過去のひと言
2014年1月 謹賀新年
2014年あけましておめでとうございます。
東京では三が日は実に温暖な天気が続きました。この天気につられ のんびりとした正月休みを送らせていただきました。
元日は今年の願掛けの意味を込めちょっとランニングした以外はごろ寝。二日は浅草に出かけました。浅草と言えば浅草寺ですが 浅草寺の三が日はものすごい行列なのでパス。初詣ですから 浅草寺の横にある浅草神社にお参りすることにしました。今は神社とお寺は別々ですが これは明治時代の神仏分離によるもの。それ以前 多くの神社・お寺は同一の敷地内で一括して管理されていました。浅草神社も元をたどれば浅草寺の付録的な存在だったようです。
しかし決してあなどってはなりません。浅草神社の社殿は重要文化財に指定されているのです。説明によると 社殿は度重なる火災や戦災や震災をも免れ 350年もの間 生き続けていると言うことです。となりの浅草寺の本堂や五重塔は戦災で焼失しているので これはすごいことです。かなりのご利益が期待できそうです。
さて浅草神社にお参りした後は メインイベントである浅草公会堂での新春歌舞伎の観劇です。役者は市川猿之助と片岡愛之助。倍返しでブレイクした片岡愛之助さんは大みそかの紅白に出た後 元日は片岡一門の集まりで京都に行き トンボ返りで東京にもどって二日からの出演だそうです。芸能人は正月はハワイでのんびりというイメージでしたが 歌舞伎役者は大忙しのようです。
三日は穴八幡(早稲田)に参拝。八幡さまと言えば武運の神様。穴八幡ももちろん同じですが 今や穴八幡と言えば金運アップの神社として有名です。そもそも敷地の穴から金銅の御神像がでてきたのが名前の由来と言います。ここでしか頂けない「一陽来復」(陰の後は陽が来る)のお守りは大人気です。
さて穴八幡の後は新宿の末広亭で初寄席。正月の寄席は顔見世公演なので 多くの芸人さんが短い持ち時間で場を回します。深い話は無理ですが これはこれで普段見られない芸が見られるので面白い。
四日は明治神宮に参拝。ご利益があるのかどうかは分かりませんが 関東で最大の神社なのですからやはり外せません。その後にちょっとしたショッピング。・・・九州の慣習である三社参り(三つの神社に初詣に行く慣習)もつつがなく終了 平和なお正月でした。今年は安部首相が年男とのこと。どうか良い一年となりますように。
2014年2月 私見 出版事情
新聞の勧誘には洗剤のおまけや野球の無料チケットがつきものだ。なぜ? …理由は再販価格制度という法律にある。新聞や出版物などの文化(?)事業は 文化レベルを維持するために 値引き販売を禁止するというものだ。その結果 新聞は値引き競争ができず(つまり値引きをやらずに済み)おまけ競争がそれにとって替わる。穿った見方をすれば 新聞社の談合と言えなくもない。過去何度となく再販価格制度廃止の声が上がったというが 新聞社の強い抵抗には誰も勝てない。
書籍も再販価格なので 本屋で値引きというものはない。どんなに売れない本でも値引きはできないのだ。これはネット販売でも同じ。もちろんそのままでは本屋の経営は立ちいかない…というわけで 書籍では出版社への返品という制度がワンセットとなる。売れないので値引きというやり方が許されない商品では 売れなければすべて返品となるのだ。もちろん 書籍だけではなく 小売りされるすべての再販価格商品では返品制度がワンセットになっている。
書籍の場合 返品率は平均で確実に40%は超えているだろう。10万部刷ったら そのうちの4万部以上が返品として出版社に戻り 結局は断裁してサヨウナラとなる。何とももったいない非効率的な話だ。これが文化レベル維持を標榜するために作られた再販価格制度の現実である。
したがって出版社にとっては 返品をいかに防ぐかが営業の腕の見せ所になる。出版社は書店に配本した段階で売上げを立て代金を回収するのだが 返品された場合 その時点で代金を払い戻さねばならない。一方で 書店とすれば 新刊書は山のように出てくるし 棚の面積は限られているので 気づく限りせっせと返品する。結果として返品率は上昇の一途をたどる。コストのかかる本で売れなかった場合など 悲惨な末路を招く。昔 アイドルの写真集を数百万部刷ったが 思いのほか売れずに 60%を超える返品となった出版社があった。結局 その出版社は倒産した。
出版社は表立って絶版はしない。絶版にすれば その時点ですべての返品を受け入れる必要がある。これは大変な出費だ。したがって 出版社は絶版にするのを避け 一度に返品されるのを防ぐ。出版社から見れば 書店で売れない本は書店の在庫であり 出版社の在庫ではない。この結果 出版社のコンピュータでは書目数(品目数)だけがやたらと増え続けることになる。しかしよく見ると その書目数の1/3はまったく売れていないという状況なのだ。
