過去のひと言
2013年1月 ジャネーの法則
2012年が終わった。歳を取ると、本当に一年が過ぎるのが早くなる。
フランスの哲学者、ポール・ジャネーと、その甥の心理学者、ピエール・ジャネーは、「50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1であるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年にあたる」と解説した。非常に単純化した説明だが、“ジャネーの法則”と呼ばれ、そこそこ有名な説らしい。この説に従うと、私は今年60歳になるので、私の1年はつまり、6歳の子供にとっての10年と同じだということになる・・・うわっ、これはすごい。しかし、なぜか納得してしまいそうな説得力がある。
また生理学的に見て、歳を取ると運動能力が衰えるので、若いころに10分でできた仕事が、歳を取ると20分かかる。仕事の量からみると、時間が倍近く早く経ったように感じるという説もあるという。つまり、まだこれだけしかやっていないのに、時計をみるともう締切時間が来ているという感覚だ。実際に、3分経ったらボタンを押しなさいという心理学の実験では、小中学生は3分が来る前にボタンを押すのだが、60/70歳になると20秒近く経過してボタンを押すという・・・あまり合意したくないが、もし事実だとすれば、これは悲しい。これは「やわらかな生命の時間」(井上慎一著、秀和システム出版)に登場する話だが、同書では他にも様々な説を紹介している。
例えば、子供時代だと一日や一週間の単位で物事を考えるのだが、歳をとると一年や数年の単位で物事を考えねばならなくなる。つまり、考える時間の単位が違ってくるので、同じ一年でも歳をとると早く感じるという説もあるらしい・・・一理ありそうな気はする。
同書では、海馬説というのも紹介している。脳の海馬では、今起こっていることが記憶の中にあるかどうかを調べ、なければその情報を記憶領域に運ぶ働きをする。この記憶領域に運ぶ回数が時間を感じる長さになるという説だ。つまり、歳をとると新しい経験が減るので、新たに記憶領域に運ぶ回数が減る。したがって、時間が短く感じられるようになるというのだ・・・だとすれば、記憶力が悪くなり、しょっちゅう海馬に働いてもらわねばならないようになれば、時間を長く感じるようになるのだろうか。あるいは、今迄に経験したことのないことにチャレンジしたり、新しい場所に旅行したりすると、その年は長く感じられるようになるのだろうか・・・個人的には、にわかには同意しがたい。
いずれにせよ、人生の残り時間が少なくなってくると「あれもやらねば、これもやらねば」と思うのは人の常。一年一年がだんだんと短く感じるのも当然と言えば当然かもしれない。しかし、ある意味、スピード感があって、この感覚は個人的にはけっして悪くない。正直、私にはもっともシンプルなジャネーの法則がすんなりと来る。
2013年1月その2 アルジェリア ガス・プラント襲撃事件
1月16日朝、イスラム武装集団がイナメナス天然ガス処理プラント(アルジェリア)を襲撃した。多数の人を殺害し、人質にとり、たてこもった。アルジェリア政府は軍投入を決め、17日昼、軍事作戦を実行に移した。19日午前、アルジェリア政府は同プラントを制圧し、軍事作戦の終了を宣言した。そして、さらに多くの人質が犠牲になった。(時間帯は何れも現地時間)
私は昔、日本の商社に勤務し、石油ガスプラント・プロジェクトの部署にいたことがある。30年前の話だが、オランダのエンジニアリング会社と日本のエンジニアリング会社でJVを組み、中東、オマーン国の石油ガス処理プラント建設の契約を受注したことがある。このプラントも、イナメナス・プラントと同様、砂漠の中のプラントだった。正直、今回の事件はまったく遠い出来事という気がしない。
日揮は石油ガス関連で日本最大のエンジニアリング会社で、中東、アジアをはじめとし、世界中でプロジェクトをこなしている。同社にとって、イナメナスは、アルジェリアでは、インサラーに次ぐ二度目のガス処理プラント受注だが、規模はインサラーの3倍以上あるかなり大型のガス処理プラントである。日揮は1989年のフィージビリティ・スタディから、このイナメナス・プロジェクトに参加しているのですでに20数年の関わりがあることになる。その間、2002年にターンキー契約を受注、2006年に完成。襲撃当時、同プラントの追加工事の作業中で、日本人17人を含む78人の日揮社員がプラント内で仕事に従事していた。
石油ガスのエンジニアリング会社にとって、職場は基本的に海外だ。とりわけ、石油やガスが発掘されるところであるから、中近東の砂漠や東南アジアのジャングル地帯が主戦場。しかも、顧客はほとんど政府関係で、莫大な利権が絡むだけに下手をすれば本当に戦場になる。その中で、英語がほとんど話せない現地人やフィリピン/インドなど貧しい国からの出稼ぎ労働者を部下にしての仕事だ。過酷極まりないが、それが日揮の仕事なのだ。これらの困難を脇に置いて、彼らの仕事は存在しない。
イスラム武装集団の犯行声明では、「隣国マリに介入したフランス軍への報復と即時撤退」が主張されているが、身代金目当てではないかという説も捨てきれない。そもそも、フランスがマリへの軍事介入を決定したのは1月11日のことなので、周到な準備をうかがわせる今回の襲撃では時間的な説明がつき難い。もちろん、フランスへの敵対行為であれば、フランス国内でのテロがもっとも効果的なはずだ。確かに、フランスはアルジェリアの旧宗主国だが、このイナメナスのプラントはイギリスのオイル・メジャー、BPとアルジェリア公社ソナトラックの合弁で運営されているので、フランスとの関係は薄い。しかも、外国人人質の多くは米国人や日本人やノルウェー人で、フランス人は少数派だった。
本日、21日時点での話だが、襲撃の目的が定かでない中、事件発生後数日間、日本メディアの最大の関心は、アルジェリア政府の軍事投入というやり方に集まっている。おそらく、事件発生当初、即時の軍事介入を強く批判した日本政府の印象が強かったためだろうが、この議論も急速に先細りになりそうだ。この襲撃を人質事件のように受け止めた日本政府と異なり、テロ行為だと受け止めた欧米各国の反応は、武力突入やむなしでほぼ一致しているからだ。もちろん人質無事救出がよいに越したことはないが、テレビで見たようにあれだけの重火器武装したテロ集団を相手にする限り、現実問題として武力突入以外の方法があるとは考えられない。しかも今日(21日)のニュースでは、武装集団はキャンプ侵入後すぐに何名かの人質を射殺したという。
ただ、私に理解できないのは、なぜアルジェリア政府が欧米の軍事援助を要請しなかったかだ。私には、もっと有効な軍事計画があり得たのではないだろうかという気がしてならない。実際、フランス軍支援のために隣国マリへ向かっていた米国特殊部隊には急遽作戦変更命令が下され、事件一報後4時間以内で現場で軍事対応できる態勢がとられていたという。
メディアの議論の中で今後高まりを見せるのは、セキュリティに関することだろう。テレビ番組などで、軍事施設に近寄ろうとするレポーターがセキュリティの軍人から制止されるシーンをよく見かけるが、欧米の石油関連プラントでは、まったくそれと同様のセキュリティが取られている。今回、なぜこのような襲撃が可能だったのか不思議でしようがない。内通者がいたという話だが、監視カメラなど、すべてのセキュリティ体制を買収するということが可能だとは思えない。石油とガスでなりたっている国なのだから、当然、軍隊によるセキュリティがあってしかるべきだと思うのだが、どうなっていたのだろうか。何か我々の知りえない隠された背景があったのだろうか。
このセキュリティ議論は当然、日本の対テロ・セキュリティ体制へと話が進んでいくに違いない。もう言い尽くされた感もあるが、日本のユーティリティ関連施設(発電、飲料水、ガス供給など)のセキュリティの話だ。私見だが、この話はハード面だけではなくて、ソフト面にも話が進んでほしい。すなわち、ネット関連のセキュリティ体制だ。
