過去のひと言
2016年1月 ハワイ最新不動産事情 「ケ・キロハナ」
さて今日は今ハワイの不動産市場をにぎわせている「ケ・キロハナ」と呼ばれるコンドミニアムの話し。ケ・キロハナはカカアコ地区に建設される中所得者向けの第一号コンドで 今月(1月)から物件説明会が始まる予定だ。間もなく販売開始で完成は2018年の予定。
オアフ島では 西部のカポレイ地区から空港を通って ショッピングセンターで有名なアラモアナ地区までモノレールが通ることになっており 今その工事が急ピッチで進んでいる。アロハスタジアム パールハーバー海軍ベース 空港 チャイナタウン ダウンタウンを通るチョー便利もの。ハワイ初の電車だ。2017年には一部開通 2019年には全面開通の予定になっている。
この一方の起点となるアラモアナ地区の西に隣接するのがカカアコ地区と呼ばれる区域で ここが今大規模再開発の目玉地域になっている。何せ歩いてアラモアナ地区まで行け モノレール駅がすぐそば 海もすぐそば。便利この上ない立地条件。今迄パッとしなかったこの地区がモノレール計画とともに再開発の目玉として大浮上したのだ。今後15年間で40階を超す高層コンドが22棟建設予定になっているというから まさに西新宿並みの高層コンドビル地区の誕生だ。すでに4棟販売されたコンドはいずれも高級コンドながらほぼ完売状況だという。
このカカアコ地区の開発でユニークなのは開発業者に開発住居の20%をReserved Housingとしなければならないという取り決めがあることだ。Reserved Housingというのは低・中所得者向けに市場価格よりも安い価格で売り出す住戸のことだ。この20%相当はキャッシュ支払でも可能で その場合は州がそのお金を低所得者向け住宅の建設費用に回すことになる。
冒頭で紹介した「ケ・キロハナ」と呼ばれるコンドはそのReserved Housingの第一号である。ユニークなのはこの住戸は中所得者(ギャップ・グループ)向けのものとなっている点だ。ギャップ・グループとはその地域の平均所得(Area Median Incom:AMI)の100~140%の人を指している。ちなみに このAMIは米国政府から毎年公表されている根拠のある数値だ。発想はAMI100%以下(平均所得以下)の人には低所得者用の住宅を計画し 140%以上の人には市場価格で買ってもらおうという考えだ。というわけで 今回はその取り残された中間層(ギャップ・グループ)を対象とする施策である。
このコンドは44階建て424室あり うち375室がReserved Housingで 49室は市場価格で販売される。申し込みにはさまざまな条件があり 例えば ①初めての住宅購入者 ②ハワイ在住者 ③所得がAMIの140%以下 ④保有資産がAMIの140%の125%以下 など。Reserved Housingの価格は30~50万ドル。一般庶民にはこれでもかなりの額だが 市場価格より30~50%安いのではないかと見られている。というわけで 説明会は予約満杯状況。もちろん抽選販売です。
しかし 抽選ベースとは言え この中間層を救うという発想 実にすばらしいと思いませんか。日本で聞いたことがない。総中流社会の中 もしかして中間層というアイデアそのものが日本にないのだろうか。
2016年2月ふるさと納税初体験
昨年はじめてふるさと納税を行い 今月その申告を行った。実によく出来た制度だと思う。
ふるさと納税を申告すると所得税が控除される。ただし これは普通の寄付金控除と同じで 税額控除ではなく所得控除だ。つまり所得金額からふるさと納税額が控除される。結果として ふるさと納税に所得税率をかけた分だけが税額マイナスとなる。一方 住民税は税額控除だ。これには特例があり 上限規制と2千円の控除はあるものの その制限下 ふるさと納税した全額が所得税・住民税から控除されるように設計されている。つまり ふるさと納税とは 税体系をいじらずに 寄付金の仕組みを使い作り上げた制度ということだ。
税金を納める側から見れば ふるさと納税によって得られるお礼の品の分だけは確実な得になる。ふるさと納税額でもらえるお礼の品の金額割合を還元率とよんでいるが 高い所では40%に達するという。平均でも20~30%は行くだろう。
ふるさと側から見れば 正味の税収はお礼の品のコストを控除した金額となる。しかし恐らくはかなり安く仕入れているだろうし 地元の産出者から直接調達するのだから大きな地域振興になる。実際に私の経験から言えば こういう地域にこういう特産があったのかと初めて知ることも多い。また恐らくは 今年もかなりの率で同じふるさとにリピート納税することになるだろう。結構な税収増に加えて 地域振興と長期の地域宣伝になるのだからこのメリットはすごい。まだふるさと納税に積極でない市町村の方はぜひしっかりとそろばんをはじいてみるべきだ。
一方 所得税が控除される国にはあまり特典がなさそうだが そもそも所得税の場合 税額控除ではなく所得控除なので それほどの痛手はない。また 税金が地方に回るのだから間違いなく地域活性化となっている。直接的なデメリットがあるとすれば ふるさと納税をする人が多く住む自治体だ。確かにこうした自治体では住民税収入が減る。しかし結局はふるさと納税額には上限があるし しかもほとんどが都市圏のリッチな自治体だ。こういう自治体の積極的な住民サービスを促すという意味では歓迎すべきだと思う。
ふるさと納税でもっとも痛手を受ける東京都では石原元都知が導入時に猛反対をした。しかし 尖閣諸島の寄付金募集でもそうだったかもしれないし 今回の東京オリンピックでもふるさと納税を募るということは十分に可能だと思うがいかがだろうか。
