過去のひと言
- グローバル企業を取り巻く最大の課題は、急速に拡大する「複雑性」への対応であること
- グローバル・レベルの複雑性に、現時点では、自分の組織が上手く対応できていないこと
- この対応として、リーダーに求められる最も重要な資質はクリエイティビティであること
- ある案に対し、まず、5(強く賛成)、4(賛成)、3(どちらとも言えないが、この案で決まれば実行に協力する)、2(反対)、1(強く反対)の中から、どの立場なのかを選ばせる。(ファイブ・フィンガー・チェック)
- 全員が3以上であれば、この案で進める。
- 1や2の人がいれば、その人に、そのレーティングを選んだ説明と改善案提案の機会を与える。元々の案の提案者は、そのままで行くか、変更を加えるかを決め、説明を行う。その後、再度、ファイブ・フィンガー・チェックを行う。
- 今度は、1の人がいなければ、その案で進める。
- 1の人がいれば、再度、そのレーティングを選んだ人に説明と改善案提案の機会を与える。元々の案の提案者は、そのままで行くか、変更を加えるかを決め、説明を行う。
- 最後は、多数決。
2011年1月No.1 社員教育(その1)
あけましておめでとうございます。本年が皆様に取り幸多き年でありますように。
さて、季節感のない話で恐縮ですが、私は世田谷通りを走る民間バスを使って三軒茶屋のオフィスまで通勤しています。この路線を運営しているバス会社は、小田急バスと東急バスの二社です。二社がほぼ同数のバスを走らせています。
12 月下旬、自宅に帰るバスの中での話しです。隣に立っている中年の男女がひそひそ話しをしていました。耳をそばだてると、“この運転手は一言もしゃべらな い。次の停車駅の名前も言わないし、停車するとか通過するとかも言わない。ちょっとおかしいのではないか”という内容です。気になったので、私も運転手さ んの言葉を注意深く聞いてみると、なるほど、確かに一言もしゃべらないのです。次の停車駅の名前も言わなければ、ありがとうございましたの一言もありませ ん。すべて、社内放送任せです。何を言っているのか聞き取れないようなぼそぼそ声でしゃべる運転手さんはよく見かけますが、黙りこくった運転手さんは初め てです。当然、気になって、乗っているバスが小田急なのか東急なのかチェックしました。そもそも小田急と東急はバスの概観がそっくりですし、車内では会社 名は小さいプレートが運転手の上に張られているだけなので、どちらのバス会社なのかがとても分かりにくいのです。
仮にこのときに乗っていたバス会社(小田急か東急のどちらか)がA 社だったとします。それ以降、とてもこの事が気になったので、バスに乗るたびに、心の中で運転手さんの採点をやるようにしました。良い/普通/悪いの三段 階評価です。結果は驚くべきものでした。悪いと評価した運転手さんのバスはすべて(文字通りすべて)A社でした。一方で、良いと評価した運転手さんのバス はすべて(文字通りすべて)B社でした。“普通”評価も入れて、運転手さんの所作からバス会社占いをしても9割は当たります。もし世田谷通りを走るバスを 利用される方がおられたら、このバス会社占いをやってみてください。私の言うA社、B社がどちらを指すかがすぐに分かります。
バ スの場合、バス会社を選んで乗るということはほとんどありません。運転手さんのサービスがひどくてもすぐに収益に影響が出てくるということはないので、経 営者はこうした問題に気づきにくいのでしょう。また、バス会社の社長がバスに乗るという事もあまりないのでしょう。(少なくとも、A社の社長が自社のバスに乗っていない事は断言できます。)しかし常識的に考えると、この運転手さんのサービスの悪さは、あるいは運転手さんをはじめとする従業員教育の貧弱さは会社経営の様々な側面で影響を及ぼしているにちがいありません。
2011年1月No.2 社員教育(その2)
現在、さ まざまな会社で教育研修を実施していますので、社員教育担当の方とお話しする機会が多くあります。つくづく思うのですが、教育担当の方を見れば、その会社 の将来が見えてくる気がします。つまり、どういう人を人材育成の部署に配置するかということでその会社の人材育成への考えが見えるのです。本当にそう思い ます。
私の会社は大企業ではありま せんし、私自身が有名人というわけでもありません。したがって、私の教育研修を取り入れているお客様は、ほとんどの場合、教育担当の方が、人づての紹介や 私の書物などに興味をもって研修を採用し、内容に価値ありと判断して実施している企業の方ばかりです。言い換えると、私のお客様(お客様の教育担当の方) は、皆、能動的に人材育成に取り組んでいる方ばかりです。従来の研修内容につねに疑問を持ち、どのような研修がよいだろうかと模索している方ばかりなの で、良いと思えば積極的に採用してくれますし、方針に合わないと判断すれば研修計画から外すということになります。つねに真剣勝負です。
もちろん、セミナー会社に人材育成プログラムを丸投げするというお客様は一社もいませんし、また、受けるか受けないかは社員次第というような無責任カフェテリア方式を採用しているお客様もいません。(おかげさまで、私のお客様の研修リピート率はほぼ100%です。
“人材育成に大きな関心を持ち、力を入れている”ことが伸びる会社の条件だとすれば、今現在、私の研修を採用している企業は皆その条件に当てはまると言えます。実際に私の顧客企業リスト名を見ていただければ、この説に納得していただけるはずです。
しかし、さまざまな企業の研 修担当者(とりわけ管理職)の方とお話をすると、どうもこのような企業ばかりではないことに気づきます。たとえば、実際に、“人事部担当部長(研修担 当)”などの名刺をお持ちの方の中には窓際族的な方が少なくありません。正直、窓際族の方に人材育成を任せるのは酷です。従来の研修と異なる試みは一切や ろうとしません。また、先日お会いした外資系企業の場合には、まったく違う業界から転職採用した、研修分野の経験のない人物を研修センターのヘッドに据え ていました。どういう事情でそういう事態が発生したのかは知りませんが、そういう人に人材育成を語らせるのは無理というものです。人材育成はその会社の生 命線だからです。
人材育成とはR&Dです。よい人材を育てようと思えば、まずは自社の人材育成担当に超優秀な人材を配置することから始めるのが良いでしょう。・・・隗より始めよです。
2011年2月 携帯
私の携帯は海外では使えないので、海外旅行の際はいつも携帯電話をレンタルしていた。しかし、どうも高いという気がしていたので、先日、海外旅行の前に、もっと安いところはないかとネットで調べてみた。そこで発見したのが海外用携帯電話の買取りである。
