過去のひと言
2010年1月 年賀状ルール
あっという間にお正月も終わり。
12 月の暮れにあわてて年賀状を書いていたところ、娘夫婦から今頃書いているのかと言われてしまいました。どうせ君らは年賀状など余り書かないのだろうと尋ね たところ、娘夫婦は、二人併せて百数十枚の年賀状を出したとのこと。私たちよりもはるかに多い量に驚きました。聞いてみると、結婚式に招待した人などに全 員出したりしていると、どうしてもそれくらいの量になると言う返事。納得です。
さて、お正月、年賀状を眺め ながらいつも思うのですが、印刷された、通り一遍の挨拶文言のみでまったく手書きの挨拶言葉がない年賀状が何通もあります。「明けましておめでとう。今年 もよろしく」的な印刷文言に、一言の言葉もなしです。こういう人は、当然のように、宛名書きも印刷です。つまり、年賀状のどこにも手書き部分がないので す。仕事関係のお義理の年賀状なら分かりますが、友人・同輩・後輩からの年賀状にもそういうものがあるというのがまったく理解できません。
これだったら書かないでくれ た方が、まだましです。私も、来年は気兼ねなく、出さないで済むのですから。・・・と考えていた時に思い至りました。そう。それこそがこの年賀状のメッ セージに違いない。つまり、「来年はもう年賀状は止めましょうね。必要な時にメールすれば済むことですから。」
また、堂々と、年賀状は正月 に書くことにしましたと宣言して賀状を送って来た友人も居ました。これは止めましょう。そもそも年賀状は正月に届くように送るのが慣習。年賀状自体が慣習 そのものなのですから、正月に届くのに送るという慣習に抵抗するのならば、年賀状という慣習そのものに抵抗すればよいのではないでしょうか。いかにも、 「正月に届いた人にだけ送ります」という無言のメッセージに聞こえてしまいます。まあ、友人だから許しますがね。
今年は決心しました。今まで年賀状は、まず誰に出そうかと考えていました。しかし、これからは、まず誰に出さないかを考えます。一切の迷いを取り払いま す。これこそ年末に書き、過ぎ去ろうとしている一年に別れを告げる年賀状に相応しいのではないでしょうか。ネガティブ発想ではありません。発想の転換なの です。A Happy New Year!
2010年2月 No.1 上り坂を走る
1月末、千葉館山の若潮マ ラソンを走ってきました。まれに見る晴天で、天気に関しては最高でしたし、冬の海という環境もなかなか素晴らしい。海辺なので走る前は風が強いのではない かと思っていましたが、地理的に見ると、館山の海岸は西(東京・静岡方面)に面しており、つまり、直接、太平洋側に面しているわけではないので、風もほと んどありませんでした。昔、娘の学校が館山で遠泳をやっていましたが、納得です。
しかし、コースそのものはアップダウンの激しいコースで、とりわけ、30 キロあたりのこれでもかという上り坂には参りました。結局、上り坂で足を使い果たし、以降の下りも上手く走れず、またもや最後の数キロでばたばた状態。悔 いの残る結果に終わってしまいました。延々とした上り坂で有名な沖縄NAHAマラソンの悪夢を思い出してしまうほどでした。
どうも上り坂は上手く行きません。以前から気づいていたことですが、長い上り坂を走ると、後半に、いわゆる体幹がぐらついてき、腰に来ます。というわけで、これからは体幹・太ももの筋トレと坂道ランニングに励もうと、ジム通いを始めることにしました。
話は変わりますが、JAL が会社更生法適用になりました。2ヶ月前、このHP上で、コンサルタント的に言えば、当然、法的処置だといいましたが、結果的にその通りになりました。こ れでJAL再生の未来がようやく見え始めたと思います。公共交通機関としての足かせはありますが、稲盛会長がCEOを続ける限り、8割がた、上手く行くで しょう。
会社経営もマラソンに似てい ます。平坦な道であれば、気持ちの持ちようで誰でもそこそこには走れます。しかし、上り坂が続くと力の差が出ます。坂の途中で息切れする人もいますし、坂 で力を使い果たし、以降、上手く走れない人もいます。平坦な道では気づかないのですが、上り坂を走るには筋力が必要です。とりわけ、体幹周りの筋力強化は 不可欠です。体の軸がしっかりしていないと坂道を走りきれないのです。これには、日頃から上り坂を走る練習と、筋力強化のトレーニングが欠かせません。心からJALの再生を願っています。
2010年2月 No.2 トヨタに急ブレーキ(その1)
2 年前にプリウス(今の前の型)を購入し、快調に乗っています。最初に乗ったときに感じたのは、そのハイテク技術です。車はここまで進化したのかと本当に驚 きました。実用車では間違いなくハイテク度ナンバーワンと言ってよいかと思います。一つの車の中に、エンジンの駆動系とモーターの駆動系の二つが存在し、 それが統合されて最適稼動するように作られているのですから、モーター駆動系のみで稼動する電動自動車よりもハイテク度は優っていると言えるでしょう。
プ リウスの場合、ブレーキを踏むと、モーターの充電機能が稼動します。モーターが発電機として機能し、その電力をバッテリーに充電することにより走行エネル ギーを回収するわけです。このとき、エンジンブレーキに似た感じで、回生ブレーキが稼動します。減速状態になると、ウィーという小さなブレーキ音が聞こえ ます。
つまり、プリウスの場合、通常の油圧ブレーキ機能に加えて、今や標準装備のABS 機能(急ブレーキやブレーキロックによるスリップを防ぐために、ブレーキのポンピングを自動化したもの)、そして、エネルギー回収の回生ブレーキ機能がブ レーキペダル一つに集中している事になります。これがソフトウエア一つで、最適稼動するように設計されているわけです。
30 年前、アメリカに住んでいたときに、引越しのためにアメ車をレンタカーで運転したことがあります。考えられない事ですが、低速で運転している最中に急にエ ンストしたのです。運転中にエンストするという事自体が考えられないことですが、エンストした途端に、ハンドルが急に重くなり、ブレーキが踏めないほどに 重くなりました。ともかく全身の力をこめてハンドルを切り、全体重を込めてブレーキを踏み、何とか、車を路肩に寄せることが出来ましたが、冷や汗で全身 びっしょり。つまり、信じられない事に、パワー・ステアリング、パワー・ブレーキのパワー系統がエンジンのパワー系統と共有されていたわけです。こんな信 じられない時代もあったわけです。
少 なくとも、私の乗っているひとつ前のプリウスでは、ブレーキに何の違和感もありませんから、実に、すごいテクノロジーの実現であると言えます。しかし、よ く考えてみると、これらの機能を実際に制御しているのは複雑にプログラミングされたソフトウエアです。そう考えると、プリウスの持つハイテク機能の中に占 めるソフトの割合は実に大きなものになっているはずです。
トヨタは間違いなく世界トップクラスのテクノロジー企業です。しかし、ソフトでも世界トップのテクノロジー企業と言ってよいのでしょうか?(次回に続く)
2010年3月 トヨタに急ブレーキ(その2)
前回、プリウスの持つハイテク機能の中に占めるソフトの割合は実に大きなものになっているはずだという話をしました。トヨタは間違いなく世界トップクラスのテクノロジー企業と言えます。しかし、少なくとも私にとってのトヨタの技術イメージとは、ものづくりの技術です。
昔、 外資系のコンサルティング会社に勤めているときに、多くの自動車関連のコンサルティングに携わりました。今でも明確に覚えているのは、ホンダの開発者の話 です。「トヨタの生産技術は本当にすごい。新開発の車でも、販売当初から完璧に仕上がっている。ドアとボディがまったく狂いなく収まっている。ホンダの場 合、最初の数ヶ月は、どうしても、ミリ単位の狂いが出てしまう」と語ってくれました。25年前の話しです。
しかし、時代は、見える技術から見えない技術の時代へと進化していきました。トヨタは間違いなく、見える技術では世界のトップと思いますが、見えない技術ではどうでしょうか?