また、日本企業のビジネスリスクについても様々な議論が出てくるかもしれない。しかし、今回の事件で言えば、これが日揮のビジネスそのものなのだ。しかも、この分野で最大手であり、アルジェリアで20数年仕事を経験している企業の現場で起きた事件なのだ。こうした限界の中で何ができるかを考えるしかない。
さて、細かい話は別の機会に譲るとして、今回、私がさすがと感じたのは日揮経営陣のインタビュー対応だった。彼らは、インタビューで一応に、日本人社員と外国人社員を対等に扱っていた。人数に言及するときにはつねに、日本人社員は何人で、外国人社員は何人という具合だ。日揮のような世界企業になると社員に国籍の区別はない。当然の対応だとは思う。しかし、日本政府のインタビューはつねに日本人の話だ。これもやむを得ないかもしれないが、日本企業の社員という発想が少しくらいあってもよいのではないかという気はする。
事件の概要が明らかになった時点で本件に再度言及することもあるとは思うが、今はともかく、一人でも多くの日本人、日本企業の社員、すべての国の人の安全をお祈りするだけだ。
2013年2月 ASEAN、マレーシア、そして、クリーン度
ニューズウィーク日本語版(1/29号)で、ポスト中国としてASEAN各国が特集されていた。アジア通ではない私はこの記事を読んで、改めてASEANの大きさに驚かされてしまった。
ASEAN(東南アジア諸国連合)とは、ブルネイ、カンボジア、インドネシア、ラオス、マレーシア、ミャンマー、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの加盟10ヵ国を指す。人口でみるとASEAN全体で6億人。27ヵ国が加盟するEUが5億人、そして、北米自由貿易協定(米国、カナダ、メキシコ)が4億6千万人なので、それらを軽く上回る規模になる。
なみに、インドネシアの人口だけを見ても2億4千万人を超え、中国、インド、米国に次ぐ世界第4位の国である。日本の2倍の人口なのだ。こんなこと、正直まったく頭の中になかった。しかも、同国の昨年の経済成長率は6.5%。これはすごい。他の国を見ても、フィリピンは人口が9,500万人で経済成長率3.9%。ベトナムは人口8,800万人で経済成長率5.9%。タイは人口7,000万人で、洪水の影響を受けた昨年こそ経済成長率は0.1%だったが、その前年は7.8%だった。こういう数字を見ると、確かにもう中国一辺倒の時代は終わったのではないかと思ってしまう。
今や、いろんな企業がASEAN各国に力を注いでいる。実際に現地を訪れた人に話を聞くと、多くの人が口を揃えて称賛するのがマレーシアだ。ニューズウィーク誌でも、マレーシアは“先進国入り目前の優等生国家”と紹介されている。
さて、投資に値する市場かどうかをチェックする場合の一つの目安が汚職などの政治・社会の腐敗度だが、マレーシアはとくにその点が高く評価されている。トランスペアレンシー・インターナショナルの腐敗認識指数(2012年)によれば、ASEANの中での上位国は、第5位シンガポール(87点)、第46位ブルネイ(55点)、第54位マレーシア(49点)となっている。マレーシアのランクはトルコと同じ。もちろん、日本(17位、74点)、アメリカ(19位、73点)などの先進国と比べるとまだまだだが、ブラジル(69位、43点)、イタリア(72位、42点)を軽く上回り、中国(80位、39点)やインド(94位、36点)のはるか上を行く。
マレーシアと言って私がすぐに思い浮かべるのはマハティール元首相。日本の経済成長を見習おうというルックイースト政策を掲げ、22年間にわたり首相を務めてきた親日家だ。つい最近まで頻繁に日本を訪れ、講演活動などを行っていた。どうやら彼が進めてきた賄賂文化根絶の努力が着実に成果を上げてきたようだ。もしマレーシアが日本からクリーン度を学んだとすれば本当に嬉しいことだし、これこそが、これからASEANで日本が協力できることではないだろうか。ASEAN10ヵ国が皆、クリーン度で中国やインドを上回るとき、ASEANは世界最大の貿易圏になるだろう。確かに、腐敗一掃は一朝一夕ではできないことだろうが、急がば回れで行けそうな予感がする。そうした努力を通じて、日本がもっともっとクリーンになることができれば何も言うことはない。
2013年2月その2 “レ・ミゼラブル”
2月25日にアカデミー賞が発表される。私の個人的予想では、やはり、ゴールデン・グローブ賞を獲得した“レ・ミゼラブル”で決まりだと思うが、如何だろうか。この映画の圧倒感はすごい、あっという間の2時間半で、最後には思わず画面に向かって拍手をするほどだった。先日、日経新聞のアカデミー賞予想で、3人のうちの2人が“アルゴ”を、1人が“リンカーン”を挙げていた。“リンカーン”は日本では4月からの上映予定なので中身は知らないが、2人の映画批評家が“レ・ミゼラブル”ではなく“アルゴ”を挙げたのには、私も妻も驚いた。正直な話、日経新聞の映画批評とはいつも意見が合わない。
“レ・ミゼラブル”に戻るが、ここまで興味を駆り立てられると、このミュージカルを見ていない者はどうしても見たくなる。と思ってチェックしたところ、ミュージカル“レ・ミゼラブル”(帝国劇場)が5月から新キャストで始まるらしい。私のようなミーハー顧客を見逃さないように、ちょっとした“レ・ミゼラブル”ブームが仕掛けられているのだ。さすが東宝グループ。ちなみに、映画の配給は東宝東和、ミュージカルはフジテレビの後援。ご存じのように、東宝はフジテレビの大株主。
ともかく、ここは東宝グループの策略にまんまとのっかり、ミュージカルも予約を済ませた。実は、最近、暇に任せて、ミュージカル、演劇など結構出かけている。特に、多くの劇場で、映画と同様にネットで座席指定で予約できるようになったのでえらく便利になった。
とはいえ、日本の演劇・ミュージカルには不満がいっぱいある。そもそも演劇やミュージカルがS席12,500円や13,500円というのはちょっと高いのではないだろうか。歌舞伎はもっと高い。いや高くはないのかもしれないが、そもそも座席の63%がS席(レ・ミゼラブルの場合13,500円)で、A席(同8,000円)が26%しかないというのは、どう考えてもおかしい(%は帝国劇場の場合)。つまり、標準がS席になっているのだ。二人で出かけ、夕飯を食って、それだけで軽く3万円を超す出費が標準パターンになっている。確かに、ブロードウェイも安くはないが、私の記憶では座席の種類が数種類ある。つまり、価格がもっと細かく分かれている。
また、映画には60歳割引、夫婦50歳割引、女性デーなど割引制度がいっぱいあるのに、演劇では学生割引のみ。なぜシニア割引がないのだろうか。そもそも、なぜ平日の昼間が休日と同じ値段なのだろうか。もっと言えば、ブロードウェイでは夜の部は8時開演が普通だが、なぜ日本の演劇はどれも6時半開演なのだろうか。夕飯を食べる時間もない。
ちなみに、さすが、劇団四季では数年前に価格を引き下げ、S席が、四季の会の会員ならば9,000円しない。しかも、東京では、演劇・ミュージカル専門の、どこからでも見やすい四季劇場で開催されるので、納得できる。たまに、ブロードウェイのミュージカルが来日し、あの東京国際フォーラム大劇場で、オペラグラスなしではとても見えないような席で13,000円というのがあるが、あまりにも客を馬鹿にしているとしか言えない。そういうことを考えながら、キャストを見ていると、巷のミュージカルでは劇団四季出身者がその多くを占めている。いろいろな意味で、劇団四季は日本のミュージカルのリード役として頑張っている。浅利慶太の貢献度は意外とすごい。
最後に、レ・ミゼラブルに関しては、テレビでもおなじみの山口祐一郎さん(劇団四季出身)がジャンバルジャン役(Wキャスト)の予定だったが、喉の調子がわるいという理由で降板になった。山口さんのジャンバルジャンを見たかったので、ちょっと残念。一日も早い回復を祈ります。
2013年3月 Sequestration突入