本当に勉強不足だが、そんなものがあるとは知らなかった。私が買ったのは米国用のもので、買取り価格が8,000 円以下。携帯が壊れない限り、ずっと通話分だけの支払いである。月額基本料などない。しかも、米国の電話番号なので、通話代は60円/分。米国から日本に かけても80円/分だという。レンタル携帯と比べるとおそらく3分の1以下だ。米国の場合、受信者側にも費用が発生するが、これならば相手に負担をかけな くともすむ。合計費用で比べると、今まで、一週間くらい携帯をレンタルすると何やかやと総額で7~8千円はしていたので、これはお得である。
私 はモベル社という販売会社から購入したが、ここは、米国携帯のみならず、英国の電話番号で、世界で使える買取り携帯も販売している。若干、通話料は高いが 基本料金なしで数千円なのでレンタルと比べると絶対お得だと思う。・・・と言う話しをホノルルにいる娘に話していると、米国ならば、プリペイド携帯の方が お得ではないかという話しになった。う~ん、確かに値段からするとプリペイドの方が安そうだが、・・・これは検討対象外でした。
考 えてみると、もうずいぶんと前から、国内旅行も海外旅行もホテルの電話機を使わなくなった。少なくとも、外線にはまったく使わない。べらぼうに高いから だ。実際、レンタルであれ、買取りであれ、携帯電話なしで旅行するという事はほとんど考えられない時代になった。必要最小限の通話しかしない、携帯は必要 悪と考えている私でさえこの状況である。ホテルの部屋にある電話機からは外線不通という時代ももうすぐかもしれない。
それやこれやと考えていると、突然のようにAU から「あなたの携帯電話は2012年の7月から使えなくなります」という重要郵送物が届いた。「来年の7月から周波数の割り当てが変更になるが、私の使っ ている携帯電話は古いので、その周波数では使えなくなる。早く買い換えろ」という手紙である。信じられますか? ・・・(次回に続く)
2011年2月 携帯 その2
携帯電話を外出・出張中の電話程度にしか利用していなかった私は、数年前に購入した機種で事足りていた。しかし、気分的に、そろそろ新たな機種にでも買い換えようか、やはり、買い換えるとすれば今の時代、スマートフォンかなと考えていた私だが、AU から「来年の7月から周波数の割り当てが変更になるが、私の使っている携帯電話は古いので、その周波数では使えなくなる。早く買い換えろ」という内容の手 紙を受け取ったときには驚いた。驚いたというかあきれて物が言えなくなった。もし家族割りを使っていなければ、即刻、他社の携帯に乗り換えただろう。
この一方的なAU 宣言に怒り心頭に達した私だが、「買い替えの方には特別割引があります」という同封案内でまあ許してやろうかという気分になり、早速、スマートフォンに買 い替えるためにAUショップにでかけた。そこでの店員の一言、「この特別割引はスマートフォンには適用されません」。数年前であれば怒鳴り声をあげていた かもしれないが、正直、もうそうした元気もでなかった。昔にさかのぼれば、私はNTTドコモからAUへの乗り換え組である。NTTドコモにうらみはなかっ たが、日本の通信市場全体を考えれば、やはり通信事業の寡占化はよくないだろうと、多少はKDDIを応援するつもりでAUに乗り換えた経緯がある。
結局のところ、今回はAU のままスマートフォンに機種変更することにした。まさにAUの狙いのままというところなのだろう。しかし、AUさん、次はないと思った方がよい。これから 2年後、AUは恐らくは、私と妻の少なくとも二人は顧客から失う事を覚悟した方がよい。携帯だけではない、光ファイバー、プロバイダーその他、すべての私 の選択肢から、KDDI/AUは消えてしまった。こんなことを平気でやる企業風土に疑問をもったからだ。携帯だって、これからは出来る限り多くSkype を使う事にしようと心に決めた。
さて、新たに買ったスマートフォン(Android) だが、やはりいろんな意味で便利ですね。IPhone未経験者の私にとっては、デスクトップPCがラップトップになり、iPad型になり、ついに、携帯に なったと言う感じ。ここまで来ると、従来型の携帯電話がスマートフォンになったというよりも、パソコンが携帯になったという印象だ。ということは、パソコ ンで繰り返された競争原理がこのスマートフォンの世界でも繰り返されると言う事だろうか。はたして、スティーブ・ジョブズのいないアップルは一体どうなる のだろうか?グーグルはどうやって利益を上げ続けるのだろうか?マイクロソフトの巻き返しはあるのだろうか?・・・最近の新技術はビジネスのあり方そのも のを根底からひっくり返してしまうので、面白くて目が離せない。しかし、どんなにビジネス・ロジックが変わろうが、顧客を無視するメーカーに明日はないと いう論理は変わらないだろう。
2011年3月 地震
今回の地震の被害にあわれた皆様方に心からお見舞い申し上げます。テレビで災害の状況を見ると言葉も出ません。
3 月11日金曜日、川崎にあるお客様の研修所で研修中に地震にあいました。即座に停電となり非常灯に切り替わりました。携帯電話はまったく通じません。外に 避難すると、当然ですが、停電なので信号も消えたままです。足裏で地面が揺れるのを感じました。今までの私の人生で最大の揺れでした。研修参加者の携帯の 一部がワンセグにつながり、震源地が宮城・岩手沖であることを知りました。川崎でこれほどの揺れという事は、震源地は一体どうなっているのか、まったく想 像できません。
地震発生から1 時間半後、ようやく研修中断・解散が決定し、川崎から世田谷の自宅まで2時間半歩いて帰りました。自宅に着くと、さすが東京、棚の一部から物が落ちて散乱 していたものの、まったく停電の跡は見られませんでした。帰宅後、ずっとテレビを見ていましたが、見れば見るほど明らかになる悲惨な状況に言葉も出ませ ん。研修参加者の中には仙台から出張参加した方がいましたが、連絡はついたのでしょうか。
地震の後の週末、ずっとテレ ビの地震報道を見ていました。何の具体的なことも言わない一部の政治家の会見には本当にあきれてしまいますし、とりわけ、責任逃れ的な中身のない発表と受 け答えに終始する原子力安全・保安院の一部の役人には怒りを感じました。また、勉強不足のくせに偉そうに声高に原発非難を繰り返し、同意のコメントを求め ようとする一部のニュースキャスターの傲慢さには非常に腹立たしく思いましたし、何の根拠もないのに最悪の事態など起きるわけがないと言い切る原発専門家 にも驚きました。