ふるさと納税の経験から言わせてもらえば 決してお礼の品だけが目的ではない。ふるさと納税をする時に使途を選べると言うのは大きな驚きであり喜びである。自分のお金が自分の希望に沿って使われるというのは いったい何に使われているのかも分からない今の所得税や住民税の「徴収されている」という感覚とはまったくの別物だ。昨年は暴風雨災害の発生した常総市にもふるさと納税をした。お礼は市長からの感謝の手紙だった。それでいいのだ。
2016年3月 最後の踏ん張り
人間って本当に最後の踏ん張りが効くものだ。3月13日に行われた横浜マラソンのことだ。横浜マラソンは全体にはフラットで走りやすいコースなのだが 難所はやはり 22キロ~32キロにわたる湾岸高速道路だ。まあ この高速道路の上を走るというのが横浜マラソンの売りだからこれはしょうがない。
去年出場の時は200メートル弱の距離不足があったものの 3時間51分でとても楽に走れたという印象だった。実は その一か月前の東京マラソンでそれなりの好タイムが出たので 横浜は気軽にという軽い気持ちが良かったのかもしれない。
今年は事前の練習不足が気になっていた。もっとも暇なはずの2月が例年以上に忙しく かつ仕事が一段落すると風邪をこじらせる始末。仕事が忙しい時には気が張っているので風邪など殆どひかないのだけれども 仕事が一段落すると気が抜けてどっと疲れが出て風邪をひいてしまう。よくあるパターンだ。しかも今回は 風邪気味なのに横浜マラソンのことが気になり ちょっと無理してジョギングしたのがたたった。結局 風邪をこじらし 数日間ぐったりだった。
長距離走というのは 少なくとも 素人の場合 練習がものを言う。練習をすればするほど早く 練習を怠れば怠るほど遅くなる。
今回は自重してゆっくりと走り出した。思っていた以上に快調だったのだが やはり長距離の走り込みが不足したためだろう これから高速道路と言う22キロくらいでふくらはぎに痛みが出てきた。高速道路ではペースを保つように何とか頑張ったものの 高速道路の微妙なアップダウンがきつい。昨年も同じところを走ったのに こんなにアップダウンがあるとは気づかなかった。気の性とは恐ろしい。
高速道路を下りてしばらく走った30数キロ地点から本当に足が動かなくなった。それでも「決して歩かない」というのが私の最大目標。何とか気持ちだけで走り続けた。今年は4時間切りはダメかと思いながら走っていたところ あと3キロの地点で沿道の応援の人から「今・・・時・・・分。がんばれ」という大きな声。もうろうとする頭の中で計算すると もしかすると今からでも4時間切れるかもしれない。
この天の声に励まされ 残りの3キロは死にもの狂いで走った。走れたのだ。最後の700メートルくらいでは左ももがつりかけた。それでも何とか走った。ともかく 今までの21回のマラソン完走で最高の(もしかすると最速の)最後3キロの走りだった と思う。ゴールして時計を見ると 3時間59分40秒。本当に疲れ切りました。沿道のご声援心からありがとう。体力は分からないが まだ気持ちは大丈夫そう。何だかちょっと自信が持てた横浜マラソンでした。
2016年3月(その2) 米国大統領選:ダークサイドの台頭
先日のテレビ番組で ジャーナリストの木村太郎氏が赤色のトランプ・キャップをかぶり 「共和党主流派がいかに画策しようが予備選の結果を覆すのは世論が許さない。共和党大統領候補はトランプで決まり 大統領もトランプで決まりだろう」と発言した。しかも続けて 過去の例を見ると 共和党大統領の方が日本と米国の関係は上手くいっているので トランプが大統領になったら今よりうまくいくだろうと トランプ寄りの発言をしたのにはビックリポンだった。
トランプは過去そして今の共和党主流派のやり方をこっぴどく批判して人気を得ているのだ。なのに 日本は共和党大統領と過去に良い関係を築けたから トランプ大統領とも良い関係が築ける・・・?どう見ても明らかな論理の矛盾だ。これが人気ジャーナリストの発言とは実に嘆かわしい。
そう考えると 今のトランプの発言も 木村氏に負けず劣らず 実に矛盾だらけというか 論理のすり替えがはなはだしい。そもそも「今の政治家は皆間違っている」というロジックでは議論そのものが成立しない。「今の政治家は皆間違っている。だから 政治家のあなたが今言っていることも間違いだ」というロジック。これは論理の誤謬だ。まず相手の正当性を全否定し ここから攻撃するというテクニックである。イスラムは・・・ 中国は・・・ 日本は・・・ 違法移民は・・・といった具合に まずは悪者を仕立てあげ 悪者は敵だという議論にすり替える。しかしよく考えてみると そもそも「良い」とか「悪い」というのは 「好き」や「嫌い」と同じ相対概念(主観)であり 絶対概念(客観)ではない。絶対的に悪い人や国などはないはずで だからこそ今の国際政治が抱えている悩みが深いのだ。
金持ちトランプの今の地位は確かに彼自身の努力と才覚によるところが多い。しかし もともと 不動産開発業者の父から莫大な遺産を引き継いだ 生まれながらの金持ちでもある。はっきり言えば 搾取する側かされる側かと言えば トランプは間違いなく生まれながらに搾取する側の人間だ。
しかし分からない。彼の党員集会などを見ていると 彼を熱烈に支持するのは 明らかに搾取される側の人間たちだ。とりわけプア・ホワイトと呼ばれる貧しい白人たちだ。仕事がないのは中国や違法移民のせいだと言う。考えは分からないでもないが その結果潤っている上位1%の人間を批判したり 上位1%の人間に冨が集中する現在の社会システムを問題視しようとはしない。やっていることは真逆で むしろその上位1%の象徴者を大統領にしようとしている。とても理解できない。
