残っている。
この本の成功の後押しもあってだろう その後 ロジカル思考ブームが起き 「・・・の技術」というタイトルが流行し 多くの類似本が出版されている。23年前 私がこの本の出版前から続けているロジカル・コミュニケーションの教育は今や私の活動の中心になった。私の事を日本のロジカルライティングの第一人者と言ってくれる人もいる。
考えてみると 翻訳本出版決定前に 何百人もの日本人コンサルタントが英語原本を読み その内のかなりの人がこの本の価値に気づいたはずだ。しかし著者に日本語出版をかけあったのは私一人だった。
この時の経験から「我々の頭の上には幾つものチャンスが流れ星のように降り注がれている。しかし それに気づかない人 気づいてもただ漠然と見ている人が何と多いことか。チャンスの流れ星は眺めるものではなく 自分からつかみに行くものだ」というのが私の人生訓となっている。
2015年7月 異常気象が異常でなくなる日
暑い。本当に暑い。35度を超える日を猛暑日と制定したのは2007年。しかしそれ以前は猛暑日ではなく酷暑日と称していたらしい。個人的には酷暑日の方がふさわしい気がするけれども 40度の日のためにとっておこうとしたのかもしれない。これは異常気象だ。しかしもうこの状況を「異常」と言えない段階に来ているのが怖い。
昨年発表されたIPCCの評価報告書はこういう表現から始まっている。「人類が現在の気候変動に多大の影響をもたらしているのは明白であり 特に最近の人類による温暖化ガス排出は過去に例を見ない規模で進んでいる。すでにこの気候変動は人類と自然環境システムに広範かつ大きな影響を与えている。」
このIPCC報告書の概要を記した環境省の解説には日本の例が交えて説明されており その分 身につまされる。(2014年環境省 IPCC第5次評価報告書の概要 –第1作業部会-)
この環境省解説のグラフを見ると日本の平均気温は世界平均を上回る速度で上昇しており 年間猛暑日は明瞭な増加傾向にある。しかも降水量は年間の変動幅が徐々に拡大している。つまり集中豪雨の回数も明瞭な増加傾向にある。21世紀末には集中豪雨(1時間降水量50ミリ)の発生回数は現在の2.5倍になると見込まれている。1時間50ミリの雨量とは 地下街に雨水が流れ込み マンホールから水が噴出し 土石流などの災害が発生するレベルという。
日本近海は表層でも深海でも 世界平均を上回る速度で海洋温度が上昇しており かつ酸性化が進んでいる。海は人為起源の二酸化炭素の30%を吸収しているのだ。高い海水温と酸性化が進むとサンゴは死ぬ。このままでは日本沿岸の熱帯・亜熱帯サンゴ礁の分布に適する海域は2020~2030年代には半減し 2030~40年代には消失すると予想されている。今 辺野古埋め立てでサンゴへの影響が懸念されているけれども もしかすると数十年もしないうちにこの議論すら意味がなくなる可能性がある。
世界の平均海面水位は上昇を続けており RCP8.5(元も温暖化が進んだ場合のシナリオ)では今世紀末までに45~82センチの海面上昇。RCP2.6(最も温暖化を抑えたシナリオ)でも26~55センチの上昇が予想されている。ちなみに59センチ上昇すると、東京湾、大阪湾、伊勢湾の海抜ゼロメートル地域は今より5割増大する。
集中豪雨、洪水、土石流、農作物不作、漁業不振、感染症発生・・・人類は地球にあと何年生きられるのだろうか。まだまだ暑い日が続きそうだ。
2015年9月 オリンピック・エンブレムに求められるもの
あっという間に猛暑の8月が終わった。暑い中 仕事に追われっぱなしで このHPの8月コラムもすっぽかしてしまった。さて久しぶりに何か書こうかと思ってパソコンに向かうと やはり浮かんできたのはオリンピックのエンブレム問題だ。