今、アメリカで“Sequestration”という単語を知らないものはいない。日本語では“強制発動”と訳されている。一言でいえば、政府と議会の間で財政赤字削減策が合意に至らなければ、予算を一律10%カットするという法律である。
2011年、オバマ政権と共和党が厳しく対立する中、互いに引くに引けない状況になり、双方のメンツを立てて合意した法律である。正直、誰も本気にそうしようと思っていない、場当たり的な取り決めだと言われている。当時、選挙で大勝し、オバマ大統領に次はないと踏んでいた共和党は、ここまで追い詰めれば共和党の勝ちだと思ったのかもしれないし、大統領も厳しい選挙結果を前には他の方法はなかったのかもしれない。しかし、当時の状況がどうであれ、誰が見ても無責任な、その場しのぎの法律だ。
そして今、オバマの大統領選圧勝の結果を受け、大統領と共和党の立場は逆転。共和党内に意見の相違が出始め、今度は共和党内部の意見統一が難しくなってきた。共和党内のリーダーシップ不在に加え、オバマ大統領の根回しのまずさ、などなどいろいろの理由があるのだろうが、結果として、お互いに何の努力も譲歩も見られないまま、3月1日にSequestrationが発動された。これにより、政府予算は一律10%カットになることが決まった。
現実には、過去の予算消化的なお役所仕事のおかげで、しばらくの間(1、2ヶ月?)はとくに変化なしに乗り切れるらしい。また、3月27日に、今の政府機関の活動資金を賄っている予算継続決議が失効するために、それまでには予算合意に至るだろうと考えている人が多い。そうであれば、特に大きな問題は発生しない。ただし、3月27日までに予算合意に至らねば、政府の予算執行は、緊急案件を除いてすべてストップとなる。つまり、政府不在状態となる。非常事態のための人員と人命にかかわる部署を除いて、政府機関は閉鎖され、公務員は自宅待機を命じられ、ビザやパスポートの処理はストップする。
いくらなんでもそれはないだろうと皆思っているが、一方で、今の政治状況を見たら何が起きるかわからないと不安を持つ人も多い。3月末になって、また2、3ヶ月の延命合意をして、その間に、10%予算カットの痛みが実際に出始めて初めて、動きだすのではないか、つまり、決着は夏までずれ込むのではないかと思う人も多くなった。(私も個人的には夏近くまでかかるのではないかと危惧している。)
先週(2月下旬)、多くの政府機関の職場では職員が招集され、今後の方針が説明された。国際結婚した次女の旦那はハワイで海軍に勤務する文民だが、Sequestrationに伴い、週休3日になると発表されたという。ただし、こうした処置には30日前の通知が必要となるので、ペンタゴンから正式な通知が届いた後、30日後にこの処置が実行に移されるという説明があったらしい。また、同時に、3月末までに予算合意がなされるとこの処置は取りやめになる可能性もあるとの説明があったという。公立学校の先生たちも大量の解雇が予定されており、このままだとハワイでは公立学校は週休3日にせざるを得ないだろうと言われている。ちなみに、ハワイ州では財政悪化により、今すでに公立学校は隔週金曜日がお休みなっている。
日本、米国、イタリア・・・世界中で決められない政治が蔓延している。座って議論している、口先だけの政治家ばかりだ。今や、政治家と評論家の区別がとても難しい時代になった。私の孫がもし政治家になりたいと言い出したら、私は間違いなく言うだろう。「もっと誇りを持って働ける仕事につきなさい。」
2013年3月その2 ボーイング乱気流突入
ボーイング社が深刻な乱気流に突入して抜け出せないでいる。もちろん直接の発端はボーイング787の不具合だ。しかし、新聞情報などを目にするにつれ、いったいなぜこんなひどいことが起きたのか、ボーイング社の開発管理体制はどうなっていたのか、ボーイング社の経営に何が起こっていたのか、不思議でしようがない。
ちなみに、ボーイング787は、848機受注して、その内の50機が納入済みだった。お金に換算すれば、一機当たり2億700万ドルと言われているので、全受注額で約17兆円。内訳でみると、納入済みが約1兆円、受注残が約16兆円。しかし、納入済みの1兆円分(50機)はすべて飛行停止の状況である。これから問題になるであろうエアラインへの補償金などを考えると、普通であれば会社の存続が疑問視される状況だ。
ちなみに、事故が多いと取りざたされている、あのオスプレイは、ベルヘリコプターとボーイングの子会社(ボーイング・ロータークラフトシステムズ社)の共同開発で、ボーイングの工場でも組立が行われている。もっと言えば、マリーンワン(大統領が短距離移動の際に利用するヘリコプター)の機種選定では、オスプレイも3社のうちの一社として候補に挙がっていたが、初期の段階で早々と落選している。
もともと、ボーイング社は、トヨタやホンダと同様に、ものづくりで評判の高い優良企業だった。しかも、トヨタと言えば愛知というように、ボーイングと言えばシアトル。政治やビジネスの中心から距離を置いた場所に拠点を置き、モノ作り一筋に励んでいるというイメージがあった。ところが、ボーイングは2001年に本社をシアトルからシカゴに移している。どうもこの辺から経営の雲行きが怪しくなってきたような気がする。
本社移転の決定を下したのは、ボーイング生粋のエンジニアから頂点に上り詰めたコンディットだった。噂話では、地方暮らしに飽き飽きしたコンディットは、ボーイングを名実ともに大都会の名門企業に飾り立てたいという個人的な野心が高かったらしい。早い話、ボーイング流の保守的な経営に飽きたのではないかと言われている。結局、コンディットは、同社幹部社員と国防省との贈賄スキャンダルが表ざたになり辞任に追い込まれた。
コンディットの後任として選ばれたストーンサイファーもまたエンジニアだが、GEでの経験が長く、GEの航空機エンジン部門を率いていた人物だ。その後、マクダネル・ダグラスのCEOなどを経たものの、結果から見れば、棚ボタ式にボーイングのトップとなった。ボーイングにとってはよそ者だ。彼は、ボーイングの企業文化を無視し、短期利益を重視した経営に終始したと言われている。ボーイングの従業員からは嫌われ者だったらしい。結局、CEO就任2年もしないうちに、ストーンサイファーは社内の女性管理職との不倫が表ざたになり、辞任することになる。
ストーンサイファーの後を引き継いだのはマクナーニだ。マクナーニは、ストーンサイファーと同じく、GEの経歴が長く、同社の航空機エンジン部門のトップを務めていた人物だ。ジャック・ウェルチの後任レースで、ジェフリー・イメルトに敗れた後、3Mのトップになっていた。非常に優秀な人物との評判が高いが、結局、彼もまたウェルチ流の合理主義者で、ボーイングのモノ作り文化を知らない人間である。
これだけ歴史のある会社である。私はボーイングにはしっかりとしたモノ作り文化が残っていることを疑わない。しかし、経営陣はどうだろうか?ボーイングは上昇気流をつかめるのだろうか。それとも・・・。
2013年4月 新年度の始まり(1/2)
新しい年度が始まる・・・と言うと、やはり日本の場合、4月1日だろう。しかし、なぜ暦と年度は異なるのだろう。会計年度も1月1日スタートにしてしまえば簡単に思えるのだが・・・。
考えてみると、政府の予算は4月スタートだが、我々が支払う税金の計算は、個人の場合、暦と同じになっている。つまり、「税支払いの対象期間=暦(1~12月)」(英語でTax Year)であり、「税を使う期間=会計年度(4~3月)」(英語でFiscal Year)となっている。どうやら、暦と年度が異なるのはこの辺に原因があるらしい。昔をさかのぼれば、税を支払う期間の締めとは収穫終了の時期だ。つまり、収穫がある程度終わって、収入が確定した後、予算を考えるのにある程度時間が必要という話だ。
