過去のひと言
- ①の文章を読んで、“一体見直し”が何を意味するのか、自民党が具体的に何をやろうとしているのか、分かる人が何人いるのでしょうか。私にはまったく分かりません。
- ②は、具体論が表現されている数少ない箇所の一つです。しかし、2011年度を目途に導入となっています。この“目途に”は何を意味するのでしょうか?なぜ2011年度に導入となっていないのでしょうか?出来なかったときの言い訳なのでしょうか?
- ③は典型的な官僚文章です。もう一度読んでみてください。具体的に約束しているのは、社会保障制度改革の中身ではなく、改革を検討する会議の設置です。しかも、よく読むと、会議の設置を約束しているのではなく、会議の設置に向けた法整備を約束しているのです。勿論、いつまでにやるとはどこにも書いていません。
- 仕事上のビッグイベントと言えば4月の引越し。かねてから考えていたことでしたが、三軒茶屋にこじんまりとしたプライベートオフィスをオープンしました。オフィスというよりも、仕事場というか、作業場というか、イメージ的には、本の少ない教授室の雰囲気です。
- プライベートでは、何と言っても、次女の国際結婚。今、ペンシルベニア州の地方都市に住んでいますが、親の心配は絶えません。
2009年1月 新年にあたって
あけましておめでとうございます。
福岡出身の私は、小さい頃から、正月は三つの神社にお参りすることを習慣にしてい ました。これを三社参りと言います。三社参りが福岡を中心とした西日本独自の風習だと知ったのは、東京に出てしばらくしてからのことです。しかし、それでも、一つの神社だけではどうもご利益が少なそうで、この三社参りは、東京に住んで40年近く経つ今も続けています。
私の三社は、初詣には欠かせない明治神宮、個人的にはかなり気に入っているご近所の世田谷八幡。三つ目は、年によって変わるのですが、今年は穴八幡。もともと、実家が神道なので、結構、神事には親しみがあります。葬式も神主さんとなります。
さて、今年の私のテーマは、CONVERGENCE です。集束とかフォーカスという意味です。昔、ある本を書くときに、P&G本社社長のダーク・ヤーガー氏を尋ね、シンシナティ本社で2時間におよ ぶ取材を行なった事があります。取材の最後に、P&Gのような大企業の経営で一番難しいのは何かと尋ねた時に、彼は“Convergenceと Divergenceのバランスの難しさだ”と表現してくれました。なるほど。しかし、このConvergenceとDivergenceを意識するとい うこと自体が、なかなか並の人間に出来ることではありません。
2009年2月 Changeの国
オバマ大統領の就任演説、テレビをずっと見ていました。その後のコメントにもあったように、ぐっと抑えた、よく言えば歴史観を踏まえた格調高い、悪く言えばとても地味な内容でした。何れにせよ、これからの道のりの険しさを感じさせる演説だったと言えます。
ところで、ニューズウィーク(日本語版1.28 号)に、ファーストレディになるミシェル夫人の話が出ていました。ストレートに、同夫人の肌の色について触れていたのに驚きました。つまり、就任式で歌っ ていたビヨンセに代表されるように、今までの美しい黒人女性とは、肌の色が薄く、ヨーロッパ風の顔立ちであるというのが定番でした。しかし、ミシェル夫人 はこの定番には該当しません。もしかすると、白人の母親を持つオバマ大統領の誕生よりも、ミシェル大統領夫人の誕生の方がチェンジを体現しているのかもし れません。
私事ですが、アメリカに滞在中の次女が、この夏、アメリカ人と結婚する事になりました。米国では、2050 年には、白人はマイノリティになると言われているそうです。つまり、今のマイノリティがマジョリティになるわけで、言い換えると、白人とか黒人とか、ある いは、マイノリティとかマジョリティという議論そのものが無意味になる時代の到来です。私の孫がアメリカ大統領になる可能性すらある時代です。・・・こう して考えると、“チェンジ”が“希望”と同義語であることがよく分かります。それでは、いつまで経ってもチェンジの起きない国はどうなるのでしょうか?