今回のプリウス・ブレーキ問題では、結局、ABS制御のコンピュータ・プログラム上の不具合と、新型プリウスで新たに採用したABS作動後の油圧ブレーキ・システムの違和感が、原因だと説明されました。
後 者に関して言えば、今までのプリウスでは、ブレーキの踏み具合をセンサー感知し、それを電気式ポンプに伝え、油圧ブレーキを稼動させていたといいます。回 生ブレーキと油圧ブレーキを統合制御するためには、データを統合処理するしかなかったわけです。しかし、この時のノイズなどに不満の声があったために、新 型では、ABS作動後は、電気式ポンプではなく、ペダル圧力をメカニカルな形でそのまま油圧ブレーキに伝えるシステムにしたそうで、どうやら、この新システムの反応に大きな違和感があったようです。
結 局のところ、ソフト制御の一部をハード(メカニカル)に戻そうとしたことに無理があったと言うわけです。あまりにも複雑なシステムの連携状況に驚いてしま いますが、私には、「いったん、見えない技術の世界に足を踏み入れてしまえば、もう古きよき時代に戻るのは無理なのだ」と言う声に聞こえます。
豊 田社長は、記者会見の席上、プリウスのブレーキ問題の対応遅れを説明する際に、“カイゼン”という言葉を用いました。はたして、見える技術におけるカイゼ ンと見えない技術におけるカイゼンを同じレベルで議論してよいのでしょうか。プリウス・ユーザーとしては、一日も早い、トヨタの経営ソフトのカイゼンを望 むばかりです。
2010年3月No.2 天才棋士デビュー
年 末頃に、文化的な趣味も持たねばと一念発起し、将棋盤、駒、そして、将棋ソフトを購入しました。本によると、将棋は序盤、中盤、終盤、詰めと展開するとの こと。上達するには、序盤をしっかりと駒組みできるようになるためにある程度の定跡を勉強し、かつ、詰めを会得するために詰め将棋も勉強する必要があるら しい。
パソコンソフトと将棋対戦 (中レベルで)をやっているうちに分かった事ですが、将棋ソフトは序盤はとても強いのですが、詰めのところでもろい時があります。これは負けそうだと思っ て、徹底的に攻めに徹して詰めているうちに、ソフトがミスをして勝つ事があるのです。考えてみれば、将棋の序盤はある程度、定跡が出来上がっているのでソ フトを組みやすい。しかし、詰めのパターンは千差万別です。パソコンソフトと将棋対戦をやるときには最後まであきらめてはならないというのが教訓です。負 けそうになったら攻めて攻めて攻めまくれ。そうすると、そんな対応をプログラムされていないソフトはミスとする・・・かもしれません。
先日、NHK杯将棋準決勝で渡辺竜王と糸谷五段の対戦をやっていました。大幅に放送時間が余るほどの糸谷五段の圧勝でした。正直、本当に驚く内容でした。天才棋士、糸谷五段が全国放送で日本の将棋ファンに糸谷ワールドを見せつけた瞬間です。
糸谷五段はプロ棋士として初 めて国立大学(大阪大学)に合格した人です。東大卒業者などがプロ棋士になった例はあるが、プロ棋士という既にプロの勝負の世界にかけている人が国立大に 合格するのは始めてとのことです。しかも、推薦入学ではなく、一般入試での合格です。現在、プロ棋士と大学生という二足のわらじで、大学では哲学を勉強し ていると言います。
将棋の世界は実力のみの世界、学歴無用の世界です。しかも、小さいときから奨励会入りしてプロを目指し、プロになれば多くの対局に勝ち残りをかけねばなら ない厳しい世界です。棋士は皆ずば抜けて頭のよい人ばかりだとは思いますが、学歴的には、大学に行く暇などない人ばかりだと思っていました。米長棋士は、 「二人の兄は頭が悪かったので東大に行った」と名言を吐きました。・・・糸谷五段の全国デビューは、将棋界に新たな革命を巻き起こしそうな雰囲気です。
2010年4月 豚と再生医療
先月末、テレビをつけると、ちょうどNHK スペシャルの最中。一般の米国人を取材している場面で、何やら、事故で切断した中指に妖精の粉をかけると中指が生えてきて、まったく元通りになったという 話しです。今こまっているのは、爪が他の指よりも早く伸びることくらいだと言っています。・・・びっくりして見ていると、最先端の再生治療の話し。まだ実 験レベルらしいですが、米国の軍隊ではこの再生治療が最優先の課題で取り組まれているらしい。指を失った人や、脚の筋肉を失った人の回復事例が紹介されて いました。この妖精の粉というのは、豚の膀胱から作ったものだそうです。これを指の切断箇所などに振り掛けると、そこに患者体内の幹細胞が集まり、損傷箇 所の再生を始めるという夢のような本当の話です。
次々にまったく初耳の最先端事例が出てくるので驚いていると、今度は豚に人間の肝 臓を作らせるという話しです。もちろん、人間への移植用です。子豚の肝臓を切除し、そこに人間の幹細胞を移植すると、豚の体内で人間の肝臓が再生されると 言うのです。これは日本の自治医大で研究されている話し。すでにラット実験では実証済みのプロセスだそうで、5年以内に人間の肝臓再生に目途をつけたいというような話しをされていました。
ちなみに、豚の肝臓は人間の肝臓と大きさが近いので、この種の研究では豚が良く使 われるのは有名。つい先日、日本橋の豚肉専門レストランで食事したばかりなので、これからトンカツを食べるときには豚への感謝の気持ちを忘れないようにと 思い直しました。・・・しかし、よくよく考えてみると、これはすごいことです。子どもの時に自分の幹細胞を冷凍保存しておき(幹細胞は若い時のものの方が 効果が高い)、将来、新しい臓器が必要になったら、その時に、豚に協力をお願いすれば良いのです。豚か牛かは別にして、肝臓で可能になれば、腎臓だって、 あるいは心臓だって可能でしょう。将来、各家庭で、つねにスペア臓器用の豚が飼われているなどという未来もあり得ない話しではないのです。
しかし、ここまで来ると、若干、神の領域に足を踏み入れた気もします。臓器レベル であれば豚で済むかもしれませんが、人間の欲望は際限のないものです。思い浮かぶのは、映画「アイランド」で登場した、スペアとしてのクローン人間の世界 です。・・・そして、テレビは、この映画を思い起こさせる「救世主兄弟」の現実へと話しが進みます。難病を抱えた子どもを救うために、同じ免疫機能を持つ 新たな子ども体外受精で生むという現実の話しです。(続く)