オリンピックのエンブレム最終案は エンブレムがいかにあるべきかとの議論がないまま盗用疑惑が先行し そして 結局 最終案が盗用かどうかというのとは直接関係のない理由で廃案になってしまった。表面的には佐野氏からの採用辞退という形での決着だったようだが もちろん佐野氏はこのエンブレム(最終案)のデザイン盗用を否定しているし 組織委員会もまたこのエンブレムの盗用については否定的な見解を出したままだ。実はこの点は私も同じ意見だ。事の始まりはベルギーの劇場ロゴのデザイナーからの訴えだが これを盗用というならば 世の中のデザインのかなりが盗用になってしまうのではないだろうかと私は思う。
結局 佐野氏を追い詰めたのは 採用されたオリンピック・エンブレム最終案以外での佐野氏への盗用疑惑や不信感の高まりだった。例えば サントリーのトートバッグ。このトートバッグ・プレゼントは地下鉄車内のポスターでも派手に宣伝されたもので 多くの人の注目を集めた広告だった。ここで明らかになったデザイン盗用はたとえスタッフのやったことといえども 佐野氏のデザイン管理の甘さやパクリ意識の甘さを浮き彫りにした。
また佐野氏の当初のオリンピック・エンブレム応募案はヤン・チヒョルト展のポスターと酷似していた。これはベルギーの劇場ロゴと異なり 私が見てもそっくりに見える。もちろん 佐野氏の1964年東京オリンピックの日の丸をイメージしたというコンセプト説明では 最終案の説明は出来ても この応募案の説明は出来ない。要は 物まねっぽい応募案を元に徐々に手を加えて最終案ができあがり それに合わせてコンセプトを後付したという感じはゆがめない。さらに写真のコピーライト表示部分を削ってコピペして応募に使うなど 学生レベルのパクリだ。
しかしそれでも ベルギーの劇場ロゴ・デザイナーの訴えを除けば 最終案そのものについての盗用議論はない。つまり ベルギー劇場ロゴを除いて この最終案の独創性は否定されていない。結局のところ 今の議論は 佐野氏は過去にこのような盗作疑惑を起こしてきた人だから この最終案も独創的とは言えないだろうというロジックに聞こえる。
しかし 例えば ヤン・チヒョルト展のポスターを真似て第一案を作り それを元に修正を加えて出来上がった最終案は独創的ではないと言い切れるだろうか。もちろん 真似したものが応募案というのは問題ではあるものの それと最終案の独創性は別物だと私は思う。テレビでは今回の件でデザインとコンセプトは切り離せないものだということが分かったという専門家がいた。しかし コンセプトがデザインの源になったのか後付なのかどうやったら分かると言うのだろうか。
私に言わせれば 今回のオリンピック・エンブレム(最終案)はパクリだとは思えない。十分に独創性を備えていると思う。しかし 東京オリンピックのデザインに必要なのは 独創性やデザイン性を超えた 例えば 世界に誇る日本国民像をイメージさせるような象徴性だと思う。佐野氏のデザインにも 佐野氏にも 組織委員会にも エンブレム選考過程にも この象徴性を創り上げようとするエネルギーを感じない。
2015年10月 傾斜マンション
1976年。私の東大建築学科の同級生が大手ゼネコン(現場部門)に就職した。一緒に卒論を書いた仲間の一人だ。就職後数年して 仲間と集まった時 しみじみと本音を語りだした。「今 福岡のモデル現場の仕事をしている。先日 現場で検査が入った後の話し 検査後すぐに現場所長から鉄筋を抜き取るように命じられた。要はインチキをしろということだ。これがモデル現場の実態だ。」鉄筋を抜く作業も大変だとは思うが 当時はその方がコスト減だったのだろう。倫理観の強い友人はその後もいろいろな悩みを抱え続けたらしい。それから数年後 20歳代の若さで 独身のまま自ら命を絶つことになった。
あれから40年経った今 まったく同じような いやもっと悪質な不正が未だに繰り返されている。昨年明らかになった住友不動産・熊谷組のパークスクエア三ツ沢公園(横浜 2003年完成)の杭打ち不正に続いて 今回の三井不動産・三井住友建設の横浜市都筑区マンション(2007年完成)の杭打ち不正。強固地盤に何本もの基礎杭がとどいていなければいつか傾くことくらい誰でも分かるはずだ。いったいこの業界はどうなっているのだろうか?結局 現場作業者一人に責任をなすりつけ 後は買い取りで片付けようという気なのだろうか?