もちろん、何の計画性もなしに計画停電を発表した東京電力のノー天気状況には、こんな会社が今、原子炉問題に必死に取り組んでいるのかと背筋が寒くなるほどです。(現在3月14日11時、未だ計画停電は実施に移されてはいません。)・・・しかし、言いたい事はいっぱいあるが、今は何も言いますまい。ともかく、被災者の救済、被災地の復旧が一日も早く行われますように、原子炉の封じ込めが確実に成功しますように、今はただ祈るだけです。
2011年3月No.2 地震その2
今日は3月22日。未だに、福島原発の現場では必死の闘いが繰り広げられているようです。東京電力、東京電力関係会社、東芝・日立などの納入メーカー、消防士、自衛隊など、現場の皆様の命をかけた闘いに心からの敬意を表し、安全と成功をお祈りいたします。
危機においては本当にメディ アの大切さを実感します。特にこのような原発事故の場合、一般メディアが現場に入れないだけに、ニュース内容のインパクトは倍化します。実際、我々は消防 士の方の現場報告を聞くまで現場の状況はまったく分かりませんでした。一方で、政府や東電の発表は未だに時差があり、具体性にかけるものばかりで、原発推 進の一端を担ってきた原発専門家は大丈夫を連発するばかりです。
生の情報から距離を置けばお くほど、情報の不正確さは増大し、しかも、悪い方向へと増大します。しかしどうも、米国などのメディアでは実に極端な報道がなされているようです。私の米 国人の友人からは、ロングアイランドに週末にしか使っていない別荘があるので、もしよかったら休暇を兼ねてしばらくこちらですごさないかというありがたい 申し出がありました。某米国系外資系企業では米国人の家族を帰国させるために特別便を手配したそうです。以前、そこに務めていた私の日本人の知り合いは、 昔の上司から、家族と一緒にこの便に乗って米国に避難しないかとの連絡があったそうです。ハワイを含め、米国の主要空港では日本からの乗客すべてに対し放 射能測定が行われています。台湾では、予定されている米国人数百名の日本からの避難に備え(すでに96名が避難済み)、米国政府がホテルを確保中で、一気にホテルの予約が難しくなっているそうです。
こうなると、自分自身でしっかりとした判断をするしかありません。情報が不足している中での判断は、やはり、情報源の立場になって推測するしかありませ ん。これに従えば、12日、地震の翌日に避難区域が20キロに拡大された時点で、危機はスリーマイル島を越えたと判断できます。スリーマイル島の場合、避 難区域は10マイル(16キロ)だったからです。また15日には30キロ以内に屋内退避の指示が出ました。チェルノブイリの場合、30キロまでが避難区域 だったので、この時点で、チェルノブイリよりは若干よい程度との判断が可能です。30キロ以内が避難区域に制限強化されれば、チェルノブイリ並の危機と判 断できます。もちろん、あくまでも個人の見解ですが、政府が過去の事例に基いてしか判断できないという体質に従えば、結構、有効な気もします。しかし、す べての報道情報を疑いの目で見なければならないというのは、実に疲れる、人格形成に良くない状況ではあります。
2011年4月米国にて
4 月4日から一週間、米国バッファローに出張してきました。ある研修に生徒として参加するためです。今回は、火曜から木曜まで、朝8時から夕方6時までのフ ル3日間です。この間、米国人以外は私一人。久しぶりに、緊張感ある、厳しくもエキサイティングな環境に身をおいてきました。私は、時々、米国で開催され るおもしろそうな研修や会議に参加するようにしています。もちろん研修内容そのものも出張の目的ですが、他にもいろいろ副次的な目的があります。
先ず、米国の研修は実に効率的に運営されているので、商売柄、その運営方法が実に参考になります。また、意識的に生徒として参加することにより、改めて、生徒としての立場を再認識する事が出来ます。歳をとると、人にものを習うという機会が減るので、これは大切です。
しかし何と言っても、最大の 収穫は変化の波を肌で感じることが出来ることでしょう。米国の先端テーマの研修に参加し、他の参加者などと意見交換していると、米国企業がどのような状況 に直面し、どのように動いているのかが実感できます。実際には日本の状況もほとんど同じなのですが、日本で実務にまぎれているとなかなかこういう経験が得 られません。やはり、仕事から離れ、いったん外に出て、違う空気を吸ってみないことには季節の変化には気づきがたいものです。
さて、時差ぼけで夜眠れないときは、テレビをつけっぱなしにしているわけですが、今でも、一日に1 回は日本の地震報道がありました。ただし、東地区ではその程度の報道です。日本で思うほど頻繁な報道ではありません。とは言え、内容は強烈です。テレビを 見、現地の新聞を読んでいる限りでは、原子炉爆発の危険がすぐにでも差し迫っているような感じです。日本でおなじみになっている「差し迫って危険な状況に あるとは認識していません」という原発関係者の発表と比べると雲泥の差です。
危機を煽るような大げさな米国の報道と、隠そうとする意図が見え見えの日本の発表とどちらが真実に近いのか。おそらく真実はその中間にあるのでしょう。た だ大切な事は、外から見るのと、中から見るのでは、見え方がかなり違うということです。そして、中からの視点はつねに現実(真実)に対して鈍感であるとい うことです。昔は、商社マンと言えば憧れの職業、一度は海外で生活をという海外志向が高かったのですが、今はそういう若者も減ってきたようです。現代の内 向き志向と日本の鈍感化には、どうも比例関係があるように思えてなりません。
2011年5月“入門 考える技術・書く技術”
今回は、私の本の宣伝です。
プロフェッショナル・レポートライティングの世界では、私が日本に紹介し、自身で翻訳した“新版 考える技術・書く技術”(ダイヤモンド社、著者:バーバラ・ミント)が有名です。この本は、すでに世界10数ヶ国語で翻訳され、文字通り世界中のすべての一流経営コンサルティング会社や調査会社でレポートライティングの基本書として採用されています。経営コンサルタントの実務を経験した人でこの本の存在を知らない人は一人も居ないはずです。
しかし、例えば、日本の一流大学を卒業し、一流のビジネススクールで経営学修士を取得し、これからプロのコンサルタントとして活躍しようとする人たちのための教科書なので、内容的にはかなりハードです。日本ではすでに30万部を越すロング・ベストセラーとなっていますが、積読状態にある人も多いかもしれません。
さて、その“新版 考える技術・書く技術”に入門編が誕生しました。先月、ダイヤモンド社より出版された小著“入門 考える技術・書く技術”です。以前から、“考える技術・書く技術”のもっと易しいバージョンが欲しいという要望があったのですが、ようやくその要望にこたえる事が出来ました。旧版オリジナルの“考える技術・書く技術”の日本語訳出版では出版社探しに大変苦労しましたが、今回は内容面で予想以上の苦労でした。