大統領候補のスピーチを聞いていると 私にはサンダースの主張が一番まともに聞こえる。なぜ彼の主張が左寄りの主張として紹介されるのかまったく理解できない。おそらくは今の米国の問題の深さがここにあるのだろう。しかし一方で 若い人たちの熱烈なサンダース支持を見ると 将来への米国の期待も大きくなる。
私は木村太郎氏と異なり 大統領本選での米国人の良識を信じて疑わない。多くのマイノリティが黙っているはずがない。最後にはクリントンに入れるはずだ。しかし 次世代のために サンダースさん ぜひ最後まで予備選を続けてほしい。ジェダイの心を持ってダークフォースに立ち向かってほしい。
2016年4月 三菱自動車の不正(その1)
またもや三菱自動車の不正が発覚した。しかもまたしても外部からの指摘だった。以前 “金融財政事情”という金融関係向けの雑誌でビジネス倫理のコラムを連鎖していたことがある。その時 三菱自動車のクレーム隠しが問題となり それをテーマに2回のコラムで筆を執った。今回それを読み返して まったくそのまま通用する内容であることに驚きと納得を感じた。というわけで ここで当時のコラムをそのまま2回にわたって掲載させていただくことにした。2004年のコラムである。
「三菱の文化は本当に変わったのか。その答えを出してくれるのは時間だけだ。」・・・今回のクレーム隠しのことを言っているのではありません。米国のビジネススクール教科書(注)に収録された米国三菱自動車セクハラ事件ケースの結びの言葉です。
1990年から続いていた米国三菱自動車イリノイ工場のセクハラ問題は、98年、同社が約500人の女性被害者に計34百万ドルを支払うことで和解に至りました。この事件は、米国でも最大規模のセクハラ訴訟として全米メディアで取り上げられ、多くのビジネス倫理教材に掲載される結果となりました。
さて、冒頭の言葉は、98年の和解から2、3年後の状況を指したものです。この教科書では「この時点で極端なセクハラ問題は無くなったものの、依然として多くの深刻な問題が存在する」と指摘し、問題の根源を断つ努力がなされていないのではないかとの疑問を呈しています。
三菱自動車では、この米国セクハラ事件と同時並行して、97年に総会屋利益供与事件が発生。その後、記憶に新しいパジェロのリコール隠し事件、そして最近の一連のクレーム隠しへと発展しました。どうやら、答えを出すのにそれほどの時間は必要なかったようです。
さて、最近のクレーム隠し事件で私がもっとも驚かされたのは、どうしてこう次から次へ、ばらばらとクレーム隠しが出てきたのかということです。はたして、社内に全容を把握していた責任者はいなかったのでしょうか?実は、私はその可能性が高いのではないかと思っています。
このコラムでは、しつこいほど、個人の道徳観は所属する組織(すなわち、上司や同僚)によって作られると述べ、倫理モデルとしての経営者の行動の重要性を指摘してきました。これに従えば、いつ頃かはわかりませんが、経営者が一件のクレーム隠しを決断した時点で今日の事態も予測できたといえます。この時以来、こうした問題は経営陣にすら報告されることが少なくなったはずです。「隠せ」と指示した経営者が、部下に「ただし、私には隠すな」と期待すること自体が無理な話です。
経営者の決断を知った管理職の大半はこれがこの組織に通用する規範だと考えたはずです。つまり、この種の問題は隠し通すのが社員としての責任と理解したはずです。
その管理職の部下も、部下の部下も同様です。経営責任者が関わったクレーム隠しはたったの一件かも知れないのに、その行為は何十件ものクレーム隠しを生むことになります。これほど多くのクレーム隠しの実態にもっとも驚いたのは逮捕された三菱自動車の元経営者自身だったかもしれません。
さて、冒頭の言葉は原文の直訳ですが、ここでは三菱自動車ではなく、三菱という言葉が使われています。次回はグループという視点からこの問題を考えてみましょう。
(注)Business Ethics: Ethical Decision Making and Cases, 5th Edition (Houghton Mifflin, 2002)
2016年5月 三菱自動車の不正(その2)
前号に引き続き三菱自動車の話しです。2004年に書いた「金融財政事情」の私のコラムからの再掲です。
Qte:
「三菱の文化は変わったのか。その答えを出してくれるのは時間だけだ。」前回は、米国三菱自動車セクハラ事件ケースを出発点に、一連のクレーム隠し問題を経営者の倫理行動という視点から考えてみました。
さて、この教科書ケースでは、ケース名も、冒頭の言葉も、三菱自動車ではなく単に三菱となっています。全米至る所で三菱の名前をつけた車を見かけるのですから、少なくとも米国では、三菱自動車は三菱の看板的存在です。やはり、三菱自動車問題は三菱グループの問題と考えるべきでしょう。
ただし、私が「三菱グループの問題」というのは、グループ間取引などのケイレツ的な重要性を指しているのではありません。私が指摘しているのは、あくまでも一般市民の視点、即ち、三菱という企業グループ・ブランドの視点です。
言うまでもなく、三菱ブランドには誰もがうらやむ大きな価値が存在します。各社独立企業でありながら、戦後数十年にわたり、この価値を向上させてきたのです。なぜこのようなことができたのでしょうか?
おそらくは、創業の理念を共有しようという強固な意志が三菱各社の経営者にあったためではないかと思います。三菱の経営理念といえば、130年にわたり引き継がれてきた三綱領を指します。所期奉公(事業の目的は社会貢献)、処事光明(公明正大、フェアプレー)、立業貿易(グローバル視野)です。
もちろん、三菱自動車に起きた一連の不祥事は、この三綱領の精神から見れば論外のできごとです。それでは、このことは三菱グループとして経営理念の共有にひびが入りつつあることを意味するのでしょうか?