2009年3月 GMailに切り替えて
今、会社のメールを全面的にGMail(グー グルのメールシステム)に移行しようとしています。お恥ずかしい話ですが、今までせいぜいウェブ検索やグーグル・マップ程度しか利用していなかった私は、 GMailの内容を知り驚きました。浦島太郎になりかけていたかもしれません。実に素晴らしい。今まで、漠然とグーグルが大成長していることを横目で眺め ていましたが、今、その成長の実態に触れた感じです。
しかし、ちょっと待って。GMailはもちろんウェブ・メールなので、私のメール内容はすべてグーグルのサーバに保管されることになります。もちろん、私の住んでいる自宅も会社も写真つきでグーグル・マップのサーバに保管されています。私のショッピング履歴もクレジット番号も・・・。
皆さんは、Singularity(特異 点)という言葉をご存知でしょうか?科学者の間では、今の進歩が続けば、50年以内にはコンピュータが独自にプログラミング出来るようになるのが定説だそ うです。一方で、今やほとんどの都市設備や産業施設はネットでつながっているわけですから、コンピュータが独自にプログラミング出来る時代とは、取りも直 さず、コンピュータが我々の社会生活を支配する時代を意味します。この時代が到来する時点をSingularityと呼びます。映画「ターミネーター」に 登場するスカイネットのような世界です。
無料のGMailサービスの内容に感嘆しながら、この変化に一抹の不安を感じるのは私だけでしょうか。
2009年4月No.1 オフィス移転
昨日、オフィスを渋谷から三軒茶屋に移転しました。4月1日から数日間、ホームページが不通となっていた点、お詫び申し上げます。
そろそろ自分のビジネスをConvergence(集 束。収束ではありません)ステージとして位置づけようと考えていましたが、今回の移転はその第一歩です。今回の移転により、少しではありますが職住接近を 達成する事ができました。一番の無駄、通勤時間の削除です。近々、通勤をランニングとすることにより更に無駄を省く予定です。
ランニングといえば、先日、東京マラソンを走ってきました。東京マラソンは片道コースで、スタートから7、 8キロは下り坂が続きます。この下り坂のせいもあり、残念ながら今回もまた、スタートからしばらくの間を抑えて走る事が出来ず、後半、失速の憂き目にあい ました。約27キロ地点にある雷門の遠かった事、・・・。何とか4時間は切りましたが、本当にしんどかったですね。さて、4月は長野マラソン、今シーズン 最後のマラソンはのんびりと走ってくる予定です。
2009年4月No.2 旺文社の試み
先日、旺文社の知り合いから、同社が沖縄県、うるま市と共同で推進してきた、すべての授業を英語で行なう幼小中一貫校(沖縄アミークス)の説明書が送られてきました。2011年4月に開校予定だそうです。(http://www.amicus-okinawa.jp/)。
ちょっと古いかもしれませんが、旺文社と言えば「赤尾の豆単」。英語教育を出発点に創立された学習出版社で、現社長は創立者の次男にあたります。同社は、 数年前から群馬県太田市の「ぐんま国際アカデミー」で同様の試みを行なっていますが、この沖縄アミークスはそのノウハウを発展させた、赤尾社長の夢実現の 第一歩と言ったところなのでしょう。
実は以前、旺文社の経営のご相談に乗った事があります。その時、社長に将来の方向性をお尋ねしたのですが、余り明確な事はお話し頂けませんでした。しか し、その後、ぐんま国際アカデミー、そして、今回の沖縄アミークスと具体的なものが形になるにつれ、なるほど、原点に将来を見出したのだなと感じ入りました。人づてに聞いた話しですが、これらの事業には社長自身の懐から多くのお金が寄付として投じられているそうです。
おもしろかったのは、送られたきた説明書に、時系列的に新聞の切抜きが同封されていたことです。それを読むと、学校向けの用地利用に関連し、いったんは、うるま市議会で本件を否決(昨年12月)。その後、本年3月末のタイムリミットに向け、県と市と旺文社で10回を越す市民向け説明会が繰り返され、3月になってようやく理解を得、市議会の賛成が得られたそうです。・・・正直、どうみてもそんなに儲けにはなりそうもないですし、反対などなさそうなことです が、・・・夢実現とは実に大変なものなのですね
2009年5月No.1 トイレ考
素人ランナー は、マラソン大会のスタート前になると、朝の寒さやウォーミングアップによる膀胱への刺激などから、やたらとトイレに行きたくなります。かくして、マラソ ン大会で準備される仮設トイレの前はいつも長蛇の列。これこそが素人ランナー共通の悩みであり、恐らくは、大会主催者の共通の悩みに違いありません。以下は、私が今シーズン出場した3度のハーフマラソン(世田谷246、神奈川ハーフ、立川・昭島)と3度のフルマラソン(NAHA、東京、長野)を対象にした、主観と偏見に満ちた仮設トイレ評です。