実は、企画時点では、私が普段、研修などでやっていることをそのまま本に置き換えればよいだろうとたかをくくっていたのです。実際には、ダイヤモンド社の編集部と企画を話したのが昨年の7月、出版が今年の4 月初めなので、何と10ヶ月近くかかっています。わずか170ページ足らずの本に10ヶ月近くというのは尋常ではありません。実は、本書は、一度書き上げ た原稿をほとんど書き直ししました。200数十ページ近く行くと思われた原稿を約半分程度にばっさりと切り落とした上で、事例を大幅に増やしました。ぱっ と目にはそうは見えませんが、実際にはかなりの労作です。おかげさまで、そこそこの評判を得、発行4日目にして増刷が決定。現在、電子版の話しも進行中で す。ご興味のある方はぜひご一読ください。
これにて、“新版 考える技術・書く技術”、“考える技術・書く技術ワークブック”、“入門 考える技術・書く技術”と三部作が出揃いました。一つだけ、肩の荷が下りた気もします。
2011年5月第2回 軽くなった経団連会長の椅子
3月16日、A氏は東京都内で記者団に対し、福島第1原発の事故について「千年に1度の津波に耐えているのは素晴らしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ」と述べ、国と東京電力を擁護した。
4月6日、A氏は、米紙WSJ紙との単独取材にて、「(東電が)甘かったということは絶対にない。要するにあれは国の安全基準というのがあって、それに基づき設計されているはずだ。恐らく、それよりも何十倍の安全ファクターを入れてやっている。東電は全然、甘くはない」と語った。
4月11日、A氏は、東 京電力の対応について「東電には頭が下がる。甘かったのは東電ではなく、国が設定した安全基準の方だ」と述べた。その上で、事故自体については「峠は越し つつある」との認識を示した。損害賠償などによって東電の経営不安説が流れていることに関しては「天災であり、国が支援するのは当然のこと」と語った。国 有化論については「全然ありえない。一部の政治家が口にしたせいでどれだけ東電の株価が下落したか」と非難した。
5月9日、A氏は、首相が中部電力に浜岡原発の全面停止を要請したことについて、記者会見で、「電力不足の中で菅首相がただ30 年間で87%の確率で東海大地震が起こる可能性を根拠にして停止を要請したことは唐突感が否めない」と語った。「結論だけがぽろっと出てきて、思考の過程 がまったくのブラックボックスになっている。・・・」と厳しい口調で、要請に至る経緯が説明不足であるとの認識を示した。
A 氏とは一年前に経団連会長に就任した米倉氏。大方の予想を裏切り、上がりポストといわれる経団連評議員会議長から異例の抜擢となった方である。「何で今 更、財閥系の、それほど大企業とも言えないところから、しかも73歳の高齢の方が?」と当時、さまざまな憶測を呼んだ人事だ。ちなみに、東京電力清水社長 は、経団連副会長の一人である。
正直、私も菅さんのリーダーシップ(国・行政をリードする能力)にはがっかりしている。しかしそれでも、東電に根強く存在する恐らくは想像を絶するデータ隠し/ 責任逃れの体質や、更には、防災対策軽視のまま原発推進を進めてきた自民党族議員/官僚の無責任体質には、心から共感・同情する。また、早朝、東電本社へ 乗り込んでの「覚悟を決めろ」発言や今回の浜岡原発停止要請など、心から応援したいと思う点も幾つかある。しかし、正直、この経団連会長の度重なる発言に は、評すべき言葉すら見つからない。 鳩山首の時もそう感じたが、なぜこんな人が組織のトップに選ばれるのだろうか。失望というよりも不思議でたまらない。
2011年6月 政治問題に一定のメドはつくのか?
一週間前のことがもう随分と昔の話に思えるような変化の早さだ。世界経済の話しではなく、日本のビジネス環境の話でもなく、政治家のしゃべる内容のことだ。
それにしても、先日の民主党代議士会の様子にはぶったまげてしまった。正直、最 近は、政治番組など見る気もなくなってしまったが、当日は何となく中継を見ていた。「原発問題に一定のメドがついたら辞めます」という菅総理のあいまい言 葉には驚いたが、更に驚いたのは、鳩山前総理が先頭を切って発言し、「昨日、二人で密約しましたので、皆、承認するように」的な発言をしたことだ。 えーっ、鳩山さんは何を目的にしてこんな事をしゃべったのだろうか。もしかすると、菅総理が決断したのは小沢さんの圧力ではなく、自分の説得によるものだ ということをアピールしたかったのだろうか。でも、どう見てもこれは国民に隠れた密約でしょう。しかし、もっともっと驚いたのは、この発言の後、当然ある だろうと思った「一定のメド」に関する質問が一切出なかった事だ。
当日夜の政治解説者の話によると、「ああいう場で具体的な時期を明確にするもの ではないし、具体的な時期を聞くものでもない」というのが政治の世界の常識らしい。何と言う非常識な常識。常識とはいったい何なのだろうか?常識とは、今 の状態を維持しようとする仲間内の決め事でしょう。しかし、今必要なのは、常識を超えた決断であり、行動ではないのだろうか。
結局、おそらく性格的に、腹の中に納めておくことの出来ない菅総理はつい口を滑 らし、「冷温停止のメドがついたら」と言ってしまう。こんなにぺらぺらしゃべっていたら、民間企業の社長すら務まらないと思うのだが・・・。しかし今度 は、それに激怒した鳩山前総理が「菅総理はペテン師だ」と発言。「ペテン師」という昭和の香りがする言葉自体に驚いたが、もちろん国民は皆、総理を辞めた ら政治から引退すると言った鳩山前首相のペテンは忘れてはいない。そもそも、総理まで務めた人が「だまされた」とテレビに訴える姿は見るに耐えない。
もうすでに、この2~3年の政治状況を見て、自民党が第一党になろうが、民主党が第一党になろうが、ねじれ国会がある限り、法案がいっこうに成立しないことは明ら か。だとすれば、議院内閣制を前提とする限り、選択肢は二つ・・・ねじれ国会になっても重要法案が通るようなシステムにするか、ねじれ国会にならないシス テムにするしかない。言ってしまえば、前者は参議院の権限の縮小であり、後者は参議院の廃止である。ぜひ大連立を組んで、まずこの辺を解決してもらいた い。
でも、どうせ駄目だろうから、私としては一生懸命、ロト6を買い続け、当たればすぐに米国に投資して、米国の永住権を取得しようかと思っています。・・・恐ろしい事に、こちらの方が確率が高そうに見えてきた。
2011年6月 見かけなくなった日本人?