私はその可能性が高いのではないかと思います。もしそうならば、この問題は今後、三菱自動車のみにとどまらない可能性も秘めています。
私は、仕事柄、何社もの外資系企業やその日本子会社の方とお付き合いがあります。とても残念なことですが、誠実経営として評判が高い外資系企業であるにも関わらず、日本子会社のモラルの低さに驚かされることが何度かありました。ビジネス倫理とは企業文化、企業風土です。同じ企業組織でも、国が変わればその管理は大変に難しいものです。同じ企業グループでも、組織が変われば同じことが言えます。
三菱グループが三菱ブランドの価値を維持するためには、恐らくはその原点にある三綱領の経営理念を再度、各社で「積極的に」確認することが必要でしょう。「積極的に」とは、単に三菱金曜会の集まりにとどまらず、三菱グループ全体で経営理念の教育研修に取り組むというようなことです。格好の教育材料があるのですから、それを利用しない手はありません。
大小の違いはあれ、何らかのグループを形成する多くの金融機関にとり、この話しは他人事ではありません。グループがその求心力を維持するにはお金や人以外の何かが必要なのです。
Uqte:
繰り返しになりますが 前回 今回と二度に渡り掲載した内容は12年前に私が書いた雑誌コラムの転載です。結局 三菱自動車は 1990年から続く不正の連鎖を断ち切ることができませんでした。そしてもっと重要なことは 三菱グループ各社がこの出来事を自分の痛みとして対処することができなかったことです。今問われているのは三菱自動車の問題ではなく 明らかに三菱グループの問題だと考えます。
2016年5月第2回 三菱自動車不正問題(続)
前2回にわたって三菱自動車に関する私の昔のコラムを再掲させていただいた。コラムでは三菱グループと三菱ロゴ(三菱と言う名前)の不可分の象徴性を強調したつもりだ。しかし事態はあっという間に逆の方向に向かって動き出した。
先日 日産(ルノーグループ)が三菱自動車へ2,373億円の出資をし 34%の株主比率を保有する筆頭株主になることが決まった。これは三菱グループ全保有比率を上回るもので これにより三菱自動車は日産の傘下に入ることになった。日産が三菱にOEM供給したり その逆に三菱が日産にOEM供給したりと その密接なビジネス関係を考えると妥当な着地点と見る人が多いようだ。しかし 本当にこの決定は日産に有益なものになるのだろうか?
第一の疑問は 日産は あるいは ルノーは これだけ不正を繰り返した三菱自動車を立て直せるのかという素朴な疑問だ。もちろん この疑問は なぜ日産が三菱自動車とここまで深いビジネス関係を求めたのかという疑問と同じである。しかし 単なるOEM関係と 筆頭株主として日産・ルノーグループの傘下に入れるというのは全くの別次元の話しだ。
ここで誰もが思い浮かべるのが ダイムラークライスラーと三菱自動車の提携失敗の歴史である。2000年 三菱苦境のさなか ダイムラークライスラーは三菱との資本提携を決めた。ダイムラー側は必死で三菱立て直しを試みたが その間にも幾つものクレーム隠しが発覚し 結局 上手く行かなかった。資本関係は2005年に解消となった。三菱自動車はそういういわくつきの会社なのである。
たしかにゴーン氏は大企業病に陥った日産に外科手術の大ナタを振るって同社を死の淵から救った。しかし少なくとも 日産は三菱自動車のような不正はしていない。今の三菱自動車は慢性の病魔におかされた会社で とても外科手術では救えそうにない。
確かにインドネシアを中心とする東南アジアにおいて三菱自動車のブランド力は強い。しかしそれだけでこの出資を正当化できるだろうか?もしかすると日産出資の理由はもっと単純なところにあるのかも知れない。ひょっとしてゴーン氏は三菱ブランドを過大評価しているのではないだろうか?確かに 外国人が三菱ロゴに大きな魅力を感じるのは分かる。これからは大手を振って三菱ロゴを使えるのだ。三菱自動車そのものを手に入れたのだから 自動車にちょっとでも関連するビジネスであれば三菱ロゴを用いるとしても誰も文句は言えないだろう。しかし今 三菱ロゴ(三菱と言う名前)にそれほどの価値があるのだろうか?
一方で 三菱グループは 仏の顔も三度までと 三菱の名前と看板を背負った会社を切り捨てる決断をした。三菱グループの主導で立て直すことをあきらめ 三菱グループの主導で引導計画を立てることも避け 三菱ロゴの会社を三菱と無縁の外資企業に引き渡すことにしたのだ。三菱ロゴの会社の経営が三菱と無縁の会社に任されることになったなど もしかすると三菱の歴史で初めての出来事ではないだろうか。三菱グループ各社はゴーン氏が考えるほどの価値を三菱という名前に感じていないのかも知れない。
三菱グループ各社は それぞれが独立した公開企業である。個々の経営が最重要であり 三菱自動車を助けたくとも 各経営者は三菱自動車支援が自社の株主の了解を得られるのだろうかという大きな問題に直面する。結局のところ 三菱グループはグループ各社の経営があってのグループなのである。グループあっての三菱各社の経営ではない。当たり前のように聞こえるかもしれないが 昔は後者だったし 三菱自動車の経営も後者だった。つまり 三菱グループがあってこそ三菱自動車が存在していたのだ。
今回の出来事はグループそのものの存在価値低下を表している。もしかすると いよいよ三菱という最後の財閥グループの崩壊を意味するのかもしれない。考えてみると 三井銀行と住友銀行が合併したのが2015年の話し。今回の出来事は遅きに失した必然の経過かも知れない。
そこでまた新たな疑問が湧いてくる。つまり 三菱グループのグループ力低下はグループの象徴である三菱ロゴ(三菱という名前)の価値低下を意味するものかという疑問だ。グループの力が弱まっても グループ各社が頑張れば三菱ロゴの価値はアップするという考えもあるけれども 常識的に考えれば この疑問への答えはイエスだと思う。