1) 最優秀賞:立川・昭島ハーフマラソンの男子用仮設小便器。スタート地点にあった男性用仮設小便器にはびっくりしました。砂のような水分吸収剤が詰まった専 用パックを受け取り、ダンボールでできた小便器に自分でセットし、それに向かって用を足します。用を足した後は、そのバッグを自分で取り出し、専用ゴミ箱 にポイするだけ。実に良く出来ていて、的をはずす心配は無用。便器設備はすべてダンボール製で下水設備も不要。仮設トイレの設営に必要な手間や設備を大幅 に簡略化した、実にエコな未来型アイデア。脱帽です。
2)優秀賞:東京マラソンの仮設洋式トイレ。マラソン大会で洋式の仮設トイレは私にとって初めての経験でした。実に清潔。普通の仮設トイレは和式ばかりで汚く、仮設トイレとはそういうものだとばかり思っていたのですが、今までの常識が覆されました。実に素晴らしい。
ある高名な社会学者いわく、「トイレは文化を象徴する」。私は、お客さんのオフィスに行った時には意識してトイレをお借りするようにしています。トイレにお金を使っている会社、使わ ない会社、ペーパーの散らかっている会社、やたらと張り紙の多い会社など、実に様々です。・・・「企業文化を知りたいと思えば、トイレを借りよ」(隗コン サルティング会社のマニュアルから)。
2009年5月No.2 新型インフルエンザ
約一週間フィラデルフィア、ニューヨークに行ってきます。アメリカ人から奇異の目で見られそうなマスク必携の旅になりそうです。
しかし、今回の新型インフル エンザ騒動はどうしても解せません。もちろん、余りに過剰ともいえる水際対策の事です。飛行機の中に怪しい人が一人居れば、検査の間、その飛行機の中にし ばらく閉じ込められるわけですから、何ともなかった人もその間に感染してしまいそうです。しかも近くにA型インフ ルエンザ陽性の人がいただけで、精密検査だけのために何日間も隔離状態に置かれます。しかし、新型インフルエンザは1週間もの潜伏期間があり、しかも、も ともと日本人がかかるインフルエンザはほとんどがA型です。いったい、ここまでしてどれだけの効果があるというのでしょうか?
私にとって、この措置に関するもっとも説得力のある解説が「この水際検査は時間稼ぎが目的であり、この稼いだ時間の間に体制を整えることが出来る」というものでした。・・・なるほど。しかし、5 月18日、関西での感染者数があっという間に百人を超えた時、この時になってあたかも今までまったく予期出来なかったかのように、検査・治療機関の不足が 叫ばれ、学校閉鎖や集会禁止の経済的な影響が叫ばれ、橋下知事が晴天の霹靂(へきれき)のように「大変だ」と舛添厚生労働大臣に要望を出し、大臣はあたか も予想だにしなかった事が起きたように「調査・検討します」。いったい、この水際検査の目的は何だったのでしょうか?
そう言えば、つい最近も、麻生総理大臣が「百年に一度」の経済危機と言っていました。百年に一度の事なので予測は無理?新型のウィルスなので事前の対応策など無理?・・・もちろん、米国の行き過ぎた金融バブルに警告を発する人は以前から多くいましたし、今回のH1N1型豚インフルエンザは2005年12月に米国ウィスコンシン州の少年に最初の感染が確認され、多くの感染学者が警告を発していたと言います。政治家や行政はつねに責任逃れをする。私たちは、この事を前提として行動すべきなのでしょうか。
2009年6月No.1 GMの未来がある場所
6月1日、GMがチャプター・イレブンを申請した。オバマ大統領の極めて現実的なアプローチが実に印象的だった。チャプター・イレブンの申請を言っているの ではない。そのタイミングのことだ。米国のビジネスを多少でもかじっている人ならば、かなり初期の段階で、方法論としてはチャプター・イレブンしかないこ とは分かっていた。私を含め、現実的に一つしかない方法論に行き着くのになぜこんなに時間をかけるのかと思った人も多いはずだ。しかし、今、考えてみる と、クライスラーにチャプター・イレブンを申請させた後でというこのタイミングは実に絶妙で考えに考え抜かれている。オバマ大統領、恐るべし。
さて、GMがチャプター・イレブンを申請し、トヨタが名実共に世界の自動車業界のトップにとって代わった今、様々なメディアがGMの未来を論じている。識 者のコメントを聞いている限り、総じて悲観的な話が多い。本当に、GMには明るい未来はないのだろうか?このまま尻つぼみとなって行くのだろうか?・・・ そう、正直な話し、私も、GMには未来はないと思う、彼らが今までの延長線上のロジックで未来を考える限りにおいては。
経営コンサルタントとしてオバマ大統領やGMに、ぜひ言っておきたい。「今までの自動車産業のビジネスロジックで考える限り、GMには未来はないだろう。 今は、モーターがエンジンにとって代わり、自動車からエンジンがなくなる時代だ。今は、プラグイン方式で家庭用電源がガソリンにとって変わり、ガソリンス タンドが不要になる時代だ。こんな時代に、今までの自動車ビジネスのロジックが通用するわけがない。GMにトヨタと提携しろとアドバイスする人もいるかも 知れないが、そんな事には真剣に耳を貸さない方が良い。GMが本当に必要としているパートナーは自動車業界にはいない。」