発想が若干、原始的に聞こえるけれども、理にかなっているとは言える。この発想は、実際の農作物では実に明確だ。皆さんは、「砂糖年度」(10月開始)とか「いも年度」(9月開始)とか「生糸年度」(6月開始)などというのを聞いたことがあるだろうか。収穫時期を反映し、全部年度が違うのだ。これらの年度はれっきとした法律で決まっていて、たとえば、砂糖年度の場合、「砂糖およびでん粉の価格調整に関する法律」で、10~9月が砂糖年度だと定められている。砂糖の統計はこの年度を基準にしている。具体的には、「2010年砂糖年度における砂糖の供給量は209万トンだった」などと表現するのだ。ちなみに、この考え方は日本だけではなく、米国の場合、「小麦年度」は6月開始、「トウモロコシ年度」は9月開始となっている。
しかし、「なるほど」と言うのは早すぎる。これは表向きの話、というか、ちょっと一時代前の話のような気がする。情報化時代の現代、収穫見込み、税収予測など、実際に終わってみないと分からないということはないだろう。つまり、一年ごとに、収穫が終わって、そして次の年の予算を考えるなど、20年前の話に聞こえる。今はつねに変化が起きている時代だ。のんびりと一年ごとにものを考える時代ではない。
税収期間と予算期間をずらすというのには、もう一つの有力説がある。暦の場合、どこの国であろうと、一年の終わりや始まりにはいろいろな行事がある。やれ大晦日、やれ正月などなど。こんな時期に年度末を迎えるとなれば、税金の計算をする役人はまったく休みを取れなくなってしまう。やはりピークはずらした方がよいというのがいわゆる役人側の切なる意向なのだ。年度末の忙しさは、実際に役人として働いたことのない人にはとても理解できないほどらしい。
一方で、実際には、暦と会計年度が同じ国もあるし、意外と多いのだ。たとえば、韓国、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギー、スイス、ロシア、中国など。つまり、やれば出来るのだ。(次回に続く)
2013年4月 その2 新年度の始まり(2/2)
前回は、暦と年度がなぜ違うかという話だった。それでは、日本の会計年度がなぜ4月開始かと言うと、理由は単純。明治時代に当時の大国、イギリスを真似ただけの話だ。ちなみに、イギリスは今も会計年度は日本と同じ4月開始。カナダ、インド、デンマークなども4月。米国は10月。ギリシャ、スウェーデン、オーストラリアなどは7月。暦と年度が同じ1月開始なのは、韓国、フランス、ドイツ、ロシア、中国など。
この各国の会計年度を見て、私は考えた。・・・要は、会計年度などどうでもよいのではないか。会計年度そのものに意味がなくなってきているのではないか。今や、一年ごとにものを考える時代ではなく、もっと早いスピードで考える時代になっているのではないか。そういう視点で各国の会計年度をよく見ればすぐにお分かりの通り、すべて、四半期(3か月)単位となっている。つまり、1月始まり、4月始まり、7月始まり、10月始まり・・・今や、一年単位ではなく、3か月単位でものを考えるのが常識、それがグローバル流なのだ。
ちなみに、皆さんは米国の会計年度が10月始まりなのをご存じだっただろうか。私はつい最近知ったばかりだ。でもなぜ10月なのか?・・・じつは、10月開始になったのは1976年、割と最近の出来事なのだ。それまでは7月が会計年度のスタートだった。変更になった理由は、7月だと期間が短すぎて議会の合意が得られないので、四半期ずらそうということだった。米国の場合、個人の税申告は暦通り(1~12月)だし、企業も暦通り(1~12月)が多い。要は、政治がらみの話であり、10月であることにそれほどの意味はないのだ。重要なのは四半期なのだ。
最近、東大の秋入学が話題になっている。世界標準に合わせようと言いうことだが、世界に合わせると今度は国内で不都合がでる。もちろん、幼稚園から大学まですべて9月スタートにすればよいのだが、私に言わせれば、学校年度という考えがそもそも古い。四半期が望ましいが、少なくとも、前期・後期の半期制度にすればよい。つまり、4月入学と9/10月入学の選択制度にするのだ。もちろん、カリキュラムの構成に頭を使う必要はあるが、こうすれば、多少の非効率さもカバーできる。問題は春入学か秋入学かではなく、「年度」発想で凝り固まっている学校経営者の頭の中のような気がする。
ちなみに、私の卒業したペンシルベニア大学のビジネススクール(大学院)では、9月開始がメインだが、1~2割は1月入学生だった。カリキュラムは春/夏/秋/冬の四半期制。もちろん、卒業は単位さえ取ればいつでも大丈夫。入学式はなしで卒業式は年に一回。見習うべきは9月入学ではなく、この柔軟性だと思うのだが、如何だろうか。日本的に言えば、やはり、寒さも和らぎ、虫や動物が冬眠から目覚め、桜が咲く時節こそが、「新しい始まり」に相応しい。東大の学長さま。どうか、この「始まり」をぶち壊さないで頂きたい。
2013年5月 草津よいとこ・・・(1/2)
草津温泉に行ってきた。実は、人生初めての草津経験だ。江戸時代、明治時代、そして、現在までも、ずっと温泉総合ランク、かつ、泉質ランクナンバーワンの座をキープしている温泉なので、ともかく一度行かねばと思っていた。
結論から言えば、まったく期待を裏切らない素晴らしい泉質だった。今までの経験では、数年前に行った知床・ウトロなど北海道の温泉が一番と思っていたが、草津温泉の泉質は恐らくそれらを上回る。私の正直な感想を言えば、草津温泉は観光地と言うよりも純粋な温泉地で、温泉以外にそれほど見るものはない。食べ物もたいした物はないし、たいした名所もない。しかし、温泉は素晴らしい。この温泉に入る目的だけで、ぜひもう一度行きたいと心から思っている。
草津温泉の泉質は酸性の硫黄泉で、湯畑では鼻をつく硫黄臭がすごい。PHが2程度の強い酸性だという。そもそも健康な人間の皮膚は、脂肪酸などで作られた皮脂膜(pH4.5~6.0)で覆われることにより弱酸性に保たれている。これにより細菌の繁殖から皮膚を守ろうとしている。逆に言えば、細菌から肌を守るためには、この酸性状態を維持する必要がある。というわけで、酸性の温泉は皮膚病に良いと言われている。草津温泉に通うと水虫はすぐに治るらしい。
蛇足だが、基本的には、体の表面は酸性に、内部は、腸を除いて、アルカリ性に保つというのが健康の原則と言われている。したがって、ふろ上がりのパウダーは酸性だし、食べ物はアルカリ性がよいと言う。ちなみに、血液はそもそも弱アルカリ性だ。ただし、食品の酸性・アルカリ性というのは、体内で消化された後の話しなので誤解ないように。例えば、酢そのものは酸性だが、体内でアルカリ性になる。したがって、酢を飲むと血液のアルカリ性が保たれ、血がさらさらになる。
ちょっと横道にそれたが、それじゃ、アルカリ温泉はだめかというと、そういう訳でもない。実は、私は地元世田谷にある温泉施設にはよく通うのだが、この世田谷の温泉もなかなかによい。ヌルリ感のあるチョコレート色の黒湯で、弱アルカリ性が特徴だ。(申し訳ないが、このアルカリ温泉の話は次回にさせてください。温泉好きなので話がつきません。)
2013年5月その2 草津よいとこ(2/2)
前回は、草津温泉の泉質のすばらしさと、酸性温泉の効用について述べた。今回は、私の好きな世田谷のアルカリ温泉がテーマだ。
私の知る限り、世田谷から神奈川西地区(川崎市麻生区あたり)にかけての温泉は、黒湯で弱アルカリ性だ。チョコレート色のお湯で、まったりとしているのが特徴。なぜ黒いかというと、その元は地層中に蓄積された海藻などの海洋植物に由来すると言う。海藻などの有機物が腐食し、地層のミネラルを吸収して黒くなったという。例えば、世田谷の温泉の成分表をよく見ると、非解離成分の中に“腐植質”という項目があり、それが何ミリグラム含まれているかが表示されている。海藻とミネラルが混ざった成分がたっぷりとは、これはそそられる。
前回、草津温泉はpH2程度の酸性で、殺菌力が抜群、皮膚病に効果ありと書いた。世田谷地区の温泉は腐植質、つまり植物に起因するので、弱アルカリ性だ。例えば、“そしがや温泉”ではpH8.3ていど。しかし、皮膚は弱酸性に保つのが原則なのに、アルカリ性の温泉で良いのだろうか。