そう考えると もしかすると 三菱ロゴへのゴーン氏の高い評価は時代の流れと矛盾するものかも知れない。ここまで来ると ゴーン氏と日産の頑張りに期待するしかない。
2016年6月 がんばれ山尾さん
先日 山尾志桜里民進党政調会長と安倍総理との保育士に関する国会質疑をニュースで拝見した。「男尊女卑」発言が出た国会質疑である。びっくりした。もし子や孫が国会議員になりたいと言ったら、「君はもっと優秀なはずだ」と答えるような私にとって、にこんなに頭の回転の速い国会議員がいるとは知らなかった。正直 数合わせで作られた民進党なんてやっぱりダメだろうなとあまり期待していなかった。しかしわずか当選2回の山尾氏を政調会長に抜擢するなど 能力重視の若手抜擢人事を見ると将来にちょっとばかし期待が持てそうな気がしてきた。
山尾氏は以前「日本死ね」のブログを国会で紹介した方だ。この当選2回41歳の若手議員のストレートな質問に安倍総理はまともな回答ができなかった。「匿名のブログなど相手にしておられない。空振りですね」的な木で鼻をくくった答弁には驚いた。以降の保育園や保育士問題の広がりを見れば 山尾氏の指摘は空振りどころかホームランだった。
今回の男尊女卑質疑は 保育士の処遇改善4万円を 全産業の女性労働者賃金平均との格差から算出した値だと答弁した(塩崎恭久厚生労働相)のが始まりだった。これは官僚の作成した答弁書の丸読みだろうが 質疑のテレビ報道を見る限り どうも山尾氏から質問を受けるまで(あるいは受けた後も?) 総理はこのロジックのおかしさに気づいていなかったようなのだ。もしこのおかしさに気づいていたらもっとましなやり取りをしていたはずだ。もちろん発端の答弁を作成した官僚はこのおかしさに気づいていない。
山尾氏はすぐさま「保育士は女性だけの職業ではない」と切り替えし 男女間の給与格差の存在を前提とした目標値の設定はおかしいと主張した。まったく当たり前の主張だ。この切り返しの速さはすごかった。こんなに頭の回転が速い人が議員にいるのだ。これに比べると総理の答弁は議員特有のステレオタイプに見えた。今すぐは無理かもしれないが 大目標としては「同一労働同一賃金」を目指すべきだと私は思う。男女や人種で異なる賃金は決して許されるべきではない。
総理だって 大目標は山尾氏の言う通りだが是正の現実的第一歩として計算したものだと説明すれば皆納得するものを 異なる他者の意見はすべてはねのけるとでもいうような頑なさで質問をはねのけようとした。総理の頭の中は 保育士は女性の仕事 女性が男性より給与が低いのは当たり前という石器時代の考えで凝り固まっているように見えた。がんばれ山尾さん!!
2016年6月その2 舛添都知事辞任
舛添都知事が辞任表明した。当然のことだろう。しかし一方で直接選挙である首長選び特有の結果ともいえる。これが国会議員だったらやめることはなかったかもしれない。
舛添さんは違法行為はしていないようだ。しかし ザル法の隙間を突く形で 明らかに法の精神を逸脱した行為をしている。実はこちらの方が庶民にとっては許しがたい行為といえる。しかし このことに彼は気づかなかった。通常 違法行為をした人は司法の下で裁きを受ける。しかし 本当にずるがしこい人は法に触れない形で悪いことをする。庶民はこれを肌感覚として知っている。
一方で今回の問題の最大の責任を負うべき人も庶民である。特に都知事として舛添さんに投票した人の責任は大きい。今回問われているのは特定の違法行為ではない。全体としての舛添さんの人格的な問題である。これを見抜けずに都知事として選んだ人には大きな責任があると私は思う。直接選挙でトップを選ぶという行為は間接選挙である国政選挙とはまったく違った重みの一票であることを選挙民は自覚しなければならない。具体的には もっと立候補者のことを目を皿にして精査すべきである。これは直接選挙を行う投票者の義務と考える。
そういう意味では 直接選挙においては 立候補者の討論会や報道 あるいは立候補者精査の期間や仕組みなど 制度面での再考が必要と考える。少なくとも 立候補者の政治資金使用状況や個人の財産・納税状況などを第三者の目で事前精査する仕組みは必要だろう。
立候補者を精査する仕組みが十分ではない現制度において 立候補者を推薦する党の問題は大きい。今回 選挙民の次に大きな責任があるのは舛添さんを推薦した自民党と公明党だと考える。党として“推薦”の持つ意味を深刻に考えるべきである。猪瀬さん 舛添さんと二度続けて間違った推薦をした自民党と公明党は 今回 推薦を自粛すべきである。彼らに推薦する資格はない。
さらに 現制度下においてマスコミ報道の果たす役割も大きい。いったん立候補が確定してしまうと様々な報道規制に従わねばならないことはわかる。しかし それでもやろうと思えばやれることはいっぱいあるはずだ。そういう意味ではやはり週刊文春は別格といえる。今回舛添さん辞任の引き金を引き続けた有力メディアの一つが週刊文春である。実は 猪瀬さんが辞任表明し 舛添さんが立候補表明をしたとき 週刊文春は舛添批判を繰り返した。とくに 自らの介護経験を声高にアピールした舛添さんに対し 実際にやっていることと言っていることがまったく違うと批判したのだ。
私自身は舛添さんに投票しなかったし 知事になってもすぐに化けの皮がはがれるだろうと思っていた。私にとっては 実は2年半もやりおおせたこと自体が驚きだった。舛添さんは極めて頭の回転の速い方である。しかし そうした頭が良い人につきものの傲慢さは度を越していた。特に今回私が驚いたのは 口汚い言葉で相手をののしり批判しながら 自らが何の恥じらいもなく同じことを行っていたという事実だ。
それでも 人は変わると私は思う。いや 思いたい。今回の出来事は追い風を受けていた舛添さんにとって突然の嵐に巻き込まれたようなものかもしれない。しかしまだ沈没には程遠い。舛添さんには今回の出来事を糧にカムバックしてもらいたい。それだけの才能が彼にはあると思う。