「1950年代半ば、日本の田舎企業、トヨタがジャスト・イン・タイム方式を学んだ相手は、GMではなかったことを思い出して欲しい。トヨタがジャスト・ イン・タイムのヒントを得、学んだ相手は、GMではなく、米国のスーパーマーケットの流通システムだった。大きな変化の源は自らの業界の外にあるものなの だ。(注)」
「GMが未来を語り合うべき戦略パートナーは、そう、例えば、グーグルだ。ほんの少し、グーグルの独禁法問題を脇に置き、オバマ大統領がGMとグーグル連 携の後押しをするだけでよいだろう。もちろん、アップルとの提携も面白いし、アマゾン・ドットコムも流通面での提携相手とはしては面白い。未来の車作りを リードするのはGMやトヨタではない、グーグル世代やiPhone世代の消費者であることをGMが自らのメッセージとして、自らの未来として発信するの だ。」
(注):小著「P&Gに見るECR革命」(ダイヤモンド社)、「トヨタ自動車50年史“創造限りなく”」
2009年6月No.2 ニューヨークにて
先月、5/21-27 と、ニューヨーク、フィラデルフィアを回ってきました。行きの機内で映画「感染列島」を見たせいもあり、いつもより念入りにマスクをしていたのですが、 ニューヨークに着いてみると、案の定、マスクをしている人など一人もなし。周りからの奇異の視線に耐えられず、それ以降はマスク無しとなりました。
しかし、マンハッタンに住むアメリカ人の友人の話では、「中学生の娘が新型インフルエンザにかかり、先週回復したばかり。学 校も休校になった」とのことですから、かなりの流行はしていたようです。ただし、米国では通常のインフルエンザ体制と同じだったようで、実践重視のアメリ カ的対応。致死率の高い鳥インフルエンザ体制に固執した日本とはえらい違いでした。ともあれ、このインフルエンザ騒動で出張自粛や旅行自粛が相次いだ性で しょうか、驚くほどに日本人の姿が少ないマンハッタンでした。
ちなみに豚インフルエンザの豚は、PigではなくSwineで、“Swine Flu(豚インフルエンザ)”。鳥インフルエンザも、ついチキンと言ってしまいそうですが、ChickenではなくBirdで、“Bird Flu”。
さて、先月の5月25日はアメリカの祝日、メモリアル・デー(戦没将兵追悼記念日)。南北戦争以来、あらゆる戦争で亡くなった兵士を追悼する日です。マンハッタンは色々の行事で人が一杯でした。ちなみに、南北戦争は、英語ではThe Civil War。いわゆる“内戦”です。これは分かりやすいですが、独立戦争はアメリカでは何と言うかご存知ですか?正解はThe Revolutionary War、革命戦争、アメリカ人にとってはあくまでも革命のための戦いなわけです。ただし、英国ではAmerican War of Independence(アメリカ独立戦争)と呼び、革命とは呼びません。ところ変われば呼び名も変わる。納得です。
2009年7月No.1 1Q84、そして、1984
村上春樹氏の『1Q84』(いちきゅうはちよん)が空前のベストセラーになっています。私も先日、読み終えました。小説の中では、この1Q84とは、1Q84年、すなわち、1984年のもう一つの世界を指しています。
なぜ1984年かと言えば、あの『動物農場』で有名な英国人作家、ジョージ・オーウェルの小説、『1984』をモチーフにしているからです。私自身はこの『1984』 を直接読んだ事はないのですが、1984年に訪れるであろう全体主義国家の恐怖を描いた近未来小説で(執筆は1948年)、『動物農場』と同様に、ディス トピア(反ユートピア)小説の代表作と言われているそうです。
さて、ジョージ・オーウェルは、近未来小説の形をとり、『1984』 の中で、全体主義の恐怖を警告しました。このことをモチーフに、村上春樹氏は、『1Q84』の中で、今度は近未来ではなく、近過去にあったかもしれないもう一つの世界を、ジョージ・オーウェルとは逆方向で描くことで、現代の(つまり、1984年から見ると未来の)恐怖を伝えようとしたようです。勝手な解釈 ですが、これから『1Q84』を読もうとする方は、こうしたことを念頭におくと面白いかもしれません。・・・えっ、村上春樹は何の恐怖を伝えようとした か?・・・それは皆さんが自分のハートで理解してください。ただ、個人的には、結末部分をもう少し詳しく書いていただきたかった。どちらかと言えば、『海辺のカフカ』の方がおもしろかったかな。(もちろん、素人感想です。)
私は、この本を読んで、自分の1984 年を振り返りました。31歳、務めていた日本の商社を辞め、米国系の経営コンサルティング会社に転職した年です。初めての転職でしたが、まったく何の不安 もありませんでした。後ろを振り向く余裕などなく、ただひたすら明日に向かって必死に仕事に取り組んでいた時代です。ちょうど、経営コンサルティングとい う職種がようやく日本のビジネス界に根を広げつつあった時代です。そして、ちょうどこの頃から日本はまっしぐらにバブル景気へと突入していきます。もしか すると、この時、多くの日本人が1Q84年にスリップしていたのかもしれません。