先週一週間、米国アトランタに出張してきました。CPSI(Creative Problem Solving Institute、創造的問題解決学会)と呼ばれる集まり(会議兼研修会)に参加するためです。すでに今年で57回目、つまり57年目という歴史ある集 まりです。1970~80年代半ばの全盛期には800人程度の参加があったようですが、今は落ちついてきて、今回は300数十人の参加でした。
世界25ヶ 国から集まっており、4割以上が非米国人という国際色豊かな集まりです。参加国はCPS(創造的問題解決アプローチ)運動の広がりをそのまま反映してお り、CPSの盛んな中南米からは、メキシコ、チリ、ブラジル、パナマ、ペルーなどからかなりの人数が訪れていました。また、遠くナイジェリア(アフリカ) からも数人、ヨーロッパからは、フランス、ドイツ、イタリア、フィンランド、オランダ、イスラエルなどからかなりの人数の参加者でした。アジアからは、ト ルコから数名が参加していた他、シンガポール2人、韓国2人、そして、日本からは自費で参加した私一人だけ。ビザの関係があるのでしょう、中国の参加者は ゼロでした。
着く前は、もう一人くらい物 好きな日本人がいるのではないかと思っていたのですが、正直、「案の定」という感じでした。確かに、会議は月曜から金曜まで一週間フルですし、会議の中心 は少人数のワークショップ型研修会なので、多少の英語力は求められます。しかしそれにしても・・・。このような歴史ある国際会議であれば、ちょっと昔はこ うした状況は考えられませんでした。いったい、どうなったのでしょうか。
ちなみに、韓国から参加した二人(20 代の女性と30代の男性)はともにサムスン電子の方で、企業による派遣。新製品の提案に関わる仕事だと言っていました。また、シンガポール人二人は学校関 係者で小学校の教育プログラムにクリエイティビティ要素を入れたいという訴えが聞き入れられ、官費の派遣が認められたそうです。シンガポールからは、香港 経由、アトランタまで24時間かかったそうです。
この会議で行われたキーノート・スピーチの一つは、IBMグローバル・サービスが行った「2010年世界CEO調査」(60ヶ国、1500人の経営幹部への取材調査)に関するものでした。結論から言えば、今、経営者に共通する認識は、
日本の政治がだめなのは身に沁みて分かりましたが、企業のほうは大丈夫なのでしょうか。
2011年7月 あきらめない力
久しぶりに“ネバーギブアップ”の精神を思い知らされた。今、こう言えば、もちろん、なでしこジャパンの事だ。しかし、その一週間前にも、この精神を思い出させてくれた青年がいた。全英オープン初日に見せた石川遼選手のプレーだ。
いつ見ても、彼のプレーには 頭が下がる。ボールを飛ばすとか、プレーの歯切れがよいとかではない。決してあきらめない姿勢がプレーからにじみ出ている。今年、彼はフォーム修正を試み たという。先日見たゴルフ雑誌の写真によると、かなりバックスイングの角度が昨年とは違っている。素人目に見ても、修正後の方がよさそうだ。しかし、実践 では何かがかみ合わずにボールを引っかけていた。悪い事に、引っかけを避けようとすると右に曲がる。日本で2試合連続予選落ちという最悪の状態のまま、全英オープンに臨んでいた。どれだけ不安でいたことか、その心情は痛いほど分かった。
全英オープンではドライバー はよかったものの、アイアンは案の定、最悪だった。なかなかグリーンに乗らない。初日前半だけで、スコアはどんどん悪くなっていった。普通であれば、いつ 心が折れてもおかしくない状態だった。しかし、後半は耐えに耐えた。誰の目にも最悪のショットだったのだが、グリーンまわりで決してあきらめずにパーを拾 いまくった。“どうして、ここまであきらめずに頑張れるのか?”本当にそう思った。
残念ながら二日目には力尽 き、予選通過ならなかった。しかし、その後の青木選手とのインタビューで見せた、涙ぐんだ姿には正直驚いた。恐らく、“もっと出来たはずなのに、あきらめ ずに最後まで頑張りきれなかった”自分がふがいなかったのだろう。・・・そう、彼は本当にあきらめていなかったのだ。
なでしこジャパンの優勝決定戦の延長戦でアメリカが最初にゴールしたとき、私は正直、“力つきたか”と思ってしまった。しかし、その後の展開を見ると、おそらく彼女らの心の中には、まったくもって、そんな気持ちは微塵もなかったに違いない。
あきらめずに頑張る心の強さの裏に見たもの・・・一つは、石川選手の涙ぐむ姿に見た、それまでの辛い努力とまだ駄目だと言う自分のふがいなさへの厳しさ。もう一つは、PKの前のなでしこの明るさに見た、ここまでやったのだから、後は神頼みという楽天性。結果は両極端だったが、石川選手が本当にここまでやりきったと思ったとき、メジャーの最終ホールで微笑んでティーグラウンドに立つに違いない。そして、それは決して遠くないと思った。
2011年8月 第4の権力
メディア王、ルバート・マードックの足元が音を立てて崩れかけている。彼の会社、ニューズ・コーポレーションの傘下にあるイギリスの人気タブロイド紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の記者が芸能人や政治家らの携帯電話を盗聴していた事が判明したからだ。マードックの秘蔵っ子と言われていた、同紙のCEO、レベッカ・ブルックスは盗聴を指示した罪で逮捕された。
ブルックスは、マードックの秘書から出発してニューズ・コーポレーションの役員まで上り詰めたやり手女性 だ。ブルックスの機嫌を損なえば、どんな記事が掲載されるか分からない。これは政治家にとって致命的だ。ブルックスは、このゴシップ満載の人気タブロイド 紙を活用して、とんでもない権力を握っていたという。「現首相/前首相とも仲良しで、事実上、彼女がイギリスを動かしていたようなものだ」という人もいるほどだ。
さて、ニューズウィーク誌(日本語版7月20日号)は、このマードック関連記事を掲載する一方で、日本社会における第4の権力(メディア)のあり方を痛烈に批判している。暗に、日本のメディアもマードックと同じ穴のむじなだと言っているようなものだ。最近、まれに見るヒット記事である。同誌いわく、「権力を監視し、政策や国家中枢の動向を国民に分かりやすく伝える事が、“第4の権力”であるメディアの役割。しかし、 この国のメディアは、その本来の使命を果たすどころか、政治の混乱を助長している。政治家同士の泥仕合に加担し、パフォーマンスをあげつらってヒステリッ クなバッシング報道を展開する。・・・政治の本質的な問題がメディアから伝えられる事はほとんどなかった。」
