過去のひと言
2018年1月 アメリカ暫定予算切れ
私の次女はアメリカ人と国際結婚し 8年近く前からホノルルに在住している。旦那は海軍に勤務。軍人ではないので軍属という形になる。パールハーバーで軍艦などの管理・装備近代化などに携わっているという。一応アメリカ政府の国家公務員である。首切りや合理化が日常茶飯事のアメリカにおいて 義理の親としてはまあ一安心ということになる。
ところがこの数年 恒例行事化してきたのが 米国の暫定予算切れに伴う政府機関の一部閉鎖騒動である。今年も1月20日から土日を含む3日間 暫定予算切れのために一部政府機関が封鎖された。彼の職場もこの対象となった。この期間 給与は支払われずに自宅待機となる。
4年前は1週間以上閉鎖となる事態も起きた。この期間 ハワイの政府管轄の観光地は軒並み閉鎖になった。有名なパールハーバーの戦艦ミズーリもハワイ島のキラウエア火山施設もすべて閉鎖となった。しかしこの時は 民主党オバマ政権下で議会上下院の過半数を共和党が握るというねじれ状態での出来事だった。今回は大統領も上下院もすべて共和党が握るという状況の中で予算が成立されなかった。これは異常事態だ。
今回 民主党は 子供の時に親に連れられてやってきた不法移民の強制送還免除措置(DACA)の恒久化と低所得世帯の子供向け医療保険(CHIP)が継続されない限り いかなる予算案にも同意しないという方針を示した。DACAの問題は多く報じられているのでご存知の方も多いだろう。しかし CHIPに関しては今回の事が起きるまで私は全く知らなかった。大和総研グループ ニューヨークセンター資料によれば
CHIP(Children’s Health Insurance Program)は低所得世帯の19歳以下の子供に対し無料または低コストの医療保険を提供する公的医療保険制度。無保険の子供を減らすことを目的に 民主党クリントン政権下で1997年に設立された。
資金は連邦政府と州が共同でCHIPに拠出している。州が連邦規則に従って独自のCHIPを立案・運営しており 州のメディケイド(低所得者向け公的医療制度)と連携している。
CHIPは設立されて以来 あらゆる面においてプラスの効果を表しており 成功を収めていると評価されている。加入推進活動も成果をあげた。CHIPによる医療サービス利用は増加し 低所得者の医療費に対する経済的負担は軽減された。CHIPは低所得世帯の経済的困難時における医療保険のセーフティネットとなっている。
要は このCHIPは皆が望み成立した低所得者層向けの救済施策なのだ。しかし 昨年9月に政府によるCHIPへの資金拠出の期限が切れると 議会共和党は減税法案の成立と引き換えに再認可を拒んできた。そして トランプ大統領はDACAの廃止を主張して譲ろうとしない。
CHIPは低所得者層の子供のためのものであり DACAは不法移民の子供のためのものである。共通するのは「子供」だ。議会共和党とトランプは「子供」というアメリカの未来を担保に 金持ちと大企業を遇する減税予算を通そうとしている。
2018年2月 「陸王」ランニングシューズの奥深さ
若干古くて恐縮ですが マラソンが趣味の私にとって 昨年大ヒットしたテレビ番組「陸王」は見逃せない面白さだった。老舗の足袋屋さんが会社の起死回生を期して足袋型のマラソンシューズの開発に乗り出すという話だ。番組名の「陸王」はその靴の名前。そもそも ストックホルムオリンピック(1912年)のマラソンに出場した金栗選手 ベルリンオリンピック(1936年)のマラソンで金メダルを獲得した孫選手は足袋でレースを走っている。アシックスが1953年に発売した最初のマラソンシューズも座敷足袋を改良した「マラソン足袋」だった。というわけで 足袋型のマラソンシューズという発想は決して珍しいものではない。
12月の「陸王」の最終回を見て 私もこの足袋型シューズを試したくなった。テレビではミズノが協力しており ミズノからは放映終了とともに「陸王記念モデル」(足袋型マラソンシューズ)が限定発売されることになった。価格は6万円。これはちょっと手が出る値段ではない。調べてみると 別の2社から足袋型のランニングシューズが発売されていることが分かった。この2社は「陸王」の撮影にも協力している。陸王の影響で品薄状態が続く中 1月初めに その内の一社の足袋型ランニングシューズを手に入れた。
ちなみに 私は今まで10年間 ハーフやフルマラソンではずっとアシックスの靴(主にゲルフェザー)を愛用してきた。このブランドはマラソン4時間レベルの中級者ランナーを対象にした評判の高いモデルだ。そして今回 この足袋型モデルでお試しランしてみて 改めてシューズ開発の奥深さを知ることになった。
「陸王」シューズの最大の売りは親指と他の指が分かれた足袋型の形だ。確かに 履いてみると 普通の靴型よりは足袋型の方が指にしっくりと来る。小指を含めて全部の指を使って走る感覚が実感できる。突き詰めれば 足袋型よりは五本指型の靴の方がもっとしっくりくるに違いない。実際 五本指のランニングシューズもあって 高い評判を得ているらしい。理想はやはり人間の足そのままの形なのだろう。
テレビでは 「陸王」開発の最大の技術ポイントは靴底のソールに「シルクレイ」という新素材(架空)を採用したことだった。これはまさにマラソンシューズ最大の開発ポイントがソールであることを言い当てていた。マラソンシューズのソールは弾力性と強度と軽さを兼ね備えていなければならない。しかもこれは材料だけではなく構造の問題でもある。実際に 私が従来履いているアシックスの靴はソールに「ゲル」と呼ばれる特殊素材を採用しているのがウリだった。残念ながら 購入した足袋型シューズのソールは軽いのだが固すぎて柔軟性に欠けていた。やはりマラソンシューズはソールが第一だった。
「陸王」開発の第二の技術ポイントは繊維素材。テレビでは やっと見つけた繊維メーカーをライバル会社に横取りされ 必死になって新たなメーカーを探すというという山場がある。実は テレビを見ていて なぜそんなに繊維が重要なのかよくわからなかった。購入した足袋型シューズを履いてみると 足袋型であるがゆえに 靴の中で指がよく動いてくれる。これは喜ばしいことなのだが そのために靴の繊維が固いと指が痛くなるのだ。靴型もそうだが 足袋型のランニングシューズはより一層 繊維に柔軟性が求められる。普段当たり前だろうと思ってアシックスを履いていたが こうして違う型のシューズを履いてみると アシックスの繊維素材の柔軟性がよく分かった。
結論から言えば テレビの「陸王」は実によくできていた。確かに目を引くのは足袋型の形だが 開発のポイントがソール そして 繊維であることはその通りだった。私の購入した足袋型ランニングシューズは残念ながらこの二つの開発ポイントで私のニーズを満たしてくれなかった。長年かけて培ったアシックスやミズノのノウハウとはこの辺にあるのだろう。なかなかに奥が深い。アシックスやミズノの廉価版「陸王」の登場に期待したい。
2018年2月その2 今どきの米国CATV事情
米国には4大ネットワークの地上波デジタル放送(地デジ)があるが 現実にはテレビ視聴のほとんどが有料のCATVか衛星TVだ。特に都会ではテレビと言えば有料CATVが基本で アメリカで販売されるTVにはCATV用のチューナーが内蔵されているという。こんなの常識と思っていたが どうやら今この常識が変化しているらしい。
先日 ホノルル在住の娘と話したところ 今迄契約していた有料CATVを解約したというのだ。その代りに アマゾンのプライム会員になり かつ Netflixにも加入したという。CATVが月に数十ドルしていたのに対し アマゾン・プライムやNetflixはそれぞれ月10ドルくらいなので お金的に見てもそこそこの節約になるという。
CATVの契約を辞めるという事はいわゆるテレビ放送を見られなくなるという事 つまりリアルタイムで番組を見られなくなるという事だ。それでいいのかと聞くと ニュース番組などでは多少の不便は出るかもしれないが ドラマなどの通常番組はまったく問題がない。プライム・ビデオとNetflixで十分 というか むしろ 録画なしで好きな時に好きな場所で(スマホなどで)視聴できるのでその方が便利だという。おそらくニュースもネットで十分だろうとの話だった。