2年前 自宅マンションを買い替えた時 建築会社の友人の最初の質問は「ゼネコンはどこ?」だった。場所とか広さとか建築年ではなく ゼネコンの名前だった。私にとっては最初の質問がそれかと意表を突かれた感じだったが 今その理由が分かった。私が清水建設だと答えると それじゃ安心だねという反応。鹿島建設や竹中工務店でも同じ反応だったと思うが これが熊谷組や三井住友建設だったらどういう反応だったのだろう。ことそれほどに ゼネコンによって信用度がまるでちがうということらしい。しかも 信頼できるゼネコンというのはほんの一握りであるらしいのだ。
今回の横浜都筑区の問題マンションのゼネコンは三井住友建設である。私は元請けのメインの仕事は下請けの管理だとずっと思っていた。下請けの管理すらできない しかも構造のもっとも基礎の部分 基礎杭の施工管理すらできていないゼネコンとはいったい何なのだろうか。
ただし今回不幸中の幸いと言えるのは販売業者が三井不動産であったことだろう。住民の訴えから10ヶ月以上経ってようやくとの感じもするが 住友不動産の三ツ沢公園マンションは竣工直後から問題があり住友不動産がまともな対応をするのに11年もかかったという。とても信じられない話だ。
今回 ゼネコンや下請け業者や不動産会社 さらには許認可官庁などにとっては あまりにも多くの課題が残された。しかし消費者にとってはあまり選択肢はない。マンションを買う時には 第一にゼネコン 第二に販売不動産会社というくらいだろうか。ゼネコンや不動産会社はこのことを決して忘れてはならない。
2015年11月 GPSソーラー時計
中高級時計は12月に売れるらしい。ボーナス時期やらクリスマス時期ということだ。というわけで そうした時計の新モデルは秋に発表される。
先日雑誌を見ていて 日本のGPSソーラー時計がかなり進歩していることに気づいた。GPSソーラー時計はセイコーが世界に先駆けて2012年にアストロンというモデルを発売したのが始まりである。それ以来 シチズン カシオが参入し 開発競争の真最中らしい。この秋にはこの三者が揃って新タイプを発表した。
GPSソーラー時計とはGPSで居場所を検知し その場所の時刻を簡単に表示してくれるという時計だ。世界の標準時刻を電波検知するので時刻合わせも不要。もちろんソーラー充電。海外旅行を頻繁にする人にとっては便利ものである。安倍総理がオメガのスピードマスターからアストロンに切り替えたという話しも有名になった。まったく正直な話 私は政治信条的には安倍総理に共感できないが この時計に対する嗜好に関しては総理に一票を投じたい。
実は私も先日アストロンの新タイプを購入した。以前から使っているタグホイヤーと併用しているが 気持ち的にはメインはアストロンだ。アストロンに限らない話だと思うが 日本のGPSソーラー時計は機能的に見れば世界最高の時計だと実感した。GPSを用いて時刻調整している時の秒針の動きを見ていると実に驚かされる。秒針にこんな機能をもたせるなどよくぞ考えついたものだ。時計を身に着けていると言うよりもまさに精密機械を身に着けていると言う感じがする。アップルのデジタル時計では味わえない 精密機械に対するこだわりだ。安倍総理の気持ちがよく分かる。
今後GPSのアンテナ機能など様々な機能が強化されると更に小型軽量化が進むだろう。腕時計と言えば伝統技術でなりたっていそうな分野だが この進化は実にすごい。数十年前 父のしていた腕時計はリューズを回して時計のゼンマイを巻くスタイルだった。その後 自動巻き そしてクォーツの誕生。息をつく間もなく ソーラー時計 電波時計 そして GPSソーラー時計の誕生。クォーツ以降 この先端技術をリードしてきたのはつねに日本だった。
