過去のひと言
- Commitment: 関わり合い。今の仕事や状況に深く関わる姿勢を持つこと。自分の関心や努力を100%注ぐに値するものだと見る。決して、部外者的な見方をしない。
- Control: 制御・支配。状況がプラスに変化するように、状況に影響を与え続けようとする姿勢を持つこと。決して、受け身的な無力感に沈み込まない。
- Challenge: 挑戦。変化を、充実した人生に向けての新たな手段とみ、変化に挑戦する勇気と姿勢を持つこと。人生の難題を否定したり、避けたりせずに、前向きに受け止める。
- 問題解決型の対処: 今の状況は、自分だけでなく、他の人にも起こり得る状況だと考える。そのうえで、状況を広い視点で客観的に眺め、何が問題なのかを明確に分析し、問題解決の計画を練り上げる。決して、パニックに陥ったり、あわてて行動しない。
- 支え の交流: 他人を遠ざけようとせずに、積極的に交わるようにする。助け合い、勇気づけあい、建設的な交流関係を築こうとする。他者に対し、自分の方から積 極的に支援の手を差し伸べよ。そうすれば、自分が困ったときに、彼らは必ずあなたを助けてくれる。そこに絆が生まれる。
2012年1月 年のはじめに
元旦、早稲田にある穴八幡にお参りに行ってきた。この神社で頂く「一陽来復」というお札は、冬至・大晦日・節分の24時にその年の吉方に向けて貼るとお金が貯まると言われている。「一陽来復」とは、「冬が去り、春が来る」という意味。まさに今年にふさわしいお札だ。
さて、その穴八幡にお参りに行く途中、地下鉄が地震の影響で緊急停止した。車内アナウンスがあって約10秒後、小刻みな揺れがあった。おそらくは震度4ク ラスであろうか。こんな地下鉄の中で地震が起きたらいったいどうすればよいのか・・・と考えるよりもまずは、揺れる前に地下鉄が緊急停止するという安全シ ステムにいたく感心してしまった。そういわれてみると、東日本大震災の時にも、新幹線はすべて緊急停止し脱線事故はただ一つもなかった。地震発生時に27本もの新幹線が運行中だったにもかかわらずだ。
日本の鉄道にこんなに素晴らしい安全技術が存在するのに、なぜ原発ではあんなに無残な結果をもたらしてしまったのか。JRも 東電も同じ公共事業で独占事業なのに、どうしてこんなにも安全に対する考え方や姿勢が違ってきたのだろうか。自主開発の新幹線技術と輸入依存の原発技術の 違い?目に見える鉄道技術と目に見えない原子力技術の違い?飛行機や自動車という代替手段の存在とまったく独占の電力事業の違い?いろんな理由が考えられ るし、それぞれの理由はそれなりに妥当性がありそうだ。(この違いは意外と重要かもしれない。なぜなら、この理由の裏返しが今後の電力事業の安全対策とな るかもしれないからだ。)
た だ、私が気になったのは、なぜ、電力業界が、このような鉄道業界の優れた技術や考えを学べなかったかという点だ。もしかすると、はなから他業界の事には関 心がなかったのかもしれない。「山崎さん。我々の業界はちょっと特殊で、山崎さんが経験してきた業界とは違うのですよ。」私がコンサルティングなどをやる ときに、耳にタコができるくらい、お客から聞かされる話だ。
しかし、私の20年近いコンサルティング経験から言えば、業界や業種による違いはせいぜい1割程度。後の9割は皆同じだ。経営や技術や組織運営に関する考え方に業界による違いなどほとんどない。経営者が抱えている問題の9割は他の業界に共通する事柄なのに、皆、この1割の違いにしがみついて、他の業界から学ぼうとしない。
緊急停止中の地下鉄車内で考えた。業界を超えた英知の共有。これこそ、私のような経営コンサルタントの役割に違いない。今年の書き初めはこれで決まりだ。・・・「一生現役。週休三日」(週休四日と書きたいところだが、とりあえず2012年はこんなところで。)
2012年1月その2 一番大吉
昨年の正月、初めて高幡不動に行ってきた。ものすごい 人出の中、おみくじを引くと凶、人生初めての凶だった。そもそも縁起物的な意味合いの強いおみくじに凶が本当に入っているなど思いもしなかった。そう言わ れれば、神道の私は、お正月に神社に行くことはあってもお寺に行くことはほとんどなかった。お寺でおみくじをひくということ自体、はじめての経験だったか もしれない。凶のおみくじを結んでいるところ、となりの女性が三回引いてすべて凶だったと言っていたので、それなりの確率で凶が入っていたらしい。
これはあくまでも主観だが、神社のおみくじには凶はおそらく入っていない。そもそも、万物に神が宿るという「八百万の神」的な発想ではおみくじに凶を入れるなどあり得ない。これ以来、私はお寺ではおみくじを引かないことを心に決めた。
私は福岡出身だが、福岡(九 州、西日本)には、三社参りと言う習慣がある。正月には三つの神社にお参りするという風習だ。今でもこの習慣は欠かさない。今年は、明治神宮、穴八幡に 行った後、どこに行こうかと思っていたところ、妻が浅草に行きたいと言い出した。浅草はお寺なので一瞬躊躇したものの、久しぶりなので行ってみることにし た。一月三日の話だ。スカイツリー人気もあり、大混雑。明治神宮のおみくじには吉や凶などは書いていないし、穴八幡ではおみくじを出していないので、今年 はまだおみくじを引いていない。浅草寺でおみくじをひこうか、しかし、ここはお寺だし・・・、いろいろ考えた上、踏みとどまった。
厳密には三つの神社を回って ないこともあり、まだおみくじも引いていないし、結局、8日に、近場の世田谷八幡にお参りに行くことにした。なかなか風情のある、昔ながらの私のお気に入 りの神社だ。お参りの後、気持ちを込めて、みくじ棒を引いた。おぉ・・・!棒には「一番」の数字。「一番大吉」だった。・・・今年は絶対に良いことがありそうな・・・。
正 月はかくあるべき。私はすべての住職に言いたい。「仏教は哲学だ。原始宗教の神道とは違う」というのはよく分かる。しかし、正月くらい、凶のおみくじは入 れないようにして頂きたい。なにせ正月なのだから・・・。初詣の方にはぜひ言いたい。日本の場合、神仏混淆といい、神社もお寺もいっしょくただが、お寺と 神社の違いくらいは意識しておきましょう。また、おみくじを引くならば神社で。
2012年2月 南関東直下型地震
1月23日、東大地震研究所が「4年以内に南関東でマグニチュード7クラスの地震が起きる確率が70%に高まった」と発表した。従来は、30年以内に起きる確率が70%と発表されていたので、危機の訪れが一気に早まる可能性が出てきたということだ。
ただし、「4年以内に大地震が来る確率が70%」と言われても、「4年以内に来ない確率がまだ30%」も残されているわけで、私を含め、ノストラダムスの大予言的なものに慣れきっている人にとっては、今ひとつピンと来なかったかもしれない。しかし、その後に続く発表記事を読んでぶったまげた。
何と「30年以内に南関東でマグニチュード7クラスの地震が起きる確率は98%になった」とあるではないか。「4年以内の確率が70%」にはあまり驚かなった私だが、「30年以内に98%」には驚いた。政治家ではなく、東大地震研究所の科学者が98%の確率だと断言したのだ。今年60歳になる私はもともと長生きの血筋で、父親は今93歳で健在である。つまり、ほぼ間違いなく、私が生きているうちにマグニチュード7級の地震が東京で起きると言うのだ。