米国では 私の娘のような有料CATVの契約解除者のことを「Cord Cutter」と呼び これが一般的な風潮となってきているらしい。実際に 米国では 2012年に52.60百万人いた主要CATV加入者数は毎年減り続け 2017年第一四半期には48.61百万人になった。一方で Netflix加入者数は着実に増加を続け 2012年に23.41百万人だった加入者数は2017年第一四半期には50.85百万人になっている。今やNetflix加入者数がCATV加入者数を逆転しているのだ。
背景にあるのは動画視聴スタイルの大きな変化だ。今や スポーツや海外番組だけではなく 多くのテレビ番組がストリーミングで提供されるようになっている。「好きな番組をいつでもどこでも視聴できる」時代になったのだ。Netflixでは50百万人を超す加入者数の視聴パターンを分析した上で 加入者にアピールする独自のドラマや映画まで製作している。これは CATVのみならず テレビのネットワーク局としても大きな脅威である。
この傾向は日本でも同じ。ある資料によれば 日本では20歳代のTV番組視聴時間は60歳代のそれの6割以下。年代が若くなるにつれ視聴時間は確実に短くなっている。もっと重要なのは 全ての世代で TV番組視聴時間が3年前と比べ6割近くに減少している。日本でも米国と同様 視聴者は面白くもない番組に時間をとられたくないし 決められた時間にTVの前に座るのも嫌だし 録画などの面倒な作業もやりたくなければ 決まった場所で見るのも嫌なのだ。
個人的な話をすれば アマゾンのプライム会員になりプライム・ビデオを利用しているものの 会員になったきっかけは配送の速さだ。プライム・ミュージックやプライム・リーディングのサービスなどつい最近まで知らなかった。またキンドルは持っているものの メインは未だに紙の本であり 今でも紙の新聞を購読している。SIMフリーになったスマホはありがたいしiphoneのカメラ機能もかなり使いこなせるようになったが ほとんど使わない固定電話もニコンのミラーレス一眼レフも手放せない。最近は 記念版やコンサート版に限定しているものの CDも時々は購入している。どうやら 個人的には 新旧の両方に足を踏み込んでいるらしい。幸いなのは旧時代に両足をとられているわけではなく 子供や孫とも それなりにコミュニケーションできるくらいには新時代に生きているということ。大変だと言えば大変だし 面白いと言えば面白い。
2018年3月 流氷そして雪まつり
先月の初め 北海道に旅行してきた。実は数年前 流氷を見ようと 流氷接岸時期を目指して冬の知床を訪れたことがある。その日は風雪が厳しく 出発日の札幌行きはすべて運休。たまたま釧路行きだった我々の飛行機は何とか運休を免れたものの 空港に着くと寒風の地吹雪だった。空からではなく地から粉雪が舞い上がり行く手をかすませる。初めての冬の道東 北の国の飾りのない出迎えだった。ただ その強い風のおかげで知床到着の夜 その年初めて 流氷が接岸することになる。翌朝 知床の海に眼をやると 海と陸の境を消す一面の大雪原が広がっていた。
一方 強風は一日中一晩中 止むことがなかった。知床のゴジラ岩の前で予定されていた夜のオーロラ祭りも 翌朝予定していた流氷の上を歩く「流氷ウォーク・ツアー」もすべて中止。楽しみにしていた網走出発の「観光砕氷船オーロラ号」まで出港中止になってしまった。
そして今回 心残りだった流氷砕氷船に再トライすることにした。考えてみれば当たり前だが 流氷がしっかりと接岸すればいかに砕氷船といえども出港に支障を来すに違いない。つまり流氷接岸と砕氷船出航はもしかすると相いれないものかもしれない。というわけで 今年は流氷接岸時期をはずし ちょっと早めに札幌の雪まつりにあわせて紋別を訪れることにした。結果としてこのタイミングでの流氷見物は大正解だった。
砕氷船ガリンコ号で10分も沖に出ると氷の海原が一面に広がる。さすがに甲板は寒い。万が一海に落ちると5分と生きていけないだろう。ふとテレビの「北の国から」でトド撃ちに出かけ遭難したトド(唐十郎)が流氷の上を渡り歩くシーンを思い出した。テレビの世界とは言え役者は大変だ。夜の羅臼の流氷シーンなのでマイナス15度以下に違いない。さて 船は小刻みな後進・前進を繰り返しながら氷を砕いて進んでいく。この時のガリガリとなる音と振動とちょっとした船体の揺れが我々を喜ばせてくれる。ガリンコ号のウリだ。
寒すぎるのか沖の空には海鳥もいない。流氷が海を覆う状況では餌も見つからないのだろう。しかし目を凝らすと流氷のところどころにオジロワシが見える。流氷の大きな塊の上でまるで孤高の哲学者のように周りを睥睨している。船が近づくと 氷の上にたたずむ哲学者は突然大きなドラゴンにでも変身するかのように 体の三倍はあろうかと思われる翼を広げ飛び立っていく。北極圏の氷河と比べればスケールの小さい話だろうが この感動が東京から2、3時間で経験できるのだから 日本も広い。
流氷を見た後 札幌に戻り 夜の雪祭りを楽しんだ。昼でもマイナス10度の紋別と比べると 札幌は暖かい。もしかするとそれは気温だけの差ではないのかもしれない。音までも吸い込んでしまうような自然の偉大さを見せつける流氷に対し 札幌の雪まつりは生命の音を外に向かって吐き出す動の祭りだ。大通公園の雪像はライトアップで輝き ステージには若いアーティストたちの声が響き渡り 雪像に映るプロジェクションマッピングは見る人の目から雪を忘れさせる。雪像の脇を埋め尽くす屋台は暖を求める観光客でごった返している。
しかし札幌雪祭りの私のお薦めはテレビ塔だ。夜のテレビ塔の展望階に登ると大通公園に立ち並ぶ雪像のライトアップが一望できる。雪をかぶった都会のビルの中に 声を無くした光の群れが整然と浮かび上がる。光と音の祭典を消音モードで見る感じだ。雲の上から人間の祭りを眺め 悦に入っている神さまもこんな気分かもしれない。札幌の雪まつりを見に行くならば 夜に限る。そして夜のテレビ塔から見る消音モードの夜景は一見の価値がある。
2018年3月その2 まずは「働き方改革」に見る厚労省のインチキ
「裁量労働制」の問題をきっかけに働き方改革法案がドタバタ状態を呈した。とてもよいことだ。なぜなら これによりこの法案内容に多くの人たちの関心が集まるようになったからだ。私自身 この「裁量労働制」という耳慣れない言葉を聞くまで この法案のニュースは聞き流し状態だった。
裁量労働制とは 「個人の裁量で仕事時間等を管理・調節できる」ようなものらしい。しかし当然 与えられる仕事の内容や量に対しては個人の裁量は効かない。裁量労働制という名のもとに仕事をどさどさと与えられる状況が目に浮かぶようだ。一度でも会社勤務を経験した人から見ればこんな状況が生まれるのはすぐに察しが付く。野村不動産のような世の中に知られた会社でもインチキ解釈して 営業マンを裁量労働者に仕立て上げ 正当な残業代を払わずに遅くまで仕事をさせるのだ。名も知られていない中堅企業など推して知るべし。
この裁量労働制は 霞が関役人(厚労省)のインチキ・データをきっかけに働き方改革法案から削除されるようになった。当然だ。それにしても なぜこんな制度を推し進めようとしたのだろうか。ビジネスの現場を知らない無知な政治家が頭の中だけで考えて裁量労働制の対象拡大を推し進めようとしたのは理解できる。政治家なんてそんなものだろう。民間企業の経営者たちが経営者の立場になった途端に昔の平社員時代の苦労を忘れてしまうのも そんなものだろう。所詮彼らは競争社会の勝ち組なのだ。過剰労働で健康を崩した同僚を思いやる余裕などないに違いない。
しかし 過重労働の最大の犠牲者ともいえる霞が関の役人がデータをインチキしてまで裁量労働制を推し進めようとするのはとても理解できない。働き方改革の必要性をもっとも痛感しているのは霞が関で働いている役人ではないのか・・・と考えた時にふとある思いが頭をよぎった。もしかしたら このインチキ・データは霞が関役人の高等テクニックかもしれない。もしかしたら わざと総理周辺にこのインチキ・データを渡して 野党に追及のネタを提供したのかもしれない。