昔 中堅出版社のコンサルティングをした時に 大ナタを振るって売れない書店在庫をすべて引取り 登録上の書目数を2/3にするという大合理化を行ったことがある。結果として 万年赤字の会社を一年で黒字化することに成功した。書店在庫はもちろん、効率化に対する出版社社員の意識改革に成功したのだ。この出版社はそれ以降ずっと黒字である。
2014年2月 私見出版事情 その2
前回は返品にまつわる話を書いた。今回は電子書籍の話だ。
私が二年前に出した「入門 考える技術・書く技術」が増刷になりますという話が来た。確か今回で9刷になるので そこそこ売れている。しかも 増刷部数が8千部だという。ビジネス本的に言えば 5千部が全国書店の最低配荷レベルなので 初版では安全を見て5~8千部の印刷と言うのが一般的だ。増刷で8千部というのはかなり景気の良い話である。さてこれで何万部刷ったことになるのだろうかと考えてみて はたと思いあたった。すぐに何万部と言う数字が出てこないのだ。
ちなみに著者が受け取る出版物の印税は 売れた時点ではなく 刷った時点で刷った部数を基準にして計算される。印税の%はビジネス本であれば販売価格の8~10%が妥当なところだろう。したがって出版物では 増刷時にそこそこの印税が小遣いとして入ってくる。ちょっとした楽しみだ。
ところが この「入門 考える技術・書く技術」は10近い電子書籍でダウンロード可能な契約にしている。電子書籍では刷るということがないので ダウンロードした時点で印税の支払となる。ただし その分 印税の%は紙の倍以上になる。私の場合 ダイヤモンド社にお願いして窓口になっていただいているので 同社から毎月どこからどれだけダウンロードされたかの報告が届き 毎月印税が支払われる。しかし 増刷の単位が数千部であるのに対し 電子書籍のダウンロード数は月に数十部の話だ。残念ながら 楽しみと言えるレベルにも達しない。いつの間にか振り込まれ いつの間にか消えていく。
ところが 先日届いた報告書では 驚くことに某電子書籍で月に3千部のダウンロードがあったという。こうなると電子書籍もばかにならない。どうやら急速に電子書籍が幅を利かせてきたようなのだ。問題は紙による従来型の出版システムと紙を使わない電子書籍という新システムの二つのシステムが併存している点だ。つまり 刷った部数が中心の従来システムと売れた部数のみしか意味のない新システムが混在しているのだ
著者視点で言えば 今までは刷った部数が唯一の数字だった。しかし今や この従来型観念がそろそろ通用しなくなってきたのだ。しかも 経験してみると分かるのだが この新旧システムはお互いに影響し合って併存しているのだ。
もう少し安定化すれば 紙の刷数と電子書籍のダウンロード数にそこそこの関係が見えてくるのかもしれない。当然 出版物のカテゴリや対象読者によって異なるであろうが 必ず一定の関係数が見えるに違いない。これが見えれば もっともっと売れる工夫ができそうな気がする。もう一冊本が書けそうな気がしてきた。
2014年3月 東京マラソン激走
2月23日 東京マラソン激走。これで私の今期のマラソン・シーズンが終了した。
昨年11月の富士山マラソン 12月のホノルルマラソンはともに4時間15~18分の記録に終わった。私にとっては正直意気消沈の記録だ。ホノルルマラソンが終わった時には 61歳の私にはもしかするともう一生4時間切りは無理なのではないかいう思いさえ頭をかすめた。4時間を超した時 特に途中で歩いたりした時には いつもこういう気になってしまう。4時間切りはランナーの世界ではサブフォーと呼び 市民ランナーと呼んで恥ずかしくないレベルを意味する。つまりそう簡単にサブフォーの称号を捨てるわけにはいかないのだ。我々レベルのサブフォーランナーは皆この称号に執着している。
ともかく東京マラソンでは何としてもサブフォーをという気持ちで ホノルルマラソンから2ヶ月間 20~25キロのペース走を週一回欠かさずにこなした。実はその効果はあったようで一月に出場した二度のハーフマラソンでは 二度とも自己ベストを更新した。しかも東京マラソンは過去3度の出場すべてで4時間を切っている。自信回復というタイところだが 実は気がかりな点もあった。それはホノルルマラソンの30キロ過ぎで左膝裏がつりそうになったことだ。その痛みの後は怖くて思い切り足を動かすことが出来なかった。初めての経験だったが、実はそれ以降も20キロくらいを走ると同じ部位で痛みの予感というものを感じるときがあった。
東京マラソンは日本でナンバーワンの市民マラソン大会だ。コース設計、運営、沿道の応援・・・どれをとっても素晴らしい。ただ一つ欠点を挙げるとすれば 30分以上にわたり寒い中をじっと立ってスタートを待たなければならない点だろう。東京マラソンの場合 この都庁前で待っている間が実に寒くて長い。特に今年は寒かった。何とかいけるだろう、もしかすると自己ベストもありかもという高ぶる気持ちとホノルルマラソンで感じた足の痛みへの不安・・・マラソンで一番緊張するのはこのスタートラインを待つ時だ。