2009年7月No.2 “卒業”、サイモン&ガーファンクル、そして、アメリカ
私が最も感動した映画といえば、間違いなく、“卒業”です。改めて見ると単純な映画ですが、私に初めてアメリカへのあこがれをもたらしてくれた映画です。今から40 年前、私が高校生の頃の話です。当時、博多に住んでいた私は、映画を見終わった翌日、天神にある日米文化センターに行き、米国大学の留学資料を山のように もらってきました。更に、当時数千円もした米国大学留学の本を通信販売で買い、20校近い大学にあてて奨学金の有無を問い合わせる手紙を書きまくりまし た。つい最近のように思い出します。
時が経つにつれて、米国大学留学の夢は夢のまま、いつの間にか日常の生活に埋もれていきました。しかし、心の中ではその夢が残っていたせいでしょう。社会人になって2年目、企業派遣の留学生として米国のビジネススクール(大学院)に留学するチャンスに恵まれました。映画“卒業”から10年経っていました。そして、これ以来、私の人生からアメリカという国は切り離せない存在になりました。
先日、最後の日本公演と言われる、サイモン&ガーファンクルの東京ドーム公演に行ってきました。生粋のニューヨーカーであり、小学校時代からの幼馴染みであり、解散と再結成を繰り返してきたサイモン&ガーファンクルも、もう65 歳だそうです。公演から帰ってすぐに、1967年のニューヨーク・コンサート、再結成時の1981年のセントラルパーク・コンサート、2003年の再々結 成時のオールドフレンズ・コンサートのCDやDVDをまとめて注文しました。“卒業”、そして、サイモン&ガーファンクル・・・私にとって、アメリカの、 そして、ニューヨークの象徴です。懐かしい曲を聴いているうちに、昔のチャレンジ精神がふつふつとよみがえってきました。
あなたの心に火をつけた映画や歌とはどんなものでしょうか?
2009年8月No.1 国際ビジネス大賞を審査して
先般、国際ビジネス大賞(International Business Awards)の最終審査員を頼まれ、その審査にあたりました。国際ビジネス大賞は、全米ビジネス大賞(American Business Awards)などを主催するスティービーアワードが、その国際版として2003年から始めたものです。スティービーアワードは、幾つものカテゴリーで優 秀企業を評価する、いわば、ビジネス界のアカデミー賞(“ニューヨークポスト、2005.4.27”)とでも言うべきコンテストです。本年度から日本事務 局を設け、最終審査員にも日本人を加え、日本企業の積極的な応募を働きかけています。 (http://stevieawards.jp/)
この賞の特徴は、多くのカテゴリーに分かれ、企業の著名度、大小、国籍、業種に関わらず、正当に評価され、受賞の可能性があるということでしょう。実際、私が担当した最終審査対象企業に関しては、その7割は私が初めて耳にする企業で、非先進国の企業が3割以上、中堅企業が半分近くという感じでした。
ち なみに、評価の過程で私がこれは素晴らしいと強く印象付けられた企業は、著名な大企業というよりも、むしろ、古いビジネス慣習の中で改革を試みる途上国の 企業や、思いつかないようなアイデアをビジネス化し、急成長を続けている中堅企業の方でした。今回、私は日本企業の評価には携わりませんでしたが、日本か らは株式会社コムセルと株式会社アイエフネットの2社が受賞したと聞いています。共に、それほど著名とはいえない中堅企業です。
ま た、評価を通じて感じたのは、この種の応募というのは、賞を取れたか取れなかったかという結果よりも、この応募プロセスそのものに意味があると言うことで す。応募に当たっては、短い文章で自社や自分をしっかりとアピールしなければなりません。何を目的とし、何を行い、どういう結果を生み出したか、そして、 なぜそれが賞を取るに相応しいと考えるか。この応募書類を作り上げるというプロセスそのものが、自分が目指してきたもの、そして、自分が成し遂げてきたこ とへの良い“振り返り”になるのです。
この賞は、企業としてのみならず、企業の一チームとしての応募も可能と聞いています。大企業、中堅・中小企業を問わず、ぜひチャレンジされてはいかがでしょうか。
2009年8月No.2 自民党マニフェストを考える
自民党のマニフェスト、これはひどい。ただし、私の専門分野である“ロジカル・コミュニケーション”の観点からの話です。ともかく、読み手に読んでもらいたい、理解してもらいたいという意欲をまったく感じません。
ちなみにそのマニフェストはこう始まっています。(第1章:安心な国民生活の構築、第1項:国民の安心・安全のための社会保障制度の確立)
「年金、医療、介護等の社会保障制度について、・・・暮らしの安心を支えるセーフティネットとしての機能を果たし、将来にわたって国民にとって安心、信頼できるものとなるよう、社会保障制度の一体見直しを進める(①)。 社会保障番号・カードを2011年度中を目途に導入し(②)、・・・社会保障サービスの信頼性と透明性を向上させる。 また、社会保障制度を真の国民の立場に立って検討をする場として「社会保障制度改革国民会議(仮称)」の設置に向けた法整備を進める(③)。」