さて この働き方改革では「高度プロフェッショナル制度」なるものも登場する。高度プロフェッショナルというのは研究開発・金融・コンサルタントといった高度な専門知識を必要とする業務につく年収1,075万円以上の労働者を指すらしい。このような新造語を耳にするとどうも疑り深くなる。そもそも本当に高度プロフェッショナルな人であれば そんな年収ですまないだろうし そんな制度で守ってもらう必要もないはずだ。「みなし残業制度」などがある中で 今なぜこのような新制度が必要なのだろうか。
うがった見方をすれば おそらくはこれは「高度とは言えないどっちつかずの専門職」を対象にした賃金抑制策といったところだろう。霞が関的に考えてみれば 「会社の後ろ盾を期待するどっちつかず的なプロフェッショナル人間などこの法案の生贄的に差し出してもよいではないか。その中に本当に高度プロフェッショナルを目指す人間がいるなら もっと努力して這い上がって 会社をあてにすることのない真のプロフェッショナルが生まれるかもしれない」ということかもしれない。もし厚労省の役人の誰かがこうした意図を隠し持っていたとしたら霞が関もまんざら捨てたものではない・・・と 先週この原稿を書いている時に思った。
ところが今週になって 「働き方改革」の話を過去のものにしてしまうような財務省の決裁文書改ざん事件が発覚した。正直 厚労省のインチキには役人の苦労の形跡が見えた。財務省の改ざんは 苦労をすべて地方財務局のノンキャリに押し付けた 財務省本省キャリア組の傲慢に満ちた悪徳行為である。国民の誰の利益にもならない 国民の目を欺いた 明らかに自らの保身のみを目的とした許し難い行為だ。
個人的には この財務省事件で安倍政権の目玉「働き方改革」も空中分解する可能性さえでてきたのではないかと考える。どうやら霞が関に言及する場合には 財務省と財務省以外とに分けて考える必要があるらしい。
2018年4月 財務省のインチキ(1/2)
これまでの日本の経済発展は優秀な官僚制度があったからこそ可能になった。だからこそ たとえ政治家が私利私欲しか考えていなくとも 国はそれなりに動くことができた・・・という昔の教えは本当に昔話になってしまったらしい。
官僚制度の頂点にある財務省のお偉方は いったい自分を何様だと思っているのだろうか?国民の税金は恐らくは自分の財布くらいにしか思ってないのかもしれない。国会議員など いつでも騙せるアホばかりだと思っているのかもしれない。
当初 現場(近畿財務局)は森友学園への国有地払い下げに消極的だったと言われている。ところが 迫田氏(元国税庁長官)が本省理財局長になって その風向きが変わったらしい。迫田氏は安倍首相の地元 山口県の出身であり 理財局長に就任後 安倍首相と立て続けに面会したそうだ。一介の局長が短期間に首相と何度も面談するのは異例だそうだ。その後 森友学園との交渉は学園側に有利に展開。迫田氏は国税庁長官に転出し 彼の後任の佐川氏が理財局長になった後に 森友学園との契約が締結される。迫田氏は昨年の参考人承知で「本件について報告を受けたことはない」と言い放った。
偏見に満ちた個人的な想像に基づいて推測すると 首相が理財局長に自分の意向をそれとなく(言質を与えないように)伝え あるいは 理財局長が総理の意向を忖度(そんたく)し 森友学園に国有地を格安で譲り渡すように近畿財務局にそれとなく(言質を与えないように)伝える。近畿財務局は本省の意向を受け あるいは忖度(そんたく)し 不正を承知でいろんな理由をつけ格安で森友学園への売却を決める。
格安売却をかぎつけられると 理財局長は近畿財務局に決裁文書の改ざんをそれとなく(言質を与えないように)命じ 国会では知らんぷりを通す。「追及が厳しくなれば 現場に責任を押し付ければよいだろう」とでも思ったのだろうか。責任の押し付けを感じた近畿財務局の担当者は自ら命を絶つ。
今回の一件が首相の意図によるものかどうかは誰にもわからない。首相夫人は素人であるがゆえに多くの危うい証拠を残したが プロはたとえ悪いことをしても証拠は残さない。森友学園の交渉段階での最高責任者である迫田氏は知らないで済ませる。逆に言えば 知っていたという証拠は残さない。途中から本件を引き継いだ佐川氏は「知らない」ではなく「存在しない」と嘘をつくことで墓穴を掘った。もしかすると本当の悪人ではないのかもしれない。
底辺で実際に手を汚すものが最大の罪を負い 上にいる本当の悪人は何の罪にも問われない。なんだか昔からのドラマで繰り返されてきたような物語に見える。
・・・(次回に続く)・・・
2018年4月その2 財務省のインチキ(2/2)
(続き)
10年以上前だろうか 「正しいこと」(ダイヤモンド社)の翻訳を終わった後 金融機関向けの月刊誌にビジネス倫理に関する連載執筆を書いたことがある。その時に強調した指針の一つに 判断に迷った時には「自分の行ったことが明日の全国紙朝刊第一面に出るとすれば その新聞を家族に読ませることができるだろうか」と自問せよというのがある。「大丈夫 家族にはすべて説明できる」と思ったら 恐らくそれは正しいことだ。もしノーだったら それは恐らく正しい行為ではない。
こんなこと当たり前だと思うかもしれない。ところが事がビジネスになるとこれがなかなかに難しい。ビジネスでは 正しいことと共に利益を追求することが求められるからだ。つまり 単に正しいだけでは済まないことが多いのだ。このためには「考えること」が必要になる。
近畿財務局の決裁文書改ざんの現場職員のことを考えてみよう。森友学園の交渉を有利に進めるようにと 恐らくは本省や上司から命令されたとき あるいは 半ば強制的な忖度(そんたく)を求められたとき 彼の行ったことは 「まず 決裁文書に政治家などの介入を匂わせ この契約が尋常ものではないことを明確にしておくこと」だった。これにより 今回の格安売却は自分ひとりの責任ではないこと 自分としてはやむを得ない処置だったことを文書として残しておくことができる。現場の直属上司もこの意図を理解したに違いない。どっちにしろ 本省がこの文書を見ることはないだろうし 本省の意向にたてつけば 一生冷や飯食らいだ。
正直ずいぶんと考えた上での行動だと思う。いかに上からの命令とはいえ 誇れる行為ではないことは否定できないし 匿名でインチキ契約の存在をリークするなど他にもやれることはあったかもしれない。しかし「クビを覚悟してでもこんなインチキはやってはならない」など 誰が彼にそんなことを言えるだろうか。問題は多いが 私は たとえこの一連の経緯が明日の新聞の朝刊を飾ったとしても 彼は少なくとも家族に対しては自分の取った行為を説明できると思う。
しかし 本省理財局長の怖いもの知らずは「こんなことは到底隠し切れないだろう」という思いを持っていた現場担当者の倫理観をはるかに超えていた。直接的か間接的か 何れにせよ担当者は明確に決裁文書の改ざんを命じられることになる。そして 彼は命じられたとおりに改ざんを行う。そして 改ざんを嗅ぎつけられた担当者は自ら命を絶つ。残念だ。なぜオリジナルの決裁文書にあれだけ政治家などの関与を記したかと言えば このインチキ売却が公になる可能性があると思ったからだ。だとすれば 当然 決裁文書の改ざんもいつかは公になるだろうと推測できたはずだ。オリジナルの決裁文書を注意深く記した時と同じくらい考えをめぐらせていれば 幾つかのやり方はあったと思うのだがどうだろうか。例えば 命令された証拠や録音を残しておき ディープスロートの役割を演じるなどだ。
決裁文書の改ざんを命じられるような状況下で そんなに冷静に考えを巡らせるなどできないかもしれない。あるいはそんなに強い気持ちを持つことなど無理かもしれない。しかし相手は倫理観のかけらもない自分の利益しか考えない輩なのだ。平気で公然と嘘をつく輩なのだ・・・残念だが 「正しいことを行う」には強い心が必要なのだと改めて考えた。
2018年5月大谷選手の痛快さ
毎年の事だが 4月に入るとどうも寝不足になる。深夜や早朝に多くの海外スポーツがライブで放映されるからだ。