寒い中 本当に震えながらいろいろ考えていると 実は恐らく私がマラソンで一番好きな楽しい時間はこの待ち時間だということに気づいた。走り終えてゴールする時は達成感に満ちた「嬉しさ」だ。一方 スタートの号砲を待つ間は期待と興奮に満ちた緊張感あふれる「楽しさ」だ。ソチ五輪のジャンプで葛西選手が滑り出す瞬間ににこっとした表情をカメラがとらえた。これを見た瞬間 一流のアスリートも同じなのだと思った。葛西選手はこの緊張の瞬間を確かに楽しんでいた。
9時10分号砲。出場選手36,000人。芋を洗うような大混雑の中 いよいよスタートだ。とは言っても 私の場所からだとスタートラインを通過するのは号砲から5分以上経過した後になる。徐々に徐々に気合いを入れながらスタートラインまで歩きを速めて行く。
2014年3月その2 東京マラソン激走(続)
9時10分 東京マラソンスタート。号砲を待つ間 寒くて震えていたが これがいざ走り始めると絶好のマラソン日和となった。走り始めて1、2キロはまだかなりの混雑で自由に走るのは難しい。2キロ地点で 寒さ対策で羽織っていたビニールのポンチョを脱ぎ捨てる。いよいよ本格的な走り始めだ。
最初の5キロ(飯田橋くらいまで)はずっと下り。走りやすいのだがここで抑え気味に走るのがポイントだ。飯田橋の外堀通りから竹橋を抜け内堀通りへ そして10キロ地点の日比谷へとぐるりと展開する。とても開けた爽快なコースだ。東京マラソンの10キロまでは本当に最高だ。
さて私の場合できるだけ 設定したペースで走るようにしている。腕時計とキロ表示が生命線だ。東京マラソンは一キロごとにキロ表示があるのだが この表示が高く目立つように表示されているのでとてもありがたい。私の設定ラップは最初の10キロは 5分~5分10秒/キロ。調子に乗っても決して5分を切って走らないようにする。あくまでも軽快にリズムを崩さないように。
懸念していたのだが 余りの寒さに走ってすぐに尿意をもよおしてきた。トイレに行けば恐らく1分以上のロスタイム。しかも皆同じ状況だからスタートして5キロ以内のトイレはどこも大混雑。ちなみにプロランナーは走りながらおしっこをするということを聞いた。給水時点で水をもらいパンツからかけて洗い流すそうだ。考えてみれば汗と同じようなものだからこれでも問題ないかもしれない。しかし素人ランナーとしてはとてもそこまでの勇気はない。何とか10キロ過ぎまでは持たせようとの覚悟で走り続ける。ちなみに昨年の東京マラソンでは一度もトイレに行かなかった。
10キロの日比谷を過ぎると芝・品川方面へと走り 折り返して日比谷に戻ってくる。この戻ってきた地点から少し銀座寄りの地点が中間点になる。この10キロ~中間点はやや単調ではあるもののまだ半分なので大丈夫。ただ15キロ付近をすぎてくるとその日の調子は何となくわかってくる。この日の感覚としては意外と軽い。これは行けるかも・・・。ともかくあくまでもリズムを崩さないように。
さて銀座からは日本橋を抜けいよいよ浅草をめざす。浅草雷門の前の折り返しがちょうど28キロである。ただしこの区間は銀座から何度か右に曲がったり左に曲がったりするので方向感覚を維持するのが難しい。また浅草橋の交差点を見てもうすぐ浅草だと誤解すると大変なことになる。この辺はコースを頭の中に入れておくことが重要だ。東京マラソンの正念場は浅草雷門の折り返しから銀座にもどるまでの28キロから30数キロだ。いつもここでペースが落ちてしまう。本当につらい。必死でペースを落とさないように走る。ひたすらリズムよく。
東京マラソンは年を追うごとに沿道の応援がすごくなっている。本当に驚いてしまう。ランナーとしては感謝しかない。応援の方には本当にありがとうと声に出したいのだが この日はそれどころではない。「ありがとう」という気持ちだけで勘弁してもらい ひたすら走らせてもらうことにした。沿道のお子さん ハイタッチもせずに申し訳ありませんでした。
かなりきつかったのだが意外とペースは落ちていない。この地点でもキロ5分半で走っている。もう自己ベストは間違いない。築地本願寺(35キロ地点)を過ぎるころにそれを確信した。
これ以降は有明に向けて 埋立地とそれをつなぐ幾つもの橋をひたすら走り続ける。さすがに体はへたばってきた。4度目の東京マラソンなのにこんなに橋の上りのきつさを感じたのは初めてだ。それ以前にこんなに橋がいっぱいあったというのにも改めて驚いてしまった。あともう少し。ゴールが近づくにつれ沿道は選手の応援団で埋め尽くされていく。ラストスパートと行きたいところだが そのエネルギーはない。あと少し。公道を右に曲がるとフィニッシュ・ゲートと時計が目に入る。・・・精一杯のスマイルでゴールイン。
結果 3時間45分12秒。自己ベスト。トイレ休憩の時間も入れて、しっかりとペースを刻んだ完璧な勝利だった。しかし翌日 エネルギーを使い果たした私は 突然の寒気に襲われ 風邪をこじらせ 火水木と三日間寝込む羽目になってしまった。頑張れる自信も持てたけれども 無理がきかない現状も思い知らされました。何とか80歳までフルマラソンを走ること これが今の私の目標だ。
2014年4月 建設業界の現状?