結論から言えば、アルカリ性のお湯は、弱酸性の皮脂を溶かし角質を除去させるために、肌がすべすべになると言う。要は、アルカリ性の石鹸と同じ理屈だ。そのために、アルカリ温泉はよく“美肌の湯・美人の湯”と呼ばれる。逆に言えば、“美肌の湯・美人の湯”とうたわれていえば、それはアルカリ温泉と言うことだ。ただし、これを美肌効果と言ってよいのかどうかは議論があるとのこと。なお、アルカリ性が強すぎると肌がカサカサになるので要注意。男性でも湯上り後の美容液と保湿液は不可欠でしょう。
要約すれば、pH観点で言えば、酸性温泉とは肌表面の酸性効果を高める“殺菌クリーム”みたいなもののようだ。一方、アルカリ温泉とは古い皮脂と角質を中和して取り去る“洗顔石鹸”みたいなものだ。とすれば、ベストは、まずアルカリ温泉に入り、その後に、酸性温泉に入ることだ。
ちなみに、インターネット情報によると、強酸性温泉のトップは、湯治で有名な秋田玉川温泉で、何と、pH1.0。強アルカリ温泉のトップは白馬八方温泉(長野)で、pH11.1。こんなにも違いがあるのは驚き。暇になったら、pH値を参考に、温泉巡りをやってみるのもよいかもしれない。どこかツアー会社で、 “アルカリ温泉と酸性温泉を巡るバスパック”みたいなものはないだろうか。
2013年6月 夢に限界はない
三浦雄一郎さんが80歳にしてエベレスト登頂に成功した。本当に驚きでしかない。
エベレストとは比べ物にならないが、個人的には富士山には何度か登ったことがある。富士山だって馬鹿にはできない。このクラスでも高山病にかかる人が何人もいるし、頂上まで登れば実際に空気の薄さを感じる。正直、80歳で富士山の頂上に登るのもちょっとしたニュースだと思う。しかし、80歳で世界最高峰8,848mの世界だ。とても信じられない。
帰国後、三浦さんに対するメディアでの取材で、お決まりのように出された質問が、「次の計画は?」だった。確か、某テレビで「8,000mからスキーで滑降したい」というようなことを話していたと思うが、その後にサラリと口にした次の言葉は印象的だった。「夢には限界がないからね。」
実際、脳科学的に見て、「夢を持つ」という行為に年齢はあまり関係ないらしい。脳科学者、澤口俊之氏によれば、人間の脳は20歳代半ばで成長を終えるが、未来記憶(将来の目的や計画、状態などに関する記憶)の能力は、脳の成長が止まって以降も衰えないという。「もうこれでいい」と現状満足するのではなく、「成長したい」という意欲を持ちさえすれば、70~90歳になっても夢を持つことはできるという。
最近、60過ぎの友人と話をする時に、「将来、何かやりたいと思っていることがあるか」とよく聞いてみたりする。もちろん、自分の参考にするためだ。この歳になると、某生命保険会社のCMのように「将来の夢は何か」と直接的に聞くのも気恥ずかしい。そこで、ちょっと言葉を変えて尋ねてみる。しかし、中身は一緒だ。この質問に対して、数人に1人くらいの割合で、具体的な答えが返ってくる。私の感覚では、意外と多くの中高年が具体的な夢を持っている。しかも、この歳で具体的な夢を持っていると即答できる人は、押しなべてその夢実現に向かって既に準備を始めている。「大学で教えてみたい」と答えた友人は具体的に講義を前提にした資料集めを始めていたし、「製品デザインをやりたい」と答えた友人は空いた時間を利用して、米国のデザイン学校に短期留学する予定だという。ポイントは、60過ぎの人たちが持つ夢は、純粋に損得勘定なしの夢だという点だ。
こうして周りを観察していると、高齢化社会をリードするのは、夢を持ち、夢の実現に向かって、損得勘定なしで行動する中高年のような気がしてきた。今、中高年観察が面白い。
2013年6月その2 参院と憲法改正
昨日(6月26日)、参院本会議で首相への問責決議が可決され、重要4法案が廃案となった。あいた口がふさがらない。過去数年、ねじれ国会の弊害が幾度となく繰り返され、決められない政治が批判されている最中の出来事である。昨日こそは、こんな参議院、百害あって一利なし、不要どころか存在そのものが害悪だと痛感した。
廃案になった「電気事業法の改正案」は発送電分離を目指し、電力会社の独占状況に風穴をあけようという目玉中の目玉の法案だったはずだ。また、ソマリア海の海賊に対処するために、小銃を持った民間警備員の原油タンカーなどへの乗船を認めようという海賊多発海域船舶警備特別措置法案もお蔵入りとなった。いったい誰が日本のエネルギーを守るのだろうか。したり顔で国会内を闊歩していた福島社民党代表はいったい何を考えているのだろうか。確かに、廃案になった、生活保護法改正案と生活困窮者自立支援法案には、生活保護申請の敷居が高くなりすぎるという批判も強かった。しかし結果として、予算案に盛り込まれていた生活保護費のカットだけが実施されることになった。
正直な話、私は選挙権を持って以来、過去一度も自民党には投票したことがない。前回の衆院選挙ですら、ふがいない民主党に激しい憤りを感じながらも、自民党には投票しなかった。私は生粋のリベラル派を自認している。しかし、今度と言う今度は、次回の参院選挙では自民党に一票を投じようという気になっている。もちろん、アベノミクスを評価しているわけではないし、自民党の施策に共鳴しているからでもない。
最大の理由は憲法改正への期待である。私の言っているのは第9条(戦争放棄)の改正ではない。第42条(両院制の規定)の改正だ。第42条では二院制が規定され、参院に対し大きな権力が付与されている。例えば、法案においては、参院で否決されれば、衆院で3分の2以上の多数がなければ再可決されない。自民党独占の昔ならばこれでよかったが、二大政党/複数政党を基本にする限り、これでは政治は動かない。つまり、第42条は「ねじれ国会が嫌なら、一党支配を選べ」と言っているのに等しい。複数政党が切磋琢磨する状況を作り出そうと思うならば、憲法第42条改正しかないと思う。
ちなみに、今自民党が主張しているのは、憲法第96条の改正だ。憲法第96条は、憲法の改正に必要な要件を定めたもので、「憲法改正には、各議員総数の2/3以上の賛成で、かつ、国民投票の過半数の賛成が必要だ」と定めている。自民党の第96条改正の主張の裏にあるのは、第9条の改正かもしれないが、それでも私は改正を支持したい。少なくとも国民投票の機会がある。参院議員の投票など、日本にとって何の役にも立たない。
2013年8月 引っ越し(マンション開発業者必見)
先月はこのコラムをお休みさせていただきました。理由は、仕事と自宅の引越しが重なり、てんやわんやの忙しさに見舞われていたからです。今もまだ忙しさを引きずっています。
もともと、私がメインに行っている社員研修の仕事は、新卒採用が一段落する6~9月が最繁忙期です。その最中、6月中旬にマンションの買い替えを決め、その下旬に、今住んでいるマンションの売却と新しいマンション(中古)の購入を契約し、7月中旬に簡単なリフォームの上、7月末に引っ越し。その後、8月1日に、住んでいたマンションを引き渡すという過密スケジュールをこなしました。今もまだ、段ボールに囲まれた生活です。
さて、今回は、18年間住んだ築28年のマンションを離れ、築5年のマンションへの引っ越しです。以前のマンションも竣工当時はハイカラなものだったようですが、いざ住み替えてみると、この20数年の間のマンション建築の変化に改めて驚きます。建築の変化と言うよりは、生活スタイル・生活意識の変化といった方がよいでしょう。一言でいえば、「歳をとったらマンション住まい」を意識したデザインになっているのです。私の気づいた変化と今後の予想をリストしてみましょう。マンション開発業者必見です。
1) エコ構造