2010年4月N0.2 救世主兄弟
救世主兄弟・・・私はNHK スペシャルを見るまでまったく知りませんでした。一言で言うと、難病を抱えた子どもを救うために、同じ免疫機能を持つ新たな子ども体外受精で生むという現 実の話しです。テレビで紹介されたのは、治癒不可能な血液疾患を持つ子どもです。確か、治療には骨髄移植が必要なのだが、移植適合の割合は1万分の1とか で、現実的には、治療不可能な状態だったそうです。で、どうしたかと言うと、医師が提案したのは、その子どもと免疫機能が合致する子どもをもう一人生みな さいということです。つまり、体外受精で、受精卵の免疫パターンをすべて検査し、病気の子どもと同じ免疫パターンを有する受精卵のみを選んで、体に戻すと いう仕組みです。生まれてくる子どもは、病気の子どもとまったく同じ免疫パターンを持つことになるので、この二人の子どもの間では、骨髄移植のみならず、 すべての臓器の移植が可能になります。
救世主兄弟として生まれた子どもに、お姉さんのために、骨髄移植で骨髄細胞を提供してくれと言うのならまだ理解できるし、肝臓は再生機能があるのでその一部を提供してくれと言うのもまだ何とか理解できます。しかし、子どもに、腎臓は2 つあるので、その一つをお姉さんのために提供してくれというところまで来ると、大きな疑問を感じざるを得ません。すでに、世界には救世主兄弟が200人以 上生まれているそうです。英国ではこれが問題になり、血液関連の治療目的以外の救世主兄弟は法的に禁じられているそうです。ちなみに、アメリカでは何の法 的規制もありません。もちろん、日本にも何の規制も、何の議論もありません。
救世主兄弟・・・いったい誰が訳したのでしょうか?英語では、Savior Siblingと言うそうです。Siblingは兄弟。Saviorは“救助者、救い手、救済者、救い主”の意味で、“救世主”を指す場合もあります。しかし、アメリカで救世主と言えば普通はイエス・キリストを指しますから、Savior SiblingのSaviorが救世主を意図していたとはとても考えられません。死から復活(再生)したキリストは、兄弟の死を救うために人工的に生を受けたこの救世主兄弟の存在をどう思っているのでしょうか?
NHKスペシャルを見た後、私は自分の臓器移植カード(すべての臓器移植に印をつけています)を取り出し、自筆で“人工的な延命処置はいかなるものも禁じる”と書き込みました。週末は、久しぶりにツタヤで「私の中のあなた」を借りてこようかと思います。白血病の姉のドナーとして遺伝子操作で生まれてきた妹が、姉の犠牲となりつづけ、13歳の時、姉への腎臓移植を拒み、両親を相手に訴訟を起こすという2009年の映画(キャメロン・ディアス)です。原作が2004年というのには驚かされます
2010年5月 三次元時代の幕開け
先日、“アリス”の3次元映画を見に行っ た。もちろん、3次元のディズニー映画を見に行ったのであって、アリスを見たかったわけではない。アバター、そして、アリスと3次元の大型映画が続くと、 もう映画は3次元時代に突入したと言える。そして、テレビもあっと言う間に3次元が当たり前になりそうな感じだ。
「欲しいものを買う(・・・が欲しい!)」という考えは、際限がない、つまり、い つまで経っても満足の境地が得られない考え方だと少しだけ悟った私は、最近は、「必要なものを買う(・・・は必要だろうか?)」という考えに切り替えるよ うに心がけている。と言うわけで、必要を感じていないデジタル・テレビは最後の最後まで買わないことに決め、未だにアナログを見ている。とりわけ、価格引 下げスピードの激しい家電製品などは、必要がなければ、ある程度、待つ方がよい。
さて、デジタル・テレビを買い控えているうちに、3 次元テレビの登場である。これは待ったかいがあったかもしれない。今は、心から3次元テレビが馬鹿売れし、早くエクスペリエンス効果を出して欲しいと思っ ている。えっ。3次元テレビが必要か?・・・それは必要でしょう。デジタルの世界はすでにパソコンで経験済みなので必要は感じないが、やはり、3次元のゴ ルフ番組やサッカー番組は経験しないと駄目でしょう。
3次元と2次元の違い?それはもちろ ん、圧倒的な情報量の違いだ。1次元で伝える情報量が10だとすると、2次元で伝えられる情報量はその2乗、100。3次元だと3乗になるので、 1,000。この違いは大きい。例えば、プレゼン用のスライドを作る場合、スライドに文字を箇条書きするのと比べ、二次元のグラフで表現すると、2乗倍の 情報を伝える事ができる。更に、3次元の立体グラフで表現すると、元情報の3乗倍の情報を伝える事ができる。実際に、プロのコンサルタントのプレゼン・ス ライドはほとんどすべてのページが表やグラフの2次元情報で表現される。箇条書きのスライドなどは30枚のスライド・レポートに1枚あるかないかだ。
ただし、3次元となると伝える情報量が多くなる分、作り方が難しくなる。非常に頭のよいコンサルタントの友人が3次元のグラフをさらさら描いているのを見て驚いたことがある。私にはそんな芸当は無理だ。
話はもどって、先日、知り合いが2 次元のアバター(DVD)を借りて見たがそんなに面白いとは思わなかったと言っていた。同感です。アバターのすごいのは内容ではなく、3次元の編集技術。 映画で時々、めがねをずらして見ると、丁寧な編集に驚かされます。しかし、アバターの方がアリスよりはずっとましだ。アリスは、慣れるまでの最初の30分 間、かなり目が疲れた。特に字幕はしんどい。3次元効果を激しく使いすぎなのでしょう。(この点、テレビ場番組の3次元化にあたってはぜひ公のガイドライ ンで規制した方がよいと思う。)内容的にも、原作(不思議の国のアリス)のファンタジーな世界を期待している人には期待はずれ。想像力の湧かない戦いの映 画になってしまった。しかし、それにしても、アバターと言い、アリスと言い、タイタンの戦いと言い、3次元を売りにした映画はどれもこれも戦いだらけ。3 次元映画そのものは素晴らしいが、3次元映画の作り方という意味ではまだ先は長そうだ。