復活した錦織選手のしぶといテニスは見ていて本当に面白い。錦織選手が頭一つ分ほど背が高い海外選手の強打に食らいつき打ち負かすのを見るのは何とも気分すっきり。決してあきらめずに球を追う彼の姿勢はネバーギブアップの気持ちの強さを思い出させてくれる。見ていて勇気を与えてくれる。大好きなスポーツ・プレーヤーだ。
松山選手が活躍するUSPGAも目が離せない。メジャー制覇は本当に時間の問題だ。彼らのレベルになるとゴルフに必要なのは強靭な精神力であることがよく分かる。テニスの動に満ちたプレーと比べると ゴルフ中継は静まり返った静粛な世界だ。精神を集中し目の前の一つのプレーに絞り込む。何事にも動じない集中力のすごさ。松山選手がとれそうでとれないメジャー大会の中継を前に まだ天は試練を与えるのかと思う。プレーを見ながら思わずこちらも息を止めてしまう真剣勝負の世界がたまらない。
しかし何と言っても今年の睡眠不足の最大の原因はMLB大谷選手の活躍だ。MLBの他選手と比べ体格的にも劣らない大谷選手の活躍はまさにいろんな理由を超えた「痛快さ」そのものだ。
大谷選手がMLBでも二刀流を目指すと言った時 正直そりゃ無理だろうと思った。マー君の才能を開花させた あの野村元楽天監督でさえどちらかに絞るべきだと主張した。いやほとんどのプロ野球関係者が無謀だと言い とりわけ多くのMLBの現地関係者は半ば冷笑気味だった。
今 大谷選手の二刀流の活躍を見ながら 本当に先入観の怖さを感じている。「投げる」能力に秀でている人と「打つ」能力に秀でている人は別 あるいは 「投げる」能力を磨くことと「打つ」能力を磨くことは両立しないという先入観だ。大谷選手の痛快さは そのような先達の先入観を当たり前の事として受け入れることを拒否した点だ。大谷選手の100マイルを超す速球も 度胆をぬくホームランも痛快だが 最大の痛快さは既存の物の見方をひっくり返したところだ。
そもそも リトルリーグの優秀な選手の多くはピッチャーで四番バッター。投げる能力と打つ能力が別物などおかしいだろう。また投げる能力を磨くことと打つ能力を磨くことは本当に相いれない別の努力なのだろうか・・・そうかもしれないし そうでないかもしれない。とりわけ ある種の能力を持つ人にとってはそうでないケースが多いのではないかと思う。おそらくは 今の大リーグにも日本のプロ野球にも 能力的には二刀流として立派にやっていける人が何人もいる(いた)のではないかと思う。ただ 世の中の「常識」に逆らってその思いを貫くことができる人がいなかったのだ。
大谷選手が3号ホームランを打った後 桑田元巨人投手が「大谷選手は最初のキャリアはピッチャーとして そしてキャリア後期にバッターとして両方で記録を残す方がよい。その方が二つの良い記録を残せる」と言った。正直驚いた。桑田氏のような頭のよい人であっても 投手の成績・打者の成績という従来の常識から脱却できていない。投手・打者という既存の物差しをひっくり返そうとしていることに大谷選手の価値があるのだ。
2018年5月その2 日大アメフト問題 そして 日大問題
日大アメフトのタックルの映像を見ながら東大同期でアメフトをやっていた友人の話を思い出した。大学でのアメフトの練習中に同級生が亡くなったという話だ。ただし45年前の出来事。彼の言葉によると タックルで頭がガクッと動き 脳みそが頭蓋骨の中で回転したという。
あの映像では後ろから激しいタックルを受ける直前 クォーターバックの選手は完全に力を抜き 少し頭を上げていた。首と頭がまったく無防備の状態だった。本当に危なかったと思う。一歩間違えば 命の問題 一生重大な後遺症が残るところだった。ある記事に「殺人タックル」とあったが 過言ではない。これはスポーツという隠れ蓑で行われた傷害行為である。
当然のこと 直接タックルをした選手には大きな責任がある。ただし 一人で記者会見をし 問題に自ら直面した真摯な態度は評価する。問題は こんな強い心を持てる選手ですら あの状況下で正しい判断を下せなかったという事実だ。環境と言うものは人の心を麻痺させてしまう。
今(5/24)現在 内田監督が具体的な(ケガさせてこいという)指示を出したかどうかはわからない。おそらくこれを証明するのは難しいだろう。世の中 真の悪人は自ら手を汚さないものだ。しかし彼には 少なくとも人の心を麻痺させてしまうような環境を作り出したということに対して大きな責任がある。
コーチはどうだろう。恐らくは内田監督の真意を忖度(そんたく)して具体的な指示を選手にしたのだろう。学生ではない彼の場合 結局 監督の意に添わねば すぐに職を奪われることになる。日大常務理事(人事担当)の監督に逆らえるわけがない。
こういう状況を見ていると どこかで見たような風景に思える。 当然のように忖度を期待しているが自らは手を汚さない政治家。具体的な指示を出すのは 忖度しないと左遷の憂き目にあう財務省高官。そして最後に追い詰められるのは近畿財務局担当者。
違いは日本大学という高等教育機関の中で行われた不正行為という点だ。普通の人は 政治家や霞が関の世界ではまともな人間などいないのが当たり前と思っているので 森友や加計問題が発生しても「やっぱり」と「またか」という印象が第一だろう。しかし普通の人は 「まさか大学という教育機関の中でこんなことが起きるなど・・・」思いもよらない。いったい日大ってどういう組織なのだろうか?この行為は学内の活動で行われた前例のない卑劣な傷害行為であり かつ日大常務理事が首謀者としての関与を疑われているのだ。しかしそれでも 日大理事長や学長はまったく表に出てこない。
中には この問題を聞いて「やっぱり」と思った人もいたにちがいない。日大の田中英壽理事長は数年前山口組六代目組長とクラブで歓談するツーショット写真が表ざたになり 裏社会とのつながりが噂された人物である。この写真は海外誌での掲載で明らかになった。それも日本の記者が脅しにあったため日本での発表が没になったためだと言う。
この写真が契機となり 当時日本オリンピック委員会副会長の職にあった田中理事長は結局東京オリンピックを前に副会長職を辞することになった。彼はもともとアマチュア相撲の横綱で 日大相撲部監督を経て10年間日大理事長職を務めている。間違いなく日大のドンだ。そして彼が目をかけたのがアメフト部監督の内田氏。理事長のお陰で常務理事に引き立てられた内田監督は次期理事長とも噂されていた。アマレスのセクハラ問題の会見で醜態をさらした谷岡志学館大学学長(日本レスリング協会副会長)しかり。どうやら日本の大学運営のトップは我々がイメージするような高潔なインテリとは程遠い。
さて日大のアメフト問題は必然的に日大の大学運営問題へと発展しそうな気がするがいかがだろうか。もしそうならないとしたらそれこそ日大の状況は深刻である。
2018年6月 ハワイ島溶岩危険地域
以前ハワイ島に行ったとき ガイドの方が 「ハワイの溶岩は日本の溶岩と粘度が違うので流れるスピードが遅い。日本だと溶岩噴出と聞くと皆すぐに逃げるが ハワイでは逆に皆見に行く」と説明してくれた。確かに 溶岩が激しく噴出する近くでは 硫黄ガスが激しいし 噴火の岩も飛んで来そうだ。しかし 大爆発というような雰囲気ではなく 溶岩がゆっくり流れ出るという感じなので逃げる時間は十分にありそうだ。また 飛んで来た岩石が当たってけがをしたという話しも聞かない。日本の火山の噴火とはかなり様子が異なる。
ハワイ島にはラバゾーン(溶岩ゾーン)という 溶岩流が流れる危険性を指定したゾーニングがある。危険度に応じて1から10までゾーン指定されており 数が少ないほど危険性が高い。ラバゾーン1/2に指定されている最高危険エリアは ハワイ島東側海岸方面のプナ地区の一部 西側のサウスコナ地区の一部 中西部のオーシャンビューエリアの一部である。これのエリアは今溶岩が流れていなくとも 今後流れる危険性が高いと言われている。ちなみに今話題になっている溶岩流はプナ地区のパホア(ラバゾーン2)のエリアだ。プナ地区はハワイ火山国立公園を有し 地下に溶岩の潮だまりなどがあると言われている。