アストロンを身に着けて久しぶりに日本の先端技術力に誇りを感じた。そう昔プリウスを買った時のような気分だ。・・・次は燃料電池車だろうか、それとも。
2015年12月 続々と登場 アマゾンの新サービス
最近 アマゾンのサービス攻勢がすさまじい。とくにプライム会員向けのサービス拡充には驚かされる。かなり前からプライム会員(年会費3,900円)になっている私にとって これはとても喜ばしい状況だ。しかし 本音を言えば こうしたサービスについていくのも一苦労。正直若干たじろぎ気味という状況だ。
“プライム・ナウ”・・・最近発表された 注文から1時間以内に配送という会員向けサービス。地域限定で2,500円以上の買い物が条件。1時間内配送の場合890円の有料だが 2時間以内だったら無料。これはビールやお米などの重い買い物には便利。今でも近くのスーパーで無料配送をしてくれるが当然受付人数は限定だ。早速私の居住地域がサービス対象かどうか調べたところ ビンゴ! しかし専用アプリをダウンロードしようとしたところで このサービスがアンドロイドOS限定のサービスであることに気づいた。ギブアップ。アマゾン・ファイアなどのアンドロイドOSの携帯端末か携帯電話に限られたサービスだった。対象OSや対象地域が将来どうなるかは今のところ分からない。しかし こういう配送体制構築が可能だという事実 また こういう配送サービスがビジネスとして成立すると考える人がいること自体にとても驚いてしまった。
もともと私がプライム会員になった理由は 無料で翌日配送してくれるという理由からだ。週一回以上の頻度でアマゾンを利用する私にとって年3,900円でこのサービスが利用できるのだから この機能だけで十分にペイしている。実際 対象商品であれば 千円以下の商品でも配送料タダで翌日に届くのだ。ありがたいというか 申し訳ないと思うことさえある。無料で2時間以内に発送するサービスなど 63歳の私にはとても思いつかない。
“キンドル・オーナー・ライブラリー”・・・とは言え 私だってキンドル(アマゾンの電子書籍リーダー)くらいは持っている。もっぱら海外図書の購入に使っている。海外図書は輸送にかかる期間とコストが頭痛のタネ。電子書籍はこの点 とてもありがたい。最近 このキンドルユーザーに対し月一冊無料のキンドル・オーナー・ライブラリーが出来た。これはぜひ使ってみたい。
“プライム・ビデオ”・・・ご存じだろうか 最近登場したアマゾンのFire TVのことだ。様々なアマゾンの新サービスの中で これは私の一押しだ。何しろ会員であれば 多くの映画(洋画や邦画)や海外TV番組がタダで見放題なのだ。ただしテレビに接続する機器(Fire TV)は有料。早速購入して自宅のWiFi経由 ネットにつなげてトライした。これは本当に素晴らしい。もうTVでの映画録画などほとんどやらなくなるだろう。実は数年前に近くのツタヤが閉店して自宅付近にレンタル・ビデオ・ショップがまったくなくなってしまった。レンタル・ビデオという言葉は死語になりつつある。
“プライム・ミュージック”・・・これも最近だが 会員であれば無料で100万曲以上の楽曲が聞けるサービス。早速アプリ(アマゾン・ミュージック)をダウンロードして使ってみた。しかし これが便利かどうかは普段使っている音楽環境次第だろう。正直未だ iPodをメインに利用している私にとって パソコンへのダウンロードは有料なので使いづらい。レンタル・ビデオ・ショップはいらないが レンタルCDショップは欲しいところだ。
アマゾンだけでこの状況だ。スマホは持っているものの機能の5%程度しか使っていないことを自覚している私にとって これからの便利さは 使いこなせるようになるための面倒くささと背中合わせのようだ。
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