安倍総理の下 東京オリンピックは決まったし 公共事業への大幅な予算投入も行われている。さすが建設業界は大儲けだろうと思って業界の友人に聞いてみた。しかし友人によると実態はそうでもないらしい。建築コストは高騰し 労働者不足も甚だしく 確かに忙しいのだがあまり儲かっていないという。大規模入札などは応札後の建築費の高騰が怖くて応札できない状況だと言うのだ。
昨年11月に実施された築地市場の豊洲新市場への移転建設工事の入札では 4事業のうちの3事業で入札不調に終わった。落札したのは69億円の衛生検査所工事の1件のみ。予定価格628億円の残り3事業は 事前に参加の意向を示していた鹿島・清水・大成・竹中・大林組など大手ゼネコンが金額面で折り合わず入札を辞退した。都の提示していた予定価格では安すぎて入札が成立しなかったのだ。
結局 築地の入札は3棟分で予定価格を当初の628億円から400億円引き上げることになった。計1000億を超す予定価格で再入札が行われ 2月半ばに大手ゼネコンが落札した。中にはこれは出来あいのレースで もともと無理な予定価格で予算を組み 結局は再入札という形で値段を上げるという常套テクニックだという人もいる。しかし それにしても600億円が2か月で1000億円という変わり様には驚かされる。東北の復興事業の入札でも不成立続出という話をよく聞く。
建設業界も大変なのだなと思っていた矢先 2月に発生したのが南青山で三菱地所・鹿島建設が建設中だった億ション販売中止の話だ。最高価格3億5000万円 最多価格1億4000万円 “ザ・パークハウス グラン南青山高樹町”だ。事業主は三菱地所レジデンス、設計監理が三菱地所設計、建築施工が鹿島建設。億ションに相応しい業界最強の顔ぶれた。これで問題など起こるはずがない・・・しかし起きた。
工事に不具合が生じたのだ。配管・配線を通すスリーブ(貫通孔)が設計通りに入ってなかったという前代未聞の大失態だった。全部で6000カ所あるスリーブのうち 600カ所について孔が空いていなかったり 孔の場所が間違っていたという。壁の中は鉄筋だらけだし 特にスリーブ孔周辺は補強筋を取り付けて強度の低下を防ぐ。後で孔をあければよいという代物ではない。しかも施工図そのものが設備設計図を反映していなかったらしく 間違った施工図を元にチェックしても間違いに気づかないという状況だったという。この間違いは設備工事担当者から8月に現場所長に報告されたが 上手く状況が理解されず “よきに計らえ”的な指示で終わったという。
結局今年に入って内部の人間によるネットの書き込みが発端となり問題が顕在化。引き渡しまであと3か月と言う段階でギブアップとなったらしい。契約者には手付金の倍を違約金として追加支払いし 販売中止を合意してもらうことになった。1000万円の手付だったら計3000万円の戻りだ。さすが超大手。裁判沙汰を恐れたらしい。結局 この建物は取り壊しになることが決まった。・・・どうやら建築労働者不足/建設費高騰と言うマクロな話は現実の身近な出来事として確実に影響を及ぼし始めているらしい。
2014年4月No.2 ハワイ不動産事情
先週 ハワイ在住の娘と二人の孫に会いにホノルルに行ってきた。本当に何度行ってもハワイは最高。できるものならば引っ越したいと思う。・・・無理は承知だが 頭で考えるのは自由でしょう。
さて最近どうもハワイの不動産は値上がり傾向にあるようだ。ちなみに 現在 アラモアナ・ショッピングセンターに建設中のコンドミニアムは最低で1億円というような物件だったが 昨年の発売時にはものすごい行列ができ あっと言う間に完売したと言う。また このアラモアナ地区の更に西側にあるカカアコ地区は大規模な再開発の真っ最中だ。何棟もの大型コンドミニアムが建設中である。将来的には20棟ものコンドミニアム/ショッピングビルが立ち並ぶらしい。すでに売り出されたコンドミニアムもあるが ここでも数千万円以上だ。それでも人気が高いらしい。
アラモアナ・ショッピングセンターは 正面に公園やビーチがあり ワイキキからもぎりぎりだが徒歩圏 ウォルマートもドンキホーテも徒歩圏なので とても便利がよい。1億円と言われればそれくらいの価値は十分にあるだろう。しかし カカアコまで来るとワイキキとは別のエリアだ。
しかし心配ご無用。アラモアナ・ショッピングセンターから このカカアコを経由し 空港 そして その先まで32kmにおよぶ鉄道がすでに建設に入っているのだ。ホノルル・レール・トランジットと呼ばれる このハワイ初の鉄道網は2017~2019年にかけて開業予定になっている。すでに無人運転のモデル電車も発表されている。数年後には確実に “ホノルル・イコール・ワイキキ”という発想は時代遅れとなっているはずだ。なにせワイキキ地区にはもう建設しようにも空いた土地がないのだからしょうがない。
こんな話をするとプチバブル的な雰囲気を感じるかもしれない。しかし 実際にはハワイの不動産価格はかなり底固い気がする(あくまでも個人の意見です)。その最大の理由は売買価格のオープン制にある。実はハワイのコンドミニアムの売買取引は登録制になっており 幾らで売買されたかの記録がすべてオープンになっている。ネットでも閲覧可能だ。したがって 格安の掘り出し物があまりない一方で 馬鹿高い値段で大損をするということもない。・・・これは買い手にとってとても安心できるシステムだと思うのだが いかがだろうか?