ラバゾーン1/2のエリアは危険なため住宅保険をかけるのは難しい。したがってほとんどの場合 住宅ローンも無理だ。購入者が限定されるために このエリアにはコンドミニアムはなく 一戸建てのみである。不動産屋はラバゾーン1/2のエリアの物件にはラバゾーンの危険性の説明をすることが義務づけられている。
ところがこれらの危険地域でも宅地分譲が行われており それなりに人気があるらしい。最大の魅力は価格の安さだ。ちなみに昨年ラバゾーン2に新たに開発された分譲地ハワイアンショアーズは 平均336坪の分譲地。土地だけならば何と12,000ドルぽっきり。戸建分譲も売り出されており こじんまりした一軒家なら18万ドル(土地付き)で買える。ガスはないが電機・水道はある。海岸まで車で5分。共同プールもある。暖かいのでおそらくはどんな植物でも育つ。18万ドルでハイビスカスやブーゲンビリアに囲まれた生活が手に入るのだ。セカンドハウスとしての購入も多いという。
たしかに今回の噴火で住まいを失った人もいるし この地域に住むにはそれなりの覚悟は必要となる。逆に言えば この溶岩危険ゾーンに住む人はそれなりの覚悟をした人たちなのだ。とは言え 別に命の覚悟が必要なわけではない。今回のこれだけの大噴火でも死者はいない。負傷者はバルコニーで噴火を眺めていて足に溶岩のしぶきがかかった人ひとりだけなのだ。
ハワイ島の溶岩と言えば 皆高いお金を出してツアーに参加し見物に行く価値のある崇高な自然現象。火山の女神ペレの崇高さを身近に感じることができるのならば この程度の覚悟はありかもしれない。大自然の脅威と地球の鼓動の中で暮らす生活が2000万円で手に入る・・・もう一つの住まいとしては実に惹かれてしまう。
2018年7月 高橋真梨子のアドバイス
先日 NHKのSONGSという番組に高橋真梨子が出演していた。MC大泉洋との質疑応答に答えながら歌を挟むという形式だった。
私は高橋真梨子のファンで ここ数年 毎年一回はコンサートに通っている。一時期 声力が今一つと感じた時があったが 今は昔の声質に戻っている。しかし 紅白歌合戦でガリガリに痩せた姿を見 伴侶でバックバンドのリーダーを務めているヘンリー広瀬さんの体調が思わしくないという話も耳にするなか 今のうちに生を聞いておかないとという気持ちになる。
SONGSで面白かったのは 大泉洋の「高橋真梨子のような歌手を目指す人にどのような助言をするか?助言を3つ挙げてくれ」という質問への答えだ。正確ではないかもしれないが 高梁真梨子はこう答えた。第一に「媚びないこと」、第二に「チャンスを逃がさないこと」、第三に「がむしゃらに歌うこと」。
この答えを聞いてびっくりした。なんとこの三つは私が仕事をするうえで常に意識していることだからだ。
媚びるな・・・高橋真梨子が言っているのは 自分の信念は曲げてはならない。信念を曲げてまで仕事をとろうとしてはいけない 自分を信じろ 妥協するなということだ。私の研修の仕事の場合 絶対に譲れないのに「20人という参加者の人数制限」がある。これを超えると参加者とのコミュニケーションを重視した私の研修運営がとたんに難しくなる。
ある時 日本を代表する超一流総合商社から研修の問い合わせがあった。子会社・関連会社の社長をやっている社員たちの研修プログラムに私の研修を組み込みたいということだった。ボトルネックになったのは参加者の人数だ。先方によれば 対象となるのは25人。皆忙しいので 欠席者が出る。結果的に20人くらいに収まるだろうから よいではないかという話だ。担当者の顔には「わが社の研修をすればすごいPR効果もある。この程度の要求を受け入れないのはおかしい」という表情がみえみえだった。残念だがご辞退させていただいた。たとえ相手がどんなに超一流企業であろうが 私には譲れない一線がある。私が喉から手が出るほど仕事がほしい困窮状況にあろうがこれは譲れない。
チャンスを逃がすな・・・高橋真梨子は「数多くではないかもしれないが チャンスは必ず来る。それを逃してはならない」と言った。本当にその通り。私が今「ピラミッド原則」の伝道者としてこの方面での日本の元祖とみなされているのはまさにそのチャンスを逃がさなかったからだ。1984年外資系コンサルティング会社で働いているときに「ピラミッド原則」(原書)と出会い 感激のあまり 本書の日本語翻訳を私に任せてくれとロンドン在住の著者に手紙を書いたのがすべての始まりだった。その後 紆余曲折を経て 日本語訳(「考える技術・書く技術」)の出版にこぎつけたのが1995年。原書との出会いから10年経っていた。その間 多くの日本人が原書を読んでいるはずだが 著者に直接コンタクトしたのは私だけだった。
がむしゃらに歌え・・・がむしゃらに働けということだ。決して出し惜しみをしてはならない ともかく直面する仕事に全力を注げということだ。これについては 私は人に負けない自信がある。準備もそうだが 研修クラス中(通常は4時間45分くらい) つねにどうやれば参加者に内容を理解してもらい 身につける助けとなるかを考えながら 全力投球している。65歳の今 研修が終わった後はいつも 寿命を1~2日縮めた思いがする。
高梁真梨子の話しを聞いて 仕事にかける気持ちに関しては これでよかったのだと なぜか少し報われた気がした。
2018年8月 提案力の強化
最近 某大企業の開発部から「提案力強化」のご相談があった。実は 提案力強化というのはまさに今日的テーマで よく出くわすテーマだ。数十年前の大量生産・大量販売の時代ならともかく 今の時代 完成した商品を売るだけの営業などほとんど存在しない。例えば 小売店を経由して消費者に物を売る消費財メーカーの場合 たとえ一流メーカーであったとしても それなりの商品を開発し それなりの広告宣伝を打つだけでは限界がある。ましてや 普通のメーカーではまともに仕入れてくれることもない。「どうやれば売れるか」・・・売り方を小売店に提案し こうやれば売れると説得しなければ 話が進まないのだ。これが消費財メーカーの現実である。
しかも 今のB2Bビジネスでは 単なる商品(ハード)販売ではなく サービスや委託業務などを提供するソフト・ビジネスが主流となっている。このようなビジネスにとって提案力は生命線そのものである。
さて「提案力強化」と聞いて 皆さんは具体的に何の強化を想像するだろうか?先の某企業から舞い込んだ「提案力強化」のご相談は 私がやっている研修(考える技術・書く技術)の延長線上で登場したものだ。「考える技術・書く技術」→「説得力のある提案書作成」→「提案力強化」という流れだ。これは間違いではない。しかし 誤解を招きがちと言えるかもしれない。
私の教えている「考える技術・書く技術」の教材は「読み手の理解」から始まる。そして最後に行きつくのもここだ。なぜなら読み手の理解こそがライティングでもっとも重要なことだからだ。ライティングの半分は読み手の理解にあると言ってよい。提案書もまったく同じ。一番重要なのは顧客の理解なのだ。これがうまくできない限り 説得力のある提案書も書けなければ 提案能力の強化も難しい。
問題は 今日の複雑なビジネスでは 一人で提案書を作成するなどほとんど不可能なことにある。冒頭のご相談企業の場合もそうだったのだが 提案書の作成には複数の部署が関与していた。開発部が中心になり 製造部やロジスティック部や営業部が全員一体となって提案書作成に参加していたのだ。当然、営業だけが顧客と話をしていたのでは その真意は他の部署には伝わらない。しかし 提案書の中心になる開発部の中には顧客対応窓口はないし 決まったルールもガイドラインもない。顧客との面談に開発部がどう関与するかは人任せだ。そう考えると 誰がどうやって顧客理解を深め 関係者間でその理解を共有するか・・・それらは組織の在り方 顧客対応の仕組みにまでさかのぼることになる。
「提案能力の強化」の半分は「顧客を理解する能力の強化」。すなわち 組織としてどうやれば顧客をより深く理解し その理解を共有できるかだ。残念だが これを避けての提案能力強化は難しい。提案書に限らないが ライティングとは実に奥が深い。
2018年8月その2 人材育成を担う部署