2010年5月No.2 往復はがき
先日、将棋雑誌の問題回答を往復はがきで送った。往信のあて先は日本将棋連盟、返信のあて先は私自身である。投函して2 日もしないうちに、その往復はがきが切り離されないまま私の元に配達されてきた。「これはしまった。往信と返信を逆に書いてしまったか」と思い、じっくり とあて先を調べてみた。しかし、どうみても私の書き方に間違いはない。そもそも性格上、私はこういう凡ミスはほとんど犯さない人間である。
あ ろうことか、投函した往復はがきが間違えて返信のあて先に配達されたのである。とても信じられない。郵便局が往復はがきの往信と返信を間違えて配達したの だ。こんなこと、生まれて初めての経験である。官製の往復はがきは、往信面と返信面では印刷された切手の色を変えて間違いが起こらないようにしている。郵 便局で郵便物の仕分けをしているプロは今までに恐らく膨大な量の往復はがきの行き先を仕分けしてきたに違いない。そういう人がなぜこんなミスを起こすのだ ろうか?・・・もしかしたら、その仕分け人は前日、子どもが急病になり看病で寝不足だったのかもしれない。あるいは、当日の朝礼で、今年は不景気のために 給与はベアゼロだと申し渡されたのかもしれない。人生に苦労はつきもので、ミスはつきものである。
この話を妻にしたところ、彼女が言うに は、「それはひどい。でも、普通は、配達の人だって気づきそうなものよね。往復はがきを配達するのだから、配達人だって、どっちに配達するかあて先を チェックするでしょう。切り離されていない往復はがきを返信先の方に届けるなんて配達する人だったらすぐにおかしいと気づくはずだ。」・・・しかし、もし かすると、その配達人は前日、高齢の親が入院し、その世話で寝不足だったのかもしれない。あるいは、前日、財布を落とし、そのことで頭がいっぱいだったの かもしれない。
翌 日、その往復はがきを購入し、投函したポストがおいてあった某郵便局にその往復はがきを持っていった。「今後このような初歩的なミスは絶対に起こさないよ うに徹底して欲しいという」という心からの善意のご忠告と、無駄になった往復はがきを新しいものに代えてもらうためである。
た またま出てきた窓口のおばちゃんはひたすら申し訳ありませんでしたとの言葉。しかし次に、所定の用紙を私に渡し、住所氏名を記入してくれと言う。よく見な かったがどうも苦情表のようなものだった。誤配のはがきを渡しているのだから、それを書き写せばよいのにと思ったが、むかつく気持ちを抑え、民営化された とはいえ所詮はお役所仕事と割り切り、素直に応じることにした。そして、新しい往復はがきを下さいと言ったところ、な、な、なんと、「この消印は世田谷郵 便局の消印で、仕分け業務はそちらでやっており、実際のミスはそちらの責任になる。ここは投函されたはがきを世田谷郵便局に持っていくだけ。したがって、 そういう要望は世田谷郵便局に言っていただくしかない」との言葉。ちょっと待って。「何のために私はここで苦情表に氏名を書かされたのだ!」さすがの私も 堪忍袋が切れかけたところで、ただならぬ雰囲気を感じ取った若い女性がさっと出てきて、申し訳ありませんとすぐに代わりの往復はがきを持ってきた。
私は、その時初めて、その若い女性がい かにも正社員風で、それまで対応していたおばちゃんが契約社員風なことに気づいた。・・・そうか、もしかすると世田谷郵便局で郵便の仕分けをしていた方 も、配達をした方も契約社員だったのかもしれない。もしかすると、正社員と比べはるかに安い給料で、将来の不安で頭がいっぱいだったのかもしれない。
2010年6月 2つでいくか、3つでいくか
つい先ほど、ネットで注文していたiPad がついに届いた。Ipad(WiFi)は、16ギガ(48.800円)、32ギガ (58.800円)、64ギガ (68.800円)と容量により、3つのタイプを選ぶ事が出来る。プロに聞くと、価格の差は納得できる範囲で、動画などをよく見るのならば64ギガがお勧 め、そうでなければ16ギガで十分。32ギガは中途半端なのでお薦めしないという話だった。
で、結局、私は32ギガを購入した。なぜ?・・・プロならば目的に応じて必要なスペックを購入すればよいかもしれないが、私は素人だ。松竹梅から選べといわれれば、竹を選ぶのが人情だろう。分かってはいるが、これに抵抗するのは難しい。
プラスとマイナス、陰と陽、右と左、作用と反作用、長と半、アメリカとソ連・・・2という数字には対立概念の緊張感あふれるバランスを感じる。180度向かいあったリニアーな(直線的な)対立であり、やじろうべえのような危険がいっぱいのバランスだ。大きな緊張感は存在するが、危険いっぱいとも言える。
一方、3 という数字には、2にはない、柔らかな(平和な)バランスがある。2が直線的であるのに対し、3は最小のネットワーク単位だ。2には勝つか負けるかしかな いが、3には多数決という解決もある。しかし、バランス感はあるものの、2のような緊張感には欠ける。ある意味、妥協的バランスに陥るリスクもある。
こうして考えると、2 の戦略でいくのか、3の戦略で行くのか、これはとても興味深いテーマだ。2の戦略は単純で実行しやすいし、緊張感や高揚感を持たせることができる。しか し、バランスをとるのが難しい。3の戦略は複雑だが、上手く管理すれば非常にバランスのとれた固い成功をもたらす。しかし、気を抜くと、緊張感のないもた れあいに陥る。
例えば、自動車。今、フォードの乗用車カーライン(グループ・ブランド)は、ボルボを除けば、フォード、マーキュリー、リンカーンの3 つである。GMも、ビュイック、キャデラック、シェブロレーの3つである。一方で、トヨタは、トヨタとレクサスの2つだ。現在のフォード、GMがバランス 重視の固い戦略をとったのに対し、トヨタは高リスクの戦略に見える。実際、トヨタかレクサスかの二者択一的的戦略は、米国市場で大きな成功をもたらしたも のの、日本でのレクサスは大苦戦だ。危険に満ちたバランスである。
英国民は、保守党か労働党かの2つの戦略ではなく、自由民主党を加えて3つの戦略を選ん だ。日本では、民主党は社民党、国民新党の3つの連携内閣をとっていたが、2つにせざるを得ない状況になった。小沢派か反小沢派かという2つの発想は、緊 張感を盛り上げるのには役立つが、危険にあふれている。2つで行くか、3つで行くか・・・それが問題だ