ちなみにまだ記憶に新しい阪神・淡路大震災(直下型)の場合が、マグニチュード7.3で神戸での揺れが震度7、死者6,434人の大災害だった。同規模の直下型地震が東京湾北部で発生した場合の政府発表試算では、冬夕方6時で、建物全壊・焼失85万棟、死者11,000人。冬朝5時で、建物全壊・焼失23万棟、死者5,300人とある。これに匹敵する地震ということだ。
津 波の被害が甚大だった東北大震災(海溝型地震)と比べるとそれほどには見えないものの、首都圏地震の最大の特徴は間接被害の大きさだ。すなわち、地震後、 復興までの間に失う様々な機会損失のことだ。復興の間、いつまでかは分からないが、日本企業の活動は間違いなく大幅に低下する。私の仕事(コンサルティン グや研修)はゼロになる。円は大幅に暴落し、かなりのインフレになり、年金の価値はますます下がる・・・。
資料を見ると、マグニチュード8クラスの地震は、元禄時代(1703年)、関東大震災(1923年)と起きているが、ほぼ2~300年間隔。次に起きるときには、私も子供も孫も生きていないだろうから、心配なし。しかし、この間に、マグニチュード7の関東直下型地震は、天明小田原地震(1782年)、安政江戸地震(1855年)、東京地震(1894年)、丹沢地震(1924年)と数回起きている。しかも、活動期だったと言われる安政江戸地震から丹沢地震の期間は、数十年おきに起きているのだ。そして、関東では、2000年以降、活動期に入ったと言われている。
ここまで来たら、地震はあるという前提に立つしかない。覚悟を決め、行動を起こすのみだ。・・・よし、まずは明日、タンスのつっかい棒を買いに行こう。
2012年2月No.2 ミラーレス一眼カメラ
先日、カメラを買った。今はやりのミラーレス一眼というやつだ。
もう40年 近く前の話になるが、大学生の時に一眼レフ・カメラを買った。当時、かなり高価な買い物だった。実は、好きで買ったというよりも、買わされたという方が近 いかもしれない。専攻が建築だったために、設計課題で作った模型の写真を撮るために必要だったのだ。模型写真を撮るには、絞りを工夫し背景をぼかすなどの 技が必要になるので、どうしても一眼レフということになる。
その後しばらくの間、この一眼レフのお世話になった。さすが一眼レフ、映した写真の出来ばえはダントツにきれいだ。撮影にもそこそこ詳しくなり、三脚持参で夜景を撮ったりなどした。
し かし、やはり、カメラ自体がかさばるので、ちょっと持っていくには不便極まりない。そのうち、使い捨てカメラが出て、ビデオカメラが出て、徐々に使う機会 が減っていった。極めつけは、デジカメの出現だ。いつの間にか、愛用の一眼レフは押し入れに入ったままになってしまった。
デ ジカメの一眼レフが出たときに、何度か買う気をそそられた。しかし、やはり二の足を踏んだ。カメラの大きさというか、仰々しさがブレーキになった。ところ が先日、旅行に行った時のこと、知人のカメラを見て驚いた。私のデジカメと比べると圧倒的に明るい。レンズがまるで違うのだ。一眼レフのようではあるが、 一眼レフほどに大きくはない。
家 に帰って、すぐに調べた。ミラーレス一眼というカメラだった。恥ずかしながら、私はそれまでこのようなカメラの存在を知らなかった。一眼レフというのは、 被写体のイメージをそのままミラーで反射させてファインダーから見る。だから、一眼レフと言う。レフはリフレクション(反射)の略。デジタル一眼レフは、 仕組み自体はこれとまったく同じで、フィルムがデジタル素子に替わっただけのことだ。そう考えると、中途半端な発展途上の技術だ。
一 方、ミラーレス一眼は、ミラーがない。ファインダーから見る被写体は、直接見ているのではなく、デジタル素子に映っている画像を見ているのだ。もちろん、 レンズ交換も可能だ。ミラーがなくなったおかげで、物理的に動く部品はほとんど消え去った。パソコンのハードディスクがフラッシュメモリーに置き換わった ようなものだ。これだ!これこそ、一眼レフとデジカメの進化の形だと直感した私は、すぐに購入することにした。
私の購入したのは、昨年秋に発売されたニコンの1V1。 考えてみれば、光学技術ナンバーワンの道を走り続けるニコン、多角化が成功し今や日本を代表する企業になったキャノン・・・厳しい技術競争の最先端でしの ぎを削ってきた日本のカメラ・メーカーはさすがに強い。市場が企業を強くしたのか、ライバルの存在が企業を強くしたのか。あっぱれ!
2012年3月No.1 東京マラソン完走の感想
東京マラソンに出場した。今回で2回目の出場だ。東京マラソンは2007年に開催され、今年で6回目。10倍近いの当選率の中、一般抽選で2回も当選したのだから、何というクジ運の良さだろうか。
それにしても、東京マラソンはやはり日本一。コース設定は本当にすばらしい。大まかに言えば、新宿から日比谷、日比谷から品川往復、銀座から浅草往復、そして、銀座からお台場へと、約10キロずつの4区間で構成されている。とてもメリハリがはり、気分転換になる。第1区間は、都庁前から飯田橋、竹橋、二重橋を抜けて日比谷に行くコース。普段、新宿・日比谷間をこんなに遠回りすることはないので、妙に新鮮だ。第2区間の目玉は、芝増上寺に東京タワー。第3区間は何と言っても浅草雷門での折り返しだが、今年はそれにスカイツリーが加わった。第4区間はひたすらお台場を目指すわけだが、この辺になると、名所はまったく目に入らない。最後に、何カ所か上り下りが繰り返すものの、全体としてみれば下りコース。ここでよい記録が出なければ、多分、他では難しいと思う。それほど走りやすいコースだ。
実は、最近調子が今一つで、フルマラソンで4時間を切れない状態が3大会くらい続いていた。とくに昨年秋の湘南国際はひどい状況で、かなり歩いてしまった。もう一生4時間は切れないのではないかという思いが頭をかすめる中での今回のチャレンジだった。
11回目のフルマラソンなのだが、今回も本当にしんどかった。30キロ近くまではかなりコントロールされた走りができ、これは快調だと思っていた。しかし、30キロすぎから足が徐々に棒状態になってきた。とりわけ、この30~35キ ロは、お台場方向から逆向きに遠回りする(ゴールから遠ざかる)迂回コースになっている。事前に地図をよく見ていなかったせいもあり、このゴールと逆方向 に走るというのが精神的にきつかった。いったいどうなっているのか、どこまで逆向きに走るのか。かなり走っているつもりなのだが、馴染みのある晴海通りが なかなか出てこない。足は重くなる一方。ラップは見る間に落ちていく。
ここからは、もう歩こうかと いう気持との戦いだった。しかし、絶対に歩いてはだめだと叱咤激励の上、よたよた走りを続けた。いったいどのくらいでゴールできるのか、時間の感覚も失わ れていった。腕時計を見る勇気もなかったし、ラップを測るのもやめてしまった。しかし一方で、前回は若干歩いても4時間以内だったので、それほど悪くはないはずという気持ちも残っていた。
あと2キロ地点のところにあったコース上の時計表示が私を救った。実際には思ったほど悪くなかった。4時間は切れるし、もしかすると自己記録更新もありそうだ。最後の2キロ、もう一度力を振り絞った。驚くことに、まだ足は動いた。