私の現在の仕事はほぼ100% 企業向けの研修だ。企業向けの研修をやっていると 事業部が直接的に研修を主催し窓口となる場合 本社人事部(または人材育成部や研修部)が窓口となる場合 あるいは 人材育成の子会社が窓口となる場合など様々だ。
研修をやる側からすれば 一番やりやすいのはもちろん 研修実施を希望する事業部が直接窓口となる場合だ。人事部などの管理部門を介すのではなく 直接やりたいという事業部の大きな熱意が直に伝わってくる。事業部と直接意見を交わすことにより 事業部や参加者のニーズが直接理解できる。さらには パッケージ型の研修を超えて もっとテーラーメイド型のワークショップを組めないかなどの前向きな話に発展することも多い。私としてはこのような話には可能な限り対応することにしている。商売抜きに面白いからだ。当然 事業部としても参加者としても満足度は高いものになる。少なくともスキル研修に関して言えば もし規模的にこのような仕組みが可能ならば 本社人事部はこのやり方を奨励すべきだと思う。管理部門はなるべく干渉しないようにし サポートに徹するのがベストだと思う。
しかし 管理職研修(職階別研修)などの場合には事業部任せというわけにはいかない。この場合 当然 本社の人事部(研修部)などが窓口になる。ただし管理職研修などの場合には 参加者に一定の共通ニーズがあるので やる側から言えばやりやすい。
問題は 様々な事業部から公募で参加者を募る場合だ。この場合も本社の人事部(研修部)などが窓口にならざるを得ない。しかし 公募参加者を対象とする場合は ニーズがバラバラなだけにやる方としては難しい。どこに的を絞って説明すべきか悩ましいことが多いのだ。したがって 参加者の満足度にもばらつきが出る場合が多い。この場合 主催者側では 公募の際に研修内容をしっかりと説明し あるいは公募基準を明確に定めるなどして 参加者のニーズを可能な限り共通化する努力をしなければならない。これがやる側と参加者の双方から見てお互いのためになる。参加者を募集する人事部がこの事を理解しているといないでは効果に大きな違いが出る。
昔 公募参加スタイルでカフェテリア方式と言うのが流行ったことがあり 閉口したことがある。本社の研修担当部署がカフェテリアメニューを増やすことに躍起となり 実施はすべてやる側と参加者任せで「ご自由に」という カフェテリアというよりもビュッフェ形式になってしまったからだ。研修は 公募形式こそが 主催者(人事部)がもっとも神経を払わねばならない もっとも負担の多い形式だと思う。
中には 人材教育の子会社を作り そこが窓口になるという場合もある。例えば 三井住友ファイナンシャル・グループの場合 SMBCラーニングサポート(株)という子会社があり ここがグループ企業の研修窓口になっている。この会社は グループ内個別企業全体の共通研修窓口であり グループ力強化の狙いもある。SMBCグループには 三井住友銀行の他 三井住友信託銀行 三井住友カード 日興証券 日本総研など有力な個別企業が軒を並べているが こうした企業が一緒に参加して共通の研修を受けられるようになっている。とても理にかなっている。
しかし まれな例であるが 本社にあるべき人材育成部門を子会社にして そこで本社の様々な事業部の人材育成を一手に引き受けさせるという企業もある。人材育成プログラムに「・・・アカデミー」や「・・・カレッジ」など名前を付ける場合は多いが それを一歩進めて「・・・アカデミー株式会社」にしてしまうケースだ。私にはこの理由が今一つ理解できない。
この子会社に自社研修を外部に営業させ独立採算にさせようとするのならまだわかるのだが 実際にはそういう能力のある会社などほとんどいない。では どうして子会社にしなければならないのか?もしかすると人材部門にもコスト意識を徹底させようという考えがあるのかもしれない。しかし これには大きなリスクがある。人材育成にかけるお金は費用(コスト)だという意識が蔓延してしまうからだ。
多くの経営者は「人は資産だと言う」。もしそう考えるのであれば 資産価値を上げるために費やすお金は費用ではなく「投資」のはずだ。製品開発に投じるお金を費用ではなく資産に計上するのと同じ考えだ。人材育成をどう行うか どこが運営の責任を担うのか よ~く考えた方がよい。
2018年10月 なぜSomaはセイコーの名を捨てたのか?
1年前にランニング・ウォッチを購入した。走るときにしか使わないので とにかくシンプルで使いやすく見やすいというのが条件だ。機能的には50回分のラップタイムさえ測れればよい。余計な機能はいらない。できれば頑丈な信頼性の高いメーカー製がよい。
最終的に選んだのは “Soma”のRunONE100SLというモデルだ。ヨドバシカメラで手にとって 使い心地を確かめた上で決めた。とても気に入っている。当時 値段は8千円くらいだった。
Somaってどこのメーカー?殆どの方はご存じないと思う。私も最初は知らなかった。実は Somaはセイコーが出しているランニング専用ウォッチだ。正確には セイコーの時計製造会社であるセイコーインスツルが出しているブランドをセイコーが販売しているらしい。機能別に入門用と一般用の2つのタイプがある。各タイプにラージとミディアムの2つのサイズがあり それぞれに数種類のカラーが準備されている。必要にして十分な品ぞろえだ。
しかしなぜセイコーの名前を前面に押し出さなかったのだろうか。実際に時計のどこにもSeikoという名前は記されていない。ランナーとしてみると 汗まみれの中で使うものなので壊れるのが心配だ。やはりどのメーカーで作った時計なのかは気になる。私見だが Somaがセイコー製でなくても 私はこれを買っただろうか。正直疑問の残るところだ。逆に言えば セイコーSomaという名前で セイコー製を前面に打ち出せば あと3割くらいの売り上げアップにはつながると思うのだが・・・。
実は セイコーには ダイビングやトレッキングなどのスポーツ・アウトドアに特化した”プロスペックス”というモデルがある。プロスペックスは元来は高機能を志向したモデルで 高いものは40万円台のダイバーウォッチもある。そして このプロスペックス・モデルの中にスーパーランナーズというランニング・ウォッチがあるのだ。Somaが2009年に生まれた比較的新しいブランドであるのに対し スーパーランナーズは1995年に生まれた歴史のあるモデルだ。プロスペックスの他シリーズと同様に高機能がうたい文句だが 恐らく今の主流は1万円半ばから2万円台の製品のようだ。
これは想像の範囲だが ランニングブームが生まれる中 セイコーは普及型ランニング・ウォッチ投入の必要を感じたに違いない。しかし 当時からその主流は機能を絞り込んだ1万円以下のモデルだ。結局 セイコーやプロスペックスのブランド・イメージを損なわないように またプロスペックスとカニバリゼーションを起こさないように別ブランドで販売することにしたのだろう。この安易な決定が10年後の今も足を引っ張っているように見える。
今現在 プロスペックス・スーパーランナーズの廉価モデルはアマゾンで1万円を切る価格で売られている。これはおそらくはプロスペックス・モデルの最安値だ。Somaもアマゾンで6千円以下で売られてはいる。しかし セイコーがSomaを別ブランド化した意図はあまり上手くいかなかったように思う。どうやら ランニング・ウォッチに対するブランド戦略を見誤ったとのではないだろうか。こうしたランニング・ウォッチへの取り組みのあいまいさは結果としてGPS機能などのついた高機能ランニング・ウォッチでもセイコーが後れを取る結果を招いているようだ。
ユーザーの観点から言えば 機能と用途を絞り込んだSomaは実に素晴らしいモデルだ。私がブランド責任者ならば 例えば プロスペックスからランニング・ウォッチを切り離し セイコーSomaというランニング専門モデルを作り 機能を絞り込んだ基礎モデルから徐々にGPS機能や心配測定機能など高機能化したモデルまでを同じモデル名で構築するだろう。
Somaだけではない。はっきり言って セイコーのブランド戦略は全体的に今一つ分かりにくい。似たような時計があまりに多すぎる。
2018年10月その2 なぜグランドセイコーはセイコーの名を捨てなかったのか?