この調子で、ほとんど意味のない抽象論が延々と10 数ページ続くのですから、これは拷問です。自民党のマニフェスト執筆ご担当の方、是非これを英語に訳し、HP上で公開してください。そうすればこのマニ フェストの曖昧さがすぐに分かるはずです。ご担当の方には、小著「オブジェクティブ&ゴール」(講談社)の購読を心からお勧めします。
ちなみに、自民党HPでは“マニフェスト”という表現は使わず、“自民党政策BANK”と称しています。確かにこれではマニフェストとは呼べないでしょう。自民党の中にも、そういう良心を持った人がいたということかもしれません。
2009年9月 政権交代とバランス
ついに政権交代となりました。
し かし最近のマスコミ報道を見ていると、小沢幹事長では権力の二重構造やら何やらと、やたらと斜に構えた報道が多いのには驚きます。圧倒的多数で民主党が選 ばれたというのに、少なくともマスコミ報道においては、民主党圧倒勝利の翌日から、期待よりも批判の方が多いようです。自民党の時には民主待望論、民主党 が勝つと民主批判。良いか悪いかは別として、マスメディアの権力に対する批判精神は概ね健在なようです。
マ スコミ報道は“中立”であるべきなどと言いますが、もちろん、そもそも、“中立的立場”などというものはあり得ません。社会学的にいえば、すべての人間は 自らの立場性(イデオロギー)から逃れられないわけで、マスメディアも例外ではありません。正確には、マスコミ報道は権力と対峙することにより“バラン ス”を保つべきと言うところなのでしょう。
こ れは会社経営についてもあてはまることだと思います。会社経営は時代の変化に応じて、右に舵をとったり、左に舵をとったりしながら、“バランス”を取るよ うなものです。つまり、右に舵を取るのがつねに良いこととは言えず、左に舵を取るのがつねに良いこととも言えません。むろん、つねに中庸を心がけるのは愚 の骨頂。そもそも何が中庸なのかすら分かりません。
以 前、「会社の事業部門制を推し進め、持ち株会社と複数の事業会社による分割統治を目指すのが良いか、あるいは、今の事業部門制をもっと統合し、統合経営を 目指すべきか」というご相談を受けた事もあります。答えは、「時代環境によって異なる。ただし、つねに前者が良いとは言えず、逆もまた真なり。大切なの は、変化に対応して、前者へ、または、後者へ、つねに舵を切りやすい状況を保持しておく」という事でしょう。極論すれば、分割統治は損を出さないようにす る場合に好都合、つまり、厳しい環境に強く、統合経営は拡大施策の推進に好都合、つまり、好景気に向いています。
バランスとは「両極端への行ったり来たり」というのは言いすぎでしょうか。
2009年10月No.1 ほどほどに
前回、こ のコラムで、バランスの話をしました。「そもそもバランスのある状態を保つという静的な考えそのものが現実的ではない。バランスを保つというのは、中庸の 状態ではなく、両極端への行ったり来たりの状況が上手く均衡している動的な状況ではないか。中庸という静的な考えそのものが非現実的であり、それを目指す のはおかしい」という考えです。
以前、P&G のCEOをしていたダーク・ヤーガー氏は、この“両極端”を、Divergence(分散・拡散)とConvergence(集束・集中)という言葉を 使って説明してくれました。彼は、どちらかといえば、Divergenceをボトムアップ、Convergenceをトップダウンという意味合いで使って いましたが、この、バランスを取るのが難しいと語りました。
ヤーガー氏と面談したのは十数年も前のことで、その時には、Divergence とConvergenceが上手く均衡した静的なバランス状況を理想像としてイメージしていました。しかし、今考えてみると、彼が言っていたのは、「直面 している環境や状況やテーマによってDivergenceやConvergenceの切り替えを行なわねばならない、その切り替えのタイミングを間違うと バランスを失う」ということだったような気がします。
ヤーガー氏は意思決定という観点から語ってくれましたが、これは、いろいろな事に当てはまります。例えば、人材。理想的な社員像というのは、理想的/平均的な社員が千人いる状況ではなく、多様な人材が千人いる状態でしょう。例えば、経費節減。ケチケチ経営で成功している経営者の多くは、一方で、新規開発などの分野に湯水のようにお金をつぎ込んでいます。
個 人の仕事や人生にもあてはまりそうです。そう、恐らくは、「何事にもほどほど」というのは愚の骨頂なのでしょう。そもそも「ほどほど」にやるというのはと ても難しい事です。私のように個人で仕事をしているとよく分かります。本音は「ほどほどに」仕事をしたいのですが、これはとても難しい。ほどほどに仕事を しようと思うと、あっと言う間に業績ダウンです。というわけで、目指すは“極端”です。ただし、両方の極端のバランスです。例えば、一生懸命に働き、そし て、一生懸命にサボる。・・・うーん。これは確かに難しい!