2016年9月 ハワイのキンダーガーテン競争
6月末にこのコラムに書いて以来 あっという間に9月になってしまった。夏の休暇で長女一家と一緒に次女の住むハワイへ夏休みに行き そのしわ寄せで夏休み前は仕事に忙殺され 帰ってから何とか約束の期限に新著の原稿を完成させ・・・。その間 いつの間にか都知事が変わり オリンピックが幕を開け幕を閉じ SMAP解散が世間を驚かせ またまた異常気象下の台風が北海道に大災害をもたらし・・・本当にあわただしい。
その間 いろいろ積もり積もった話があるが まずはハワイのキンダーガーテン事情からお話ししよう。アメリカの連邦制度では 法律は州法で規定されており 州法でカバーできない法律を連邦法でカバーするというのが基本の考えだ。例えば交通法も州法なので州によって法律が異なる。ハワイ州では日本の免許証があれば国際免許証がなくとも州内で車を運転することができる。ところが ニューヨーク州では日本の免許証で運転はできない。2年前までは ハワイに住所のない日本からの短期観光旅行者でもハワイの運転試験に受かればハワイ州発行の自動車免許証を取得することができた。これには驚いたが さすがに今はそれはできなくなった。
教育法も州によって法律が異なる。今年8月から私のハーフの孫が公立のキンダーガーテンに通い始めたので 「ところ変われば」という話しをしてみたい。ハワイの学校制度は キンダーガーテンが1年間 小学校(elementary school)が5年間 中学校(middle school)が3年間 高校(high school)が4年間。この13年間が無料の義務教育となっている。
分かりにくいのがキンダーガーテンだ。キンダーガーテンを「幼稚園」と訳すのは間違っている。キンダーガーテンは日本の幼稚園とはまったく異なる。キンダーガーテンは小学校の中に併設されており無料の義務教育である。小学0年生というほうが分かりやすい。ただし一年間しかないので 多くの親はキンダーガーテン入学前の約2年間をプレスクールと呼ぶ幼稚園・保育園に通わせる。これは私立しかないので学費は高い。私の娘は毎月7万円を払って2年間プレスクールに通わせていた。ごく普通のプレスクールの話しだ。ただ 最後の一年間は政府から学費補助が出たのでとても助かったと言っていた。
キンダーガーテンは小学校0年なので キンダーガーテン選びは即小学校選びを意味する。ハワイの場合 学区制が敷かれているために 住んでいる場所で学校が指定される。これは日本に近い。大違いなのは ハワイでは(というよりもアメリカでは) すべての学校は小学校を含め 毎年複数のランキング機関から点数がつけられ 順位が公表されるということだ。もちろん評価項目は多岐にわたっている。となれば 学区内の学校のランキングが低いとなると それは親にとっては 下手をすれば子供の一生を左右する重大事となる。
もちろん当然これを防ぐためのシステムが存在する。それが越境入学制度だ。ハワイには学区制がある一方で越境入学制度があるのだ。親はママ友の評判やランキングを参考に幾つもの学校に自ら越境入学の申請をすることになる。越境入学の受け入れ人数は学校に任されている。何もせずに学区内で指定された低ランクの学校に通わせる親は恐らく子供の教育に関心の低い親だと言ってよい。アメリカの制度は何でもそうだが よく調べると結構いろいろな救済制度が存在するが それらのほとんどは自ら進んで手を伸ばさないと手に入れることはできない。アメリカ社会を見るといたるところに「神は自ら助くる者を助く」というキリスト教の基本精神が見える。
私のハワイの娘は評判の良い5つのキンダーガーテンに越境入学の申請をし その内2校から合格の連絡を頂いた。ハワイでは学校の送り迎えの基本は自家用車である。このためにペーパードライバーだった娘は再度運転練習をし ペーパードライバーを卒業し 小さい中古車を一台買うことになった。子供がキンダーガーテンに進む年齢になると親は大変だ。
さて町田市に住む私の長女の孫も小学校入学時に近隣の二つの学校を選択できる仕組みになっていた。選択肢があるという意味ではハワイと同じだが もちろんハワイのようなランキングは発表されない。
キンダーガーテンから始まる義務教育 小学校(キンダーガーテン込み)から公表される学校ランキング 越境入学競争 ・・・平和なハワイの暮らしの中に アメリカ社会特有の競争原理を見たような気がする。
2016年9月その2 格安スマホで気づく合理性
私にとって今までブラックボックスだったものの一つが携帯電話料金だ。えらく無駄なお金を使っていることは薄々気づいていた。しかし面倒臭さにかまけてほったらかしにしていた。そして2か月前 妻の長年使っているガラ携の外蓋がふとした拍子にパカっとはずれたのを機会に決心した。格安スマホへの切り替えである。
まず私の使っていた古いアンドロイドのスマホを捨てSIMフリーのiPhoneをアップルストアで購入。今までのAUとの契約を解除し 格安スマホのIIJmioと契約することにした。後で知ったことだが ビックカメラなどでIIJmioの契約を取り扱っているので そこで契約すれば即時開通ができるとのこと。そのときは何も知らなかったので すべてネットでIIJmioとやり取りをし 自分でSIMカードを入れ替えて開通。60の手習いだったが まったく何のトラブルもなくすんなりと開通できたのは拍子抜けするほどだった。
一ヶ月お試しをしたうえで、今度は妻のガラ携を私と同じiPhoneに変え IIJmioの契約をファミリープランに変更。これで今まで15年契約してきたAUとはさよならとなった。
まだ落ち着いていないので確実なことは言えないが 携帯電話費用は確実に1/3以下になったと思う。今まで妻のガラ携(メールとたまの電話)と私のスマホ(たまの緊急電話 出張時のメールチェック 道に迷った時のGoogle Mapの使用)で総額約14,000円/月。これが4千円以下で収まりそうだ。