ちなみに ハワイでは 売買記録だけではなく売却希望物件もすべて登録制になっている。したがって 不動産会社によって紹介できる物件に差があるということはない。どの不動産会社であろうが同じデータベースにアクセスし同じ物件を紹介することができる。更に言えば 米国では不動産会社に支払う手数料はすべて売り手が支払う習慣なので 購入者の負担は少なくて済む。・・・ちょっと脱線してしまったが 日本でも不動産市場を活性化したいと思えばまだまだ手を付けていない部分が多くありそうだ。
2014年5月 新築一戸建ての驚き
前回 ハワイの不動産のお話をしました。今回は日本の不動産の話しです。
以前から一軒家購入を考えていた長女夫妻がついに行動を起こし 4月頃から不動産物件の見学を始めた。まだ若いのでそう急がずともよいのではないかとアドバイスをしたが 夫は地方公務員なので引っ越しはないし 子供が三人に増えたので 上の子が小学校に入る前に落ち着きたいとの考え・・・これはこれで理解はできるので できる限り協力することにした。ターゲットは新築一軒家だ。ここではそのプロセスで経験したちょっとした驚きを紹介したい。
実際に経験して分かったが 新築一軒家の価格ほど不可思議なものはない。あってないような売り出し価格はマンションの比ではない。考えてみたら 私はずっとマンション暮らしなので 一軒家を購入した経験がない。新築マンションならば 売れ残り物件を別にして 売り出し価格にはほとんど交渉の余地はない。一室値下げすれば他も値下げする必要に迫られるからだ。しかもマンション分譲会社は基本的にそれなりの信用力・資金力を備えた大手企業だ。しかし 新築一軒家の場合 そうとは言えない。
物件見学が連休に差し掛かったころ つまり 不動産物件見学のピーク時期に差し掛かったころ驚くほど一斉に売り出し価格が値下がりされた。しかもその値下がり幅が尋常ではない。4500万円の物件ならば 4000万円に 4000万円の物件ならば 3500万円に 3500万円の物件なら3000万円に。何も言わないで 連休を境に500万円程度の一方的な値下げがざらなのだ。物件の中には700万円値下げというものもあった。
人生経験豊富なはずの私にとっても この値下げ幅は信じられない。初めて家を購入する娘夫婦は唖然とした様子だ。もう少し最初から売り出し価格を下げていれば 興味を持つ人も増えるかもしれないとは思わないのだろうか。これから初めて家を買おうと言う人は要注意。この業界はどうやら大幅な値引きを前提に当初の売り出し価格が設定されている。しかも その値引き額は 買い手の想像を軽く上回るものだということは念頭においていた方が良い。
さて 気に入った物件を見つけた娘夫婦は 500万円の値引きの後 契約に入ることになった。不動産契約の後は住宅ローンの手続きだ。公務員の娘の旦那は ろうきん(全国労働金庫協会)で財形積み立てをやっており その流れで労金から住宅ローンを借りようかと考えていた。私のイメージでは 労金と言えば公務員のための金融機関だ。しかし相談を受けた私はその内容を聞いて驚いた。
今回 住宅ローンの契約者は旦那だが 登記は娘夫婦の間での資金拠出の割合に応じて共有名義とすることになる。そうしないと夫婦の間で贈与が発生したとみなされる。驚いたのは 何と労金の住宅ローンは物件担保を取った上に 共有名義者(妻である娘)に連帯保証人になることを要求するのだ。ちなみに娘は現在専業主婦。担保を取った上に専業主婦の妻に連帯保証人をつけろ・・・これって一時代前の高利貸しの話しではないか。これにはさすがの私も激怒した。
もしかして私の考えが甘いのかと思い 民間金融機関の住宅ローンを調べた。結果 メガバンク(三菱東、UFJ、みずほ、三井住友)や横浜銀行は連帯保証人など要求しない。当たり前の話しだ・・・と思ったらそうでもなかった。ネットによれば、労金の他 りそな、中央三井信託、千葉、京葉、東京都民、住友信託、ソニー銀行なども連帯保証を求めるらしい。どうやら 世の中 高利貸し体質を引きずって 銀行の看板を掲げている金融機関が多いということらしい。ご注意あれ。
私の娘夫婦?・・・もちろん労金ではなく メガバンクの一つから住宅ローンを借りることにした。そもそも諸々の付帯条件を考えれば メガバンクの方が労金より金利が安かったのだから話にならない。
2014年7月 ピーク・タイム
ようやく6月が終わった。6月というのは私の仕事上一年でもっとも忙しい月だ。毎年同じだ。なぜ6月が忙しいか・・・元をたどれば4月始まりと言う我が国の会計年度に由来する。
私の今の主な活動は中堅社員向けの教育研修で 窓口となるのは企業の人事部や研修部という部署である。当然のことながら 人事部や研修部は4月から5月半ばまで新入社員研修で多忙を極める。この時期が過ぎたころに それでは次は中堅社員の研修をという話になり 私の出番となるのだ。研修と言うと秋あたりがよさそうだが 少なくとも私の研修はずっと6月が繁忙期である。
私の場合はワンマンビジネスなので繁忙期の存在はそれほど問題ではない。忙しい時に働き 暇なときに休めばよい話であり こなせないほどに仕事が集中すれば日程をずらしてもらうしかない。確かにこの時期に海外出張や長期の国内出張を入れることは不可能だが 事前に分かっているので何とか対応できる。
しかしこれがそれなりの組織ビジネスとなると超大変に違いない。たとえば新入社員向けの研修ビジネスをメインにする企業。いったいどうやって人手を管理するのだろうか。この4月、5月で収入のかなりを稼がねばならないのだが 時期が過ぎると人余り状態になる。
たとえば卒業式/入社式/入学式に必要となるスーツ/礼服のメーカー。おそらくはこのピーク・タイムに向けて布地の仕入れや縫製工場の手配や職人の手配などが必要になるだろう。しかしピークを過ぎれば後は暇になるので それ以外の時期は人も機械も遊ぶことになる。