記録、3時間54分8秒。自己記録を数十秒更新。何とか、来年も頑張ってみる気になった。それにしても、気持ちの大切さを思い知った4時間だった。
2012年3月1/2 MBO人事評価の誤解(1/2)
経営のご相談に応じたり、人材教育のお手伝いなどをしていると、時々、米国の経営手法が誤解されたまま日本に導入されているのに出くわし、驚かされることがある。その典型的なものが、MBO(Management by Objectives)と言われるものだ。つい最近も、「未だにそんなことを」と思うような話に出くわしたので、この件について、2回にわたり触れてみたい。
MBOは“目標による人事管理”とでも訳すべきもので、目標を個人レベルに落として設定し、その達成度合いに応じて人事評価を行うというものだ。たとえば、PDCシートと名付けられた1ページのシートがあり、社員は個人ごとにそのシートに目標/アクションプランを書き上司に提出する。期末に、その進捗状況と自己評価を上司に提出し、上司は本人と面談の上、コメントを付し、評価をつける。
常識的に考えれば、このシス テムには様々な問題が存在することにすぐ気づく。最大の問題は、ストレッチした目標設定ができなくなること、言い換えると、クリエイティブな発想の余地が 閉ざされることだ。高業績の会社では、高めの目標を掲げることにより、それを達成するために、今までとは違うブレーク・スルー的・クリエイティブな発想を するように求める。すぐに達成できるような目標では、分かり切った努力しか生まれない。もちろん、社員としては、この高い目標で人事評価されるとたまった ものではない。したがって、人事評価は目標管理から切り離すのが大原則だ。目標管理と人事管理を一緒にやろうなど、怠慢でしかない。
また、組織目標が軽視される のも大きな問題だ。活力のある会社では、組織全体の力を引き出すために、組織としての目標を重視し、組織目標達成のためにどれだけ努力したかを重要視す る。そもそも、組織とは共通の目標を持った人たちの集まりなので、組織力を強化しようと思えば、共通目標への強い意識を育てるような仕組みを作らねばなら ない。MBOはこれに逆行している。ちなみに、設定した組織目標を達成した場合、組織全員に同じ%のボーナスを払うなどの仕組みをしている会社はある。いわゆるOBM(Open Book Management)と呼ばれる方法だ。目標達成と賞与支払いが一つのシステムになってはいるが、これは人事評価ではない。評価とは別物だ。
MBOで は、目標に基づいて評価されるので、スマートな社員は決して冒険的な目標は掲げない。そんなことをすると評価が低くなる。ただし、楽な目標を困難でチャレ ンジなものに見せかける努力はする。また、数値目標が分かりやすい(つまり目標をごまかしにくい)営業社員は相対的に評価が厳しくなり、数値目標が難しい (つまり目標をごまかしやすい)管理部門社員の評価は相対的に高くなる。もちろん、基本的には個人別の業績評価なので、他人の目標達成の手伝いをする余裕 はない。MBOの世界では、組織力強化などは、上の人が考える仕事だ。
2012年4月 MBO人事評価の誤解(2/2)
前回、MBO(Management by Objectives)の問題点について書いた。今回はその続きだ。
日本の経営者や人事関係者は、MBOシ ステムが米国の基本システムだと考えている節があるが、それはまったくの誤解だ。“目標による管理”(ウィキペディア)にあるように、この手法は米国では 発表当初から懐疑的な見方があり、今現在、一部の歩合制企業を除いて、まったく使われていない。もし嘘だと思うならば、ぜひ、ちゃんとした米国企業の幹部 や人事関係者の方に「MBOを人事評価に使用しているか」尋ねてほしい。一社もいないはずだ。もし一社でもあれば、ぜひ私に教えてほしい。
前回も書いたが、目標管理と人事管理を一緒にするのはよくない。これでは、目標達成の後押しもできないし、公正な人事評価もできない。中途半端なものに終わってしまう。結果として、数字達成の最前線に立つ営業/マーケティング部門が報われず、管理部門の人間ばかりが出世する組織が出来上がってしまう。
先日、「PDCA(Plan-Do-Check-Act)をもっとしっかりとやりたい。そのために人材育成をやりたい」という話が某大企業からあった。PDCAが上手くいかないので、人材育成の研修?・・・何か割り切れないものを感じ、もしかして、MBOによる人事評価をしていないかと尋ねたところ、まさにドンピシャだった。申し訳ないが、MBOシステムを変えない限り問題は解決しない。
多くのMBOでは、人事評価シートが“PDCシート”などと名前付けられている。これではPDC(A)の開発者に失礼だ。おそらく、経営の現場最前線を知らないどこかのTQMコンサルタントがPDC(A)とMBOを無理やり結びつけて、MBOの売り込みに使ったのだろうが、PDC(A)とMBOは無関係だ。
目標設定/目標管理システムは組織力強化の基本だ。組織とは目標を共有する人たちの集まりだ。組織共通の目標を軽視すれば、それは組織ではなく集団で終わってしまう。バスの乗客と同じだ。何をやるのかの「何(What)」も大切だが、Whatをどう決めるのか、どのように実行するかはもっと重要である。ぜひ、じっくりと腰を落ち着けて、最善の目標設定/目標管理システムがどうあるべきかを考えてほしい。
また、人事評価/人事管理は組織力永続化の基本だ。チャレンジは苦しいものであるべきではない。楽しいものであるべきだ。個人個人のやる気が集まれば、2+2=5が見えてくる。
2012年5月 職人の技
先日、マーケティングの研修講師をしていて、最近の“お買い得”は何かという話になった。以前、この欄で書いた、“ニコンのミラーレス一眼”はなかなかのお買い得だと思っている。しかし購入してまだ3か月程度なので最終評価はもう少し先に延ばしたい。
やはり、過去一年のお買得最有力に挙げたいのは“爪切り”だ。知る人ぞ知る“SUWADA”の爪切り。今、隠れた流行になっているペンチ型の爪切りである。ネットで約6千円。爪切りとしてはなかなかの値段だ。一年近く前、もっと切れ味の良い爪切りが欲しいと思いネットで調べたところ、たまたまこの商品に出会った。購入したときは知らなかったが、ほとんどのネイルショップで使用されている著名品らしい。
この商品の売りは「職人の手仕上げによる切れ味の良さ」だ。切れ味が鋭いと柔らかく爪を切ることができる。この柔らかく爪を切る感覚は使ってみないと説明しづらい。爪切りをするたびに日本の職人芸の素晴らしさを感じさせてくれる商品だ。
メーカーは新潟県三条市にあ る諏訪田製作所。三条市と言えば、いわゆる“燕三条”。洋食器や金物など、伝統的な職人産業が有名な地域である。伝統的な職人産業と言えば聞こえは良い が、私の持つ燕三条のイメージは困難の歴史そのものだ。一時期世界を席巻する輸出基地として全盛を極めたものの、東南アジア・メーカーとの価格競争で輸出 は激減。恐らく、燕三条にあるほとんどのメーカーが存続の危機を経験したはずである。逆に言えば、今、生き残っている燕三条のメーカーはそのような過酷な 競争を生き延びた企業である。そして、私の知る限り、これら生き残りに成功した燕三条の企業に共通してあげられる特徴が“職人技術”へのこだわりである。