今回のマンションは、欧米では一般的な外断熱工法。日本では20年前にはほとんどなかった工法ですし、今でも多くはありません。コンクリートの外に断熱材を張る仕組みなので、コンクリートが外気温の変化を直接受けません。結果として、①コンクリート躯体が長持ちする、②室内の湿気や結露を防ぐ、③断熱効果が高いなどの効果があるようです。これに重層ガラス窓を加え、マンションを長期的、エコ的に考え始めたということでしょう。普通の鉄筋コンクリートならば50~60年、外断熱なら100年持つという人もいます。どうやら、私が死ぬまではしっかりと持ちそうです。マンションが老朽化し、いろいろの問題が出てくると、年寄りにとってはとても負担が大きいのです。
外断熱で太陽光発電が当たり前というマンション時代も遠くないでしょう。ともに高コストがボトルネックですが、コストで片付くことは時代が解決してくれます。
2) 高齢化対応
廊下が広くなり、全面バリアフリーになり、車いすで大丈夫なようにスイッチ類の位置が低くなっています。なるほど、これならば、足腰が弱っても大丈夫。二階建ての一軒家では、エレベーターでもつけない限り、こうはいきません。
20数年前は戸建て感覚のメゾネット型マンションが流行だったのですが、実際には、やはりフラットが便利だし、ずっと広く使えます。特に、歳をとると階段はきつい。
3) セキュリティ強化
歳をとり、夫婦二人住まいになると、夫婦旅行の機会も増えます。この時に頭を悩ますのがセキュリティ。今回は、玄関でのキー、エレベーター乗り場へのキー、室内の戸別セコム。至れり尽くせりです。このセキュリティシステムを使いこなせないのが難点ではありますが・・・。
4) ゆとり対応
老人ホームに行くまでは自宅で。となると、やはりそれなりのゆとりは必要。今風マンションの天井高の高さには納得。また、風呂場も昔のマンションと比べると広い。また、今や当たり前の二重床なので、階下への騒音を気にすることもあまりありません。
さて、若い建築家に、中高年の生活を意識したデザインができるでしょうか。・・・あれっ。今、思い出しましたが、私は建築学科卒業でした。中高年向けのマンション開発業者の方、いつでも私をアドバイザーにどうぞ。お安くしておきます。
2013年9月 東京オリンピック さあ新たな時代に向けて
2020年の東京オリンピック開催が決まった。晴らしい招致活動だったと思う。特に最後のプレゼンスピーチは皆見事だったし、チームジャパンの多様性と団結力を示すものだった。久子さまの格調高いスピーチを聞いて、日本中の人が日本にこんな女性皇族がいたのかと心から驚いたに違いない。少なくとも私はそうだった。佐藤選手の感動のスピーチは東京招致を決定づけたし、太田選手の流暢な英語スピーチは日本の若者ここにありと印象付けた。そして滝川クリステルさんの表現力豊かなおもてなしスピーチは日本のユーモアとおおらかさと神秘をうかがわせるものだった。いったい誰が彼らを選出したのだろうか、それこそ金メダルものだ。
前回の1964年東京オリンピックの時、私は小学生で、福岡県の田舎で暮らしていた。それは本当にビッグイベントであり、新しい時代の始まりを予見するものだった。身近な時代背景を振り返ると、1958年に東京タワーが完成。この頃にようやくテレビが一家に一台の時代になった。1959年には現天皇陛下のご成婚パレード。はじめて一般人からお妃を迎えられたことで美智子妃ブームが巻き起こった。1960年には新安保条約が締結。私のいた田舎ではほとんど話題にならなかったものの、東京では大規模な安保闘争があり、東大生の樺美智子さんがデモ闘争の中で亡くなられた。安保条約により日本の防衛をアメリカに任せることになった日本は、すべての力を経済発展に注ぎ込むことになる。1960年、池田内閣による所得倍増計画の始まりだ。1963年には、ケネディ暗殺が日米初の宇宙中継で放映された。この時は、私の住んでいた田舎でさえ号外が配られた。国際的な距離が大幅に縮まりつつあることを予感させる出来事だった。そして、1964年10月東京オリンピックの開催。現在の休日、体育の日(元は10月10日)はこの開会式の行われた日だ。
当時、日本がメダルを取りそうな試合は、生徒全員が講堂に集められ、テレビ観戦をした。授業なんてまったくの後回しだった。田舎でこの調子だから、東京はものすごい状況だったに違いない。オリンピックに合わせて、東京・大阪間の新幹線が開通となり、首都高速道路の建設ラッシュにはずみがつき、下水道工事も本格化していった。東京オリンピックは、国際化と経済復興の幕開けだった。キーワードは、「世界に追い付け・追い越せ」。
さて、2020年は1964年から56年の時を経ての開催となる。実によいタイミングだと思う。コンクリートの建築物の寿命とほぼ同じで、当時、建設された建物が立替えを行うタイミングと同じだ。人間で言えば、ちょうど、15歳から70歳の労働力としてカウントされそうな一つのサイクルと同じだ。今、2020年に向けて新しいサイクルが始まろうとしている。果たして今回のキーワードは?
2013年9月 その2 東京湾岸地域の地価の行方
先日、日経新聞(9月20日付朝刊)で気になった記事があった。五輪開催地周辺の東京湾岸地域の地価が今後どうなるかという記事だ。某証券会社の不動産アナリスト、某大学の不動産学部長、そして、某不動産コンサルタントの3名の見解が解説されており、それぞれの見解が見事に異なっていたのだ。
証券会社の専門家は、東京五輪開催の2020年まで東京湾岸の地価は上昇し、五輪閉幕後も海外の注目を集め、投資先として地価の上昇は続くという見方である。特に国際的な注目を集めるという点を高く評価している。アナリストながら、やはり証券会社のコメントらしい。
大学の専門家は、東京五輪までは地価の上昇が続くと見る点では上記と同じだ。しかし、閉幕後の見方は異なる。17,000室の選手村は民間企業が分譲マンションとして売却する計画だが、短期でそれだけの供給をこなせる国内需要はなく、結果として地価は下落するとみる。大学の先生らしい、当たり障りのない模範的コメントだ。
一方、コンサルタント(マンション市場に関する研究所を運営)の見方はユニークだった。彼によれば、消費税値上げや金利上昇を背景とする今の不動産需要の上昇は、需要の先取りであり、来年4月以降に反動が来ると予想する。(今あわてて買うなということだ。)こうした全体観の中で、湾岸地域に関しては、ある程度値上がりした後、今から一年後には一定水準に落ち着き、そのままで推移した後、五輪閉幕後に価格は下落すると見る。2020年頃から都内の人口は減少に転じる見込みで、マンションを買う年齢層の人口も減るし、かつ、中古マンションの質の向上により、リフォーム需要の割合が増えると見る。東京の空き家率はすでに一割を超えており、五輪のころには二割になっている可能性もあるという。
同じ状況を見て、専門家の考えがこうも違うというのは驚きだ。繰り返すが、皆、専門家を自負する人たちであり、同じ状況を見ているのだ。なぜ?・・・おそらくは、状況を見る視点が違うのだ。今の状況をしっかりと客観的に見ることなしに、将来どうなるかという視点にとらわれすぎている。
アインシュタインは、地球を救う方法を考えるのに1時間与えられたら、どう使うかと聞かれた時、「55分を現状の理解に使う。解決を考えるのは残り5分あれば十分だ」と言ったという。つまり、状況を正確に判断すれば、答えは自ずと明らかになると言っている。
私の意見?・・・それはコンサルタントの人と同じだ。これだけ人口が減っているのになぜあんな不便な場所の地価が上がり続けるというのか、とても理解できない。実際、この3人の中で、今の状況をしっかりと説明したのは彼だけだった。他の二人は将来の事ばかりを語っていた。
2013年10月 オバマ頑張れ
日本人の私が口出すことではないかもしれないが、はっきり言って、今の米国共和党のやり方はとても信じられない。米国では今、共和党が、連邦政府機能の停止、そして、米国政府デフォールを賭けて、オバマ大統領に対し筋の通らない難癖をつけている。
10月1日、米国では民主党が過半数を占める上院と共和党が過半数を占める下院の間で予算合意に達せず、予算が決まらないまま10月1日の新年度を迎えることになった。これにより、10月1日から連邦政府の一部が閉鎖され、連邦職員80万人が自宅待機(無給)を命じられるという異常事態が発生している。つい最近耳にしたばかりの“furlough”(自宅待機)という言葉がまた新聞紙面を飾っている。