ピーク・タイムの存在というのはそれ自身が非効率の源となる。逆に言えばピーク・タイムを失くせばそれだけ効率的になる。ピーク・タイムが存在するビジネスでは このピークの分散というのが経営成功のポイントになるのだ。しかしそれにしても 日本の場合 この国の会計年度の硬直性が様々なビジネスにピーク・タイムを強い 経営の非効率化の源になっている気がしてならない。
米国の場合 国の会計年度の始まりは10月だが 民間企業の会計年度は1月から始まるところが多い。ちなみに大学の入学は1月か9月 卒業式は12月か5月が一般的だ。要はかなり柔軟なのだ。そしてこの柔軟さが国全体の効率化を生み出している気がしてならない。少なくとも邪魔はしていない。
東大が秋季入学を検討している時に このコラムで入学時期を春か秋かと議論していること自体が硬直的であって 春でも秋でもよいように セメスター(四半期)ごとの運営体制を強化すべきだと提案したことがある。
四季折々の季節感を否定するわけではないが もっと「いつでもOK」的な通年発想があってもよいのではなかろうか。
2014年7月 その2 東京外郭環状道路
私のランニング・コースは 多摩川 野川 仙川の3つだ。家のそばの仙川はお手軽なジョギング用。その次に近い野川は調布の深大寺参拝がてらの気分転換用。多摩川はジョギング道路に距離表示があるので本格練習用である。いずれもきれいに整備された遊歩道が続いており 走りやすい。
小規模の仙川は二子玉川の少し上流で野川と合流し 野川は二子玉川で多摩川と合流している。規模で言えば 多摩川 野川 仙川の順だ。中でも 大きからず小さからずの野川は規模的に実に親しみやすい。湧水も多く 多くの野鳥が生息しており 都内でも珍しい自然が残っている。
その野川の 多摩堤通りから東名高速の間の環境が今激変している。住所的に言えば世田谷区喜多見周辺だ。悪名高き東京外郭環状道路の工事が急ピッチで進んでいるのだ。環八の更に外側を取り囲む東京外郭環状道路は1966年に計画された古いものだが 関越から東名を結ぶ都内区間においては しばらくの間休止状態で 一般住民の頭から消えていた。誰が考えても練馬・杉並・世田谷で今時こんな幹線道路の用地買収などとても無理だろう・・・と私も思っていた。
ところが いつの間にか 知らないうちに大深度地下使用法なる法律ができあがり 40メートル以深であれば公共施設は自由に作ってよいことになっていた(2001年に施行)。というわけで この東京外郭環状道路も地下41~70メートルというとてつもない深さにトンネルを作り 日本最大の地下道路として誕生することになったのだ。このトンネル道路が野川の西側を通過し 途中から地上に顔を出し 東名高速の高架に結ばれることになる。
トンネル道路にめどをつけた政府・都庁は 東名とつながるこのジャンクション周辺地域の用地買収を積極的に行ってきた。数年前から 道路建設の説明会などが地元住民に行われ始めたのは知っていた。しかし 自然豊かな野川沿いのこの地域には多くの住宅があり つい数年前に開発された瀟洒な戸建開発地もある。この用地買収だけでも20年近くはかかるだろうと思っていた。ところが 東京オリンピック決定以降のこのわずか数ヶ月間で 周辺地域の建物取り壊しが目立つようになった。今 東名連結部には巨大な建築物が工事中であり この周辺地域は歯抜け状態のように建物が残っているのみになってしまった。わずか数か月間の出来事だ。
この風景を見るとなぜか いつか見たことがあるようなデジャブ的な感覚になる。野川そのものは残ってはいるのだが 周辺の建物の多くが取り壊しの最中で いたるところにクレーンやショベルカーがある。デジャブではないのは この野川の地下数十メートルの見えない世界に巨大の高速道路トンネルが建設され そこを24時間絶えることなくものすごい数の自動車が行き来するという近未来だ。・・・見えないところで環境破壊が忍び寄っている気がしてならない。
2014年8月 横浜マラソンに見るプライシングの発想
そろそろ秋以降のマラソンを意識する時期になってきた。さて今年の市民マラソンの話題は何と言っても横浜マラソンだろう。今迄ハーフマラソンとして開催されてきた大会が ついにフルマラソンに衣替えをすることになった。その第一回大会が来年3月15日に予定されている。
みなとみらいをスタートし 関内地区を抜けて 首都高速湾岸線を走り みなとみらいに戻るという実にあっぱれな観光コースだ。高速道路上を走るのだから かなりの高低差への覚悟は必要。しかし それを差し引いてもこのコース設定は魅力的だ。
当然 出場は抽選になるのだが この倍率がどのくらいになるだろうかという予想がネットをにぎわしている。ちなみに3万5500人出場の東京マラソンの倍率は10倍。2万8000人出場の大阪マラソンは5倍。ネット情報によると 大阪マラソンの倍率には達しないのではないかと危惧されているらしい。
倍率が低そうなのは 第一回フルマラソンなので認知度が低いせいもあるだろうが 参加費の高さだろう。横浜マラソンの参加費は国内では最高額の1万5千円だ。東京マラソンの参加費は1万800円。大阪マラソンは1万円。国や自治体の税金を一切使わず ランナーの参加費とスポンサーシップだけで運営するのが売りの湘南国際マラソン(同じ神奈川県)ですら 12,500円なのにである。
さらによく分からないのは 参加費が割高な一方で チャリティランナーの寄付額は割安なのだ。東京マラソンの場合 10万円を寄付すれば抽選なしで出場できるチャリティランナー制度というのがある。ちなみに この寄付は昨年から寄付金控除の対象となっている。何せ東京マラソンであるからにして また 団体を選んで純粋に「寄付」するのであるからにして 「10万円寄付してでも」と言う気持ちはとてもよく分かる。私自身はチャリティランナーに応募したことはないが 毎年 どうしようかなと悩んではいる。ちなみに 大阪マラソンのチャリティランナーの場合 必要寄付額は7万円となっている。
ところが 横浜マラソンの場合 チャリティランナーに必要な寄付金は5万円。参加費が1万5千円なので 追加で3万5千円払えば抽選なしで参加できるのだ。う~ん。これは思案のしどころ。しかし 参加費といい チャリティランナーの寄付金といい 誰がどうやって決めたのだろう。