前回「なぜSomaはセイコーの名前を捨てたのか?」の最後に セイコーのブランド戦略は理解しづらいと書いた。その最たるものがグランドセイコーだと思う。
セイコーは昨年のバーゼル時計展示会でグランドセイコーの独立ブランド化を発表した。これが分からない。マーケターと称する評論家はこぞって グランドセイコーはレクサスと並ぶ高級ブランドの成功例になるかもしれないという提灯記事を書きまくった。しかしよく読むと 「成功する」と断定的に書いている記事はなく すべての記事が「・・・成功する可能性がある」とか「・・・成功するかもしれない」とか「成功すれば・・・」という言葉で飾っている。なんと無責任なことか。
私には分からない。なぜ「グランドセイコー」という名前が「セイコー」から独立したブランドだと言えるのだろうか?全然独立していないではないか?今年のバーゼルの展示会でも 「グランドセイコー」という独立カウンターはなかったようだし 独立ブランド化宣言から一年経ってもグランドセイコーに特化した販売店はない。これではレクサスに失礼だ。
ブランドとは差別化だ。ブランド戦略が成功するためには 商品はもちろんのこと 開発・製造・販売すべての要素で差別化することが必要だ。マーケティングの初級者は皆4Pというマーケティング・ミックス(商品・サービスの提供者がコントロールできるマーケティング要素)を習う。Product(商品)、Price(価格)、Promotion(販促)、Place(流通)の4つだ。4Pで教えているのは マーケティング戦略を成功させるためには これらの4つの要素をすべて一つの戦略の下で統合しなければならないということだ。マーケティング戦略の肝と言える。
グランドセイコーのような高級ブランドの立ち上げでは マーケティング・ミックス全要素を一つのブランド戦略の方向の下に差別化しなければならない。逆に言えば それくらいの覚悟がなければ高級ブランドを成功させることはできない。レクサスをみれば一目瞭然だ。4つのPが見事に差別化されている。その一方でレクサスがトヨタの商品であることを知らない者もいない。
もっと身近な例もある。1991年にP&Gがマックスファクター化粧品を買収し上手くいっていなかった頃の話。P&G日本が打ち出した起死回生の一手は当時マックスファクター日本の一商品であった高級化粧品SK-IIを独立ブランド化することだった。SK-IIをマックスファクター・ブランドから切り離し 独自流通を整え 百貨店のカウンターを独自カウンターにし 美容部員を別組織化し SK-II美容部員のユニフォームも変え カウンターからユニフォームまですべての色をSK-II色であるバーガンディに統一したのだ。今やSK-IIは女性なら誰もが知る高級基礎化粧品だが それがP&Gの製品であること もともとマックスファクターの製品だったことを知る人はほとんどいない。これがブランドの独立化だ。ちなみにP&GはSK-IIを独立ブランド化した後 残りのマックスファクターを2015年に売却している。
グランドセイコーに話を戻すと こうしたブランド独立化に必要な覚悟のなさが歯がゆくてしようがない。今のやり方でも今迄販売に力をいれていなかったのだからある程度は売れるだろう。しかし このやり方では「成功」と言えるような結果は残せないと私は思う。
セイコーは覚悟を決めるべきだ。本当にグランドセイコーを成功させたいならばセイコーの名前を捨てる覚悟をもってマーケティングに臨むべきだ。ちなみに私の愛用する時計はセイコーのアストロンである。セイコー愛用者だからこその意見と受け取ってほしい。
2018年11月 米国中間選挙
米国の中間選挙が終わった。下院は民主党が過半数を獲得し ようやくトランプ大統領の独断政治にブレーキがかかることになった。本当に良かったと思う。もし下院も共和党が過半数を占めていたら 図に乗ったトランプは国内政策であれ海外政策であれ やり放題になってしまうはずだ。
さて下院選とともに注目されたのは 同時に行われた知事選挙だ。選挙前のニューズ・ウィーク誌(11月6日付)によるとトランプの命運を握っているのは議会選挙ではなく州知事選挙の方だとのことだった。その理由は 州知事の持つ意外と大きな権力のせいらしい。なるほど 我々部外者は トランプが大統領になって初めて 大統領の持つ権限の大きさに気づいた。そう考えると 州知事の権限だってバカにならないはずだ。
大統領選挙を含め 米国の選挙で投票するには米国籍を持った18歳以上で かつ 自主的に選挙人登録を行っていることが必要になる。ニューズ・ウィーク誌によると 今回ジョージア州で知事選に立候補した共和党のケンプ氏は州務長官時代に権限を駆使し 民主党支持者が多い層の有権者登録を阻んできたと言う。12年以降 民主党支持者が有権者登録できなかった人数は共和党支持者の7倍に達するというから驚きだ。もちろん 彼を州務長官に任命したのは当時の共和党の知事だ。
また 下院議員の数は各州の人口比率で配分されるのだが その選挙は小選挙区制となっている。したがって選挙の区割りが結果に重要な影響をもたらす。選挙の区割りは10年に一度行われる国勢調査の結果に基づいて見直しされるルールになっているのだが 2000年以降ジョージア州やテキサス州など この時期とは無関係に再区割りを実施する州もでてきた。区割りの権限を持っているのは各州の選挙管理委員会で その人事は州政府(つまり州知事)に権限がある。州知事を押さえていれば自分の政党が有利になるようにいびつな区割りをすることができるというわけだ。いわゆる”ゲリマンダー”と呼ばれるものだ。(ちなみに 上院議員の数は各州2人と決まっているので 区割り問題は発生しない。)
したがって 50州のうちの33州の知事を共和党が握っている今の状況下では 下院選挙は共和党に有利だと言われている。実際に過去2回の下院選では ともに得票数の少なかった共和党が過半数を取っている。区割り自体が共和党有利になっているのだ。したがって今回の民主党の下院過半数獲得はそれなりに大きな意味がある。
今回は50州のうちの36州で知事選挙が実施された。結果 民主党知事は16州から23州に 共和党知事は33州から26州になった。今時点でジョージア州の結果が出ていないが どうやら共和党になりそうだ。ある意味 民主党の躍進ともいえるが 共和党が食い止めたと言えなくもない。
というのも問題となるのは人口の多い すなわち下院議員数の割り当てが多い大型州だからだ。これら大型州をとるかとらないかで 2020/2022年の下院選挙の行方が決まると言っても過言ではない。結果から言うと 共和党が知事を務めていた5つの大型州(テキサス、フロリダ、オハイオ、ミシガン、ジョージア)で民主党が取れたのはミシガンだけだった。
上記5州の中で テキサスは共和党の牙城。ミシガンは当初から民主党がリードし オハイオは共和党がリードしていた。そして残りの2州 フロリダとジョージアが激戦州としてずっとメディアの注目を浴びていた。フロリダ州は大統領選の鍵を握る重要州のひとつで 今回は当初 民主党候補のアフリカ系アメリカ人のギラム氏がリードしていた。しかし結果として敗れ去った。共和党候補との得票差はわずか0.6%だった。また ジョージアは最後まで結果が出ていない唯一の州で 今時点で決選投票の可能性もゼロではない。しかしどうやら共和党ケンプ氏で決まりそうだ。前述のように有権者登録でインチキをしたと言われるケンプ氏だ。民主党候補で初のアフリカ系アメリカ人女性知事を期待されたエイブラムス氏が健闘したが及ばなかった。
この2つの州で民主党知事が生まれていれば 2020/2022年の下院選挙も民主党の勝ち 2020年のトランプ再選に明らかな黄色信号がともっていたはずだが 今回はそこまでは行けなかった。残念。
ただし 今回18~24歳の若年投票者の63%が民主党に投票 つまり トランプにノーを投じている。この事実を見る限り アメリカもまだまだ期待できそうだ。
2018年11月その2 死は始まり