先日、私の大学の同級生で、東京電力に勤める友人がメディアの生贄になった。彼は二年前から、東大建築学 科の特任教授として建築設備の講義を行っていた。東京電力が寄付金を出し、出向のような形で特任教授として東大に籍を置き、学生の指導にあたっていたの だ。東大で博士号を取得している彼の研究テーマは、いかにして省エネ効果の高い建築設備を実現するかだ。専門は建築の電気設備であり、原子力発電とは関係 がない。
ところが、先日、原発問題を追及する某週刊誌が、東京電力から東大に流れている寄付金の多さをスクープ記 事として掲載、東大原発研究者と東電の間の癒着問題として追及したのである。原子力を専門とする大学教授と電力会社が仲間内の関係である事は、テレビの原 発解説を見ていれば誰の目にも明らかだった。しかし、この関係をお金という切り口でスクープするのはいかにも週刊誌的でセンセーショナルだ。
そして、その週刊誌に掲載された顔写真は、原発とは無関係な省エネ建築設備の専門家である私の友人の写真 だった。東電社員の身分で、東大の特任教授という微妙な立場が餌食になったわけだ。結果?・・・ご想像の通り、メディアに睨まれた組織は東大であれ、東電 であれ、尻尾を切っておしまい。メディアに本質的な論議を挑むものなどはいない。
2011年8月No.2 ビリオネアの座を捨てた人
大学発ベンチャー企業の第一号といえば、音響機器メーカー、ボーズ(Bose)社だろう。先日、同社のPresidentを15年務めたSherwin Greenblattの話を聞く機会があった。ご存知の方も多いと思うが、同社はMITの教授をしていたBose博士が興したベンチャー企業である。Greenblattは、彼がMITの学生だったときに、Bose教授から一緒に会社を作らないかと誘われた人物だ。したがって、彼が紹介されるときには、「Bose社の社員第一号の・・・」が枕言葉になる。それにしても、1964年、大学の先生が教え子を誘って会社を興すなど前代未聞の時代の話である。当時は、会社を作って何をやるのかもはっきりと決まっていなかったというから、誘う方も誘う方だ。
Bose社創立当初の話もおもしろかったが、私がもっとも惹かれたのは、Greenblattのいかにも誠実で、しかし技術の追求には決して妥協をゆるさない語り口だった。私はBose博士本人を見たことはないが、Bose博士が彼を誘った理由が分かる気がした。おそらくは、Bose博士自身も彼に自分と同じ価値観を見出したのだろう。
さて、売上2ビリオン・ダラー(約2000億円)と言われるBose社の創立者、Bose博士は、もちろん大金持ちである。実際、世界に数百人いるビリオネア(1000億円以上の資産家)の一人として雑誌フォーブズのビリオネア・リストにたびたび登場している。2011年のリストにも登場している。・・・しかし、来年のビリオネア・リストに彼の名前が載ることはない。
今年4月、彼は自分が保有するBose社(非上場)の株のほとんど、すなわち、彼の財産のほとんどをMITに寄付したのだ。Bose社もBose博士もこのことについては全く発表していないし、MITもこの寄付が一体いくらの価値を持つものなのかなど、詳しいことは発表していない。発表されたのは、Bose博士が保有するBose社の株のほとんどをMITに寄付したこと、MITはこの株を売却することが禁じられていること、MITには経営に関する投票権はないこと、すなわち、MITは配当を受け取る権利だけを有するということだ。
私は、自分の事務所の引っ越し記念として、3年ほど前に、BoseのCDプレーヤーを購入したことがある。自慢の一品だ。ただ、Greenblattの話を聞いているうちに、またBoseが欲しくなった。そこで、前から関心を持っていた、ノイズ・キャンセレーション機能付きのヘッドホンを購入することにした。先日、新幹線の中でこのヘッドホンを使ってiPodを聞いてみた。最高だった。しかし、欠点が一つある。雑音がかき消され、音楽の世界に入り込んでしまうために、駅を乗り越してしまわないかと不安になることだ。
一攫千金を狙うベンチャー経営者を目指す人たちは、まず、Bose社経営の研究から始めるのがよいと思う。
2011年9月 還暦ということ
私は今、58歳。11月で59歳になる。60歳にでもなれば、妻とヨーロッパにでも行こうかと二人分のヨーロッパ往復ビジネスクラスのマイレージは貯めている。先日、ある会議で一緒のテーブルになった60過ぎのアメリカ人に、60歳になった時に何か特別のイベントをしたかと聞いてみた。その人はいかにも怪訝そうな顔をして、そんな事は何もしていないと言った。何でそんな質問をするのかという様子である。どうやらアメリカ人には60歳の区切りはないらしい。
考えてみれば、アメリカには「雇 用における年齢差別禁止法」という法律があって、年齢を理由に雇用に差別を設ける事が禁じられている。いわゆる日本のような、一定年齢を上限とした定年制 という制度自体が存在し得ない。少なくとも原則は(アメリカでは日常的に退職勧奨などがあるのであくまでも原則かもしれないが)、引退するかどうかは自分 が決めることなのだ。
よく考えてみると、60歳定年とか65歳定年とか、年齢そのものの議論は別にして、日本では、年齢に応じて定年制を設けること自体にはそれほど大きな異論や抵抗はないように思える。もっと考えると、日本人の(あるいは、東洋人の)根底には、年齢を自然の寿命サイクルとして受け入れる発想があるようだ。
さて、先のアメリカ人は東洋文化に造詣の深い人で、翌日、私を呼び止めて、「君は昨日、60歳で何かイベントをしたかと質問したが、後で考えてその質問の意味がやっと分かったよ」と言ってきた。
その通り、古代中国の思想に は、万物は五つの要素で成り立つ五行説というのがある。五行とは、木・火・土・金・水(もっかどこんすい)である。五行説はその後、陰陽思想と一体化し、 五行が陰と陽(「えと」)に分けられる。木(きのえ・きのと)、火(ひのえ・ひのと)、土(つちのえ・つちのと)、金(かのえ・かのと)、水(みずのえ・ みずのと)である。いわゆる陰陽五行説であり、万物の絶対的エネルギー要素と言われる。これに時間的エネルギー要素である十二支(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥)を組み合わせて、干支(十干十二支)と呼んでいる。暦を見れば分かるように、すべての年・月・日・時はこの干支(絶対的エネルギーと時間的エネルギーの組み合わせ)で表現されている。年で言えば、この干支が一巡するのが10(十干)と12(十二支)の最小公倍数である60年、つまり還暦である。
蛇足だが、占いで有名な四柱 推命は、生まれた人の年・月・日・時(四柱)の干支で、その人の命を推し量ろうとするものである。さらに蛇足だが、命を推し量ること、すなわち、私の命と は何かを知ろうとすることを「推命」または「立命」と称し、これこそが学問の本質であるとするのが中国思想だ。立命館大学の立命はこれに由来してい る。・・・素晴らしきかな、東洋思想