諏訪田製作所も大正15年創業の中堅企業。おそらく、苦難の歴史を経て今の地位を築き上げてきたはずだ。やはり生き残りの最大の武器となったのは諏訪田の持っていた“職人技術”。この職人技術を維持し、発展させ、“SUWADA”というブランドを作り上げるほどになったのだから、そのこだわりは尋常ではない。というか、それしか生き残りの道はなかったのかも知れない。ともかく、“SUWADA”と言えば、今や“職人が手作業で作る高級爪切り”そのものなのだ。HPによると、諏訪田では最近オープンファクトリーを始めたらしい。職人が作っているところを実際に見てくれというのだ。確かに、職人技術と言うのは見せても真似られるものではない。自信の表れなのだろう。
それにしても、ニコンのカメラ、諏訪田の爪切り、Boseのスピーカー、ポルシェのスポーツカー・・・ハイテク、ローテクを問わず、日本、海外を問わず、良いものには共通して職人のこだわりを感じる。
2012年6月 五月病の方にささげるレジリエンス理論(その1)
2006年の話、「仕事ストレスで伸びる人の心理学」(ダイヤモンド社)という本を翻訳したことがある。今までに7、8冊の本を翻訳しているが、基本的にはこれは面白いと思った本しか引き受けないので、皆、それなりの良書ばかりだ。中でも、最高の内容と言えるのがこの本である。
私 が本を翻訳する場合、気に入った原書の翻訳出版を出版社に持ち込む場合と、出版社から翻訳を依頼される場合の両方があるが、この本は後者だった。そういう 意味で、この本に関わることができたのは“運”そのものだった。私は今でも、私に翻訳を持ちかけてきた編集者の方に心から感謝している。
五月病でストレスを抱える方のために、ほんのサワリだけ説明したいと思う。何せ、私はこの本の内容を実行したおかげで売り上げを二割伸ばすことができた・・・と心から信じている。
本書は、イリノイ・ベル電話の450人の社員を1975年から十数年にわたって追い続けた心理調査の結果を一般書としてまとめた本である。世界の心理学者百人に選ばれたことのあるサルバトール・マッディによって書かれている。イリノイ・ベル電話はAT&Tの子会社で、この時期は、通信規制の撤廃、AT&Tの 分割など、まさに、合併・リストラの嵐の前、最中、その後をカバーしている。この怒涛の変化の中で、マッディが見たものは、ストレスにさいなまれ、中には ひどく健康をむしばまれるような人と、ストレスの中でも成長を見せた人の二種類だった。なぜこのような状況の中で成長することができたのか・・・これが心 理学者の興味をかきたてた。
この本の原書名は、Resilience at work (職場におけるレジリエンス)という。レジリエンスとは“弾力性”という意味で、本書で書かれたストレス対処法をレジリエンス理論と呼ばれている。著者はこの権威である。
心理学では、急なストレスに見舞われた時の典型的な反応として、ファイト・オア・フライト反応と呼ばれる。ファイト(Fight)は戦うこと。フライト(Flight)は 逃げ去ること。つまり、人間は急なストレス状況に対面すると、そのストレスと戦うか、あるいは、逃げ去るか、このどちらかの行動に集中するということであ る。これは、有史以前にさかのぼる人間の本能的な習性と言われている。例えば、森の中で、肉食恐竜に出くわすと、とっさに戦うか、逃げるかしなければなら ない。そこで躊躇すれば命はない。戦うにしろ、逃げるにしろ、体のすべての機能はこの目的に集中する。そのために、それ以外の体内機能、たとえば、消化機 能とか睡眠機能とか、いわゆる人間の健康を維持するための日常的な機能は優先順位が下がる。
もちろん、これが長く続くと、健康にさまざまな悪影響が出てくる。たとえば、五月病である。(続く)
2012年6月 五月病の方にささげるレジリエンス理論(2/2)
前回は、人間の習性とでもいうべきファイト・オア・フライト反応について、その状況が長く続くと、健康状態に影響が出て、五月病が始まると書いた。今回は、その対処編だ。
時々、現場を知らないカウンセラーが、「ストレスを避けなさい、ストレスを抱えないようにしなさい」などという。しかし、現代社会でストレスのない生活などあり得ない。現代社会にはいろいろな肉食恐竜がうじゃうじゃいる。それを避けるなど無理な話だ。
そ れではどうすればよいのか・・・ファイト・オア・フライトという原始的な習性を克服することに立ち戻るのだ。つまり、ストレス状況に直面した時に、決して その状況と戦おうとしてはならない。また、決してその状況から逃避しようとしてはならない。そんなことをすれば、ファイト・オア・フライトの今迄通りの結 末、健康の悪化を招いてしまう。ファイト・オア・フライトではなく、勇気を振り絞って、直面する状況に正面から応じるのだ。
ほんのさわりだが、ここで重要となる姿勢と技術について説明しておこう。
姿勢:ここでは3つのCが大切になる。
技術:具体的なノウハウは二つ。
興味のある人はぜひ本書を読んでほしい。ちなみに、私は、支えの交流の部分、「自分の方から助けの手を伸ばせ。そうすれば、あなたが困ったときに必ず助けの手が差し伸べられる」という教えが本当に役立っている。私の人生訓と言ってもよい。
2012年7月 同級生の死
私は今年末に60歳を迎えるのだが、自分の人生と無関係に色々な仕組みが60歳で一区切りを迎える。今まで納めてきた国民年金や国民年金基金の徴収が終わりを迎え、(制度に変わりがなければ)厚生年金比例報酬部分や厚生年金基金の受給が始まる。
そして、なぜか60歳が区切りとなっている生命保険も徴収が終わり、死亡時の保険支払いはがくっと減額される。60歳 を過ぎると、死んだ時にもらえる保険はこんなに減ってしまうのか・・・そう考えると、何だか価値がぐっと下がったみたいで気分はよろしくない。以前、保険 は貯蓄ですからと言っていた保険のおばちゃんは、いつの間にか、保険は“保険”ですからという説明に変わっている。おばちゃんはしきりに保険の継続を勧め るのだが、妻と話した結果、掛け捨てで十分ではないか、継続はやめようということになった。その話の最中、妻は、しきりに生命保険会社はぼろ儲けだと怒っ ていた。
ちょうどその時、大学同級生急逝の連絡があった。これによって私の生命保険の決断に変わりはなかったが、思わず同級生の死亡確率の高さが気になった。私が卒業した東京大学工学部建築学科は定員60名、当時全員が男性だった。その内、今日までに60歳を迎えずに6名が死亡している。これでは生命保険会社がぼろ儲けとは言えない。そのことを妻に言うと、同級生が普通ではないのだと言う。
確かにそうかもしれない。実は、亡くなった6名の同級生の内、3名は30歳を迎えずして自殺している。60名のうち3名である。また、1名は狂牛病で半年間入院の後に死亡した。まさかと思い、いろいろな人にあたったがどうやら狂牛病は本当らしい。もちろん、このことは一切公表されていない。死亡時、若くして某国立大学教授職にあった彼は、数年間、ロンドンに駐在経験があった。もう1名 は喉頭癌による壮絶死。国家公務員キャリア組として霞ヶ関で働いていた彼は、数年間、職場と病院を行き来し、癌と闘いぬいた挙句、壮絶な死を迎えた。当 時、告別式でお父様が話してくれた闘病生活は言葉を失うほどにすさまじいものだった。そして、今回、亡くなった同級生は脳溢血。突然死だった。