2009年10月No.2 クリエイティブ・シンキング
最近、クリエイティブ・シンキングに凝っています。どのようにして既存の枠にとらわれない発想を促すかです。そこで問題。暇つぶしに、ぜひトライして下さい。
ここに、4つのマッチ箱があります。
問題1:
すべての箱が別の2つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
答え:
問題2: 1つの箱が別の1つの箱と接し、1つの箱が別の2つの箱と接し、もう1つの箱も別の2つの箱と接し、さらに、1つの箱が別の3つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
答え:
問題3: すべての箱が別の3つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
答え:
問題4: すべての箱が別の1つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
答え:
2009年11月No.1 クリエイティブ・シンキング#2
前回、以下の質問を出しました。(答えは過去の一言集にあります。)
最も難しいのは最後の問題でしょう。これは、問題1~3の考え方(過去の考え方)に足を引っ張られては答えが出ません。いかにして、過去の考えを断ち切るか、ゼロから発想できるか、これがクリエイティブ・シンキングのスタートポイントです。
もう一つ、新しい問題です。
100人がトーナメント形式でテニスの試合を行ないます。各試合は勝つか負けるかのみで、引き分けはありません。さて、優勝者を決定するまでに、幾つの試合が行なわれる事になるでしょう。(答えは次回)
前回の問題
ここに4つのマッチ箱があります。
① すべての箱が別の2つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
② 1つの箱が別の1つの箱と接し、1つの箱が別の2つの箱と接し、もう1つの箱も別の2つの箱と接し、さらに、1つの箱が別の3つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
③ すべての箱が別の3つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
④ すべての箱が別の1つの箱と接するように、4つの箱を配置してください。
新しい問題の答え
優勝者を決めるまでに幾つの試合が行なわれる事になるか?こう質問すると、多くの人は、“勝者”を意識します。ここでのコツは、この発想を切り替えて“敗 者”の視点から考える事です。つまり、一つの試合ごとに敗者が一人現われ、その人はその時点でトーナメントから姿を消す事になります。100人のトーナメ ントで一人の優勝者を決めるということは99人の敗者を決めるということです。したがって、必要な試合数は99試合になります。
2009年11月No.2 オバマ大統領のノーベル賞
先日、友人と話しをしていて、オバマ大統領のノーベル賞が話題になりました。まだ大統領になったばかり、これといった業績もないのになぜ受賞できるのか?日本流に考えるとあり得ない話しですが、欧米的に考えると「あり得ないとは言えない」話しという気もします。
娘がアメリカの大学に留学中の話しですが、3 年が終わったときに成績優秀者として表彰されたことがあります。聞くところによると、卒業名簿に印がつくし、履歴書などにも書けるくらい価値あるものだと 言います。しかし、それだけのものであれば、卒業時に判定し表彰する方が公平ではないか、まだあと一年あるのだから早すぎるのではないかと言ったところ、 どうやら米国ではこの種の中途表彰というのはよくある話しだというのです。
つ まり、表彰には二つのタイプがあるという考えです。一つは、結果に対して表彰する「ご苦労様」タイプ。もう一つは、この調子でこれからも頑張れという、今 の頑張りを表彰する「励まし」タイプ。見方を考えれば、過去を重視した「ご苦労様」タイプと、将来を重視した「励まし」タイプです。もちろん、「ご苦労 様」タイプもその存在自体が「励まし」になる訳ですし、「励まし」タイプも今の頑張りに対する評価という意味では「ご苦労様」という意味もあります。この2つのタイプは必ずしも完全に別物というわけではありません。要は、意識の問題、目的の問題です。
はっきり言って、日本では、学校の表彰から文化勲章に至るまで、ほとんどの表彰が「ご苦労様」タイプではないかという気がします。そもそも日本では表彰というものが少なすぎます。
こんなこと、学校などでは簡単にできるはずです。私が校長ならば即実行です。表彰はすべて「励まし」タイプにします。表彰の機会そのものを増やします。とりわけ小学校では、卒業時の表彰よりも、学年ごとの表彰を増やし、大掛かりにします。当たり前の事ですが、3年生で表彰された子は4年生になればもっと頑張るはずだからです。3年で表彰にもれた子も、表彰の機会が増えれば色々の形で励ます事ができます。人生全体で見ると、3年生での表彰と卒業時の表彰の間には、少なくとも、「ご苦労さん」的な意味の違いはありません。