いずれにせよ 倍率数倍なのだから マーケティング的に需要と供給で見れば 参加費はもっと高くても当然と言えるのかもしれない。しかし それは儲けるためのマーケティングの話。今回は一般市民を対象とした公共のイベントである。なぜ湘南国際マラソンの意志を貫けないのだろうか。公共マーケティングのセンスに欠けている。
2014年9月 アラームが鳴った月
最近どういうわけか忙しく このコラムを書く暇もなかなかない。時々読んでくれている方 本当に申し訳ありません。
忙しいと言っても仕事が急に増えたわけではない。減っているわけでもないが増えてはいない。ただ 若干ではあるが 手間のかかる仕事が増えてきたのは事実かもしれない。まず 売り上げは増えていないのに顧客数が増えている。つまり新しいお客さんが増えている。もう同じような研修を20年以上やっているので 今さらと言う気がしないでもないが すそ野が広がっているという気はする。
また好景気のせいか 人材育成を真剣に考えるお客さんが増えてきたようで 研修の後の添削の依頼が増えている。添削は時間がかかるので私としては大変なのだが 効果は高い。更に しばらくご無沙汰だった英語版研修の依頼や問い合わせも相次いでいる。来月はその内の一件が予定されている。参加者はフィリピン人や台湾人や韓国人。某企業東京本社で働いているそうした外国人相手に 英語で 考えの組み立て方やその表現方法を教えるのである。徐々に日本もグローバル化してきた。
しかし本当に忙しいのは 仕事の依頼などの外部要因ではない。外部の話しは昔から何やかやとあった。やはり 忙しいのは私の頭の中にある人生時計のためだろう。つまり残りの人生を考えると 今のうちにやらねばならないと思うことがたくさん出て来るのだ。暇になってゴルフをやろうとしたら やはり今の内から仲間を作っておかないとゴルフ相手に困ってしまう。マラソンも少しサボると後が大変と言うか 走れなくなるかもしれない。孫も今の内に遊んでやらないと 将来遊び相手になってくれなくなる。もちろん私事に限らず 仕事的にもまだやり残したことがあるし 書き残した本もある。本当にやりたい事に尽きることはない。
先日 北島三郎の最終公演を聞きに明治座まで出かけてきた。紅白歌合戦も昨年が最後だということだったが 定例の明治座座長公演もこれが最後だという。もうすぐ78歳だそうだ。まだまだやれるのにという声も聞こえてきそうだが 体力的にきついのが最大の理由ではないと思う。おそらく まだまだやりたいことがいっぱいあるからこそ 今の内にという考えだと思う。
先月 親しくしていたビジネススクールの一年先輩が66歳で亡くなった。亡くなる二か月前に一緒にゴルフをしたばかりだった。肺炎をこじらせたとかで 入院後3週間であっと言う間に亡くなった。更にやはり先月の話し これも66歳のビジネススクールの友人が 脳梗塞で3週間入院した。軽度だったのでまったく何の障害もなく全快することができた。何よりだったが 一歩手遅れになればと考えると空恐ろしい。61歳の私にとっては 先月は何かとアラームの鳴る月だった。
2014年10月 バランス感覚
先日 78歳を迎えた大学の大先輩とゴルフをした。この年齢にして100程度でラウンドするかくしゃくとしたスポーツマンである。彼のもう一つの趣味は山登りだ。しかし最近はなかなか山登りをする機会が減ってきて 長めのウォーキングが主になってきたという。理由を尋ねたところ 足腰が弱くなったというよりもバランス感覚が悪くなったためだという。
山登りをしていると 当然 丸太道や崖沿いの細い道を歩かねばならないときがある。バランス感覚が悪くなるとそうした細い道を通るのが怖くなるという。恐怖感がでると筋肉が硬直してさらに上手く足を運べなくなる。そういう話を伺うと 三浦雄一郎のエベレスト登頂と言うのは実に大変なことなのだと思い知らされる。体力ばかりが強調されるが こうしたバランス機能の低下など総合的なことを考えると本当にすごいことなのだ。
誠に私的なことだが 先日 孫と公園に行った。幼稚園年長組の孫が鉄棒で逆上がりをしたのを見て 実に何十年ぶりに私も逆上がりにトライした。おじいだってできるところをみせようと思ったのだが 何度やってもできない。腕の筋肉が衰えたのかとも思ったが どうもこのバランス感覚の衰えのような気がしてならない。
そう考えると ビジネスや経営 あるいは 人生も同じようなもので バランス感覚の維持というのはとても難しい。昔 著作のために 米国P&Gで当時CEOだったダーク・ヤーガーさんに取材をしたことがある。ヤーガーさんとは彼がP&G日本で社長をやっていた時からクライアントとコンサルタントの関係にあった。今でも明確に覚えているが 私が「経営で最も難しいと感じることは何ですか?」との質問に対し「DivergenceとConvergenceのバランスをとることだ」と言った。Divergenceとは分散・発散 Convergenceとは集束の意味だ。彼はDivergenceとConvergenceのバランスの一例として ボトムアップとトップダウンの意思決定のバランスを挙げた。
当時の私は彼の言葉を「DivergenceとConvergenceの中庸の道を取ることが難しい」と理解した。山登りや逆上がりのバランス感覚である。しかし後に思考法を学習して分かったのはもう一つのバランス感覚の大切さである。
思考法的には言えば Divergenceは発想思考 Convergenceは絞込み思考を指す。ここにおけるバランスとは それら二つの思考の中庸をさすのではない。DivergenceとConvergenceを上手く組み合わせ 両方をバランスよく繰り返すことを指す。Divergenceは息を吐く Convergenceは息を吸うようなものだ。この両方を同時にやることは出来ない。もちろん片方だけではだめ。繰り返しなのだ。今考えるとヤーガーさんはこの意味でのバランスにも言及していたのかもしれない。経営におけるバランス感覚とは本当に難しい。
2014年11月 森下九段がんばれ!