こうしてみると、歳をとるにつれ、ようやく死が自然で共感できるものになってきている。身近なものになってきている。これまでの友人の死は、あまりに驚愕で 強烈で、その事実に憤りを覚えるものばかりだった。しかし脳溢血ならば、あり得る・・・私にも。私個人的にはたばこは吸わないし、血圧も高くないので確率 は低そうだが、しかし、あり得る。心臓病ならもっとあり得る。
先日、ベストセラー、“大往生したけりゃ医療とかかわるな”(中村仁一、幻冬舎)を読んだ。実におもしろい。私は決めた。60歳 になったら、万が一の時に延命処置はするなという事前指示書を書こう。実は、すでに臓器提供カードに「延命処置はするな」とメモ書きしているのだが、延命 処置の内容をもっと具体的に書く必要があるらしい。また、毎年、私自身の死亡通知の原稿を書いておこうと思う。「・・月・・日、私はあの世に旅立ちまし た。生前は一方ならぬご厚情を頂きありがとうございました」という感じだ。しかし、これだけいろいろの人の世話になっていると、ハガキ一枚に書ききれるか どうかが心配だ。
2012年7月その2 クレジットヒストリ
今、国際結婚し、ホノルルに住んでいる次女が孫を連れて数年ぶりの里帰り中だ。その次女とクレジットカードの話になった。彼女は米国のクレジットカードを2枚持っているのだが、この2枚とも意図的に時々使用するようにしなければならないという。理由は高いクレジットヒストリを維持するためらしい。クレジットカードを持つ理由は便利だという理由もあるが、むしろ、この信用力を高めておきたいという理由が大きいという。
米国では、クレジットカードの支払記録やローンなどの返済記録は“クレジットヒストリ”として記録されている。この記録は信用を数値化したもので、例えばあなたのクレジットヒストリは600ポイントなどとなる。もちろん、自分のヒストリはいつでもチェック可能だ。また、借金するときには当然だが、アパートを借りる時や就職のときなどに調べられ るという。実際に、次女の場合、アパートを引っ越しするときに大家さんから調べられたといっていた。例えば、ある人気のアパートに引っ越し希望者が複数い た場合、このクレジットヒストリがものを言う。
クレジットヒストリは借金の 返済記録なので、借金が少なすぎると、つまり、あまりクレジットカードを使わないと信用力に反映されなくてポイントが低くなるし、クレジットカードの返済方法が一括返済でないと低くなるし、一枚のカードだけしか使用しなくても低くなるらしい。もちろん、クレジットカードを持ったことのない人の場合、ヒストリがゼロになってしまう、つまり、信用力ゼロになってしまうので、銀行でローンもできなくなってしまう。一般人の米国生活ではここら辺の仕組みをしっかり と理解しておくことが肝要になるらしい。そうしないと、いざローンで家を購入する場合などに困った状態になってしまう。
借金大国、アメリカならではの仕組みに聞こえるが、このクレジットヒストリに誤りが発生することはないのだろうか。私自身、昔、米国に半年ほど住んでいた時に、米国で発行したアメックス・カードを持っていたことがある。日本に帰国した後のこと、そのカードに関し、身に覚えのない支払い請求が来てえらい目にあったことがある。この時点、私のクレジットヒストリはおそらくマイナスだったことだろう。
雑誌に、ある米国人がクレ ジットカードで購入した商品をキャンセルした時の出来事が載っていた。キャンセルそのものには問題がなく、カード会社からの支払い請求もなかったのだが、 後日、債権取り立て業者からその支払いについて執拗な取り立てを受けたという。カード会社の手違いでクレジットカードの未払い記録のみが残ったらしいのだ。しかし、その債権は、他の未回収債権とごっちゃにして取り立て会社に売却され、さらに、何度も売却が繰り返されているので、修正が効かないという。ひどい話だ。
日本でも遠からず国民皆背番号制が導入されると、こういうクレジットヒストリ的なものが導入されることになるのだろうか。このような仕組みを作るときには、ぜひ、ミスがあり得ることを前提にして作っていただきたいものだ、原発と同様に。
2012年8月 お墓考(1/2)
先日テレビで桜の下に遺骨を埋める樹木葬の特集をしていた。かなり人気があるらしい。20~30万円程度で済むらしいが、人気の最大の原因はお金ではない。死ぬ者としてみれば、子孫に墓守の負担をかけなくて済む、自分の気に入った場所で土に戻る方が自然という考えだ。樹木葬は、今迄NPOや一部のお寺などがやっていたが、都立霊園でも新たに導入し募集を始めたという。都立霊園とすれば、墓地不足解消の切り札になる。
樹木葬の面白い点は、墓問題を、どのように墓を守っていくかではなくて、そもそもお墓は必要なのかという視点に立っている点だ。正直、今のような核家族化・少子化の時代では、お墓を一族で守るなど、よほどのお金持ちや名家を除いてとても難しい。だったら、お墓という発想を無くしてしまうのも一つのやり方だと提案しているのだ。この発想は海への散骨と同じだが、骨を撒くという考えに抵抗感があるためか、手法としては例外でしかなかった。樹木葬は、これを一つの方法論として一 般化することに成功した。実にユニークだと思う。
米国人と国際結婚した娘に聞いたところ、アメリカ人の夫やその親が墓参りしたという話など 聞いたことがないという。どうも米国人は墓参りなどしないらしい。祖父母あたりになると墓の場所さえ定かでなくなる。キリスト教では、死ねば魂は天国に行くのであって、お墓に眠っているのではないのだから、墓参りの必要もないといえばないのだろう。米国人にとって、墓参りに行くとすれば、それは死者の在りし日を偲ぶのが目的であって、日本の弔いの気持ちとはどうも違うようだ。米国の場合、お墓は個人のモニュメントのようなものらしい。
しかし、それだと、いつかは皆、無縁墓になるし、そもそもお墓の意味が余りない。実際に無縁墓は多いらしいが、幾ら土地の広い米国とはいえ、これではいつかは 墓地不足になる。ということで、今では米国でも火葬が30%程度になっており、アパート型の共同霊園的な納骨堂も登場しているし、遺灰を撒いたり、しゃれ た壺に入れて自宅に置いておき墓は立てないという人も増えているらしい。
土地が狭いにもかかわらず宗教心の強い日本、しかし急速に進みつつある核家族化と個人主義・・・よく考えてみると、この日本の置かれたユニークな状況が世界の見本になるような墓地スタイルを生むのではないかという気がする。(次回に続く)
2012年8月その2 お墓考(2/2)
先に、樹木葬に関連し、米国の墓事情を考えてみた。それでは、米国より土地の狭いヨーロッパではどうなっているのだろうか。
ネットで調べたところ、イギリスでは驚くことに70%が火葬だという。もっと驚いたのは、土葬の場合、死後70年経ち無縁墓になった墓はいったん掘り起こして、深い場所に埋めなおし、新しい墓を建ててよいという法律ができたという。墓地の二重構造である。つまり、イギリスでも墓地不足はかなり深刻であり、かつ、無縁墓が多いのだ。火葬の場合、そのあと遺灰はどうなるのかはいろいろのようだ。自宅に持ち帰り、気に入った壺に入れて保管する人も少なくないらしい。空から遺灰を撒くというビジネスもある。もちろん墓地に墓石を建てて、その下に撒いてもよいし、墓地に共同で遺灰を撒く場所もあるという。