地 球にとって、とりわけ政治において、大切なのは過去ではなく未来です。オバマ大統領がノーベル賞をもらうことで、彼の意識、そして、彼の支持者や世界中の 人の意識が非核化や環境に向けて少しでも確実な一歩を踏み出すとすれば、ノーベル賞の意味は大きかったと言えるのではないでしょうか。そもそも、政治家の 過去の業績に対してノーベル賞を授与するなどそれこそ愚の骨頂に思えます。
前回の問題
100人がトーナメント形式でテニスの試合を行ないます。各試合は勝つか負けるかのみで、引き分けはありません。さて、優勝者を決定するまでに、幾つの試合が行なわれる事になるでしょう。(答えは過去の一言集にあります)
2009年12月 JAL 整備不良につき
先月、映画「沈まぬ太陽」を見に行きました。なかなか面白かったですが、やはり、文庫本5巻分を一本の映画に押し込むというのは所詮無理がある気がしました。
「沈まぬ太陽」は約10年前の山崎豊子の小説です。一読して日本航空と分かる航空会社を題材に、会社を食い物にする政治家、経営者、御用組合の幹部、イエスマン社員たちの魑魅魍魎の世界、悪臭漂う腐敗と不正、そして、それに立ち向かう一人の正義感あふれる社員を描いています。
映画では「フィクションであり、実在する会社とは関係がない」とのテロップが流れました。しかし、小説では「多数の関係者を取材したもので、登場人物、各機関・組織なども事実に基づ き、小説的に再構築した」との解説があります。つまり、個々の内容は取材に基づいていると言っているわけです。もちろん、日航はこの取材に全面的に応じて いないそうですから、取材そのものにバイアスがかかっていることも想像できます。
読書がお好きで時間のある方は、ぜひ「沈まぬ太陽」の小説の方をお奨めします。その後に、ネットで検索すれば、小説の登場者が実在の誰をモデルにしているかなど、とても興味深い情報が満載で、小説が倍楽しめます・・・というか、倍、恐ろしくなります。
さて、小説がどれだけの真実を含んでいるかはさておき、経営コンサルタントとして現在の日航問題を見た場合、はっきり言って、なぜ法的手段をとらないのか まったく理解に苦しみます。まさにこうした事態ために作った民事再生法だと思うのですが・・・。時間がかかればかかるほど事態は悪化し、我々の税金が垂れ 流しになります。米国がすばやくGMにチャプター11(民事再生法)を適応したのと比べ、なぜ日本では出来ないのでしょうか?やはり、過去の大物政治家や省庁との関係が公になることを恐れているのでしょうか?「沈まぬ太陽」を読んだ後に、どうも今のJAL対策を見ていると、何か勘ぐりたくなります。
私 は、長いコンサルタント歴の中でも、このような政治がらみの企業のコンサルティングをやったことはありません。ただし、大企業の子会社(神戸)のコンサル ティングをやっている最中に、暴力団筋が経営に介入してきたことが一度だけあります。どうやら、その子会社の社長は本社の総務担当役員時代に、労務対策や 総会対策で、その筋との関係があったそうなのです。「沈まぬ太陽」を読んでいて、何か通じるものを感じてしまいました。
2009年12月No.2 2010年にむけて
今は基本的に一人で仕事をしているわけですが、一人で仕事をしていると、仕事に終われて忙しいか、仕事を作るのに忙しいかのどちらかです。2009年は、不況にもかかわらず、お陰さまで前者の忙しさが8割くらいでした。というわけで、2009年は仕事に追われることが多かったために、これといった新しいことに取り組む時間はあまりありませんでした。
もちろん、まったく新しい事に取り組まなかったという分けわけではありません。これは2010年にかけてのチャレンジになりますが、着手した新しいテーマは“クリエイティブ思考”です。
大まかに言えば、思考法は、“ロジカル思考(判断を求められる時に必要となる集束型〔Convergent〕 の思考法)”と“クリエイティブ思考(新しい発想を求められる時に必要となる分散型〔Divergent〕の思考法)”に分かれるのですが、この両方はと もに不可欠の車の両輪です。昨今、日本ではようやく、ロジカル思考の教育が盛んになってきました。しかし、もう一方のクリエイティブ思考に関してはさっぱ りです。文書ライティングに必要となるロジカル思考の育成を追及してきた私にとって、この状況は以前から気になっていました。2010年のチャレンジは、 この分野で何とか一歩を踏み出してみる事です。こうご期待。
2010年が皆様に取り、健康で、幸せな、チャレンジとブレークスルーの年でありますように。
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