今 将棋がブームになりつつあるらしい。ライブストリーミングサービスのニコニコ生放送では 6つの将棋タイトル戦を対局開始から終了までノーカット完全生中継している。この中継は平均20~30万人の来場者という人気ぶりで コンピュータとプロ棋士が闘う電王戦最終局の来場者は何と70万人までいったと言う。
この電王戦には日本将棋連盟を初めとする関係者の意欲と努力が実によく表れている。実際のところ 誇り高きプロ棋士がコンピュータ相手に勝負するなど 負ければプロの価値を問われかねない。挑戦にはかなりの勇気がいる。正直な話 引き受けたプロ棋士は断りきれずにやっているのだろうなと私は思っていた。
しかし先日 第3回電王戦の舞台裏テレビ番組を見て実に驚いた。この第4局に登場した森下九段(48歳)は自ら志願して挑戦者になったと言う。森下九段は立派な経歴はあるものの大舞台での決勝敗退が多く タイトルには恵まれなかった。彼の年齢48歳は棋士としてはかなりのベテランだ。集中力の維持が大切な将棋の勝負では 中高年は分が悪い。彼もまた寄る年波には勝てず若手の台頭に押されずっと停滞状況にあった。そして彼が停滞打破の場所として選んだのが電王戦だった。
結果は惜しくも負けてしまったのだが 負けた後に実にさばさばした表情で「出場してよかった」と語ったのが印象的だった。これを機会に座右の銘は「淡々」から「情熱」に変わったと言う。どうやらこの挑戦のために今までやったことのないような量の下準備をしたらしい。コンピュータは定石にない指し方をするので 人間と対戦するような従来型の準備ではだめと言う。この新鮮さが彼に新たなエネルギーを与えたのだ。中高年の星として 森下九段の今後の頑張りには注目だ。
一方で若手の台頭も将棋界を盛り上げている重要な要因だ。この電王戦で唯一コンピュータに勝利したのは 関西若手四天王の一人 豊島七段(24歳)である。この後 王座戦決勝で羽生王座に挑戦するも惜しくも2勝3敗でタイトル奪取はならなかった。しかし間違いなく近い将来の名人候補だ。同じく関西若手四天王の一人 怪物と言われる糸谷七段(26歳)も将来の名人候補である。彼は竜王戦挑戦者決定戦で羽生王座に勝ち 今 森内竜王との竜王戦決勝の真っただ中にいる。しかも 今現在 二勝一敗で優勢だ。タイトル獲得となればついに将棋界に新たな世代の登場となる。40歳代半ばの羽生九段(名人、王位、王座、棋聖)と森内九段(竜王) 30歳の渡辺九段(棋王、王将) そして 20代半ばの豊島七段と糸谷七段 まさに群雄割拠の時代が始まっている。がんばれ森下九段!
2014年12月 ノーレイン・ノーレインボー
えぅ もう2014年も終わりか・・・という気分だ。ホノルルマラソン参加に絡めてハワイに出かけたのは最高だが 帰国後は本当に師走状態になってしまった。
さて、ホノルルマラソンは12月の第2日曜日と決まっている。今年は昨年に続き二度目の出場だ。二度目だから準備万端整えたつもりだったが それでも読みが甘かった。
まずは天候。ハワイの12月は雨期で雨が多い。これは知っていたが 昨年のホノルルマラソンは完璧な晴天 つまり 常夏状態だった。あまりの暑さに 折り返し以降はずっと頭から水をかけながら走っていた。暑さと疲労のために 持参したエネルギージェルを口から飲もうとしても喉を通らない。汗をかきすぎてナトリウム不足になったのせいか 足もつりそうになった。こんなことは初めてマラソンを走って以来のことだった。この反省を踏まえ 今年は完璧な猛暑対策で臨むことにした。半袖Tシャツをやめ肩を出したランニングにし ポケットに塩飴を常備し 帽子をかぶり サングラスを持参した。何れも昨年の反省点を踏まえた準備だ。
しかし今年は昨年とは違っていた。朝5時のスタート時点から小雨。徐々に雨足が強まり 途中から風も強くなり スコール状況になった。靴はびしょびしょ 道には水たまり 寒くて寒くてどうしようもない。準備して役に立ったのは帽子くらいのものだ。天気予報は快晴だったはずなのに と思いながら走っていて気づいた。私がチェックした天気予報は午前の天気だった。しかしホノルルマラソンのスタートは朝5時の真っ暗闇。実際に走っているのは午前になる前の時間帯だったのだ。確かに天気予報通り朝8時過ぎから雨足が衰え ゴールする9時頃には快晴になったのだ。
予想外は日の出時間。昨年の第二土曜日は12月8日で 今年は12月14日だった。この約1週間の差がもろに日の出時間の遅れに表れた。昨年は6時少し過ぎたくらいでかなり明るくなったのに今年は幾ら走っても日の出にならない感じだった。本当に寒さが身に染みた。これはまったくの計算外。
それでも結果から見れば 猛暑の昨年よりも雨の今年のマラソンの方がタイムはよかった。後半 雨足が緩んだ頃にはダイヤモンドヘッドの上空に大きな虹もみることができた。日本流にいえば「雨降って地固まる」はハワイ流にいえば「No rain. No rainbow.(雨降って虹)」となるらしい。「雨のお蔭で虹が見えるのだよ」とは実にハワイらしい。一年を締めるにふさわしい。それじゃ 2015年は虹に向かって走ることにしよう。
>> 過去のひと言一覧