フランスの場合もイギリスに似ている。ただし、火葬の割合が高まってはいるが、イギリスほどではなく、火葬比率は、墓地不足のパリで40%、フランス全体では30%を切る程度らしい。ほぼ米国と同じ程度だ。ただし、土葬の多いフランスでは、米国と異なり、墓が地下室のようになっており、棺を2つ以上納められるようになっているのが普通だという。大きい墓だと、その下に8つの棺が入るような構造になっているものもあるらしい。イギリスの法律を先取りした重層構造だ。ちなみに、火葬の場合、フランスでは、約7割の人が遺灰を自宅に持ち帰り、そのまま保管したり、好きなところに撒くらしい。墓地に収めるのは3割以下だという。
気になっていた方も多いかもしれないが、欧米では遺灰と言い、日本では遺骨という。私は、同じ火葬でありながら、この骨と灰の違いがその後の方法に大きな影響を及ぼしている気がしてならない。日本の火葬の場合、火葬の後に残るのは遺骨であり、骨壺にいれるのは焼け残った骨である。灰ではない。以前、葬儀場の人にすべて灰になるまで焼くことはできないのかと聞いたところ、ここでは無理だといわれてしまった。撒きたいのならば、トンカチで骨を砕かないとだめだと言われた。日本で海に散骨する人は、骨のまま撒いているのだろうか、それとも骨をわざわざ砕いたうえで撒いているのだろうか。いずれにせよ、これは抵抗感が大きい。
欧米の場合には、焼く温度がかなり高温であることに加え、灰になりやすい薬品を混ぜて焼くらしい。・・・どう考えても、骨では人に近すぎる。灰ならば土に近い。樹木葬がこれだけ人気を浴びているのだから、ぜひ焼き場の人に提案したい。私の死体は薬品を混ぜても何を混ぜてもよいので、すべてを灰にしていただけないだろうか。割増料金OKです。
2012年9月 原発ゼロ(1/2)
原発に関する政府の意見聴取会が終わった。参加者を、立場の違いに応じてグループ化し、意見を聴取しようというものだ。ご存じのように、グループ化は、2030年までにあるべき原発の割合の支持(0%、15%、20~25%)により、3つに分類している。
原発反対者は、当然、将来的には原発ゼロを主張する。一方で、原発擁護者は、原発ゼロは非現実的で、そんなことをしたら経済的に大混乱が起きると主張する。・・・何かおかしい。これって議論がかみ合っていないのではないだろうか。つまり、原発反対者は2030年の将来像として原発ゼロを主張し、原発擁護者は手段としての困難性を強調する。一方が目標を論じ、一方が手段を論じている。これでは平行線になるのは当然だ。
戦略を論じる場合、もっとも重要なのは、まず目標を具体的に設定することだ。手段をどうするかは目標が定まった後に論じる話だ。目標が定まらないのに目標達成の手段を論じることはできない。もちろん、手段の困難さによっては、目標達成の道のり、あるいは、設定目標そのものを修正することもあり得るだろう。しかし、それでもスタートポイントは、目指すべき目標だ。これは、経営戦略でも産業施策でも国家政策でも同じである。
さて、ひとまず手段のことは忘れ、単純に追及すべき目標はどうあるべきかという観点で原発を考えるならば、当然のことながら、原発関連の仕事に従事している人を除けば、少なくとも日本人ならば百パーセント、原発はゼロにすべきだと答えるはずだ。福島原発の事故と現状、さらには、燃料廃棄物の処分法や処分地すら決まっていない状況の中で、原発があった方がよいなどと考える人がわずか一人でもいるとは考えられない。
問題は、2030年に原発割合をゼロにするという前提に立って、「その目標を実現するための方法論・手段はどうあるべきか」になるべきだ。そこで初めて、電力コストの問題、電力安定供給の問題などの議論が具体的なものになる。状況によっては、2030年にゼロが2040年にゼロに修正されるかもしれない。
ちょっと横道にそれるが、この意見聴取会の企画で評価したいのは、「2030年」という具体的な年度と、「ゼロ/15%/20~25%」という具体的な数値の設定だ。そもそも、なぜ「2030年」という年度が設定されたかは不明だが、おそらくは、現実性のある年度として企画者の念頭にあったに違いない。これを企画した人は、明確に頭の中に、「2030年に原発ゼロは不可能ではない目標設定だ」と考えたに違いない。
今、原発の割合は30%弱。あと20年弱かけてこれをゼロにする。・・・経営コンサルタントである私に言わせれば、民間企業であれば、低すぎるくらいの目標だ。なぜこれができないと言い切れるのか、その理由を探す方が難しいのではなかろうか。(次回に続く)
2012年9月その2 原発ゼロ(2/2)
前回、「あと20年かけて、今30%近くある原発の割合をゼロにする」など、民間企業であれば低すぎるとでも言える目標設定だといった。
今、ニューヨークではエンパイアステートビルの省エネ大改装が進んでいる。通常の改装に加え、冷暖房設備、照明設備、窓ガラスなどすべてを交換することにより、エネルギー消費量を38%削減できるという。このエネルギー削減効果は年間4.4百万ドル。5億ドルの通常改装費に加え、省エネ追加工事費用に20百万ドルがかかるという話なので、エネルギーコストだけを考えると、5年で追加工事の元がとれるということになる。さらに、改装に加え、こうしたエコ・イメージが追い風となり、家賃は大幅アップしたそうだ。
また、神奈川の一軒家に住む私の友人は、一部、太陽電池を設置し、照明をすべてLEDに切り替えたところ、電力消費が3割程度減少したという。こうしてみると、3割程度のエネルギー削減は不可能なものとは思えない。
ここで思い出したのが、1970年のマスキー法だ。1970年に米国で法案成立したもので、「1975/76年以降の自動車の排気ガスを1970-71年型の1/10にすることを義務付ける。達成できない自動車は販売を認めない」というものだ。5年の期限付きで排ガスを1/10にするなど、当時の自動車業界では達成不可能と言われた非常識な法案だった。
この規制を最初にクリアしたのがホンダのCVCCエンジンだ。なんと、1972年にあっさりとクリアしてしまった。また、翌年にはマツダもクリアしている。しかしながら、米国メーカーの強い反対にあい、マスキー法自体は実施を待たずに1974年に廃案になった。米国本土における排ガス規制がこの基準に達したのは1995年のことだ。
一方、日本では、このマスキー法を下敷きに国内の排ガス規制が強化され、1978年度には、一酸化炭素、炭化水素、窒素酸化物、すべての項目において、マスキー法が掲げた目標値を完全に上回ることになった。このマスキー法挑戦をきっかけに、日本車の技術能力は急上昇し、日本車の技術評価は様変わりした。わずか数年の出来事である。今、日本は排ガス規制がもっとも厳しい国であり、当然、排ガス技術がもっともすぐれた国である。
今、日本の原発に占める割合は30%弱。30%エネルギー消費を効率化すれば済む話だ。どうしてこれが不可能と言えるのだろうか。マスキー法にみるまでもなく、これはチャンスだ。大きなチャンスだ。がんばろう日本!