2010年6月No.2 iPad恐るべし
iPad を実際に使ってみて1週間強経った。これはなかなか使える。仕事にはやはりラップトップが必要だが、家の中で寝そべって将棋ゲームをしたり、ちょっとネッ トで調べ物をしたり、本を読むには最高だ。また、ネットでほんのちょっとした調べものをする場合、今までパソコンでブラウザーを立ち上げるのに1分以上か かったことを考えると、この素早さはすごい。
特に新聞を読むのに老眼鏡が必要な歳になると、文字の拡大機能は実にありがたい。はっきり言って、新聞はiPad で読む方がよい気さえしている。今定期購読中の雑誌も含め、iPad版が登場したら、ぜひ切り替えを検討したいと思う。単純に紙をデジタルに置き換えただ けのものを読んでもそう思うのだから、iPadを前提に編集したものが出ると、少なくとも新聞・雑誌に関しては、紙はとても太刀打ちできないだろう。要 は、ハリーポッターに出てくるような写真が動く新聞になるのだろう。実にわくわくしてしまう。あと10年もしないうちに、昔は、新聞は紙で読んでいたのだ よと孫に話す時代が来るに違いない。
本に関しては、まだ、ちゃんとした本をiPad で読んでいないので何とも言い難い。しかし、文字の拡大機能や物理的に場所をとらない点だけをとってみても素晴らしい。私の場合、仕事柄、月に数冊、英語 原書をアマゾン・ドット・コムで購入し読んでいる。本代は安いのだが、運送費が高くつく。結局、一冊だけの購入では運送費がもったいないので、あまり読ま なさそうな本もついでに購入してしまう。最近出た本はキンドル版で売っているものもかなり多くなったし、無料ソフトをインストールすればキンドル版の本も iPadで読めるので、これはありがたい。おそらく、今後、原書購入に支払う運送費は半額になるだろう。
ただし、本は、新聞・雑誌と比べれば、生き残るとは思う。本の持つあの厚み感、厚みがもたらす読書の達成感のようなものや、感覚的に確かこのあたりに記述していたというアバウトな検索感覚は実に捨て難い。もしかすると、パソコン/ワープロの反動として書道ブームが起こったように、電子書籍の反動として、紙の読書ブームが起こるかもしれない。
PC と比べて、iPadには物理的なキーボードがない。マーケティング上、iPadの最大の特徴を挙げるならば、私は、キーボードのないことと、文字の拡大表 示機能をあげたい。この二つの特徴は、老眼鏡の必要な高齢者世代、そして、キーボード・アレルギーの強いおばさん世代を、あっという間にデジタル時代に取 り込んでしまうだろう。新聞・雑誌・本の出版社は要注意だ。出版社の経営陣はすぐにiPadを購入し、その衝撃を身近で感じた方がよい。一言で電子書籍と 言っても、iPadとPCは別物である。とりわけ、裾野の広がりはまったく違う。
iPadの使い方を妻に説明したところ、PC嫌いの妻にまったく抵抗感がない。結局、妻用にもう一台注文する事にした。iPad恐るべし。
2010年7月書画カメラ
私は、企業向研修では“書画カメラ”を使うようにしている。紙を表に置いて、上からカメラで映写する機械だ。文書をその場で添削し、その様子をリアルタイムで参加 者の方に見ていただくためには欠かせない。厚い本や、台の上に載せた立体物も写せるので、使いようによっては実に便利な代物である。この書画カメラの過去 数年の技術進歩が実に激しく、とても興味深い。
つい数年前まで、書画カメラと言えば、原稿台や照明装置が一体化した、一台20 万円以上する大掛かりなものが中心だった。しかし、これでは値段が高すぎるだけでなく重過ぎてとても持ち運べない。そのうちに、そこそこ持ち運べる軽量型 が登場したが、まだカメラからの出力はS端子などを使うビデオ出力が中心で、解像度が今ひとつだった。詳しくは知らないが、当時、書画カメラで市場リー ダーだったのは恐らくはエルモ社(日本)で、どの企業に行っても登場する書画カメラは皆、エルモ社製だった。かなりの市場占有率を誇っていたに違いない。
約一年前、私の研修実施のためにわざわざ書画カメラを購入したというある米国系企業に出くわした。しかし、その書画カメラはエルモ社製ではなく、台湾のAverMedia 社製のものだった。担当者の話によると、出回っている書画カメラをつぶさに研究した結果、これがベストだったという。確かに、一段とポータブルで、カメラ 出力もRGB方式になっており、従来の大型機械が時代遅れのウスノロ恐竜に見えるほど素晴らしい解像度である。しかも価格は8万円台にまで下がっていた。
書画カメラは未だに企業ではポピュラーではなく、私の研修のためにわざわざレンタルしてくれる企業も多い。しかし、レンタル料だけで2、 3万円するという。これは申し訳ない、機は熟したと考え、私もポータブル型のものを購入することにした。昨年秋のことだ。価格・解像度・持ち運びやすの3 要素で、各社製品を検討した。検討はとても簡単だった。少なくともその時点では、三要素共にダントツでAverMedia(台湾製)の最新型がベストだっ たからだ。聞くところによると、内田洋行を販売代理店として学校向けに売り込んでいると言う。価格は6万円台にまでなっていた。
この重さ1 キロもない書画カメラは実によく活躍してくれている。私が昨年購入したものの中のベストバイだったかもしれない。ところが、先週の研修では、初めて、エプ ソン社製のポータブルタイプの書画カメラにお目にかかった。これもなかなかの解像度である。聞くところによると、価格は5万円台だという。いろいろの分野 で熾烈な技術革新競争が進行しており、そこには必ず日本以外のアジア企業が絡んでいる。
2010年8月 アップル晴れのち曇り
先日、iPadをべた褒めしたが、ちょっと早すぎたかもしれない。確かに、iPadを経験するにつれ、ビューワーとしての優れた機能と能力には驚かされる。ビューワー機器と割り切れば、やはりiPadは秀逸である。