私が格安スマホのもう一つの利点として挙げたいのがシンプルな料金体系だ。どこも同じだと思うが 料金は「データ通信料(例えば3Gまで幾ら)」プラス「音声通話量(使用に応じて課金)」と実に分かりやすい。格安スマホはもともとデータ通信が主なので「かけ放題」や「家族割」などの音声通話の割引はほとんどない。IIJmioの場合 基本は30秒10円になっている。
シンプルな料金体系とは合理的な料金体系ということだ。このおかげで通話料金が明確になり 結果として通話料金への意識が高くなった。この合理性は私にとっては重要なことだ。AUなどのキャリアの場合 複雑な割引体系のために いったい今かけている電話料金が一体いくらなのかが分からない。複雑さが非合理性を生み出し ブラックボックス化していた。
良い機会なので ここで家の固定電話から発信する場合と携帯(格安スマホ)から発信する場合とで料金がいくら違うのかを調べてみることにした。私の家ではマンション全体でインターネット専用回線が引かれており その費用は管理費として徴収されている。したがって電話線そのものはNTTのアナログ回線だ。当然私はNTTのプラチナライン(無料)を契約している。チョー当たり前だが 結論としてはできるだけ自宅の固定電話を使うべしというのが明確になった。重要なのはその事実が定量化できたということだ。
自宅固定(プラチナライン)から固定電話へ・・・8.1円/2分(都内)、15.7円/2分(県外)
自宅固定(プラチナライン)から携帯電話へ・・・17.3円/分 (34.6円/2分)
自宅固定(プラチナライン)からアメリカへ・・・9円/分 (18円/2分)
格安スマホ(IIJmio)から固定/携帯へ・・・10円/30秒 (40円/2分)
もちろん 携帯同士でもLINE通話の音質は今や普通の電話なみで全く問題ない。これを使えば通話は日本であれアメリカであれ タダ。iPhoneのFace Timeを使えば至極簡単にタダでビデオ電話ができる。家族間の通話などこれで十分だ。どう見ても 家族割やかけ放題など音声通話割引を売りにしてきたキャリアの携帯にはとても勝ち目がなさそうだ。
さて 調べていて発見したのだが 米国の電話番号は固定も携帯も同じになっている。電話番号を見ただけでは固定か携帯かは分からない。つまり 固定であれ携帯であれ 最初に申し込んだ地域のエリアコード(市外局番)が与えられるだけなのだ。他州に引っ越しても 固定から携帯に変えても同じエリアコードがついて回る。電話料金は契約した電話会社との契約がすべて。・・・いや何と合理的なのだ。というか 固定だの携帯だのと無駄な線引きをしている日本の電話システムがいかに非合理かというのに改めて気づかされた。もちろん ここで「無駄」とか「非合理」と言っているのはユーザー視点での話である。
「知らないと損をする」、「やらないと損をする」、「今のやり方が普通だと決して思ってはならない」・・・とても勉強になりました。
2016年10月 大阪マラソンに向けて
10月・・・そろそろマラソンのシーズンが始まる。今シーズンの私の最初のマラソンは10月30日の大阪マラソンだ。東京に続いて人気のマラソンだが 大阪マラソンには「粋なはからい」がある。3回続けて落選した人に優先枠が設けられているのだ。今回はその優先枠で出場となった。これはありがたい。
どうして私が3回続けて落選したことが分かるかというと ネットのお蔭だ。大阪マラソンの場合 ネットで申込みをする人は大阪マラソンに個人登録し IDを入手することになる。以降はそのIDを使って申し込む。したがって 主催者にとってはネット申込者の過去の申込み・参加履歴が一目瞭然なのだ。これだけメリットの明確なマイナンバーなら文句はない。国のマイナンバーでも 3年間続けて税金100万円おさめた人は翌年の税金が1割安くなるなど もっと明確なメリットがあれば マイナンバー取得も考えないではないのだが。いかがだろうか。
ちなみに東京マラソンにはこういう仕組みがない。ID取得制になってないので簡単ではないかもしれない。しかし申込みメールアドレスを使えば不可能なことはない。一方 東京マラソンにはONE TOKYOクラブというものがあって毎年数千円払ってメンバーになると抽選回数が増える仕組みがある。どうも金儲け主義が鼻につくし公平感に欠ける。さらに 東京マラソンには陸連登録者が抽選上で有利になるという噂も絶えない(誰でも毎年数千円はらえば陸連登録可能)。東京マラソンを含め どうも東京都のやることはビューロクラシーが鼻につくというか 豊洲と同様に仕組みが不透明だ。
さて大阪マラソンに備えジョギングしていると くるぶしの下側周辺に痛みを感じた。一週間たっても治まらないので近所の外科に行くと 5人に1人のよくある骨の曲りだという。もともとの原因は足裏アーチのへたれにあるという。つまり 足裏筋力が低下してくると走っているうちにアーチがなくなり偏平足気味になるのだ。これが遠因なので長期的に改善するにはシューズにしっかりとしたインソールを入れた方がよいという。実は 個人的に足裏アーチのへたれには注意をしており 今もセミカスタマーメードの市販インソールを入れている。ただし 両足1万円強のもので「今一つ」感をもっていた。
というわけで そこの外科に出入りしている装具屋さん(コルセットなどを作っている業者さん)に頼んでフルカスタムのインソールを作ることにした。装具屋さんいわく 東京マラソンと大阪マラソンの前になるとインソールの依頼が急増するという。すぐに足の型どりをすませ 一週間後にはできあがる予定。これで大阪マラソンに十分間に合うと思ったら 多少の痛みは残っていたものの もう回復したような気になってしまった。そこで ゆっくりと17キロほど一週間ぶりのジョギングをしてみた。・・・そして また痛みがぶり返してしまった。
教訓:①マイナンバーも使い方次第、②足裏は大切、③無理は禁物(仕事もマラソンも おそらくは人生も)
2016年11月 トランプ大統領の悲劇?