2012年10月 日中問題考
先月末、台風の接近する中、やることもないので、テレビで日本女子オープン・ゴルフを見ていた。国内メジャーの難コースで、台風の強い風の中、優勝したのは、フォン・シャンシャンという中国人選手だった。2位は朴仁妃、3位は李知姫、ともに韓国人である。4位にようやく米ツアーで活躍中の宮里美香が入った。日中、日韓の領土問題が深刻な中、複雑な思いでこのゴルフを見ていた人も多かったのではないだろうか。実は私もその一人である。
私の中国への思いは複雑だ。私の会社の名前“隗コンサルティング”の“隗”はもちろん中国の逸話に登場する“郭隗”という人名からとったものだ。実在した人物かどうかは定かではない。ただし、“隗”という字はこの郭隗そのものを指しており、辞書を調べればわかるが、これ以外の意味はない。この社名からも推測いただけるように、私は昔、三国志関連の本を読み漁ったし、雄大な中国の歴史には今でも畏敬の念を抱いている。
しかし、中国には、24年前、北京とその近郊に数日間行ったことがあるだけだ。万里の長城や明の十三陵などの観光地を回ったほか、知り合いの紹介で、当時関心のあった東洋医学の病院めぐりをしたことを覚えている。歴史建造物であれ、東洋医学であれ、中国の持つ歴史の重みを感じるたびに日本の小ささを感じた。一方で、北京の現代生活にはわずか数日間の滞在でまったく馴染めそうもない雰囲気を味わった。具体的にものすごく嫌な経験をしたということはないのだが、なぜか、もう中国には来ないだろうという拒否反応に近い直感を抱いて今に至っている。
今回ばかりは、今の日中問題を見て、まったくもって具体的な解決案を示せない、解説者になりさがった政治家や学識者の批判をする気はあまり起きない。私自身、とても中短期の解決策が思いつかないからだ。冷静な対処が必要だとも思うし、もう少し国としての主張が必要なのではないかと思う時もある。
さて、冒頭の日本女子オープンの話だが、中国人選手が優勝した時点で、東京都知事的な複雑な思いを抱いていた私は、その優勝インタビューを聞いて本当に感動した。その時点で、日本ツアーで何度か優勝していた彼女は、とつとつと日本への感謝の言葉を述べ始めたのだ。日本ツアーでの経験を経て今の自分があるということを自分の言葉で語っていた。
考えてみれば、私の中にある中国は、悠久の歴史に対する畏敬の念と、現代中国に対する拒否感であり、ここに共通するのは親近感の欠如だ。たぶん、今の日中問題にはすぐに解決する妙案などはないだろう。しかし、スポーツなど様々な交流を通じていけばきっと理解しあえる日が来るに違いない。日中国交回復40年。つまり、まだわずか40年なのだ。国交回復は今始まったばかりではないか。
2012年10月その2 罰則と罰金
ある日、友人と一緒に食事をした時の話、いきなり、その友人が黄色の駐車違反ステッカーをテーブルの上に置き、ちょっと読んでみてくれないかと言う。彼によると、先月、駐車違反をし、ステッカーを車に貼られてしまったとのこと。しかし、そのステッカーの文言が実に分かりにくいというのだ。よく読むと、そのステッカーには駐車違反と大きく書いており、放置車両をすぐに移動させなさいとは書いているのだが、確かに、その後に具体的にどうすればよいのかは書かれていない。警察署に出向かねばならないのか、交番でよいのか、あるいは、車両を移動して後はじっと待っていれば何か言ってくるのか、まったくわからないのだ。
そのステッカーには担当の交番の電話番号が記してあるのだが、友人は交番に電話をする前に、まずはネットで調べてみることにした。これだけ分かりにくいステッカーなら、戸惑う人も多いはずだ。そして驚くべき事実を発見した。
どうやら駐車違反は数年前にシステムが変わったらしい。ネット情報によると、運転者が黄色のステッカーを持って交番に行くと、その場で違反切符を切られ罰金を支払うことになる。この時点で、運転免許の違反点数がマイナスされる。ところが、何もせずに待っていると、車の所有者に罰金を支払えと言う通知が送られてきて、所有者が罰金を支払うことになるという。罰金の金額は同じだ。それで終わり。つまり、駐車違反をした運転者には違反切符は切られず、違反点数のマイナスもない。結局、私の友人はネット情報に基づき、交番には行かなかった。後日、所有者として罰金を支払うことにはなったが、ゴールド免許はそのままだと喜んでいた。
この話を聞いて考えた。確かに、これではわざわざ出頭する正直者が損をするだけだ。しかし、現実問題として、取り締まる側としては、駐車違反をした運転者が誰かを特定するのは不可能だ。実際、「私は運転してなかった」という理由で罰金支払いを拒む人も多かったらしい。車の所有者に罰金を払わせるようにすれば、確実に請求書を送付することが出来るし、払わなければ次の車検に通らないわけだから、確実に払ってくれる。
私は今のシステムは実に画期的な発想の転換だと高く評価したい。要は、「罰則」重視の従来発想から、「罰金」重視の発想に切り替えたのだ。・・・素晴らしい。実に現実的でクリエイティブな発想ではないか。こういう発想のできる人が官僚の中にもいるのだ。
これでは駐車違反が増えるのではとの危惧もあるかも知れないが、そんなことはない。駐車違反をするほとんどの運転者がほんのちょっとの出来心なのだ。私の友人も駐車違反は十年ぶりだった。また、駐車違反を何度も繰り返す悪質車両は車両情報としてデータベースに残るわけだから、当然、そのような車両の運転者に対し別途の処置を施すことは可能だ。とは言え、多少の不公平が残るのは事実だから、違反ステッカーの文言も曖昧にならざるを得ない。まあ、これくらい許してあげようではないか。
2012年11月 大統領選挙と共和党
オバマ大統領が再選を決めた。マスコミ情報では接戦が報じられていたが、ふたを開けてみると圧勝だった。これは選挙日の前週にニューズ・ウィーク誌が予想した通りだった。
同紙によると、選挙前の接戦情報は窮地に陥った共和党が画策したものだという。接戦状況をでっちあげることにより、ロムニーの選挙運動に活を入れ、結果として接戦状況を現実のものにしようという戦術だったらしい。もちろん、マスコミとしては、オバマ優勢が続くよりも接戦のほうが話題性を呼ぶ。これは昔ながらの共和党のやり方で、共和党の活動家に染みついた体質だという。ジョージ・W・ブッシュ政権下、その側近がニューヨーク・タイムズ紙の記者に「現実を自らつくり出す。そして君たちがそれを仔細に検証しているうちに、われわれはまた別な現実をつくり出す」と語っている。(ニューズ・ウィーク日本版2012年11月7日号から)
しかし、選挙的には圧勝と言いながらも、投票者数ではわずかの差だったのも事実だ。私にも何人かの米国人の友人がいるが、皆、インテリで、民主党支持者ばかりだ。そのせいもあり、なぜ共和党を支持する人があれほどたくさんいるのか、私には正直よく理解できない。なぜ国民皆保険の医療制度に反対するのだろうか。
しかも、共和党の支持者には、どちらかと言えば、あまり裕福ではない、正直、医療保険の支払にも困ることのある白人が多い。いわゆる、プア・ホワイトと言われる人たちだ。今回、接戦州と言われた北東部はこう呼ばれる人たちが多く住む地域だ。カトリック系で信心深く、田舎に住む労働者で、あまり裕福でなく、学歴もそれほどではない。しかし、まじめに人生を送っている人たちだ。こういう人たちの多くは共和党支持で、しかも誰が大統領候補になっても共和党という頑なな人たちだ。しかもこうした共和党的な政治信条(小さな政府、安い税金、アメリカンドリーム万歳)は親から子へと引き継がれていく。
現実は作り出すものだと言い切る一部の権力者や超金持ちと、多くの恵まれないプア・ホワイトで成り立つ共和党。共通するのはとても頑固で強固な信条だ。共和党穏健派が徐々に姿を消していく中、共和党に潜む、アメリカの問題の根深さと危うさを感じた大統領選挙だった。がんばれ、オバマ! (・・・しかし、アメリカにはまだ応援したい政治家がいるのだから羨ましい。残念ながら、日本には頑張れと声をかけたい政治家など一人もいない。)
2012年11月その2 衆議院解散
先週の野田首相の解散宣言はなかなかのものだった。私は彼の発言を高く評価している。あれだけ消費税アップを貫いておきながら、その後、幹事長に言いたい放題にさせている様子を実は不思議に思っていた。消費税アップのときに見せた執念や小沢切りに見せた決断と比べ、最近の人任せ的な無責任姿勢にはあまりにもギャップがありすぎる。しかし、この方はやるときはやる人だった。ただの解散ではなく、定数削減の確約をテレビの前で言質にとったのだからしたたかだ。