私の次女の旦那(アメリカ人)はハワイの海軍で働いている民間人だが、10月1日午後から突如furlough(自宅待機)となった。80万人の犠牲者の一人だ。また、ハワイの名所、戦艦ミズーリ記念館は閉鎖となり、ハワイ島の火山国立公園(キラウエア)も閉鎖になった。軍と観光で成り立っているハワイ州には大打撃だ。
しかし、今回の予算不成立状況はまだ混乱の入口にしか過ぎないらしい。米国では悪名高い債務上限法があり、現在、その上限は約16兆7000億ドルに定められている。ところが、財務長官によると、10月17日までに上限の引き上げが行われない限り、政府の手元資金が底をつくという。そうなれば、米国債の発行が不可能になり、国債の利払いができなくなり、市場は大混乱に陥る。何も対策を打たねば、米国政府はデフォールト(破産)に陥る。
共和党は、これらすべてに対し、オバマケア(医療保険改革)の延期を盾に取り、民主党との合意を拒否している。しかし、オバマケアは、国民の6人に1人が医療保険に入れない現状を何とかしたいとした、オバマ大統領の基本政策である。彼はこの施策を掲げて大統領になったのだ。しかも、今の債務急増は前ブッシュ大統領によるイラク・アフガン戦争をはじめとした戦費に大きな原因がある。また、リーマンショック後の膨大な財政支出にしろ、結局は市場任せのブッシュ・共和党政策が裏目に出た結果だ。
私に言わせれば、選挙という洗礼を受けて法制化したオバマケアに、共和党がとても通らない理由を並べ上げて難癖をつけているとしか見えない。いったい、それだけの大義がどこにあるというのか。これだけの政争をしかける覚悟が今の共和党議員にあるのだろうか。・・・負けるな、オバマ。がんばれ、オバマ。
2013年10月その2 米国民の怒りの行方
17日、米国のデフォールト懸念がとりあえず回避された。しかし、今回の出来事は余りにも脆弱な米国の政治状況を印象付けることになった。昨年、オバマ大統領が再選した時、このコラムで「共和党穏健派が徐々に姿を消していく中、共和党に潜む、アメリカの問題の根深さと危うさを感じた大統領選挙だった」と書いた(2012年11月)。この一年前に抱いた危惧が今、現実の脅威となった。今の米国では、一部国民の怒りがかなりのレベルに達しているようだ。
そもそも、なぜ共和党のティーパーティ・グループがあれほどまでに支持され、力を得ているのか。まるでヒトラー時代の再現を思い起こさせるような状況すら感じてしまう。ティーパーティが「大きな政府」を嫌う白人保守層の集まりで、大幅な財政支出を伴うオバマケアに大反対で、黒人大統領であるオバマを嫌うのはよく分かる。そういう人たちがいても仕方ないだろう。個人的には6人に1人が医療保険にはいっていない状況をそのままにしてよい筈はないと思うが、それはそれとして、国民皆保険など必要ないと言いたい人がいるかもしれないと言うのもあり得ることだとは思う。
しかし、百歩譲るにせよ、予算合意や債務上限引き上げ合意の交換条件として、すなわち、米国という国家の運営を担保にして、すでに正式に法案として成立し、最高裁のお墨付きを得、既に申し込み受け付けが始まっているオバマケアの変更や実施延期を要求するというのは、幾らなんでも度が過ぎている。法治国家としてとても信じがたいことだ。その行為に何の建設的なものも見られない。米国の政治制度の抜け穴を利用して、ノーを突きつけているだけではないか。怒りをぶつけているだけの扇動者ではないか。
そう、恐らく、ティーパーティとは一部の米国民の中に存在する強い怒りや不満のはけ口なのだろう。ますます広がる生活格差、常態化する雇用不安、仕事を奪う不法移民、失われてゆく米国の優越的地位・・・。ティーパーティの台頭はこれらの怒りや不満がかなりのレベルに達しつつあることの表れだと思う。911のテロ事件やアフガン戦争などに国民の怒りが向かっていたものの、それら一連の騒動が一段落したところで、オバマ大統領、そしてオバマケアという格好の怒りの対象を見つけたのだ。
ちょっと待って。そう考えると、第2の大国、中国も同じような状況にあると言える。世界の二大大国で、それぞれ国民の怒りレベルが急上昇している。怖いのは、多くの国が、国民の怒りを抑え込むのが難しくなると、仮想敵国をつくり、そちらに怒りのはけ口を向けさせようとすることだ。中国はこのパターンと言えるかもしれない。
さて米国は、ティーパーティに象徴される一部国民の怒りにどう対処するのだろうか。私としては、シリアへの戦争を画策した時に、オバマ大統領にそういう気持ちがなかったことを祈るばかりだ。
2013年11月 原発それとも温暖化?
2か月ほど前から小泉元首相がことあるごとに脱原発をアピールしている。「放射性廃棄物の捨て場所すら決まっていないのに、原発を推進するのはおかしい。」・・・もちろんそんなことは何十年も前から言われてきているし、皆、重々承知している。政治家を辞めた後にこういわれても、どう反応してよいものやら困ってしまう。
ちょうど小泉元首相の脱原発がニュースでたびたび取り上げられていた頃、日本各地では季節外れの台風が多発し、各所で大雨が甚大な被害をもたらした。解説を聞くと、この異常気象は、結局は地球温暖化に原因があるらしい。原発問題が起こって以来、地球温暖化/京都議定書の話題はすっかりと影を潜めている気がするが、確実に猛暑と大雨と大災害を引き起こしているようだ。
今や米国では天然ガスの主流となりつつあるシェールガスも手放しでは喜べない。天然ガスと聞くとクリーンエネルギーの代表というように聞こえるが、決してそうとは言えない。採掘現場の汚染や地震の増加など多くの環境問題を引き起こしているが、シェールガスに関して長期的に気になるのは温暖化だ。天然ガスの9割を構成するメタンガスは二酸化炭素の21倍の地球温暖化係数を持つ、地球温暖化の疫病神なのだ。
シェールガス発掘時にメタンの漏洩がなければ問題はないのだが、発掘現場の周辺では地表からメタンが湧出したり、地下水に溶け出したメタンが水道栓から漏れるという事態が発生している。アマゾン熱帯林から放出されるメタンは近年大きな脅威となっているし、永久凍土の下にあるメタンハイドレートが温暖化により大気中に放出されるようになれば、さらに温暖化を加速化させる。シェールガスも将来的にそうした大きな脅威の一つになるかもしれない。
原発ゼロが先か、温暖化対策が先か・・・これはまさに、原発稼働が地球を住めない環境にするのが早いのか、あるいは、地球の温暖化が地球を住めない環境にするのが早いのか、という問題に思える。大切なのは、地球はいつかは住めなくなる(つまり、地球と言う星そのものにあと数十億年と言われる寿命があるし、ましてや、地球の生命環境にははるかに早い寿命がある)という事実、そして、人間の存在自体が地球の生命環境を壊す最大要因であるという紛れもない事実だ。原発事故と温暖化の引起こす災害・・・私には二者択一以外の、もう一つの選択肢を探せという神のお告げにも聞こえる。
2013年11月その2 羽田国際線発着枠割当ての意味
今日の報道メディアには本当にがっかりさせられることが多い。というか、報道視点にポリシーがなさすぎる。先日報道された日航の羽田国際線発着枠割当てについてだが、メディアはこぞって非論理的な政治決着に疑問を投げかけた。確かにここは皆が注目するポイントであるが、この事件にはもう一つ大きなポイントがある。それは、この問題に日航がどういう対応をするかだ。残念ながら、私の知る限り、日航の対応に焦点をあてた「その後」の報道についてはすっかり音沙汰がない。