2011年10月 消えたハードディスク
自宅で4年半愛用していたラップトップPCの調子が悪くなったので、動かなくなる前に新しいものに買い替えることにした。その新しいPCが先週届いた。2か月ほど前に販売されたばかりのVaioの最新モデル、Vaio-Zである。
パソコンなど、もうある程度の進化は終えているのではないかと思っていた私にはえらく衝撃的だった。プロセッサーに、インテルのCore i7を備え、ハードディスクの代わりにSSDを装備したこの最新モデルは実に早い。パソコン自体の起動が早いし、操作の反応もきびきびしている。もしかすると、会社で使っているデスクトップよりも早いかもしれない。ともかく一番驚いたのは、パソコンにハードディスクがなくなっていたことだ。
みなさんは、SSDをご存じだろうか。SSD(Solid State Drive)とは、フラッシュメモリを使用したハードディスクに替わる記憶装置のこと。お恥ずかしい話、初めて耳にする言葉だった。ともかく、あって当然と思っていたハードディスクがなくなり、このSSDに替わっていたのだ。以前から、ラップトップのような持ち運びするPCの中に、物理的にディスクが回転する装置が入っていること自体、よく壊れないものだと感心していたのだが、ついにそれがなくなった。今のラップトップPCで物理的に動く装置と言えば、ファンとキーボードとスイッチていどになってしまった。
おそらくは、ハードディスク の存在自体が、ラップトップの重量や形状などの大きな制約条件になっていたはずだが、それがなくなったのだ。キーボードはすでにタッチパネル化している し、ファンなしのパソコン冷却装置が普及するのも時間の問題に違いない。つまり、ラップトップ・パソコンから駆動装置がなくなる日が間近に迫っているみた いなのだ。
さて、駆動装置がまったくな くなったパソコンとはいったいどういう形になるのだろうか?本当にノートみたいなもの?あるいは、薄っぺらい折り畳み手帳のようなもの?あるいは、シート をまるめたようなもの?しかしそれにしても、ハードディスクのメーカーや部品メーカーどうしているのだろうか?・・・そうやって考えてみると、同じような 変化がいろいろなところで起きているのに気づく。電気自動車時代のガソリン・スタンド、ネクタイ不要時代のネクタイ・メーカー、デジカメ時代のフィルム・ メーカー、・・・。新型ラップトップを前に、改めて変化の速度を感じてしまった。年齢を重ねてくると、今のままでよいと思いがちだが、今のままの時代など 実は贅沢な願いでしかない。
2011年10月その2 ギリシャ・・・日本の未来?
ユー ロという単一通貨が出来たとき、正直、どうしてこういうことが可能なのか私の頭ではとても理解できなかった。どうして国が違うのに、財政が異なるのに、強 い通貨と弱い通貨を一つの通貨に統合することが可能なのか。・・・どうやら、悲しいことに当時の漠然とした私の直感は正しかったようだ。事ここに至って、 ギリシャのデフォールト、あるいは、ユーロ分裂・再編以外にどのような方法があるのか、私にはこれもまったく理解できない。
しかし、デフォールトになろうがなるまいが、破たん国家ギリシャでは、おそらくこれから、増税、年金削減、レイオフの嵐が吹き荒れ、公共サービスは大幅にカットされ、路上には放置されたゴミがあふれ、失業者があふれ、ストとデモが頻発することになるのだろう。
ニュー スでは、放漫財政を引き起こした原因の一つとして、汚職まみれの世襲政治家の多さが報じられている。ちなみに現首相のパパンドレウの場合、父も祖父も首相 だった。前首相のカラマンリスも元首相の甥だ。また、あまりにも有名になった、公務員だらけのタコ足的な異常経済状況も驚きだ。全労働者の20~25% が公務員で、リッチな公務員年金制度があり、その上、多くの公務員が不当な公務員手当や不正な年金受給に手を染めていたという。・・・あれ!これはギリ シャの話のはずなのだが、どこかの国とそっくりではないか。正直な話、ギリシャの状況を見ていると、どうしても日本とだぶってしまう。
テレビのニュース番組「バンキシャ」のレギュラーコメンテーター、河上和雄氏(元東京地検特捜部長)のコメントが、最近、とくに乱暴になったような気がしてならない。乱暴というか、実に皮肉っぽく、ともすれば投げやり的な印象だ。例えば、先日、TPPの事を聞かれたときに、「どうせ、政治家は、“議論を重ね、適正な対応ができるように、しっかりと検討します”というような結論しか出せないのではないか」(正確ではないかもしれないがこんな感じ)と答えていた。
誤解しないでほしいのだが、 彼のコメントを批判しているのではない。逆に、彼のコメントに共感しているのだ。正直言って、テレビに出て、報道番組でコメンテーター的な立場にある人で さえも、今の政治状況にあきれ返って、コメントする気にもならないのだろう。正直、私は当然だと思う。私は今まで、すべての国政選挙において棄権したこと はただの一度もない。しかし、それでも今の日本の政治家と霞が関には、9割の絶望感を抱いている。・・・えっ。まだ一割の希望を持っているのか?う~ん、そう言われると・・・。
2011年11月 米国永住権抽選プログラム
先月、2013年度の米国永住権抽選プログラムのネット受け付けがあった。正式には、Diversity Immigrant Visa プログラム、移民多様化プログラムと称しているもので、法律に基づいて実行されているものだ。2013年度は、世界で5万人の人に、このプログラムを通じ永住権(グリーンカード)が発行される。この辺のところに、やはりアメリカの底力を感じてしまう。
昔は、面倒な書類準備が多かったようだが、今は、ネットで簡単に申し込めるようになった。聞くところによれば、10年 間有効で、しばらくの間は、毎年一回渡航していれば更新されるという。永住権取得にはいろいろの方法があるが、この抽選プログラムが当然のことながら、更 新に関してはもっとも制約が緩くなっている。というわけで、私もネットで応募してみた。宝くじよりは当選率が高いのだから、当たらないとも限らない。
皆から、当たったら本当に移住するのかと聞かれるが、そんなのは当たってからゆっくりと考えればよいことだ。結局、今回の震災・津波を見ればわかるよう に、あれだけの災害が起きても、日本政府はあの程度のことしかやってくれないのだ。一方で、日本政府の地震調査研究推進本部の発表によれば、2036年までにM6.7~7.2の地震が南関東地域で発生する確率は70%。M6.9の直下型地震が都心で起きれば1万数千人の死者と言われている。永住権が当たる確率と大地震に見舞われる確率のどちらが高いかといわれると微妙なところではないだろうか。