今まで次の選挙で民主党に入れることはないだろうと思っていたが、あの発言を見て、もう一度民主党に入れてみようかと考え始めた。今、民主党は離党者続出の状況だが、どんどん離党者が出て、考えを同じにする者だけが残れば、ますます投票しやすくなる。
自民党?今の日本における政治と霞が関の癒着体質を作り出した自民党にはまだ投票する気はおきない。しかも、病気が理由で首相の座を辞した人がまた自ら立候補して首相の座に返り咲くなど、正直理解できない。いかに良い薬が処方可能になったといっても、首相はおそらくは日本でもっともストレスの大きな仕事だ。
維新の会?本音を言って維新の会には期待していた。橋下代表は独裁者だとか言われるが、私に言わせれば、独裁的な政治家の方が何もしない政治家よりもよほどましである。独裁政治は何かブレーキの仕組みを作れば活動に歯止めをかけることができる。しかし、何もしない政治家に何かをさせるような仕組みを作るのは無理だ。
ただし、今の状況では維新の会には投票しづらい。時々テレビで、維新の会のアドバイザー的に登場する元横浜市長や元宮崎県知事を見るたびに、そう思う。元横浜市長は大赤字の博覧会を途中で投げ出した悪名高い御仁だ。元宮崎県知事は営業マンとしては高く評価するが、いつの間にか新幹線開通は長崎に先を越されてしまった。この方を見るたびに知事の仕事とは何なのと考えさせられる。「独裁者=人の意見を聞かない人」ではない。できれば、橋下さんには人の意見や考えに耳を傾ける独裁者になってほしい。
あくまでも主観です。
2012年12月 富士山マラソンと河口湖町の行方
11月25日に河口湖で行われた第一回富士山マラソンに出場した。記録は、3時間56分ちょっと。シーズン最初のマラソンにしては上出来だろう。
この富士山マラソンは、昨年まで河口湖マラソンと呼ばれていたもので、30数年の歴史があるリゾートマラソンだ。私自身、過去数回出場したことがある。オフィシャルな荷物預かりがなく、近隣の飲食店や民宿が総出で、荷物置き場・更衣所・お風呂を無料提供するという手作り感が特徴の雰囲気の良いマラソンだった。
ただし、スタート時間が8時と早いために、参加者のほとんどを占める関東からの参加者は前泊が前提となる。しかし、宿泊施設が限られているために、周辺の旅館はマラソン前夜の宿泊料金が軒並み倍になる。ごく普通の旅館で、この日は平均で一人2万5千円くらい。私のように夫婦で出かけると5万円の出費だ。需要と供給の関係と言われればやむを得ないが、これはボトルネックだ。参加者だけでなく、主催者にとってもボトルネックだった筈だ。
せっかく手作りの良さを感じるだけに、宿泊施設の分散化、宿泊施設とスタート地点の公共交通の完備、スタート地点の変更、もう一歩踏み込んだ温泉サービス、マラソン以降のシーズンオフの観光優待などなど、もうひと工夫すれば、河口湖観光の継続的なきっかけづくりになるだろうに、とてももったいないと感じていた。実際、来るたびに河口湖周辺はすたれていっているように見えた。
そして、そう感じていたのは私だけではなかったのだろう。その結果、今年は、名称が富士山マラソンに変わり、コースが変更になり、マラソン規模が参加者1万3千人から一挙に2万3千人となった。このマラソンを地域復活イベントとして徹底的に利用しようというすごい意気込みだった。その結果、この意気込みは見事な空振りに終わった。
そもそも、富士山を走らないのに富士山マラソンという名前には違和感を覚える。羊頭狗肉と言われても仕方がない。最大の問題は規模だ。昨年まで1万3千人規模で宿泊施設がパンク状態。結果として旅館に泊まる人は一泊2万5千円もださないと参加できない状況だったのに、2万3千人の参加を募るなど常識では考えられない。東京マラソンでさえ3万6千人の参加者で、この運営を支えるために1万人以上のボランティアが参加しているのだ。この2/3の規模のマラソンをあの狭い河口湖周辺で、しかも東京から電車で参加できない朝8時スタートで開催しようと言うのだ。どう考えても無理だろう。
結果?・・・宿泊設備を確保できなかった多くの人たちは、当然、唯一の交通手段であるマイカーで当日朝に行くしかない。その結果、当日、夜が明けるずっと前から河口湖インターの近くで全く動けない大渋滞が発生。運よく通り抜けた人たちは、今回初めて戦略提携した(恐らくは、前泊のマラソンランナーを遊園地に誘導するために提携した?)富士急ハイランド内のマラソン専用駐車場に誘導される。しかし、この駐車場、そもそも駐車可能台数が少ない上に、マラソンのスタート地点からかなりの距離がある。したがって、運よく駐車できた人も、ここからスタート地点まで大会シャトルバスで行くことになる。少なくともそのように誘導された。もちろん、その大会バスは一般道の渋滞で立ち往生。結果として5千人近い人がスタート可能時間に間に合わず走れなかったという。ネットでみると、当日参加者の場合、東京を夜1時に出発した人が何とかスタート5分前にスタート地点に到着したという状況だったらしい。これ以外にも運営にまつわる問題が多々あったが、あまりにも多いので割愛。
どう考えてももったいない話だ。河口湖マラソンが持っていたせっかくの手作りの良さが台無しになってしまった。おそらく、この富士山マラソンの企画には、東京から河口湖マラソンに出場した経験のある平均像的ランナーは一人も参加しなかったに違いない。参加者の気持ちを理解できない大会が上手く行くはずがない。
ことはマラソン大会にとどまらない。もし、河口湖の将来が同じような人たちにより、同じようなプロセスで計画されているとすれば・・・。観光客の気持ちを理解できない観光地に未来はない。河口湖の将来に責任のある人は、富士山マラソンの幻想に固執せず、もう一度ゼロからやり直した方が良い。
2012年12月その2 自民圧勝
衆議院総選挙が終わった。事前の予想通り、自民党が圧勝した。しかも自公で衆議院議員の2/3を超える結果になった。もちろん、喜ばしい側面もあるし、不安な側面もある。
私が思うに、自民党圧勝の最大のメリットは、ねじれ国会の消滅だ。参議院で否決された議案も、差し戻された後、衆議院の2/3以上の賛成で可決成立するので、これで、ねじれ国会の足かせはなくなった。良くも悪くも、これからは自公の決定がすべてとなるのだ。今後、ねじれ国会を、決められない政治の言い訳にすることはできない。
せっかくここまで圧勝したのだから、自民党には、将来の政治状況を考え、ぜひ、ねじれ国会状況を永遠になくすような改革に取り組んでもらいたい。つまり、二院制の改革だ。参議院を無くすのでもよいし、参議院の権限を縮小するでもよい。もちろん、これには憲法改正が必要になるので単純にはいかないだろうが、ここは、今の圧倒的多数状況を背景に、何とか、改革の総意を取り付けてほしいと思う。ちなみに、憲法改正には、両院それぞれで2/3以上の合意、さらには、国民投票が義務付けられている。憲法改正というと、皆、第2章9条(戦争放棄)ばかりを言うが、私に言わせれば、第4章(国会)の改正の方が最大の急務に思える。
“法案成立はすべて自公の思うままとなる”というと、自公の暴走が不安視されそうだが、この点、私はそれほど心配していない。一人の個人に権力が集中するわけではなく、あくまでも組織の話だからだ。個人的には、暴走への不安というよりも逆への不安の方が大きい。つまり、これだけ圧倒的多数を達成しながら、誰も、何も根本的な解決に着手しようとしないのではないかという不安だ。
今回の選挙結果報道を見て改めて感じたのは、自民党の世襲議員の多さだ。選挙前で自民党の4割が世襲議員と言われていたが、さらに増えているのではないだろうか。自民党の最近の総理を見ると、麻生さん、福田さん、安倍さん、小泉さんとすべて世襲議員。そもそも自民党の総裁選挙に手を挙げた、安倍さん、石破さん、石原さん、林さんはすべて世襲議員だ。別に世襲がすべて悪いとは言わないが、経済的に恵まれた環境で育ち、カバン(政治資金)、地盤(後援会組織)、看板(知名度)をまるごと引き継いで、世襲の何が悪いと言っているような人がどうやって庶民の苦しみを理解し、自分の人生をかけて改革にチャレンジしようとするのだろうか。
・・・そうだ。財政危機に陥ったギリシャは政治家の世襲で有名な国で、この無責任的世襲政治家制度が財政危機の根幹にあると言われていた。もしかして、日本も同じ道をたどるのだろうか?どうか、この不安が杞憂に終わりますように。
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