11月もいろんなことがあった。中でもピカイチはトランプ新大統領候補の誕生。まだ選挙から一ヶ月しかたっていないのに あまりにもいろいろな報道があったためか ずいぶん前の出来事のような気がする。
トランプ当選後 各地の小学校の黒板に 「黒人は出ていけ。有色人種は出ていけ」などの人種差別発言が書き込まれ 移民管理局のビルにも落書きが相次いだそうだ。ハワイ在住の娘は「(人種差別のほとんどない)ハワイでよかった。これが他の州だったら 子供のことが心配でならない」と言っていた。どうしてこんな差別主義者が大統領に選ばれたのか 私にはまったく理解できない。もちろん共和党の保守主流派にとっても同じことなのだが 共和党支持の一般ピープルにも同様意見の人が多いようだ。
娘の旦那の出身はペンシルベニア州フィラデルフィアで子供は4人。両親は現在フィラデルフィアの片田舎(ランカスター)に住む労働者。3人の子供もオハイオなどの近隣州に住んでいる。日本人の私の娘と結婚しハワイに住む三男の旦那だけがやや異色である。さてペンシルベニアの片田舎で労働者階級と言えば はっきり言ってバリバリの共和党支持者である。旦那一家も 今迄聞く限り両親も四人の子供も皆生粋の共和党支持者だった。ところが今回の大統領選は違っていた。
娘によると トランプに投票したのは両親だけで 子供たちは皆トランプ以外(クリントンやリバタリアン候補)に投票したとのこと。選挙後 次男がブログでトランプ大反対を書いたところ 両親の耳に入り それ以降 親子絶縁状態が続いているという話しだった。これは 高齢者がトランプを支持したが 若者はクリントン支持という結果と同じだ。またテレビ報道によると 共和党支持者でトランプ以外に投票した人の割合は 民主党支持者でクリントン以外に投票した人の割合よりも高かったというではないか。身近な例を見ても本当にそうなっていたのだ。
トランプ大統領誕生を招いたクリントンの選挙下手は救いようがない。しかし 今回の大統領選で唯一希望が持てるのは 若者の共和党支持者の間に地殻変動の兆しがみられたことだ。ティーパーティの誕生そして今回のトランプ騒動 私は今回の選挙が共和党支持基盤に強烈な変化をもたらす引き金になったのではないかと考える。大統領選と上下院選で勝利した共和党は 勝利の故に苦難の道を歩むことになるだろう。そして私はそれは良いことだと思う。
個人的には トランプは議会(共和党主流派)とのせめぎあいの中で大きなことは何も決めることができないだろうと思う。というかぜひそうなってほしい。それは史上最悪の大統領を抱くことになった米国社会 そして世界にとり良いことだと思う。四年間 辛抱の時代だ。
2016年12月 ハワイもろもろ
先週 ホノルルマラソン出場と娘家族訪問と休暇を兼ねてハワイに行ってきた。ホノルルマラソンは 早朝は曇りだったものの途中から快晴。ゴール時は30度近い猛暑になっていた。どうもホノルルマラソンは苦手だ。良い記録を出したことがない。早朝5時真っ暗な中でのスタートがまず大変。5時にスタートと言うことは1時とか2時の起床。普通はろくすっぽ寝てない中でのスタートとなる。しかもあたりは真っ暗なので腕時計がよく見えない。つまり どのくらいのラップで走っているのかまったく分からないのだ。頼りにならない自分の経験で走るしかない。これは辛い。
ホノルルマラソンは今年で連続4回の出場となるが 3年前は猛暑。2年前は雨ときどき晴れ ときどき土砂降り(実はこの時がベスト記録でした)。昨年はどんよりとした曇りでやたら温度と湿度が高かった。今年は前半曇りで途中から快晴 後に猛暑。ともかく睡眠不足で 25~30度の気温の中を走るのは本当にしんどい。
さて 今回のホノルルマラソン受付会場は例年になく多くのショップが立ち並びかなり活況な雰囲気だった。しかしショップの華やかさと裏腹に 参加者はかなりの減少を見せている。
2014年 参加者30,434人 うち日本人13,454人
2015年 参加者30,783人 うち日本人12,532人
2016年 参加者28,675人 うち日本人11,087人
ちなみに参加者が3万人を切ったのは5年ぶり。日本人参加者が12,000人を切ったのはなんと10数年ぶりのことだ。大統領選以降のドル高が大きく影響しているのかもしれないが なにか不気味な気はする。
不気味と言えば まったく迷走状態に突入したのがハワイ初めての鉄道計画(ホノルルの西側 カポレイ-空港-市街地-アラモアナをつなぐ20マイルのモノレール計画)である。2024年春完成をめざし すでに計画の60%は発注終了と言われ 実際にかなりのところまで工事が進んでいる。これが今 20マイルを15マイルに短縮しようとか いやもっと短縮しないと資金が続かないとか 一方で 連邦政府の補助金は全区間建設が条件だなどなど議論復旧。そもそも本当に必要なのかという話まで噴出し 今春には建設責任者であるホノルル高速鉄道輸送機構(HART)のトップが辞任となった。今や計画通りにアラモアナまでつなぐことは絶望的と見られている。
このプロジェクト 2012年に総コスト51億ドルで立てられた予算は2016年10月時点で86億ドルに跳ね上がった。しかしほとんどの人は最終的には100億ドルを超えるとみている。わずか20マイル(32キロ)の鉄道の話しなので キロあたり3億ドル以上という途方もないコストだ。ちなみに13年前に開業した沖縄モノレール(13キロ)では総事業費1,100億円 つまりキロ当たり85億円だった。時代が違うとはいえ まさにハワイの鉄道計画は東京の豊洲問題に匹敵するどんぶり計画だったようで こちらもまたいったいどうなるのか着地点はまったく見えていない。観光で行くには楽園なのですが・・・。
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