最近TEDにはまっている。ハイテク・生物学・医学から文化・社会まで様々な知的分野をテーマにその道のエキスパートがプレゼンをするものだ。もともとはサロン的な集まりから発展したらしいが 今は 多くのスポンサーのお蔭で手軽にネットで見ることができる。ともかくこのスピーチの内容がすばらしく TEDで初めて知ることも多い。今回はそのうちの一つをご紹介しよう。死後の死体処理の話だ。
昔 カソリックでは火葬はタブーだった。しかし1963年にローマ法王庁が火葬を許可して以来 火葬が増え続け米国では今や土葬と火葬が半々になっている。近年の火葬増加の背景にはコストの問題もあるが 既存宗教離れという理由もあるらしい。もともと死後の体をどうするかは宗教そのものだったのだが この関係に変化が出てきたらしいのだ。
実際 日本の場合には100%火葬だが その後についてはいろいろな選択肢が登場している。樹木層だったり海洋散骨だったり。かく言う私も遺骨はハワイの海に撒いてくれと遺言している。ただ樹木層も捨てがたく 2年前に樹木葬の現地見学にも行ったことがある。エコ的に言えば 遺骨を肥料にする樹木葬が一番だろう・・・と思っていた。あるTEDのプレゼンを見る前までは。
TEDスピーカーによると 今 死体を土の中で腐敗させ堆肥にして植物などの生育に活かすという仕組みが実証実験に移されているらしい。死後の体を栄養物として植物などの新たな生に活かすというという考え すなわち死が新たな生につながるという自然界のルールに従おうという考えだ。
そう考えてみれば たとえ樹木葬であっても 火葬というやり方である限りエコとは言えない。棺として大切な木材を無駄にするだけではなく 火葬に伴うエネルギー消費量や炭酸ガス排出量はかなりのものになるという。我々は死という最後の段階においてもまだ地球に害を与えているのだ。樹木葬というのはエコではなく人間のエゴであり 環境問題への言い訳なのかもしれない。
実際にアメリカの農場では牛など家畜の死体をまるごと自然に分解させ堆肥にするということを昔からやっているという。家畜の死体は木のチップで覆い あとは適度の空気と水分を加えれば 牛の場合 9ヶ月程度で肉も骨も完全に分解するらしい。
牛で出来て人間でできないことはない。ただ人間の場合 歯の治療にアマルガン(水銀化合物)を使っていたり 抗がん剤が使用されていたりする。現在は これらが自然に悪影響を与えないかどうかの検証中だという。問題がないことが判明すれば施設の仕組み自体に難しいものはない。牛で実証されているのだから 世界最初の施設完成まで意外と時間はかからないかもしれない。
もちろん これは死体処理の話しであり 死に関する尊厳の気持ちとはまったく別の話しである。TEDスピーカーは こうした施設がむしろ今迄の宗教儀式から離れ 本当の意味で死の尊厳を考える機会を与えるのではないかと示唆する。死は始まりの実践だ。すばらしい。私にも新たな選択肢が増えそうだ。
2018年12月 今年のヒット商品
先日 日経新聞に掲載された2018ヒット商品番付を見た。これをよく見ると 最近は市場が細分化されてきたため 万人受けするヒット商品がなかなか見当たらないのに気づく。さて皆さんは幾つご存知だろうか。
横綱:(東)安室奈美恵(西)TikTok
安室奈美恵は数少ない万人受けするヒットだ。60歳を超す私ですら引退の話を耳にしてすぐに「Finally」CDの予約購入を申し込んだ。聞くところによると 彼女はコンサートでは歌うだけで一切おしゃべりをしないらしい。やたらとしゃべりの多いコンサートの中でこの姿勢はすばらしい。以前 渋谷で行われたボブ・ディランのコンサートに行ったが 彼もコンサートでは「Thank you」以外一切しゃべらなかった。これはアメリカのツアーでも同じらしい。「言いたいことは歌で伝える。聞きたいことは歌に聞け」という姿勢だ。すばらしい。
TikTok・・・ユーチューブなどでよく見るショート動画のアプリだ。10代の若者に大人気らしい。これこそまさに一部の人にしか分からないヒット商品の代表と言える。中年以上の人はほとんど名前を知らないと思うけれども SNS嫌いの私でも目にしたことはあるので横綱と言えるのかもしれない。
大関(東)羽生結弦(西)大坂なおみ
この二人は万人受けするヒット。ただし 大坂なおみが出て大谷翔平が出てこないのは納得できない。
関脇(東)キリン本麒麟(西)ゾゾスーツ
これらも特定の人向けのヒット。自分の体を自分で採寸登録して注文するシステムが出たことはテレビで知っていた。しかし これがゾゾタウンのシステムで ゾゾスーツと呼ぶということは知らなかった。しかし本当にヒットしているのだろうか。
小結(西)Vチューバー(西)eスポーツ
これらも特定人向けの話し。しかし だとしても納得できない。Vチューバーと聞いてわかる人がいったいどれだけいるのだろうか?実物の人間の代わりにアバターをUチューバーとして公開するのをVチューバー(バーチャル・Uチューバー)と呼ぶらしい。確かに見たことはあるが そんなにヒットしているとは思えない。
前頭
(東)U.S.A.(西)カメラを止めるな
(東)日本橋高島屋SC(西)東京ミッドタウン日比谷
(東)トヨタ新型クラウン(西)ニコンZ7
(東)猛暑消費(西)サバ缶
(東)森ビルチームラボ(西)銀座ソニーパーク
「U.S.A.」 「カメラを止めるな」 「サバ缶」は万人向けのヒット商品。これらはちょっとした社会現象と言ってよいのではないだろうか。万人受けする商品が少ない中 前頭は厳しすぎる。さて この前頭の中で私が一番興味をそそられるのは実はお台場のチームラボだ。万人受けかどうか ヒットかどうかは分からないが 私としてはぜひ一度行ってみたい。
万人向けとは言えないが この前頭の中で いやこのヒット商品番付の中で 個人的に最大の疑問を感じたのが「トヨタ新型クラウン」だ。6月に売り出して目標の4倍近く売れたらしい。しかしこの人気が一年後も続くと言えるかどうかははなはだ疑問である。これはヒットと言えるのだろうか。
新型クラウンは一目でわかるように購入者の若返りを意識したスタイリッシュな顔になっている。ただしこれまでのところ 実際の購入者の60%以上が60代以上だという。60代以上というのは「いつかはクラウン」というキャッチコピーが頭に染み付いている世代だ。この世代においては驚くことに今でも「クラウン=トヨタの最高級車」というイメージが受け継がれているらしい。これはこれで素晴らしいことだ。
しかし 本当に購入者の若返りを狙ったのであれば成功とはいいがたい。そりゃそうだろう。安いモデルで500万円 高いモデルは700万円近くする高級セダンだ。子育て世代にはなかなか手が出ない。いや もし手が出るとしても いったい誰がクラウンを買うというのだろうか。40代50代でこの価格を払えるならば BMWやベンツやアウディ 日本車にこだわるならばレクサスという選択肢がある。そもそもトヨタ自動車自身が高級車を買いたいならトヨタではなくレクサスを買えと宣伝しているのだ。
昔も今もトヨタ・ブランドの最高峰に位置付けられている「クラウン」は レクサスを「トヨタ・ブランドとは一味違うワンランク上のブランド」と位置付けた時点で極めて微妙な立ち位置を運命づけられてしまった。しかもセダンしかない新型クラウンは完全にレクサスのセダン(中下位モデル)とダブっている。残念ながら新型クラウンはこの難問に何の答えも出していない。負け越しで前頭陥落となる可能性は高いと思う。
2019年 私たちはどのようなヒット商品を目にすることになるのだろうか。日経の担当者の方には2019年はぜひ「万人向けヒット」と「世代別ヒット」などに分けて考えてほしい。今のように十羽ひとからげで しかも相撲の番付形式でリストするなど ヒット商品を考える人としてはあまりに時代遅れの発想ではないだろうか。
皆さん よいお年を。
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