しかし、iPad Wi-Fi型の無線LANのトラブルは何とかして欲しい。購入してほどなく、無線LANがiPad立ち上げ時に自動的につながらないというトラブルが続出 したのだ。しかも、これは私のiPadの問題であり、妻のiPadは問題なくつながっている。同じ環境で、同じ型のiPadなのに私の方だけに問題が出た のだ。これは深刻かもしれない。
システムのプロの知り合いに尋ねたところ、そのプロの持っているiPad (Wi-Fi)もまったく同様の状態で困りきっていると言う。ウェブを覗いてみると、無線LANが切れるというクレームや問い合わせがわんさかとある。い ろいろ予想される原因は挙げられているものの、アップルを含め、どれも決め手となる解決策は示されていない。要は真の原因がよく分からないらしいのだ。実 際、私の周りに、まったく問題がないという人も何人もいた。
考えた挙句、「B フレッツ光ルータ+安物の無線LANルータ」という無線環境を「Bフレッツ光ルータに専用LANカード」を差込み、LAN周りの機器を一体化させた上、セ キュリティをWEPからWAPに変更することにした。ここまでくれば、かなり王道的なLAN環境だと思う。しかし結果から言えば、逆にLAN接続の切断は 以前にもましてひどくなった。
この問題に直面している最中に、iPhone-4のアンテナ問題が大きな話題となった。iPadといい、iPhoneといい、アップルはアンテナ関係の技術に何か構造的な弱みがあるのではないかと勘ぐりたくなるような出来事の続出である。もう一言、素人の私にとっては、NTT光ルータの無線LANに関する説明書の分かりにくさといえば、今までに読んだ説明書の中でも最高ランクの分かりにくさであった。
結局、接続が切れないように無線LANの出力を強くするしかないという単純な結論に達し、NTT無線LANカードを返却し、バッファローの最高出力無線LANを新たに購入。ようやく問題が解決した。今年の夏は本当に暑い。
2010年8月No.2 本当のサングラス
歳を取るにつれて眼の疲れがひどくなってきた。という わけで、先日、サングラスを新しく買い求めることにした。以前、このコラムでも解説したことのあるタレックスのサングラスだ。メーカーのタレックス光学工 業は大阪生まれの中堅企業で、サングラスなどに使用される偏光レンズの専門メーカーである。タレックスのサングラスと言えば知る人ぞ知る存在で、サングラ スの偏光レンズではその技術は世界一と言われている。自信に満ちたキャッチ・コピーは、“ほんとうのサングラスをかけたことがありますか?”である。
さて、このメーカーの売り方 には頑固一徹さが伺える。第一にタレックスはレンズの専門メーカーなのでフレームは取り扱っていない。フレームを売らないサングラスのレンズ・メーカーが 他にあるのかどうかは知らないが、レンズ一筋の精神は筋金入りだ。しかし購入は面倒くさい。基本的には、フレームを持ち込んでレンズを入れてもらうことに なるが、すべてのフレームに装着可能というわけではない。私の場合、昔から使用しているお気に入りのレイバンのレンズを入れ替えてもらおうと思ったが、球 面測定の結果、難しいとのことだった。そこで、結局、その眼鏡屋さんで新たにレイバンのサングラスを購入し、もったいないが、そのレイバンのレンズをタ レックスのものに入れ替えてもらうことにした。ただし、値段は、私の購入した度なしのタレックス・レンズが1万3千円程度。レンズ自体の値段は思っていたよりはるかにリーズナブルだった。
もう一つの頑固な売り方がタレックス認定プロショップ制度である。要はそこでしか買えないのだ。レンズのみを売るとなると、レンズとフレームの調整などい ろいろ難しい技術も必要だろうから、この制度自体に文句はない。しかし、あまりにもこのショップの数が少ない。東京23区内では、わずか8つの店舗でしかタレックスを買えない。私の故郷である福岡市ではわずか一店舗、福岡県全体を見ても、北九州市と行橋市を入れてわずか3店舗しかない。
私は考えた。経営コンサルタントとしてならば、おそらくはショップ数を2、 3倍に増やすことを提案するだろう。少なくとも、大手の百貨店くらいでは売ってもよいのではないだろうか。今の評判からすれば間違いなくそれくらいの市場 はあるだろうし、高齢化の現状からみれば市場が減る事は考えられない。ショップ網を拡大することにより、宣伝・広報、小売店教育などももっと効率化・標準 化できるはずだし、何より消費者が買いやすくなる。私をコンサルタントに雇えば、あっと言う間に売上げを倍にさせるくらいの自信はある。
しかし、一方で、こうも考え た。こういう頑固なへそ曲がりの会社が一社くらいあってもよいのではないか。結局のところ、“ほんとうのサングラス”を欲しいと思えば、レンズとフレーム を別物として考えるのは当然のことだ。レンズとフレームを一緒のものとして売っている現在のサングラス流通が問題を抱えているのであって、最後に生き残る のはもしかすると別売りのシステムの方なのかもしれない。また、結局のところ、“ほんとうのサングラス”を欲しいと思えば、23区内で8箇所も購入可能な場所があれば十分なのかもしれない。それくらいの面倒臭さをいとわない心の準備を消費者に求めるのはむしろ当然のことなのかもしれない。売上げを伸ばすことだけが、会社を大きくすることだけが経営ではない。
・・・で、タレックスはどうか?今まで、レイバンのサングラスで、屋外に居るときに、雑光というか、レンズ上の光のギラツキが時々気になっていたのだが、それがまったくない。本当にまったくない。掛け値なしに満足しております。
2010年9月 カマアイナ・レート
先月、妻とホノルルに行ってきた。休暇というよりも、国際結婚をして5 月からホノルルに移り住んでいる次女に会いに行くのが目的だった。一年ぶりの再会である。そうでもなければハワイに行くことなど考えなかっただろう。ハワ イは10数年ぶり二度目の訪問で、さほど馴染みのある場所ではない。訪問回数で行けば、ニューヨークの方がずっと多いし、西海岸の方がハワイよりは多い。 そもそもが、海外旅行といっても今までは仕事中心だったので、これも当然のことだ。