今月初めの話だが、羽田空港国際線の16の発着枠が日航に5、全日空に11割り当てられた。内訳は、英国、フランス、北京、シンガポール、タイの5か国各2つずつの計10の発着枠は、日航に5、全日空に5と均等に割り当てられたものの、ドイツの2枠、ベトナム、インドネシア、フィリピン、カナダの4枠、合計6枠はすべて全日空に割り当てられた。ちなみに、昨年秋に行われた羽田空港国内線発着枠も日航3、全日空8の割り当てだった。この国際線一枠の価値は売上で100億円/年、営業利益で10~20億円/年だという。つまり、今回の処置で、全日空は日航と比べ、6枠分、つまり、年間売上で600億円、営業利益で100億、日航よりも得をすることになる。政府の見解は、日航再建の過程で生じた格差を是正するための処置だという。
要は、見え透いた政治家のさじ加減、政治家の傲慢、政治家の旨み確保なのだろう。もちろん、発着枠をどのように決めるかのルールなど事前に決まってはいない。ルールはもちろんのこと、透明性もゼロである。そんなことをしたら政治家の旨みがなくなるではないか。専門家や有識者を交えたヒアリング?・・・今時、こんな露骨な決定を支持するような専門家や有識者を探すのは無理だ。「沈まぬ太陽」の作者、山崎豊子が生きていたらいったい何とコメントしたことだろう。未だにこんなことがまかり通っているなど、正直、あいた口がふさがらない。日航が経営危機に陥り、航空行政における政治家の関与があれほど批判されたのはつい最近のことだというのに。
この発着枠割り当てが報道された日、日航の株価は1.7%安となった。しかし、全日空の株価もまた0.5%安だった。これがすべてを物語っている。政治家のさじ加減で業績が影響を受けるようなビジネスに投資家が拒否反応を示したのだ。発展途上国ならまだしも、日本と言う国で未だにこんなことが行われているなんてとても信じがたい。
大阪大学の赤井教授は、発着枠配分をルール化すべきだとし、①混雑空港に利用税を課し、これを赤字で苦しむ地方空港に配分する、②発着枠の転売を可能にする、③発着枠を入札制にするなどを提案している。①はよく分からないが、入札と転売は至極妥当に思える。発着枠の決定方法を政府に持たせるなど泥棒に金庫番をさせるようなものだ。
しかし、ここまでのことならば察しはつく。問題は今後のことだ。はたして日航は今回の処置にどう対処するのだろうか。日航の株主は黙ってみていてよいのだろうか。株主を代表する取締役会はどうするのだろうか。はっきり言えば、日航経営陣は政府を権力の乱用で訴えるべきだと思う。もし訴えないのであれば、取締役会は経営陣を経営義務違反で訴えるべきだ。もし取締役会がそれをやらなければ、株主は集団訴訟で、経営陣と取締役を訴え、損害賠償を求めるべきだ。それが上場株式会社というものだと思う。一社くらい、この辺に関心を持つメディアがいてもよいと思うのだが・・・。
2013年12月 問題を自覚する
パソコンで目を酷使することもあり しばらくドライアイ的な症状が続いていた。たまたま見たテレビ番組「ためしてガッテン」のドライアイ特集で 最近日本でドライアイの新薬が開発されたと知り すぐに眼医者に駆けつけた。やはりドライアイという診断だったが 目薬のおかげか症状は劇的に改善した。主な原因は老化現象だ。歳を取ると目の表面を覆う液の分泌が悪くなるらしい。
また最近やたらと日差しが気になり始め 予防の意味を込めて日差しの強いときには冬でもサングラスをかけるようにしている。以前このコラムでも紹介したタレックス製のご自慢のサングラスだ。ただ同年代の友人が白内障の手術をしたと言うのを聞き もしかして日差しが気になり始めたのはそのせいかもしれないと思い ドライアイで世話になっている眼医者でチェックしてもらうことにした。結果は ごく初期の白内障だと言う。白内障の進行を防ぐ目薬を処方してもらった。原因はやはり老化だ。
ここで考えた。普段気にしていなかったが 世の中には実に多くの老化による機能低下を遅らせる薬が存在している。軽度のドライアイなど我慢すれば我慢できるものだし 初期の白内障など 気づいて眼医者に行こうと思う人の方が稀だろう。老化現象は徐々にやってくるものなので自覚しづらい。ほんのちょっとした症状への気づきで 私の眼の機能は確実に老化を遅らせることができた。
更に考えた。私の現在の主な活動は「考える技術・書く技術」の研修だ。どうやって考えを明確に伝えることができるかを様々な企業で教えている。全体的に言えば 参加者の7割程度は自主的な参加だ。ところが参加者の3割程度が上司から半ば強制的に受講を命じられて参加する人だ。自慢ではないが 自主的に参加する人は驚くほどの改善効果を示す。しかし残念ながら 義務的に参加するような人の改善率はかんばしくないかもしれない。違いは自分の症状を自覚しているかどうかだ。症状を自覚している人は処方箋に従って目薬をさすが 自覚症状のない人は処方箋に従うことなどしない。結果は歴然だ。
一般的な病気であれば 医療技術が進化した時代では 症状の回復度合いは 症状を自覚して早めに病院にいくかどうかにかかっている。極言すれば 普通の病気ならば 症状をしっかりと自覚できれば それで病気は半分回復したようなものだ。ビジネス的に言えば 問題状況をしっかりと自覚できれば それで問題の半分は解決したようなものだと言える。・・・ということは 問題解決で重要なのは いかにして問題を解決するかではなく いかにして問題を自覚できるかということになる。・・・つまり 問題の見つけ方である。
2013年12月その2 正しいこと
東京都知事が悪臭を振りまいている。法的に問題のあることをしたかどうかではない。彼が「正しいこと」をしたかどうかだ。法を犯すということと正しいことをするということは別の事だ。例えば 正しい人は見知らぬ急病人を助けるためにスピード違反を犯して病院に運び込む。悪い人は急病人を見て見ぬふりをする。本当の悪人は法的に見て問題のあることはしないのだ。
食品偽装や都知事の事件をみると ビジネス倫理を掘り下げて研究していた昔のことを思い出す。もう10数年前の話だが ニューヨーク・タイムズ日曜版に連載されていた人気コラム「Do the Right Thing(正しいことを成せ)」が一冊の本(「the Right Thing」)になった。私はぜひこれを日本語出版したいと思い この翻訳出版をダイヤモンド社に持ちかけたのだ。この本はその後 邦訳「正しいこと」として出版され その中のコラムの一つは日本の某ロースクールの受験問題としても採用された。私はその後 専門雑誌「金融財政事情」で約半年間コラムをもち 日本語版「正しいこと」を執筆することにもなった。ちょうど三菱自動車のクレーム隠しが問題になった時期である。
ビジネス倫理の場合「良いことをしなさい。悪いことをしてはダメ」という一般の道徳倫理と比べると多少複雑になる。ビジネスでは努力し競争して稼がねばならないという競争行為が前提になるからだ。分け与えるだけではもちろんのこと じっとして悪いことをしないだけでは稼げないのだ。
例えば 独身者同士の社内恋愛は許されるのか?別に不倫ではないし悪いことをしていないのだからよいではないか 何の問題があるのかという意見もある。しかしこれが上司と部下の関係であれば 両者の間に決して「えこひいき的な関係」が生まれないと言い切れるだろうか。同僚の間であっても 特別の便宜を図ることなど決してないと言い切れるだろうか。
例えば 年末に職場でクリスマスパーティをやり 新年に部下を連れ立って神社参拝に行く。これは許されることのか?信仰心の深い部下がいればどうだろうか?あなたの会社が多国籍企業で 部下に敬虔なカソリック教徒やイスラム教徒がいればどうだろうか?
なかなか難しい問題だが それでも原則はシンプルだ。私の場合「今の自分の行為が公になった時に 例えば新聞に大きく報道された時に それでも堂々とした態度で子供や孫に接することができるだろうか?」と自分に問うことにしている。イエスならばそれはおそらく正しいことだと言える。逆に言えば 自分の行為が公になった時に まともな記者会見さえ開けないような都知事はそれだけで正しいことをやれていない。太陽の光は最高の消毒剤だ。陽にあてなければいつか腐っていく。
一年の終わりにこういうことを考えるのも悪くない。皆さま良いお年を。
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