というわけで、関東で地震が起こり、運よく生き延びれば、余生をハワイでというのも大いにあり得る選択だ。地震とまでいかなくとも、今の日本のあまりにも ひどい政治状況がしばらく続くならば、本当に、日本に住まないという選択肢もぜひ持っておきたいと思う。
最近、TPPの問題で、山田正彦元農林水産大臣が反対コメントを述べる姿をよくテレビで見かける。彼の発言を見るたびに本当に日本の政治家に失望してしまう。TPP反対者は、TPP参加の悪影響のみを述べつらうが、彼らの口からTPP不 参加の悪影響をどう考えるかを聞いたためしがないし、日本の将来像を聞いたこともない。好意的に解釈すれば、おそらくは山田氏は選挙目的でポーズとしてあ のような反対発言をしていると思うが、もしかして、彼が本気で本心からあのようなことを考えているとしたら・・・それは空恐ろしいことだ。本当に永住権プ ログラムに当たってほしいと思う。
2011年11月No.2 ファイブ・フィンガー・コンセンサス
TPPの議論を見ていて、考えた。皆、ベストの案を求めすぎだ。ベストの案を求めようと思うと合意形成などできっこない。そもそも、合意形成の目的とはベストの解決案を求めるものではない。ちょっと真面目に合意形成の方法論について考えてみよう。
多数決。多数決は確かに決定までの時間が少なくて済む。しかし、全員合意とはほど遠い決定方法なので、実行という観点からみると効果的ではない。「決定は下されるのだが、どうも結果が出ない」というのはこの辺に問題の原因がある。
マジョリティによる決定(例えば、3/4の 合意による決定など)。合意を重視しているので、実行は効果が上がりそうだ。もちろん、全員一致は目指すべき究極の姿だ。しかし、決定までにはかなり時間 がかかる。また、決定を求めるために、かなりの妥協が必要となるかもしれない。結果として、解決案としては最善とは言えないものである可能性が高い。
ファイブ・フィンガー・コンセンサス。それほど一般的ではないが、ビジネス上の決定でよく使われる方法がこれだ。
ファイブ・フィンガーの良い点は、反対者に最大で2回の説明の機会を与える点だ。合意形成のポイントがこの辺にある。そもそも、決定の時点でベストの案が自明でないからこそ、合意形成が必要なのだ。ベストを求めようとすると、合意形成はできなくなる。ファイブ・フィンガーは私のお薦めだ。
2011年12月 日本の老化現象
昨年、事業仕訳の時に、蓮舫議員が「2番ではだめなのか?」と言ったのには驚いた。世の中には知らず知らずのうちに、この「1番でなくとも構わない」シンドロームがはびこっているみたいだ。
先日の研修の時に、「これを実践すれば、必ず、Aプラスのレポートが書けるようになる。Aではない。Aプラスだ。ぜひこのやり方を実践してみましょう」と説明したところ、ある参加者からぶったまげる質問があった。「私はAプラスでなくてもよいのです。Aマイナスでよいので、もっと楽をして簡単にレポートが書けるようになる方法はないでしょうか?」
あ あ嘆かわしい。金メダルか、銀メダルかというのは結果なのだ。オリンピックでメダルを取るような人は、皆、金メダルを目指すのだ。皆、金メダルを目指すの だけれども、結果として、銅メダルで終わってしまう、あるいは、残念ながらメダルを取るには至らないというのが現実なのだ。最初から銅メダルを目指す人は おそらくは表彰台には上がれないはずだ。最初からAマイナスでよいのでと思えば、結果としてはB程度の結果が精いっぱいのはずだ。最初から2番でよいのでと思う人は決して2番にもなれない。
も ちろん、そう考えるのも分からないわけではない。私自身、歳をとってくると、現状のままでよいと考えたくなる時もある。新たなチャレンジをしんどく感じる ようになるのだ。特に私のように一人で仕事をやっていると、できれば「ほどほどに仕事をし、ほどほどに稼ぎ、ほどほどに楽をしたい」状況が理想ではある。 しかし、現実は、「売り上げを今の状態でよいので」と思って仕事をすると、ほとんどの場合、売り上げは下がる。売り上げを上げようと思って頑張って仕事を して、現状維持ていどなのだ。というわけで、いつも何やかやと忙しくしている。・・・というような話をすると、友人から、「山ちゃん、若いね」と言われて しまう。
「1番でなくともよい。2番でよいので予算カットを・・・」、「Aプラスは要りません。Aマイナスでよいのでもっと楽できる方法は・・・」。蓮舫議員も含めて、どうやら日本全体に老化現象がはびこりつつあるみたいだ。・・・よーし、2月の東京マラソンは最高記録を更新するぞ!若干、薄くなった頭を除けば、まだまだ、私の辞書に老化現象はない
2011年12月 その2 神がふったサイコロ
2011年が終わろうとしている。何ともすさまじい一年だった。多くの方が、本人に何の罪もないのに命を失い、財産を失った。
人は理由なき被害や病気にあ うと、何らかの意味を見出そうとする。意味を見出そうとすることにより、困難へ立ちむかう力を得ようとする。「この試練は神が与えたものに違いない」、 「私がこのような試練を与えられたことには何らかの神の意志があるにちがいない」、「物事にはすべて理由がある。意味がある。」
し かし現実には、そんな宗教論・人生論をあざ笑うかのように、神がサイコロをふった。そして、何の罪もいわれもない人たちがたとえようもない悲劇に見舞われ た。私たちは神のふるサイコロの前では無力でしかない。神はなぜサイコロをふるのか?・・・思い上がった人間に自分の愚かさを知らしめるためか?人間の限 界を思い出させるためか?人間に対する警告なのか?それともほんとうの気まぐれなのか?
立花隆が癌治療の最前線を取材した、2年前のNHK番 組を思い出した。その番組の中で、「癌は病気というよりも生命の一部である。生きていること自体が癌を生む」という話がでた。人間の生命力が高ければ高い ほど、癌の生命力も高くなるという。体の細胞分裂が盛んであればあるほど、癌細胞が細胞分裂し成長していく確率が高いというのだ。
これを人類の文明にたとえれば、「社会で起きる悲劇は社会の発展の一部である。文明発展そのものに悲劇が組み込まれている」ということになる。あるいは我々の人生にたとえれば、「生きるという行為自体に神のサイコロが組み込まれている」と言えるかもしれない。
立花隆はその番組の最後をこう結んだ。「癌を克服することは死ぬまでちゃんと生きることだ。」癌を抱える彼は、癌と闘うという考え方を変え、癌という存在を受け入れ、これをバネとして、ちゃんと生ききろういう考えに変わった。
2012年が、皆様にとり、生命力に満ちた年となりますように。
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