久しぶりのハワイは実に快適だった。前回の訪問は12 月だったため、単に暖かいとの印象だけだった。しかし、今回は日本全土が酷暑に見舞われている中での旅行である。ハワイの方が東京よりも温度が低く、その 上、乾燥しており、かつ、心地よい風がある。しかも、今回気づいたことだが、独特の潮の香りと感覚がある日本の海辺と比べ、ハワイの海辺にはそれがない。 海岸沿いにいながら、海を感じさせないさわやかな空気である。8月であるのに、ホテルの部屋ではずっとエアコンを切ったままだった。
今回はこれと言った予定なし ののんびり旅行だったが、娘の旦那の誕生日祝いをこめて、皆でコ・オリナにあるパラダイス・コーブに出かけた。オアフ島の中で私がもっとも気に入っている 観光スポットである。どういうわけか、日本のガイドブックでは余り紹介されておらず、実際に日本人観光者も非常に少ない。とてもアメリカンな観光スポット である。
現地で予約したのだが、入園料(食事・ショーつき、送迎なし)が確か70 ドル弱。しかし、ハワイ住民であれば、40ドル以下だ。しかも、ハワイ住民一人につき、他3人までにそのハワイ住民料金が適用される。つまり、「住んでい る人にはもちろん還元しますよ。できれば、お友達をたくさん連れてきてください」という料金設定である。私も知らなかったのだが、実は、ハワイにはカマア イナ・レートという地元住民割引制度があり、ゴルフ場、ホテル、レストラン、各種施設の利用料金がディスカウント料金で提供されている。物価高になりがちの観光地ではありがたい住民優遇制度だ。
しかし、なぜ日本ではこのよ うな仕組みがないのだろうか。正直な話し、東京に住んでいて高い住民税を払いながら、都民特別料金というものにも、世田谷区民料金というものにも、ついぞ お目にかかった事がない。自宅近くにある世田谷美術館は、東京都立砧公園の中に立つ、世田谷区立の美術館であり、名前にあるように“世田谷”への地域密着 を強調している。しかし、現実には、都民料金もなければ区民料金もない。税金を支払っている住民に感謝する気持ちも見えなければ、お友達や親戚を連れてき てくれという努力の気持ちも見えない。典型的なお役所仕事としか言いようがない。要は何も考えていないのだ。
今回、気候、風土、サービスすべてをとって、ハワイは世界の観光地だと感じた。沖縄も好きだが、やはりレベルが違う。とくに、観光で生きるというサービスへの意気込みと姿勢と住民への配慮に大きな違いを感じた。
2010年10月 将棋三段
先週、日本将棋連盟から三段の免状を頂いた。昨年末に将棋をやろうと思い立ち、今年末までに段位取得を目標としていたので、まずは目標達成である。
さ て、将棋の段位を取得するにはまず資格をとらねばならないが、今は、新聞や雑誌やネットなどで資格取得できるのでそれほど手間はかからない。取得に手間が かからなくなったということはレベル的にも取りやすくなったということだ。正直、私自身のことを言っても、いわゆる“三段”というイメージから受ける実力 ではありません。とはいっても、所詮、履歴書の趣味の欄で書く以外にはほとんど意味のない努力認定なので、もともと段位がどうのこうのということ自体に意 味はない。
資格を取得すれば、日本将棋連盟に費用を支払って免状申請することになる。最大の難関がここだ。つまり費用だ。初段の申請は31,500円、二段が42,000円、三段が52,500円である。この費用が高いか安いかは議論の分かれるところだが、三段の免状を申請するのに5万円以上支払うのは正直ちょっと考えてしまう。くりかえすが、自己満足以外の価値はないのですから。
届いた免状は上質の和紙に墨書きのもので、三つにたたんで木箱に納められていた。5 万支払ったのだから、どちらかと言えば木箱よりも額入りを欲しかったのだが、同封されていたのは額購入希望者の振込用紙だった。免状は横長の独自サイズな ので通常の額には入らない。加えて、期間特典ということで漆の箸2組が同封されていた。なかなか良さげなものだったが、よく見ると、上部に目立つ文字でそ れぞれ“名人”、“竜王”と入っている。うーん。いったいこれを誰が喜ぶのだろうか。いくら将棋好きの人でも困る代物である。少なくとも、名人や竜王が 入っていなければ喜んで使うのだが・・・。
何 万円も払って段位免状を申請した人は、将棋にそれなりの興味を持った人で、恐らくはこれから何冊も将棋の本や雑誌やソフトを購入し、ちょっと良い将棋の駒 を買い、あるいは、お金を出して対局を見に行くかもしれない人たちである。どうも将棋連盟はこの宝の山の存在を理解していないらしい。いろいろネットで見 ていると日本将棋連盟も経営改革論議が盛んらしいが、さもありなん。なにしろ、連盟役員の全員がプロの将棋指しで、経営に通じた人など一人もいないのだ。 当然といえば当然だが、マーケティング的に言えば実に勿体ない。
さて、送られてきた免状とこの箸を見て、正直なところ、5万円は高かったかなと思った。しかし、免状をよく見ると、米長連盟会長のほか、羽生名人と渡辺竜王の署名があるではないか。米長会長の署名はそれほどではないが、この二人の直筆署名を見てこの価格に妙に納得。日本将棋連盟にこの心理がお分かりだろうか。
2010年10月第2号 一円を笑うものは・・・
男という 者は一円玉を持ち歩きたがらない。一方で、一円玉だけを貯金箱に集めて寄付するというのもいかにもしみったれている。というわけで、自宅の小銭入れにはつ ねに一円玉が貯まっていくことになる。貯まる一方の一円玉を見て、ある日、なるべく一円玉も持ち歩くように決心した。
先日、ある買い物をした時のこと。レジの端数が3 円のとき、ポケットの中に1円玉が2枚だけあった。結局、お釣りで、5円玉と2枚の一円玉をもらい、ポケットの中の一円玉が4枚に増えることになった。こ ういう事が2日連続で続いた次の日、コンビニでまた同じ事が起きた。私はつい「えっ。また、一円だけ足りないのか!」とポケットの一円玉を見ながらつぶや いた。しかし驚いたことに、それを聞いたコンビニの店員が「いいですよ。一円はおまけしておきます」と言ったのだ。
以来、私はもう一つの決心をする事にした。出勤前に、5 円玉1枚と1円玉4枚をつねにポケットに入れることにしたのだ。こうすれば、一円足りないとがっかりすることはなくなる。値段の端数が9円だったりする と、ヤッタという気分。その日は大吉である。私の密かなおみくじだ。ただし、効果抜群で、今や逆に一円玉不足になってしまった。
この話を若い人にしたところ、「いや、私はおサイフケータイなので、一円玉は貯まりません」とあっさり言われてしまった。・・・携帯までなら何とかついていけるのだが、“ケータイ”となると正直、世代間ギャップを感じてしまう。
大 きな世代間ギャップを感じながら会社の近くにあるピカソ(ドンキホーテの姉妹店)で買い物をしていると、そこはドンキ特有の旧世代的アナログ世界であり、 おサイフケータイは使用不可。ところが、レジ机には一円玉をたくさん入れた蓋のないビンが置いてあり、端数の支払いに自由にお使いくださいとある。・・・ 「一円に笑うものは一円に泣く」という言葉は、日本でも死語になってしまった。
2010年11月 ハイ・ロー vs. エブリデー・ロー
スーパーなどの小売店は、ハイ・ロー型の小売店(目玉商品などを設け、価格にメリハリをつけて売る店)と エブリデー・ロープライス型の小売店(つねに最善の安値を提供する店)に分けることが出来る。昔、どちらのタイプが儲かるかという実験がシカゴ郊外のスー パーで行われた。ちなみにこうした実験は他の影響要因を排除しないと客観的な結果が得られないので、かなり難しい。
実 験の結果は「どちらとも言えない」ということで終わったそうだ。ハイ・ロー型の場合、目玉商品のチラシ広告などで客寄せが出来るのだが、エブリデー・ロー プライス型の場合、その店がエブリデー・ロープライスであるというイメージをしっかりと客に植え付ける必要がある。エブリデー・ロープライスの実現は勿論 のことだが、顧客に対するイメージ確立に予想以上の時間とコストがかかるということで、このコスト測定が難しかったようだ。
一 年前の冬、会社のエアコンが壊れたときのことだ。エアコンというものはやっかいなもので、一番必要な時、つまり、一番頑張って動いている時(暑い夏や寒い 冬)に壊れてしまう。この時もそうだった。部品が届く数日間、管理会社からはすぐに予備の暖房機が届いたが、それでも足元が寒い。というわけで、足元用に とりあえず安い電気ヒーターを買うことにした。
会社(三軒茶屋)近くのピカソ(ドンキホーテ姉妹店)で見ると2,000 円の電気ヒーターがあった。これで十分に事足りると思い、他の買い物の帰りに買おうと駅近くの西友に出かけた。念のために、そこの電気品売り場もチェック してみると、ナント、同じ製品が1,500円で売っていた。わずか500円の差と言えるかもしれないが、%で言えば25%もの違いだ。
以前から、ドンキは商品に よってはそれほど安くないという漠然とした思いがあったが、その思いは確信になった。しかし、だからと言って、ドンキで買い物をしなくなったかと言うとそ うでもない。客にとって、ハイ・ロー型小売のメリットは得な買い物をした時の喜び、つまり、ショッピングの楽しさだ。ドンキにはそれがある。
一方で、今まであまり縁のなかった西友は本当に見直した。正直、この西友はつい2 年ほど前までは、品揃え、接客、陳列、どれをとってもひどかった。しかし、2年ほど前に改装後、ようやくウォルマート的になってきた。レジ待ちの行列の長 さは何とかして欲しいが、それ以外は◎をあげたい。結局、私の西友へのイメージを変えるのに、やはり、改装後、1年近くがかかっている。ハイ・ローを追求するか、エブリデー・ローを追及するか、中途半端は駄目ということだけは確実な気がする。
2010年12月 ネットショップのイメージ
前回、エブリデー・ロープライス型の小売の場合には、つねに安値を提供する店だというイメージ作りにそれなりの投資と時間が必要になると言う話をした。ネット・ショッピングの場合には値段の比較が容易であるだけに、このイメージ作りはより重要である。
半 年前のこと、使っていたネットワーク型プリンターがそろそろ寿命を迎えたので買い換える事にした。そのプリンターには結構満足していたので、今度も同じエ プソンにしようと、まずはエプソンの新型機をネットで調べ購入機器のタイプを決めた。出たばかりの新型機である。オープン価格なので価格はバラバラだ。
ま ずエプソンの直販ネット価格を調べるとやはりそれなりの価格である(数万円)。次に、たまたまアスクルでオフィス用品を注文する予定があったので、その機 種の価格を調べたところ、何とエプソン直販価格と同じ価格だった。当然安いと思っていただけに若干裏切られた気分である。どうも安いのは文房具だけらし い。次に楽天を調べてみたが、新製品のせいか、それほど安い価格では出ていない。ただし、エプソン直販価格よりは数千円安かった。結局、その時点で、すぐ に手に入る価格でもっとも安かったのはアマゾンだった。直販価格より1万円近く安かった。後で、友人と話をしたのだが、電気製品に関しては、ある程度信頼ができ、安いのはアマゾンではないかということで意見が一致した。家電量販店と比べると、ポイント分だけ、アマゾンの方が安くなっている感じだ。
数ヶ月前に、地デジチューナーを買おうとメーカーB 社のHPで機種チェックし、アマゾンを覗いたところ、買おうとしていたB社製品が何と販売停止中だった。そこには、「顧客アンケートで深刻な問題が指摘さ れたために、その問題についてメーカーに問い合わせ中。この問題が解決するまで当該商品の販売は停止する」というコメントがあった。アマゾンの購入者評価 を見ると、その商品は評価5点満点中の4点を越す高評価の人気商品だったが、よく読むと、「使用後数ヶ月するとリモコンがおかしくなる」というコメントが 数件あった。これを読んでいたらとても買う気がおきないという内容である。アマゾンの担当者は読んでいたのだ。えらい!この一件で私のアマゾンに対する信 頼は更にアップ。今、電気製品のかなりはアマゾン経由で買っている。
た だし、アマゾンに対してこうしたイメージを私が持ったのは最近の話である。プライス・ショッパーが多いネットの世界でこうしたイメージを築き上げるのはも しかすると非バーチャルな世界よりもはるかに難しいことかもしれない。しかし同時に、いったんイメージを築き上げる事が出来れば、おそらくその効果は現実 の小売店と比べるとずっと大きな効果をもたらしてくれそうだ。
>> 過去のひと言一覧